会長の時間

2020年

会長の時間19

2020年12月23日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

 毎週会長の時間にお話をさせていただいています。スムーズに原稿がまとまるときもあれば、どうしてもまとまらないときがあります。そんなときに頼りになるのが「ロータリーの友」です。今日は12月号の中より、「世界のクラブの例会は今」という記事を活用します。

まずイギリスのクラブです。2020年10月現在、ロンドンではオンラインで例会が行われています。チャリティー文化が根付くイギリスでは、多くの人たちがいろいろな形で日頃から人々に貢献する活動をしています。ウイルス禍の下でもできる範囲の奉仕を日々心掛けています。オンライン例会の為会う機会は減りましたが、運動がてらに公園に散歩に行くときには声をかけるなど、工夫して会う機会を作るようにしています。

インドでは、ほぼすべてのクラブがオンライン例会を行っており、多くの会員や地区のリーダーに好評です。その理由の一つが、旅費がかからないため、世界中から優秀なスピーカーの卓話を聴くことができるからです。うまく活用していますね。

ドイツでは、3月23日からロックダウンが始まり、地区の行事やクラブの例会もオンラインになりました。地区内57クラブ中52クラブ、91%という実施率の高さは、ホテルや飲食店はすべて休業、公共の場や自宅では、最大2家族までしか集まることが許されていないため、オンライン以外に集まる方法が無いからです。ドイツでは違反すると罰金を取られます。ちなみに第2波の時点では、マスク未着用の罰金は250ユーロ(約3万円)複数回違反すると500ユーロ(約6万円)が課せられるそうです。

アメリカのユタ州プロボRⅭは、3月から7月までオンライン例会をしました。最初のうちは使い方がうまく分からず、参加したくてもあたふたしているうちに終わってしまう会員もいましたが、あまり気にせず、次回の例会こそは参加しようと、旺盛なチャレンジ精神で臨む人が多くいました。クラブでは年に一度例会場でのゴルフ大会、冬にはスキー例会を行っています。残念ながら人と接するような活動はできないので、奉仕活動は寄付が中心になっています。

ブラジルの状況です。3月中旬、すべてのクラブがオンライン例会を導入しました。時事問題やロータリーをテーマにした卓話を基に、人道的なプロジェクトについて話し合ったりRI会長のテーマや地区の目標を達成する方法について討論したりしています。

 4か国の事例が紹介されていますが、共通している点は、オンライン例会の開催です。しかし、パソコンが苦手の会員も在籍しており、例会への参加から遠ざかっているという事例も紹介されていました。日本でもオンライン例会の話題はありますが、定着しているとは聞きません。私も何度かオンラインの会合に参加しましたが、その感想として空気をつかんでいるようで、何か手ごたえというものを感じることができず、足が遠のいています。

でも、これからの時代好む好まざるを問わず、オンラインに慣れていくということが、ロータリー活動はもとより、すべての活動に必須なものになっていくように感じます。

会長の時間18

2020年12月16日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

年末になると、喪中はがきが送られてきます。少し前までは両親が亡くなったという内容が多かったのですが、昨今は同年代の人や友人が亡くなったという内容のものになってきました。

今年一番ショックだったのは、高校時代の同級生が亡くなったという知らせです。その知らせには、遺族の住所が記載されていませんでした。書かれていないということは、あまり良い知らせではないことです。幸いにメールアドレスがありましたので、送ったところ奥さんから返事がありました。結果は思った通りでした。

 彼は山形県の出身で、中学卒業後集団就職で東京に出てきました。印刷会社に就職して、私と同じ高校の定時制に入学してきました。当時は、毎年3月になると日本各地から臨時列車を仕立てて中学を卒業したばかりの少年少女(まだ若者といえない)が都会に就職してきました。別名「金の卵」と呼ばれたものです。金の卵などと呼ばれるとよっぽど貴重品のように感じますが、今思うと大変な差別用語ではないかと感じます。即ち、安い賃金で、文句も言わず、使い放題に使える。ちょうど何年か前の外国人実習生と同じようなものです。

ただ、夜間に高校に通わせてもらえた者は幸せだったのかもしれません。彼は卒業後千葉大学に進学しました。卒業後にクラスメイトの奥さんと印刷会社を起業しましたが、誰一人知り合いもいない都会で、会社を興すには、相当な苦労をしたのではないかなと、同じように自営業をしている自分には思えました。千葉市内に住居を構え、息子二人を育てあげて、これから安穏な日々を送るものと思い、「夫婦で九州に遊びに来いよ」と年初に伝えたものでした。

会社を興し経営し、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで頑張って、最後にすべてを失った。君の人生は何だったのかと問いかけたいところですが、今は「君は君の人生をまっとうしたんだね」という言葉を贈って冥福を祈りたいと思います。

関白 秀吉の辞世の句

 露と落ち 露と消えゆく わが身かな 浪速のことは 夢のまた夢

 

会長の時間17

2020年12月02日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

 


今日は、私が活動している行政相談委員についてお話します。先日の日田市制80周年記念式典において、10年以上委員経験を有する者として、私と元委員の4名が感謝状を頂きました。

行政相談委員の知名度は極めて低く「ゴリラ大分」以下です。お手元にお配りしてありますパンフレットに記載されているような相談を受けるのが主な役割です。


現在日田市には6名の委員がいます。それぞれに担当区域があり、私が旧日田市、旧日田市と大山町を掛持ちしている方が1名、天ケ瀬町と3津江に各1名が配置されています。常時相談受付となっていますが、月に1回、市役所並びに各振興局で定例相談日を設けています。旧日田市において毎月25日を中心に開いています。行政に対する苦情や困りごと相談となっていますが、相談内容は多岐にわたっていまして、家事紛争、金銭問題、近隣トラブル等いろいろあります。もちろん穏やかでない方のクレームもあり、定例相談日は朝から緊張します。手当は一切ありません。文字通りのボランティアです。ただ、無報酬のボランティアであるからこそできる仕事でもあります。というのは、私たちが直接解決してあげられることは滅多にないのです。簡単に言えば相談の交通整理員のようなものです。「この相談はあちらへ」「その相談はこちらへ」「その問題は裁判所」「DVですか?それは警察ですね。」と、このような形で処理しています。深く沈んだ様子で相談に来られた方がいました。じっと話を聞いてあげました。すっきりした表情で帰って行かれました。意見を具申してこられる方もいます。最近こんな意見を寄せられました。「市役所が毎日コロナの放送をしてるよね。大分市で発生しました。別府市で発生しました。気をつけましょう・・・・。でもね、日田の感染経路は博多が主でしょ。浮羽、朝倉、久留米の情報がまるで無い。行政組織上そうなるというけど市民に不必要な情報を押し付けて仕事をした気になっている。これでいいのか」。なるほど、ごもっともな意見ということで担当部署に回しておきました。その回答はというと? 皆さんご推察のとおりです。


平成15年の4月に就任して18年目になります。大分県内の相談委員のほとんどが行政経験者、行政の空気に染まっていない私たちは希少価値があるそうです。

 今までで一番忙しかった相談日は、平成29年の水害時の相談です。小野と大鶴に相談所を設けたのですが、70組以上が来場するという事態となり市内の全相談員や大分の評価センター職員も動員しての対応となりました。全国を回っている所長もびっくりしていました。

行政相談員になってよかったなと思うことは、霞が関の本省に入れたことです。役所の数は多々ありますが、総務省本館に入れる民間人はそんなにいません。独特の緊張感があります。公務員多しといえどトップクラスとなるとちょっと違います。私はこの

会長の時間16

2020年11月25日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

 


学生時代、憲法のゼミで第23条の討論をしたことがありました。ちょうどそのころ、東京都知事が美濃部亮吉氏で、いやがうえにも学問の自由を討議するうえで、彼の父君である美濃部達吉氏と、達吉氏のそれに対する弾圧が教材に上がってきました。若かりし頃の名残は今もとれず、学問の自由と今回の任命拒否の問題は無関心ではいられません。ちまたでは、「コロナ問題など課題が山積している中で、いつまでも学術会議を持ち出す野党はけしからん。国家予算を受けている以上、学術会議が政府に協力するのは当然じゃないか。」という意見もありますが、私は正反対の考えです。国会が学術会議の問題で空転しているのは事実です。しかし、この問題が進展しないのは、菅首相が説明責任をはぐらかしているからではないでしょうか。学術会議が推薦した6名の学者を会員に任命しなかった理由を明らかにすればいいのにそれに答えない。そこからさまざまな憶測が出てくるわけです。もちろんこの6名が、先の安全保障法制審議に対し、政府に批判的であったからだと答弁すれば、内閣が飛ぶほどの騒ぎになるでしょうがそこをあえて言わず、ここは6名を追認することにより矛を収めるのが妥当な解決策ではないかと思います。今はコロナウイルスと景気対策とに集中しなければならないときでしょう。

 


話を学術会議に戻します。そもそも学術会議が政府の「イエスマン」であるならば、存在意義は無いでしょう。歴史をたどれば古今東西、権力者によってその意に沿わない学者、例えばソクラテス、ガリレオ、吉田松陰等は迫害を受けてきました。私たちが今日近くで目にし、耳にすることができるところによれば、中国の人権派といわれる学者や法律家が次々に拘束されています。香港や、いわゆる独裁者といわれる人が統治する国家でも、政権の意に反する学者が消されています。北朝鮮では政権を批判することすら厳禁です。「思想、信条、学問の自由は」民主国家の根幹なのです。ゆえに我が国の憲法では、その第23条において学問の自由を明記し保障しています。時として政府の政策に異を唱えてこそ、存在意義があるというものでしょう。とりわけ現在の日本における政情においては、巨大与党が1党ですべてを決済できるような場合、ブレーキをかける勢力が必要です。日本学術会議の問題は、週刊誌的視野で論ずることなく深く議論しなければなりません。

 


それにしても菅総理、もう少し丁寧に答弁してください。加えていうなれば、新聞記者諸君、東京新聞の望月記者の質問を見習ってしっかり追及してください~~。

会長の時間15

2020年11月18日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

NHKのど自慢


 パトリアのスケジュール表を見ていたら「NHKのど自慢出場者募集」の記事がありました。40年近く前、私はこの予選に挑戦したことがあるのです。今回の募集要項では18組となっていましたが、当時は25組でした。番組を見ていると、たいしてうまくない人が出場しているので、気楽に応募しました。ところが、参加者の多いこと多いこと、中津の文化ホールは超満員でした。順番が来て歌ったのは2小節ぐらいで、あっけなく落選しました。

その時の経験から、のど自慢に出場するために、参考になると思われることをお話します。


予選が始まる前の挨拶で言われたのは、「明るく、楽しく、元気よく がポイント」とのことでした。合格者の発表を見たときに、「なるほど」と合点がいきました。

合格の鐘のレベルは高いです。予選に出てくる人のかなりの割合の人が、ある程度自信を持っています。番組を見た方は気づいたと思いますが、合格するのは大体5人から7人ぐらいです。

そのうちヤング、ミドル、シニア、男女が絶妙に配置されていますから合格するのは至難の業なのです。同じ合格者でもチャンピオンになるクラスですと、きちんとレッスンを受けているなとわかります。即ち、「超うまい、うまい、ゲストサービス」かなという出場者のランク分けができます。それに歌の流行度、難易度も加味されているようです。審査員は会場にはいません。前方に3台のカメラがあります。右、正面、左、と映していました。きっとテレビ映りで選考しているなと思いました。こんなこと考えていたから落選したんだと反省しました。


ステージには✖マークがついていて、そこで歌えといわれました。はやりの歌を選曲すると、20人、30人と1まとめに選考します。その時はキーの確認が大切です。生バンドはカラオケとはちょっと違います。ゲストの歌は必ず選抜されますので、上手、下手を問わなければ、出場のチャンスがでてきます。「のど自慢マニア」のような人もいて、予選会は面白いですよ。やはり、一生懸命懸命にならないと出場は難しいですね。合格しなかったけれど、楽しい思い出になりました。

会長の時間14

2020年11月11日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美


今週も、アメリカの大統領選挙について話します。選挙結果は世論調査の予想以上にトランプ氏の票が伸びて、大接戦になりました。バイデン氏の勝利が確定したように見えますが、スムーズに来年1月の大統領就任となるかまだ予断を許せません。過去の大統領選挙では敗れた候補者が敗北を認め、相手をたたえてノーサイドとなり、「一緒に良い国を作りましょう」と戦った傷を癒すのが慣例でした。その慣例に反して訴訟で決着をつけると主張をすることは、選挙の意義を冒とくするものであり、許される行為ではありません。


このように言うのは日本人的発想かもしれませんが、両者の得票数がわずかであることからも、アメリカ社会の分断の修復は新大統領にとって容易ならざる政策となることでしょう。ただトランプ氏が在任した4年間の実績は、通常の政治の常識を逸脱したものでした。


アメリカ第一主義を掲げ同盟国を軽視し、偏ったとみられる外交政策に世界中が振り回されました。ひんしゅくを買った言動も問題となりました。しかしこれを支持する7000万票を超える得票数があったことは現代のアメリカがいかに病んでいるかを象徴するものでありましょう。アメリカの現象は遠からず、世界に波及します。いやすでに波及しています。民主主義という手間がかかり、時間のかかる政治が危うくなっています。すでに独裁政治が幅を利かす国が現れています。これからの政治がどちらの方向に向かうのか心配でなりません。いずれにしても超大国アメリカの国力は落ちています。日本の政治に目を移したとき、今までのようにアメリカのあらゆる傘に「おんぶに、抱っこ」された状態は許されないでしょう。すでに日本は経済大国ではありません。日本が、日本とした主体的国家像をしっかりと確立して世界にこれを示し、開発可能な発展目標いわゆるSⅮGsを着実に進めてアメリカの属国ではないことを明らかにしてゆくことが大切ではないかと偉そうに考えています

会長の時間13

2020年11月04日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

 

 

 10月23日付の日経新聞を読んでいたら、面白い記事を見つけました。富士フイルム子会社の富士フイルム富山化学は、22日新型コロナウイルス感染症の治療薬候補「アビガン」を中国で販売するため、現地の製薬会社ケアリンクと提携したと発表しました。ケアリンクは富士フイルム富山化学の臨床試験(治療)などのデータを活用し、中国で輸入医薬品の承認を申請します。当局の判断次第では、中国で薬物動物試験や治験を実施する可能性があります。承認されれば、富士フイルム富山化学が日本で生産したアビガンを中国に輸出し、ケアリンクを通して販売する方針です。

 

中国ではすでにアビガンの後発薬が承認されていますが、日本製への信頼感から先発薬のアビガンに一定の需要があるとみています。重症化した患者にもアビガンを投与できるように、ケアリンクと共同で注射剤を開発します。現在のアビガンは飲み薬のため人工呼吸器をつけている患者には投与が難しいからです。富士フイルム富山化学は6月、インドの後発薬大手ドクター・レディース・ラボトリーズとアラブ首長国連邦(UĄE)の医療物資販売会社に海外でのアビガンの製造・販売権を供与していますが、中国とロシアは対象外になっていました。

現在、日本と中国、ロシアとの関係は、必ずしも良好な関係とは言えませんが、先々週の米山奨学生の報告を聴いたり、この記事のような民間企業のコロナ対策の協力関係見るにつけ、国家間の諸問題は、大上段に対立をあおるだけが問題解決の方途ではないと思います。それにしてもコロナ禍の鬱陶しさはやり切れません。何とか早く収まってほしい。願うのはそればかりです。

会長の時間12

2020年10月28日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

男子の本懐


 本日は本年度第1回の職場例会です。例会場として場所をお貸しいただいた井上酒造様、本日はありがとうございます。
こちらは私が申し上げるまでもない日田の「老舗 酒造会社」です。単に1企業であるというだけでなく、江戸期より日田の経済、文化をけん引してきた日田市の顔であると申し上げても過言ではないでしょう。そして御当家は大正中期より昭和7年に至るまで、日本の政治、経済の分野で活躍した日本銀行第9代並びに第11代の総裁にして、第2次山本内閣の第23代大蔵大臣、昭和に入って濱口内閣、第2次若槻内閣時の第30代大蔵大臣として、昭和の大恐慌時の金融政策を指導した井上準之助氏の生家とお聞きしております。各種文献で調べますと当時の経済情勢は現在と酷似しているように思えます。氏については様々な評価がありますが、そのことは皆さんでそれぞれ評価してください。氏をモデルにした小説に城山三郎の「男子の本懐」というものがあります。この本によると井上氏は非常にダンディーであったそうです。アメリカ在勤の経験から、日本にも健康な紳士のスポーツが必要と、ゴルフを普及させた功労者です。関東最古のゴルフ場である駒沢ゴルフ・リンクス(現在は、駒沢オリンピック公園となっています。)は地代をほとんど一人で負担して発足させました。また横浜の程ヶ谷カントリー倶楽部の発起人にもなりました。彼が凶弾に倒れたときアメリカに注文してあったドライバーが届き、これを納棺したそうです。大蔵大臣に就任する際には、国民に不人気な緊縮財政を敷いて命を全うした者はいない。と言われる政策を実行せざるを得ない立場におかれ、死を覚悟していました。

私は以前ǸHKでこの放送を見て、その内容に感激したことを今日の職場例会で思い出し、「男子の本懐」を取り寄せ精読して感激を新たにしたところです。断然この本を読むことをお勧めします。


本懐とは、辞書によりますと、前からかくありたいと願っていた事柄と記されています。つまり「男子たるものかくのごとく生きていきたいもの」という表題と解しました。最近、明治時代の偉人といわれる人たちに関する本を読むと、共通するものがあります。私の好きな七言絶句の漢詩で説明すると「男子、志を立て郷関を出ず、学もしならずんば、死すとも還らず。骨を埋ずむ、豈にただ墳墓の地のみならんや、人間到る所に青山あり」。
即ち、高い志をもって故郷を出たならば、石にかじりついてもその志を達成するぞという心意気を示した漢詩で、このような熱血漢が明治の時代に沢山いたことがわかります。交通網も未熟な時代に、今、わしたちが目にしているこの川を、この山を、この空を見て育った少年が、自らの足のみを頼りに上京し、天下、国家のために働いた。そん偉人の人生を俯瞰しながら、「男子たるもの、かくありたいもの」と及ばずながら感じているところであります。

会長の時間11

2020年10月21日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

民主主義を考える。

 


 米国の大統領選挙が近づいてきました。民主主義の鏡のように言われてきた国の選挙ですが、一言でいうと「酷い」の一語でしょう。ただ、ただ、相手の悪口の言い合いにしか聞こえません。「人民の、人民による、人民のための政治」の根幹は選挙です。それぞれの候補が、それぞれの所感により政策を民衆に訴え、より多くの支持を集めた者が民衆の代表に選ばれて、公平に民衆のための政治を行うというのが、米国流の民主主義だと思っていました。自分と自分の支持者のための政治を行おうとするなど言語道断です。今の2人の候補の主張は、聞くに堪えないものであり、他国の政治体制に口を挟む資格はありません。


心すべきはトランプ流の民主主義を称賛する指導者が、国際社会の指導者の中に多数存在し、少なからぬ人々の支持を得ているということであります。

民主主義の最終的決定方法は、審議を尽くした上での多数決です。しかし、多数の異見が正しいということではありません。ここのところをはき違えている人が多く居ます。多数決や全員一致ということが誤った方向に導いた事例は歴史上多々見られるところです。


政治をつかさどる者や、各組織におけるリーダーは自分と違う意見を大切にしなければなりません。

日本の政治に目を向けたとき、自分と違う意見を排除する場合その理由を、丁寧に国民に説明するべきです。批判に対して「それは当たらない」「それは関係ない」などという会見は「おごり」の典型であります。速やかに国会を召集し、野党との論戦を通じて国民にその意とするところを明らかにすべきでありましょう。数を頼んだ国政の運営はあってはならないと思います。

会長の時間10

2020年10月14日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美


今日は文学的なお話をします。先日岩手県に行ったことをお話しましたがその続きです。
岩手県は歌人石川啄木の生まれ故郷です。若かりし頃、歌集「一握の砂」に魅了され、いつか彼の生誕の地である渋民村(現 盛岡市)を訪ね、その息吹を感じてみたいと願っていました。盛岡駅の駅舎の正面口には「啄木」という文字が掲げられており顕彰されています。
私は短歌が大好きです。ロータリーの友や新聞雑誌の歌壇を見て感激したり、憤ってみたり、自分で詠んで自己満足したりしています。短歌は万葉の昔から、貴賤を問わず31文字(みそひともじ)で心の機微や情景を表現できる文学で、世界に誇れるものではないでしょうか。
石川啄木の歌集一握の砂は、その中にある作品の一つ「命なき砂の悲しさよ さらさらと 握れば指の 間より落つ」からとった表題です。この歌集の作品はどれも写実的で、私自身の実体験として感ずるものが多く、時には励まされこともありました。疲れたときは、「はたらけど はたらけど 猶わが暮らし楽にならざり ぢっと手を見る」ということもありました。 「石をもて 追はれるごとくふるさとを いでし悲しみ消ゆることなし」生活が破綻すればこうなるぞと自分を戒める詞でありました。「ふるさとの山に向かひて言ふことなし ふるさとのやまは ありがたきかな」という作品は帰省の度に感じました。「ふるさとの訛りなつかし停車場の 人込みの中に そを聞きに行く」都会に出て聞くふるさとの訛りは涙が出るほど懐かしいものです。友人たちに取り残されたような気がした時には、「友がみな 我よりえらく見ゆる日よ 花を買いきて妻と親しむ」というのを実践したことがあります。「たはむれに 母を背負ひてそのあまり 軽きに泣いて3歩歩めず」は誰しも感ずるところがあると思います。彼の生活態度については、様々な批判がありますが、いずれにしても思うに任せぬ生活を表現した歌には、共感できる面が多くあります。彼が見たであろう渋民村の情景は、聖地を訪れたかのような深い感動を与えてくれました。

会長の時間9

2020年10月07日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

 古希を過ぎますとどうしても記憶力の低下というものが気になってきます。

確かに度忘れというものがひどくなります。知った人なのに名前が出てこないとか、いらいらすることが増えてきます。そこで私の記憶力低下予防策をお話しします。

平成22年より、新聞のコラムの書き写しを実践しています。読むと数分で終わるコラムですが603文字、書き写してみると速いときで30分、集中力が薄れると40分ぐらい、時々睡魔に襲われて文字が乱れてしまうことも多々あります。全文を一字も間違えず写すことができるのは、10回に1回ぐらいです。私はだれの目で見ても悪筆ですが、10年近く毎日毎日、昨日よりも美しく書き写したいと念じながら書き写してきたせいか、確かに字の形も変わってきました。(上手になったとは言いません。)その他時事のニュースも記憶の中に残っているようです。ただ、書いても書いても漢字を覚えられないのには驚いています。


それから書き写しを継続していると、筆記用具の良し悪しさが解るようになります。30分以上文字を欠く場合、ボールペンでは手が疲れてしまいますから筆記具は万年筆に限ります。思えば初めて万年筆を手にしたときは急に大人になった気がしたものでした。私たちの世代が過ごした学生時代は、パイロット、プラチナ、セーラーなど万年筆メーカーの全盛期でした。パーカーの万年筆を手にしたときの喜びは何物にも代えがたいものでした。

そんな私が昨年得た情報に“オオイタ・メイド・ジャパンいうものがありました。先日当クラブの中野会友が卓話の中で紹介した万年筆です。大分銀行さんの経営説明会でカタログを頂き、中野哲朗会友の前任者である佐藤克之さんにお願いしました。これが現物です。この藍色を出すのに苦労したと聞いています。実際に手にすると適度の重さがあり私はとても心が和らぎます。何よりもお値段が素晴らしい、とても粗末にはできません。ただ難を言えばこの万年筆には留め具がありません。つまり持ち歩くものではなく。デスクに置いて使用するものであるということでしょうか。


昨年岩手県の久慈市に行ったときに、同市の「琥珀博物館」目にしたもの、同じメーカーが琥珀をペン軸に使用した製品を、10万円で販売していました。そのケースが木製で高級感に溢れていました。私が愛用しているこの万年筆が、木製の化粧ケースに入っていたらもっと満足できるのにと、そこだけがちょっと残念です。

 

会長の時間8

2020年09月23日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美 

 9月末日をもって人生において初めての定年を経験します。平成15年10月1日に、日田家庭裁判所及び大分地方裁判所日田支部の調停委員を拝命してから17年の任期が終了します。私は家事と民事の事件を担当してきましたが、いくつかの忘れられない事件があります。


ああすればよかった。こうすればまとめられたのではなかったかと反省する調停もあれば、よくあの事件をまとめたものだと自負する調停もありました。

私が調停委員になりたての頃は特定調停事件がたくさんありました。平易な言い方でいえばサラ金事件です。あの当時のテレビのCMは24時間サラ金会社のものでした。いかにも簡単に融資が受けられるような内容でしたし、簡単に借りることができました。ただ借りたお金は返済しなければならないこと、金利が発生すること、返済が滞れば取り立てが厳しくなるということが忘れられていたようです。悲しい事件がたくさん起きました。そこで違法な金利や取り立てから、借主を守るために法律ができたのです。金利の計算方法も知らない者が計算式を学び、プロの業者と渡り合うのですから大変でした。借金の返済方法や生活再建の指導をしたこともあります。この時に感じたことは多重債務者即ち借金を借金で返済しなければならなくなった人の金に対する認識の甘さです。もちろんやむに已まれぬ理由から多重債務者になった方もいましたが、遊行費につぎ込んでそれになる人の割合が多くみられました。


家事事件では離婚調停に多くかかわりました。本人たちが離婚するのは構いませんが、子供たちがそのトラブルに巻き込まれて行く過程は悲しいものがありました。相続のトラブルもたくさん見ました。その中から私が学んだことは、

1、収入に見合った生活をすること(身の丈発言は問題になりましたが)

2、夫婦仲良く、互いに誠実に接すること(夫婦は他人であることを忘れないで)

3、余分な財産は残さないこと(喧嘩の種になる)

良い経験をさせてもらいました。

会長の時間7

2020年09月16日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美 


何気なくロータリーの友9月号を開きました。今月はその記事の中から思うことをお話しします。


タイトルは「変態が改革する多様性社会」。講演者は出口春明氏、立命館アジア太平洋大学学長です。ページの上部の方に目をやると、2019年11月9日 国際ロータリー第2720地区地区大会記念講演要旨と記されています。つまり昨年中津で行われた地区大会の講演の要旨でした。ということは、昨年参加された方はまだ記憶されていると思いますが、面白い記事だったのでここでお話することをお許しください。

また時間にも制約がありますので、詳しくはロータリーの友9月号でご確認ください。


 私たちの年代(団塊の世代と言われる年代)には成功体験があります。令和の時代になっても、まだ日本の技術は世界一とか、日本は先進国と信じている人がたくさんいます。今から30年前、確かに日本の国際競争力は世界で1位でした。世界のトップ企業20社のうち14社が日本企業でした。ところが現在は0社ということです。現在の世界のトップ20社は、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン等のIT企業です。特にこの4社は創業14年にしてトヨタ自動車の約2倍の時価総額を持っているそうです。さらにこれらに追随する企業群をユニコーンと言うそうで世界で380社ぐらいありますが、その中に入る日本の会社は3社位でしか無いと言うことです。


なぜこんなに凋落したのかというと、日本が得意な製造業、その製造業GDPに占める割合が、2割ギリギリまで落ち込んでいるという現状があります。現在GDPに占める割合が高い産業は、アイティー企業とサービス業で、サービス業の消費を支えているのは男性よりも女性の割合が高いとのことです。ところが日本における女性の地位が低いこと、世界の先進国並みに女性の地位を向上させなければ世界の潮流に置いて行かれると筆者は主張しています。私たちの意識の中には、製造業こそ経済活動の源泉であるという意識が抜けていません。日本の教育目標は製造業に向く人材の育成でありました。すなわち偏差値がそこそこ高く、素直で我慢強く、協調性があり、上司の言うことをよく聞く人を育てるということです。しかし、これから必要とされる人材は、独創的な人間、極論的に言うと変態的思考の持ち主、経営者は多様な人材の登用、すなわちラグビー、ワールドカップ日本代表チームのように国籍、人種が混在したようなダイバーシティーを許容するような意識改革ができる者でなければならないと述べています。今日までの常識明日は非常識というくらい世の中の変化が急激です。日本の経済を引っ張る人たちが、30年前の栄光を忘れなければ、日本の将来は無いんだなと考えさせられました。ぜひロータリーの友で、この記事を読んでくださいお奨めします。

会長の時間6

2020年09月09日

日田ロータリークラブ 会長 井上太香美


 今日は、にわかに注目を集めている大学のお話をします。


法政大学第二法学部法律学科、ご存知菅義偉さんの出身大学です。ちなみに私も同大学同学部の卒業生です。面識はありませんが報道による彼の経歴から、3年間同じキャンパスで過ごしたことになります。そこで当時の第二部学生の様子などお伝えしたいと思います。


法政大学のキャンパスは、総武線飯田橋駅と市ヶ谷駅の中間にあります。校舎は一部建て替わっていますが、場所は当時(1970年)と同じです。学部は法学部、文学部、経済学部、社会学部がありました。学生数は1学年で800名位いたと思います。70年安保闘争の時代で、全共闘「中核」の本家みたいでした。とりわけ「革マル派」との対立が激しく、1970年8月大学構内の六角校舎でリンチ殺人事件が起きました。加えて代々木系学生の勢力も強く、学内は日々騒然としていました。その年はほとんど休講だったと思います。翌年は殺人事件の影響で構内に鉄柵が設けられ、それに対する反対運動、その次は学費値上げ反対闘争と学生運動華やかな時代でした。学生ストと大学側のロックアウトの応酬で、毎年学年末試験はレポート提出、おかげで正式の試験を受けることなく卒業しました。カリキュラムや教室、教授(のちに同学の総長になった方が2名。有名な砂川事件の伊達秋雄教授もいました。)は昼間部と同じで、月曜日から土曜日まで休み時間無しでした。そんな騒然とした学内でしたが、それゆえに在学中は、いろいろな分野に興味を持ち、よく勉強したものです。


学費は年間3万円、私立大では一番安かったので受験しました。学生生協が充実していて、書店から不動産屋までそろっていましたので安価で生活に必要な買い物ができました。一番助かったのは学食で、ラーメン70円、カレーライス80円、日替わり定食は100円、和、洋、中華等品数が豊富でおいしかったです。先週ネットで見たら学力レベルが低いだろうと書かれてありましたが、勉強が嫌いだったら夜学に4年間も通学できません。10時ごろ授業が終われば、飯田橋駅近くのマンモス喫茶「ルノアール」で夜を徹して日本の将来を政治家気取りで、学友と侃々諤々(かんかんがくがく)語り合ったものでした。時は“東西冷戦、ベトナム戦争”の真っ最中、高度経済成長の中で、本当に楽しく充実した学生ライフでした。

会長の時間5

2020年08月19日

日田ロータリークラブ 会長 井上太香美

私の心旅

NHK・BS番組にタレントの日野正平さんが自転車で旅をする「心旅」というのがありました。今日はこの番組をヒントに「私の心の風景」をお話ししたいと思います。

 

ほとんどの方は記憶にないと思いますが、私の思い出の風景に東京都荒川区にあった東京スタジアムという野球場があります。昭和37年に開場し、昭和47年に閉場した球場です。

 

使用していた球団は東京オリオンズ、前身は大毎オリオンズ、現在は千葉ロッテマリーンズです。両翼90メートル、中堅は120メートルですから現在では考えられない小さな球場でした。私がよくその球場に行ったのには訳があります。東京オリオンズはパリーグの球団ですから、西鉄ライオンズが来るんです。グレーのユニフォームの胸に[FUKUOKA]の地名が入っている。それだけで九州の匂いがするんです。3塁側のスタンドに座ると「テレっとするな」「しゃんと、打たんかー」という九州弁の中に入れるなつかしさがありました。

 

文字どおり石川啄木の「ふるさとの 訛り懐かし停車場の 人混みの中に そを聞きに行く」の心境です。パリーグの試合ですから観客席はガラガラ、いまのホークスの雰囲気はありません。47年ごろから外野席は無料というありさまでした。残念なことに西鉄ライオンズは黒い霧事件で身売りして、ライオンズの応援はできなくなりました。しかし、西鉄の稲尾、池永、近鉄の鈴木、太田、東映の張本、南海の野村や広瀬、ロッテの有藤、江藤など往年の名選手のプレーを身近にみることができました。中でもオリンピック100メートルの飯島が「代走専門の選手」として盗塁を成功させた場面はよく覚えています。当時のパリーグ球団は、西鉄、東映、東京、阪急、近鉄、南海です。

 

会長の時間4

2020年08月05日

日田ロータリークラブ 会長 井上太香美

 

withコロナ=コロナウイルスと共に

 

 毎日新型コロナウイルス感染者の増加を伝えるニュースが流れてきます。「どこがおもしろい!」と怒鳴りたくもなる毎日です。私は医療の専門家ではありませんから、医学的な意見は申しあげません。患者サイドに立った考えを述べたいと思います。にわか勉強で得た知識ですが、地球上からこのウイルスを封じ込めることは出来ないと聞きました。即ち「withコロナ」、インフルエンザと同じように、折り合いをつけながら、共生していくウイルスだそうです。

 4月に緊急事態宣言がでたとき、日田市において最初の感染者にはなりたくないと思いました。風評被害が怖かったからです。幸い最初の感染者にはならなかったのですが、あれから約4ヶ月間、当市において新たに感染者が出たとき、あの時以上のバッシングが起こるのではないかと危惧しています。

最後まで感染者の出なかった岩手県において、最初の感染者に対してすさまじい誹謗中傷が起きているそうです。県知事までその火消しに出てくるありさまです。怖いのはウイルスよりも世間のバッシングです。このウイルスに感染するリスクは私たち全員が平等に負っています。どんなに注意しても、感染するときには感染するのです。自分が、家族が、会社が感染者になったときのことを考えてみましょう。とても傍観者の立ち位置には立てません。ウイルスの危険度は、インフルエンザの方が高いとも聞いています。私たちは間違ってもバッシングをする立場に立つことなく、感染者を擁護する立場に回りましょう。その人に罪はないのです。どんなに暗く長い夜であっても明けない夜はないのですから。

会長の時間3

2020年07月22日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

 

 本来であれば、今日明日は2020東京オリンピックの話題で大騒ぎをしているはずでした。新型コロナウイルスのため1年間の延期となってしまいましたが、楽しみが先延ばしになったと前向きに考えましょう。今日は56年前の1964オリンピックを知る者として小学6年生から中学3年生の間、1少年の目からみたオリンピックのお話をさせていただきます。

 東京の前のローマ大会は小5の時です。当時ほとんどの家ではテレビがありません。あったとしても実況放送などは見ることができません。ラジオの実況中継も音が大きくなったり小さくなったりで良く聞こえません。それでも男子体操の活躍やマラソンのアベベがはだしで走ったことを記憶しています。次はいよいよ東京ということで、学校で五輪マークの小さなバッジなどを買って帽子につけて通学したことを覚えています。学校の掲示板にはオリンピックのポスター、100メートルのスタートの図柄でしたが掲示されていました。運動会では毎年「東京五輪音頭」が流れ大人も子供も踊らされたような気がします。中学校のバスケットコートのゴールには五輪マークが飾られていました。そして一番強く打たれ感動したしたことは、クーベルタン男爵の「オリンピックは勝つことではなく参加することに意義がある」ということばでした。運動神経のない私にとって、「運動は勝つことではなく参加することに意義がある」と置き換えて、ゴルフコンペに参加しています。とにかくローマ大会から東京大会までの4年間、日本中が熱病にかかったような雰囲気でした。

 開会式は、学校のテレビで見たと記憶しています。白黒テレビでしたが、アナウンサーの解説であたかもその色が見えるようでした。ブルーインパルスが、競技場の上空に見事に五輪マークを描いたときは感激しました。そして何よりも特筆しなければならないことは、大部分の国民が初めて競技をというものを自分の目でみることができたということです。現在のようにテレビがありません。国際試合もありません。レスリングとプロレスの違いも分からない人がいました。重量挙げや、サッカー、体操、フェンシング、三段跳び、棒高跳び人間技を超えたかに見えるスポーツをみることができました。その意味で東京五輪は日本のスポーツの発展や普及に多大な貢献をしたといえると思います。

会長の時間2 硯川昭一ガバナー公式訪問

2020年07月15日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

 

本来ならば、ガバナー公式訪問例会ですので、会長の時間もロータリークラブに関しての蘊蓄(うんちく)を述べるべきでしょうが、その話は後程ごガバナーより詳細にお話があると思われます。よって本日は通常の例会の雰囲気でやらしていただきます。

 7月に入りずっと曇り空が続いています。7日には豪雨となり天ケ瀬、津江方面では甚大な被害が発生しました。

 日田の水害の歴史を振り返ってみると昭和28年の災害にたどり着きます。以来平成24年7月まで特筆されるような大水害は無かったと思います。私は、昭和28年の災害時は4歳になる年ですからもちろん記憶にありません。話によりますと三隈川の氾濫ということで、私の育った花月川の支流小野川も氾濫したとはいえ、市内ほどの被害はなかったと聞いています。とにかく平成24年の豪雨まで、63年間、水害とは無縁の人生でした。ところが、その5年後九州北部豪雨によって生まれ育った小野谷の姿は変わってしまいました。以来毎年のように避難指示が出るようになりました。その原因として、地球の温暖化等の影響が無視できなくなった気がします。

 今日は私が初めて見た、平成24年の水害についてお話ししたいと思います。

7月3日の朝でした。玄関を開けると土砂降りの雨です。事務所まで約100mあります。その間に2本の用水路があるのですが、車道の上に水があふれていました。とにかくあちこちの用水路があふれて事務所の周りは水浸しの状態でした。この日の状態は、皆さんもそれぞれ目撃されたと思います。その日の夕方財津方面に様子を見に行った時、コカ・コーラのあたりまで浸水した事態に愕然とした次第です。私は小野地区の鈴連町で稲作をしておりましたので、翌日田んぼの状況を見に行こうしましたが、道路が土砂で寸断されており、通行止めでした。土砂を寄せて交互通行になり田の様子が見られるまでに数日かかりました。幸い私の田は、水につかったものの流されずに済みました。その時に見た景色は忘れられません。川に密生していたヨシが1本もありませんでした。苔のついていた石が真っ白になっていました。田んぼの川に面した石垣の草がきれいにむしり取られて、ピカピカに磨かれていました。水辺の砂も真っ白で後日、田の草をそこに捨てていたのですが、気が引けて掃除に行ったほどです。幾筋も谷川から道路上に押し流され岩石に山に驚きました、清流を取り戻した川の美しさ、この対比の不可思議は目に焼き付いています。作業が終わるころ1台の救急車が参りました。何か気になる救急車でした。私の田んぼより上はまだ道路が寸断されています。除去作業中の重機が、緊急車両の前を開けておりました。早く病人のところにつけたらいいなと念じつつ帰路についたのですが、翌日私の元に届いたのは、幼馴染で同級生の友人の訃報でした。結局救急車は間に合わなかったのです。

 

会長の時間1

2020年07月01日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

 

本日は 井上年度最初の例会です。来年6月まで、頓宮幹事をはじめ理事の皆様、そして会員の皆様のご協力を賜りながら一生懸命頑張ってまいります。どうぞよろしくお願いします。

会長の時間をいただきましたので、第1回は来週から週報を飾る絵のお話をします。私には毎週週報を飾るような名画というものも持ち合わせておりません。そこで当クラブの織田会友に相談をいたしました。織田さんは気持ちよく、何枚かの絵を収録したUSBを貸してくださいました。その中の絵はどれも素晴らしいものでしたが、特に胸を打たれたのが「母と子」と題された絵でありました。

従前から私が思うに、女性の美と感じるものは多々ありますが、乳児を抱いてやさしく微笑む姿、すなわち母親のいとし子を見守るまなざしと、それに応える子供のまなざし、まさに見返りを求めぬ絆、是程美しいものは無いと思います。私はすぐにこれを使わしてくださいとお願いし、快く了解していただきました。

折から感染症の蔓延で心がすさんでいる時であります。経済状況も疲弊しております。聞こえてくる言葉は「ソーシャルディスタンス」社会的距離の保持です。分断、といういやな声も聞こえてきます。こんな時こそ、人のやさしさの原点ともいえる親子、これを表現した絵のような温かさが必要ではないかと思います。その思いをもってこの絵で1年間週報を飾らしていただきます。織田会友ありがとうございます。

会長の時間32

2020年06月17日

年度末卓話 1年を振り返って

日田ロータリークラブ会長 白石章二

一年前の今頃は、世界がまさかこのような状況になるとは夢にも思っていませんでした。

七月に私の年度がスタートし、毎週の会長の時間の事で頭がいっぱいで、あっという間に一週間が過ぎていっていたのが、なにか遠い昔のことのように今感じています。

会長になって始めて、他クラブの例会に出席させていただき、クラブが違うとこんなに例会の様子や雰囲気が違うのかと少し驚きました。

特に玖珠ロータリクラブにお邪魔した時は、あまりの会員の少なさに少し戸惑いました。

日田ロータリークラブは本当に会員に恵まれているなあと実感しました。

最初の夜間例会の納涼例会では、新入会員の合原会友や若い会友と一緒に二次会に行き楽しい時間を過ごさせてもらいました。

8月には日隈小学校金管バンドの皆さんに来ていただき演奏を披露して頂きました。

そして去年も見事に全国大会に出場し、本当に嬉しく思いました。

9月は、今年度の一番の事業であるチャリティーコンサートが開催され、石松幹事や佐藤委員長そして当時会員だった吉冨今日子さんや会員の皆様のご協力で無事にコンサートを終えることが出来ました。

この収益金は後にNPO法人のリエラさんを通じて、九州北部豪雨災害で被災されたご家族の子供さん達に無事渡されました。

皆さんのご協力、本当にありがとうございました。

10月には長年日田ロータリークラブで活躍された、井上名誉会友がお亡くなりになるという悲しい出来事がありました。

告別式では会長として、弔辞を読むという大役を仰せつかり、とても緊張しましたが、なんとか私なりの思いを話させていただきました。

11月には中津市で地区大会が開かれました。

二日間に渡る大会で大勢の会員の皆さんと一緒にとても充実した時間を過ごさせていただきました。

20日の職場例会では昭和学園さんにお邪魔し、生徒の皆さんの手作りの昼食をご馳走になりました。

まるで京料理の様な上品な料理でとても関心しました。

12月には年末恒例の家族例会が開催されましたが、担当の親睦委員長の松浦会友のお父さんが直前にお亡くなりになり、当日は湯浅会友と高嶋会友が代わりに司会進行をして頂きました。

亡くなられた井上会友の奥様をお招きしてのパーティでしたが、とても喜んでいただき本当に嬉しく思いました。

井上名誉会友に少しは恩返しが出来たのではないかなと思っております。

1221日には、藤蔭高校のインターアクトクラブの生徒の皆さんと大原神社の大掃除をしましたが、担当の永田会友と石松幹事が早くから来られて掃除をされていました。

私もちょこっと掃除に参加しました。

一年間のすす払いが出来てとてもいい気持ちがしました。

開けて1月の新年夜間例会は亀山亭で開催致しました。

久しぶりの川端のホテルでの宴会でしたが、思えばこれがコロナ以前の最後の楽しい宴会となってしまいました。

会長の任期もあと半年になり、なかなか慣れない会長の時間も、あと半分という思いと、まだ半分もあるという複雑な思いがいたしました。

122日には職業奉仕賞贈呈式を行い、みそら会前理事長の池永惠子氏に来訪していただきました。

29日には、原正隆会友がマルチプルポールハリスフェローを受賞されました。

日田ロータリークラブとして初めての事です。

本当におめでとうございます。

2月には2年越しのお約束であった、視覚障害者への読み聞かせの活動を長年されている、「かたつむりの会」へ専用の録音機を寄付することが出来ました。

この頃から新型コロナウイルスの日本での感染が広がりだし、クルーズ船の集団感染で一気に緊張が高まり、世界中が大変な事になりだしました。

3月には学校の閉鎖が始まり、東京などで自粛が始まり、後に全国的な自粛要請が発せられました。

膳所日田医師会会長のアドバイスも考慮し、日田市として各種の会合やイベントの自粛要請が出された事から、会長として34日からの例会の中止を決定いたしました。

当初はひと月位で何とかなるんじゃないかと高をくくっていましたが、その後の世界中でのあっという間の感染の拡大と、死者数の増加に私もさすがに、これは大変な事になったと背筋が寒くなる思いがいたしました。

例会再開のめども立たない中、日田ロータリークラブのラインでの情報交換がされるようになり、私も非公式ですが、いろいろと思いをラインに載せさせて頂きました。

例会出席の為のラインでしたが、思わぬ形で役に立ちました。

ほかのクラブでは、オンラインでの例会をやっているそうだ、などの情報も入ってきましたが、日田クラブの会員数の多さや年齢層を考えると中々直ぐにはできませんでした。

5月になり段々と自粛も解除になり、13日の理事会において現在の状態が続く事を前提に、6月からの例会の再開を決定致しました。

いまだかつてない三か月に及ぶ例会の休会の間、あんなにすぐに来る水曜日の会長の時間が無いことで、一週間が意外に長く感じられたのが少し面白かったです。

休会中はこのまま私の年度も尻切れトンボで終わってしまうのかなあと、思ったりもしましたが、なんとか残りひと月でも再開することが出来て大変嬉しく思っていますが、一週間先には又何があるか、誰にもわかりません。

油断は禁物です。

ですが、何とか一年間皆さんのご協力で乗り切ることができそうなこと、本当に感謝しております。

次年度の会長他理事や委員長の皆さん、また難しい一年になりそうですが、めげずに頑張りましょう。

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