会長の時間

2013年

会長の時間23 平成25年12月25日(水)

2013年12月25日

「キータンゴン村学習小屋改修の記事が6紙に掲載」2013.12.25

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

10月の末に、日本経済新聞社の小川望記者から、日田ロータリークラブへ連絡がありました。

ミャンマーの学習小屋改修の件についての問い合わせでしたので、記者と電話とメールで、日田ロータリークラブクラブのこれまでの活動を説明しました。

 

小川記者は11月の中旬にミャンマーに取材に行かれるということでしたので、ミャンマーの田舎の実情を知るためにも、是非、キータンゴン村の現地を見て欲しいとお願いするとともに、その時期、古庄重生さんがヤンゴンにいるので、ミャンマーの生の情報を知るためにも会われたらどうですかとお勧めしました。

 

その後、小川記者は実際にキータンゴン村も取材して、今、お手元にお配りしている記事を書いて下さいました。12月18日付の日経新聞夕刊一面と、12月21日付の電子版です。

 

経済発展の恩恵を受けるミャンマーの大都市に比べて、まだその恩恵の及んでいない農村部における教育事情が分かる良い記事になったのではないかと、私は思います。

 

記事には、日本の民間支援団体となっていて、日田ロータリークラブの名前は出てきませんが、日経新聞は日本中の経営者が読む新聞ですから、今後の日本とミャンマーの草の根の交流に何らかの良い影響があると良いなと期待します。

アセアンとの外交に力を入れている安倍総理の目にも留まって教育事情の改善のための支援などにも期待します。

 

これで、ミャンマーの学習小屋改修の記事が、西日本新聞と大分合同新聞の日田玖珠版、読売新聞、毎日新聞、朝日新聞の大分版、日経新聞の東京版と電子版の6紙に掲載されました。

 

日田ロータリークラブの公共イメージの向上に役に立ったのではないかと嬉しく思います。

これからも発信していく日田ロータリークラブになることを目指します。

会長の時間22 平成25年12月18日(水)

2013年12月18日

「中国の食品問題」2013.12..18

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

台湾で、中国からは食料品を輸入していないという話を聞きました。香港やマカオでも同じと聞きました。彼らは、中国本土の危険な食品のことをよく知っているからだと思います。

 

日本には生鮮食料品が八十八万トン輸入されていますが、そのうち、六割近い五十一万トンが中国からの輸入です。日本は大丈夫なのだろうかと、常々不安に思っていました。

 

月曜日に「未来世紀ジパング」という番組で「危険?中国食品問題の実態」という放送がありましたが、この番組を見て少し安心しました。

 

日本には素晴らしい検疫システムがあります。全国の港や空港に三十二か所の検疫所があります。そこで怪しいと思われた食品は検疫検査センターに送られ、約四百人の検査官が二百項目以上の厳しいチェックをしています。

 

日本の食の安全は、この世界一厳しい検疫システムで守られています。このシステムは世界でもよく知られ、各国からも研修に来ていますが、TPPに取り入れられて世界標準になる可能性もあるそうです。

 

二〇一二年度に検出された違反の第一位は中国の二百二十一件ですが、二位はアメリカの一九〇件でした。違反率でいえば、平均は0.6%、アメリカは0.81%ですが、意外なことに中国は0.25%まで下がっているそうです。

毒餃子事件以来、中国側も日本向けの輸出品に関しては、かなり厳重に検査していると思われます。

 

但し、中国国内の食の安全の実態は、恐ろしい限りです。

上海郊外の農地では、ジクロルボスという残留性の高い劇薬が大量に使われ、除草剤も基準の2倍以上の濃度で、農民はマスクもせずに平気で撒いています。本人も危険という意識が全く無いようです。

市場で買う庶民も、キュウリに花がついているのは成長促進剤が使われているからだとか、ミカンの色が斑なのは着色されているといって、選別して自己防衛していました。

家では、野菜を水につけオゾンで消毒したり、長い時間、水で洗って食べていました。

 

乾燥湯葉を作っている現場でも取材していましたが、製造の様子を平気で見せてくれるし、これを入れないと売れないんだと言って、添加剤を入れていることも話してくれます。ここでも、全く悪気がないようでした。

 

悪意でやるのも怖いけれど、無知と悪気が無いというのも、皆が被害者となるから、もっと恐ろしいと思います。

 

その乾燥湯葉を日本に持って帰って分析したら、チオ硫酸ナトリウムという写真の現像剤につかう薬品や、ゴキブリ駆除に使うホウ素が入っているということが判明しました。

 

今まで中国に行って、野菜やら魚介類、肉などを火鍋に入れて「旨い、旨い」と言って、食べていましたが、もう食べる気がしなくなりました。一部に改善の取り組みは始まっているようですが、中国で中国人が安全な食を手に入れるのはいつの日になることでしょうか。

 

会長の時間21 平成25年12月11日(水)

2013年12月11日

「家族例会」2013.12.11

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

こんばんは。

今日は年末恒例の「家族例会」です。

今夜も大勢のご家族の方に参加していただき有難うございます。ロータリークラブの活動は、家族の皆様のご支援やご協力に支えられのことだと感謝します。

 

普通ならば、「あと半年です」と言うところですが、今期は、来年6月14日(土)に日田ロータリークラブの創立50周年を控えております。この50周年の式典と祝宴を成功裏に終わらせるためには、この半年が最も重要な期間であり、私の会長としての責務であると考えます。

 

チャーターメンバーの井上幸一会友を名誉委員長に、石井博基会友を実行委員長にお願いして、各委員会も出来ました。委員会ごとに準備に取り掛かっていますが、皆様、有能なロータリーのメンバーですから、歯車が回りだせば力強く動き始めますので楽しみでもあります。

 

また、式典の時には、奥様方には、来客の接待など色々とご協力をお願いすることになると思いますが、その節はどうぞ宜しくお願い申し上げます。

式典が終わりましたら、三隈川に遊船を浮かべて、奥様方にもご乗船いただいて、ガバナーを初め大分・熊本の各ロータリークラブの方たちと懇親を深める予定です。その日を楽しみにしながら、今日の家族例会も前祝として楽しみたいと思います。

本日は、有り難うございます。

会長の時間20 平成25年12月4日(水)

2013年12月04日

「日本の15歳の学力が向上」2013.12.04

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

12月3日、経済協力開発機構(OECD)が、65カ国と地域の15歳男女、約51万人を対象として実施した2012年国際学習到達度調査(PISA)の結果を公表しました。

 

日本は、最悪だった2006年の調査に比べ、「読解力」が15位から4位に、「科学的応用力」が6位から4位に、「数学的応用力」が10位から7位に回復しました。

ちなみに2000年の第一回調査では日本はそれぞれ、8位、2位、1位とトップクラスでした。

 

今回のテストは、「脱ゆとり」を掲げて平成20年に改定された新学習指導要領で学んだ生徒が初めて受けたテストで、その成果が着実に表れているようです。

 

文科省は、昭和50年代後半から学習内容を徐々に減らす、いわゆる「ゆとり路線」をとってきました。そして、平成14年には授業時間の3割削減と完全週5日制を導入して本格的な「ゆとり教育」が始まりました。

 

当時「ミスターゆとり」と呼ばれた文科省の寺脇某という役人が、テレビ番組で「中学卒業の時、皆が100点を取らなければいけないのです」と馬鹿な発言しているのを聞いて「日本人をみんな阿呆にするつもりか」と怒り心頭に発したことを思い出します。

 

それから「脱ゆとり教育」に辿り着くまでには長い時間がかかりましたが、結局、潮目が変わったのは、2006年OECDテストの結果です。文部科学省幹部は「2006年のショックで日本は目が覚めた。教職員組合の要望も強く、それまではゆとり一色だったが、このショックで省内からもゆとり政策への批判が出るようになった」と打ち明けています。

 

この「ゆとり教育」は子供たちにも傷跡を残しています。彼らは「ゆとり世代」と呼ばれるのをとても嫌います。そして「それは自分たちの責任ではない」と言いますが、全くその通りです

あの当時、「世界で一つの花」という歌が流行りました。「君は世界で一つの花だから、そのままで良い。それが君の個性だから」というような歌だったと思います。

結局、「厭なことはしなくて良い。何故、厭なことをしなければならないのだ」という「ゆとり」というより「ゆるみ」の風潮を作ったような気がします。

子供を伸び伸びと育てるのは良いことですが、辛抱してやり続けさせることも必要だと思います。

 

彼らは前後の世代から「ゆとり世代だから」と揶揄されますが、その責任は文科省の役人と教職員組合と政治家にあります。子供を義務制の学校に通わせる親たちが反対の声を上げなかったことにも反省すべき点があります。私立の学校に向かった家庭もあります。私立では土曜日も授業があります。結局、しわ寄せは子供たちに来ました。

 

少し話は違いますが、週刊文春に、佐々木常夫さんという人が「プアなイノベーションより優れたイミテーション」と書いてありましたが、全くその通りだと思います。

会長の時間19 平成25年11月21日(水)

2013年11月27日

「戦略的対応」 2013.11.27

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

あるアメリカの戦略研究者が中国には戦略がない。もし戦略があるならば、何故あれだけ他国が反感を持つようなことをするのかと書いてありました。そして、中国の孫子の兵法とは、相手を秩序や規則を狂わせる戦略だそうです。

 

11月23日、中国は尖閣諸島を含む東シナ海に一方的に防空識別圏を設定しました。これは非常に危険なことで、相互の戦闘機が接近し、思わぬ衝突を招く可能性があります。

しかし、私は疑問に思うのは、こちらの混乱を起こさせるという中国の狙いに嵌りかけたのではないかということです。

 

中国は、民間航空会社が識別圏内の飛行計画の提出を拒めば緊急措置を取るとしていましたので、日航、全日空など国内4社は、23日以降、中国当局に対して飛行計画を提出したそうです。

 

25日に外務省の斉木事務次官が中国大使を呼んで、日本側は飛行計画の提出に応じる考えはないと通告。これに対して中国大使は「民間航空機の飛行の自由を妨げるものではない」と回答したので、26日に国交省は「官民一体で対応すべく航空会社は飛行計画を中国当局に提出しないように協力願いたい」と要請して、27日以降は飛行計画の提出を止めることになったそうです。

 

確かに航空機の安全確保が一番大切ではあります。しかし、飛行計画を提出することは中国の防空識別圏と管轄権を認めることです。そもそも、識別圏は領空に近づく国籍不明機が敵か味方かを判断するために領空の外側に設ける空域で管轄権は認められません。公海上空は飛行自由であり何ら制限を課すべきものではなく、識別圏を通過する航空会社に対して、飛行計画の提出を求める権限はないそうです。

 

この区域を飛ぶアメリカの民間航空機があるかどうか知りませんが、果たして飛行計画を提出したのでしょうか。今回は外務省・国交省の早い動きにより、一応の解決を見ていますが、航空各社が飛行計画を提出したことについて私は釈然としないものを感じます。

 

今朝のニュースによれば、米軍のB52爆撃機2機が日本時間の26日、中国が設定した防空識別圏内を事前通報なしに飛行しました。中国側から2機に対する呼びかけや戦闘機の緊急発進(スクランブル)はなかったそうです。

 

米政府は(1)防空識別圏を認めない(2)飛行経路の事前通報や無線の開放など、中国が要求する措置には応じない(3)米国の軍事作戦遂行に一切変更はない-との立場を明確にしています。

なぜ、このような原則を素早く明確にできるのだろうかと思います。

 

こちらの対応がバラバラにならないような明確な方針と態度を立てることが、相手の戦略に乗らないために必要なのではないかと思います。

会長の時間18 平成25年11月20日(水)

2013年11月20日

「面白い『古事記』」 2013.11.20

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

先週、伊勢神宮の話をしましたが、実は、その前の週、ミャンマーに行くときに空港の本屋で文庫本「眠れないほど面白い『古事記』愛と野望、エロスが渦巻く壮大な物語」を買って機内で読みました。

著者は「大人もぞっとする『グリム童話』」などを書いた女性作家の由良弥生さんという方です。

 

古事記は過去に何度か読みかけましたが、神様の名前が山のように出て来て、いつも神代の時代で挫折してしまいましたが、この本は神々や歴代天皇のドラマを物語風に大胆に再現していますので、読みやすくて機内で読んでしまいました。

 

古事記は上中下巻があります。いつも神代の時代で引っかかるので、今回は中巻の神武天皇の時代から読み始めましたが、読みだしたら、陰謀あり、戦あり、禁断の恋ありで、物語として面白かったです。

 

この本は古事記に興味を持つための入門編のようなものですから、次は少し難しい本に当たってみるのも良いかもしれません。戦後、古事記は皇国史観とかいって遠ざけられましたが、日本人としての基礎的な知識・教養として、古事記にもう少し親しんでも良いのかもしれません。

 

と申しますのは、古事記に現れる神々は、現在でも多くの神社で祭神として祀られています。

ですから、古事記の知識があれば、色んなことが繋がってくると思いますし、日本の文化や伝統が理解しやすくなると思います。

例えば、日田祇園は八坂神社のお祭りで御祭神はスサノオノ命ですし、大原八幡神社の御祭神は応神天皇です。若宮八幡は応神天皇の御子である仁徳天皇をお祭りしています。伊勢神宮と同じように、神話の世界と史実が混然一体となって現代に繋がっているのが我が国の歴史です。

 

先日参拝した、伊勢神宮を伊勢に定めた倭姫は、第十二代景行天皇の妹であり、熊襲征伐、東国遠征をしたヤマトタケルの叔母です。ヤマトタケルは熊襲征伐の時は女装するための倭姫の衣装をもらい受け、東国遠征の前にも伊勢神宮の倭姫を訪れ天叢雲剣と火打石を授けられています。この本を読んだ後でしたので、伊勢神宮に参拝したときには、この話を思い出しました。

 

また、神話では、天岩戸に天照大御神がお隠れになった時に、天の安の河で神々が話し合いをするなど、天照大御神といえども絶対ではなく、困ったことがあると、よく神々が集まって話し合いをし、知恵のある神様がアイディアを出して合意するのは、今の寄合とよく似ています。

西洋の民主主義よりも前に、日本の寄合主義ともいえるのが日本の伝統ではないかと思います。

 

とにかく、物語として、或いは古事記の入門編として、この本を読まれることをお勧めします。

会長の時間17 平成25年11月13日(水)

2013年11月13日

「伊勢神宮参拝」2013.11.13

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

11月4日に伊勢神宮に参拝して来ました。今年は第62回目の式年遷宮の年なので、大勢の参拝者がいましたが、最終的には史上最高の1300万人を超えると見込まれているそうです。

 

伊勢神宮が創設されたのは今から2000年前で、それまでは大和の宮殿で天照大御神をお祭りしてい

ましたが、第10代崇神天皇の頃に疫病が発生し国民の大半が亡くなり、流民や反乱者が出るなど国が大きく混乱したため、天照大御神を宮中の外にお遷ししてお祭りしたところ、ひとまず国がおさまったそうです。

次の第11代垂仁天皇の時代に、皇女倭姫命により良い地を求めようお命じになり、ついに伊勢に辿り着きます。古事記には日本武尊が東国平定の旅に出る前に、伊勢神宮に叔母の倭姫命を訪ね、天叢雲剣と火打ち石を授けられたと書いてあります。

 

式年遷宮が始まったのは今から1300年前、天武天皇のご発案により、持統天皇4年(690)に第1回が行われました。ただ、神宮は木造ですから制度化される前にも遷宮はたびたび行われていたと思われます。

 

第1回以来、20年ごとに遷宮が実施されてきましたが、南北朝や戦国時代には、変則や中断があったそうです。そうした中でも伊勢神宮を大切にしようという精神は消えず、例えば、織田信長は内宮外宮に参拝しています。そして、後を継いだ豊臣秀吉が、戦乱で中断していた式年遷宮を再興し、天正13年(1585)に第41回式年遷宮が行われました。以来、20年ごとに続けられていたのですが、唯一の例外が、昭和24年に予定されていた式年遷宮です。

敗戦直後の厳しい時代だったので昭和天皇のご配慮で延期となりましたが、この天皇の思し召しを多くの人が知り、せめて入口の宇治橋だけでも、ということで掛けかえられ、そして4年後の昭和28年には式年遷宮が実施されました。戦後4回目という事になりますが、今年ほど盛大なことはなかったように思います。何かの節目でしょうか。

 

式年遷宮には13,600本の檜が伐採されるという事ですが、その一方で200年、300年という長期的な植林が進められており、もう少しすると、遷宮用の檜は全て神宮内でまかなえるようになるそうです。また、内宮外宮の古材は宇治橋の鳥居や熱田神宮のお宮に使われるなど全国の神社で無駄なく使われていますから究極のエコといえます。

 

伊勢神宮を、西行は「何事の おわしますかはしらねども かたじけなさに なみだこぼるる」と歌い、芭蕉は「たうとさに みなおしあいぬ ご遷宮」と詠みました。

平安時代に西行が、江戸時代に芭蕉や、弥次さん喜多さんが見た伊勢神宮と、今、我々が目の当たりにする神宮は、すべて同じ材料、同じ形式、同じ雰囲気であるという事はまさに驚くべきことであります。内宮に向かう参道の真ん中に気が数本立っています。外国人は、なぜ伐らないのかと聞くそうですが、例え、木が倒れたとしても、元と同じように植えるのだそうです。1300年前と同じように維持しようとする考え方が徹底されています。

ヨーロッパの人は中世の街並みをそのまま残すのに比べて、日本人は昔の街並みを大事にしないと言われています。しかし、日本人の生活様式は平気で変わっていきますが、日本文化の深奥の部分は変えないというのは興味深いことです。

 

伊勢神宮にお参りすれば、少なくとも1300年前と同じものを見ることができる。しかも、それは石やレンガで作ったものでなく、朽ち果てるべき木で作ったものを、人間が20年ごとに寸分たがわず作り変えることによって、時空を超越したものを感じることが出来る。そして、作り変えるたびに瑞々しい。これはまさに人類の奇跡と言って良いのではないでしょうか。

 

遷宮された後の外宮の正殿を特別に拝観することが出来ましたが、屋根は一部朽ちていました。

20年前に造ったものではありますが、平安時代にでも来たような不思議な感覚でした。

 

人間の肉体も不滅ではありませんが、命は親から子、子から孫へと繋がっていきます。

伊勢神宮は、日本民族の命と精神を繋いでいく日本の宝だと改めて思いました。

 

 

 

会長の時間16 平成25年11月6日(水)ミャンマー訪問

2013年11月06日

2013.11.05「キータンゴン村への訪問報告」

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

10月25日から29日まで、ミャンマーのキータンゴン村に学習小屋改修のための着手金を届けるために行ってきました。

 

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本来、資金は数回に分けて送金した方が良いのですが、現時点では送金システムが整備されていないのでリスクがあるという事でしたので、一旦、古庄さんに預けて、キータンゴン村の請求に応じて、都度、資金を渡すという形をとります。

 

今回、兵庫県の加古川中央ロータリークラブが、キータンゴン村からヤンゴン寄りにあるアミャンゴン村に新規に学校建設するというので同行しましたが、同じように分割して渡す形を取っております。

加古川中央ロータリークラブは40周年記念事業として「未来の夢計画」とは別に、クラブの資金だけで学校建設を支援しています。

 

キータンゴン村に行くのに、今回も前回と同じように途中からボートに乗りました。

前回は1時間20分位かかったと思いますが、今回は僅か30分ほどで村に着きました。今年は雨季が明けるのが遅く水量が多いので途中でショートカットしたからです。

 

キータンゴン村では、日曜日にもかかわらず、子供たちが正装して待っていてくれました。

資金の一部二千ドルを渡しましたが、村長は、早速、レンガや石や砂などの建設資材を購入して、水量の多いうちに船で現地に運び込みますと言っておりました。

 

その後の話で分かったのですが、キータンゴン村の学習小屋は、今年の6月に政府に正式に小学校として公認されたそうです。政府から公認されたことにより、先生も政府から新しく派遣された若い女性二名でした。今まで親が負担していた授業料は無料になり、今まで来られなかった子供たちも通学できるようになったそうです。これで新しい校舎ができれば、学校としての形が整うものと思います。

 

雨季明けから建設に着手するそうですが、今年の天候では、12月頃の着工になり、完成は来年の2月末の予定とのことでした。3月の初め頃に、竣工祝いに行きたいと考えますので、2月になったら参加者を募ります。多くの方のご参加を期待します。

 

ミャンマーではヤンゴン市内のシェンタゴン・パゴタなども見る価値がありますが、千年以上も変わらないような田舎の生活ぶりを見ることによっても色々と考えさせられます。

 

ボートから、水上に一軒だけ立つ小さな高床式の家の中が見えますが、子供たちが数人寝そべっていて赤ちゃんを母親が抱っこしています。あるいは茶色い川で洗濯をし、髪や体をあらっています。豚と鶏以外に財産と言えるようなものは何にも見当たりません。死ねば焼いて灰にするだけだそうで、先祖の供養はなく、ただ仏様を信仰するだけだそうです。不思議なことに、ミャンマーには姓が無いそうです。

 

電気も水道もない貧しい生活ですが、それぞれの人間の喜びや悲しみは我々と何にも変わるものではないと思います。能力も勿論変わりません。ただ貧しいだけです。

ヤンゴン市内のショッピングセンターでは、アイフォンも資生堂もトリンプのブラジャーも売っています。資生堂のシャンプー椿は一本1500円もしました。

便利なものを知れば、人々の意識や生活が変わっていくのは止めようがありません。古庄さんも、彼らの生活を変えていくのが良いことか悪いことか悩むこともあると言っていました。

 

しかし、放っておけば、かつて英国に植民地にされたように再び他国によって支配されるかもしれません。北方の大国の侵食をミャンマー人は大変嫌っています。

まず、教育によって国を強くしていくことが独立を維持していくために大切だと思います。

私はキータンゴン村の子供たちに「一生懸命勉強して、村の為、国の為に働いてください。学校が出来たらまた会いましょう」と伝えてきました。学校が完成して村民と子供たちが喜んでいる姿を3月に見たいと思います。

 

尚、今日、ここへ来ましたら杵築市の岡嶋正さんという方から郵便物が届いておりました。

開けてみましたら、岡嶋さんが大分合同新聞で日田ロータリークラブのミャンマー学校建替えの記事をご覧になり、国際奉仕活動に賛同して、お持ちになっていたミャンマー紙幣を送って下さいました。

先日来の広報活動によって、私たちの活動が広く県下に知られるようになったことは嬉しいことです。

頂いたお金は、3月にミャンマーに行ったときに本か学用品にして、キータンゴン村の子供たちにプレゼントしようと考えます。岡嶋さんに感謝します。

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会長の時間15 平成25年10月23日(水)

2013年10月23日

2013.10.23「バザー」

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

今日は恒例の日田ロータリークラブのバザーです。

先日来、提供する品物を事務所にお運びいただきまして有り難うございました。

今朝も、白石社会奉仕委員長と諌山会友が、車を出して品物を会場に運び込んでくれました。

10時半からは、会友と奥様方が、会場設営・品物の仕分け・価格付けをしていただきましたので、1時半からのバザーの準備がすべて整いました。日田ロータリークラブのバザーを毎年楽しみにして、既に開場を待つ方もいらっしゃいます。今日も完売して社会奉仕のお役に立てたいと思います。

 

それから、先日、記者クラブで私と田嶋副会長、織田財団委員長、小ヶ内幹事、中西広報委員長が、日田ロータリークラブの創立50周年記念事業の一つとしての「ミャンマーの学習小屋の改修」の説明をしてきました。早速、西日本新聞と読売新聞が記事にしてくれました。ロータリーの国際奉仕について良い広報活動ができたと考えております。

記者会見の設定には中西広報委員長がお骨折り下さいました。

10月25日から、私がミャンマーに行って建設の段取りと開校式の日程等を決めてきます。帰って来ましたら、またご報告いたします。

 

会長の時間14 平成25年10月16日(水)

2013年10月16日

「ゴーストタウン」2013.1016

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

先日、テレビ東京で「未来世紀ジパング“潜入中国12大ゴーストタウン”」を見ました。

 

中国各地にある(中国語で鬼城というのだそうですが)ゴーストタウンのことは知ってはいましたが、テレビ映像で見て改めて驚きました。

内モンゴル自治区のルドス市の100万人分の巨大マンション群に入居者の姿はなく、広東の東莞の巨大ショッピングモールは何年か前の賑わいが嘘のような廃墟でしたが、このようなゴーストタウンが中国全土にいくつもあるそうです。

 

このような巨大開発は、中央に対して実績を上げたい地方政府が主体となっていますが、土地開発をするために、鉄パイプを持った300人のやくざが乗用車で、言うことをきかない農民を襲う信じがたい様子を、農民が撮ったビデオを放映したのもインパクトがありました。これでは解放前の地主が、地方政府に替わっただけです。

その資金がどこから出ているかといえば、いま注目される“シャドー・バンキング”です。

その中核となるのが、「理財商品」という金融商品で投資信託のようなものですが、ここを通じて庶民から集められた巨額のマネーが、不動産バブルの源泉になったと見られています。

 

それにしても、シャドー・バンキングの理財商品を、ビラだけで買う中国一般庶民のリスク感覚も理解できません。何に投資しているかも知らないで、よく虎の子の貯金を預ける気になるものだと思います。多分、周りの人が高い金利で儲かったという噂だけで買っているのではないでしょうか。

利に目ざといから、もし返って来なかったら、どれだけの騒ぎになるか分かりません。
日本にとって、金融に関する直接的な影響はあまりないと思われますが、中国の国内需要が低下した時の影響は大きいので、中国のバブルの崩壊すに備えることが重要になってくるだろうと思います。

とても良い番組でした。

会長の時間13 平成25年10月9日(水)

2013年10月09日

「かち栗」2013.10.9

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

秋が深まって栗が出回っています。先日、農家の人から、かち栗をいただきました。

茹でて天日に干して作ったものだそうですが、固い栗の実を食べながら、日本人は縄文時代以来このかち栗のようなものを食べて来たのだろうかと想像しました。

 

以前、私は30年ほど前に発見された青森県の三内丸山遺跡を訪ねたことがあります。

三内丸山遺跡は今から約5500年前~4000年前の縄文時代の巨大な集落跡ですが、ここで出土した栗の木をDNA分析した結果、栗が人の手で栽培されていたことが明らかになっています。

他にも豆、ゴボウ、ひょうたんなどの一年草も栽培されていたようですから、コメが日本に渡ってきたときに、あっという間に青森辺りまで栽培されるようになったというのも、こういう縄文人の技術と経験があったからではないでしょうか。

 

また、かち栗は保存食にも適していると思われるので、昔は貴重な食料として、戦場にも持っていったのだろうかとも想像しました。

 

そんなとき、偶々、明治の終わりの方で、乃木大将が日清戦争当時の衣食について話したことが新聞に出ていましたのでご紹介します。

 

「かの日露戦争に従軍した者に、日清戦争当時、衣食はどんなことであったかを話して聞かせると、その粗末であったこと、ほとんど嘘のごとく驚きます。さらに日清戦争の時分と西南戦争の時分の食物や弾薬、衣服の乏しさを比較しますと、これはまたもう一段ひどい。

それから以前の幕長戦争になると、ほとんどお話にならない。『そんな物を食ってよく生きていたな』と言って一笑に付されるような有様であります」だそうです。

 

具体的に何を食べたいたのか分かりませんが、かち栗などは貴重品だったのかもしれません。

 

明治末の人でさえ、僅か50年ほど前のことを『そんな物を食ってよく生きていたな』と言って一笑に付す位ですから、我々にはとても想像がつかないことです。

 

物質的に恵まれた今日、つい最近まで日本人が貧しい食料で必死に命をつないできたことを有難く思いながら、かち栗を食べました。

 

会長の時間12 平成25年10月2日(水)

2013年10月02日

50周年記念式典の日程変更」2013.10.02

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

ガバナー公式訪問も無事に終わりました。お疲れ様でした。

その懇親会の席上、来年のシドニーで開かれる国際大会に参加する2720地区の旅行スケジュールが分かりました。5月30日から6月5日までだそうです。

 

まだ、旅行の案内状は来ておりませんが、ガバナー以下、パストガバナーや各クラブの会長など、相当数の参加が見込まれます。

従って、1年以上前から5月31日に決定していた日田ロータリークラブの50周年記念式典はガラガラということになります。

 

私、青くなりました。その場で、会場のパトリアが別の日に変更できるかどうかを相談、翌朝9時過ぎに、まだ6月に予約が入っていない土曜日がある事が判明いたしましたので、すぐにパトリアに行って押さえました。ほっとしました。

 

そういう経緯で、来年の50周年記念式典は、5月31日(土)から6月14日(土)に変更になりました。

 

29日の日曜日に、宇佐で開かれた米山奨学金セミナーで赤山ガバナーとお会いしましたので、6月14日のスケジュールを確保していただきました。翌6月15日が日出ロータリークラブの周年行事だそうです。

 

いよいよ、50周年実行委員会も動き出しましたので、改めまして皆様のご協力をお願いして、50周年を盛大に迎えたいと思います。よろしくお願いします。

 

本日はミャンマーでの学習小屋改修事業でご協力いただいている古庄重生さんの卓話も控えておりますので、会長卓話はこれで終わります。

 

会長の時間11 平成25年9月24日(水)

2013年09月24日

会長の時間 日田中央ロータリー 古賀弘人 会長

2013.09.24

 

みなさまこんにちは。本日は3クラブ合同による赤山ガバナー公式訪問です。今日は日中の天気と同じくまさに晴れの日です。我々中央ロータリーがホストとして、ガバナーに様々なアドバイスをいただきながら進めてまいりましたが大変感謝しております。ガバナーという職責は本当に多忙でありますが、ガバナーが地区内の全てのクラブを全て訪問されるには理由があります。当然RIからのメッセージもありますし、問題のあるクラブに対しましては関心を払っていただきます。やはりなんといっても奉仕の意識を高める意味合いがございます。我々はこの後、貴重なガバナーアドレスを享受するわけでありますけれども、その中で思ったことがありましたらすぐに行動したいと思います。懇親の意識を高めるということもあります。何か思ったことがありましたら速やかに行動したいと思います。そして今日を境に、今以上に活況あるクラブに発展するように我々が精進するのがガバナー公式訪問の真の目的ではないでしょうか。今日は最後までご協力のほどよろしくお願いいたします。

会長の時間10 平成25年9月18日(水)

2013年09月18日

「東京オリンピック開催決定を祝う」2013.09.18

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

2020年のオリンピック開催が東京に決定しました。我が国はロビー活動が下手だから、まさか東京になるとは思っていませんでした。

しかし、今回はオールジャパン体制で招致活動をしたようです。妨害工作を乗り越えて招致を成功させた関係者の並々ならぬ情熱と努力に敬意を表します。

 

また、最終プレゼンテーションをした安倍総理もオリンピックとは不思議な縁があります。昭和39年の東京オリンピックが決まった時の総理は安倍さんの祖父岸信介氏、札幌オリンピックが決まった時の総理は叔父の佐藤栄作氏のときです。

 

九月七日付けブエノスアイレス発ロイター通信は「安倍晋三首相の演説が2020年東京五輪大会決定への決め手となった」と五輪開催地決定のニュースを伝えました。

 

仮に、ここ数代の総理大臣がプレゼンテーションをしたとしたら、一体どうなっていたでしょうか。

 

さて、昭和三十九年の東京オリンピックは、戦災で焼け野原になった東京がわずか二十年で復興したことを世界に示しました。

 

昭和天皇がされた開会宣言で「オリンピアード」とおっしゃったことが今でも耳に残っています。あれから日本は「ジャパンアズナンバーワン」と呼ばれる経済成長を遂げ、世界第二位の経済大国になったのですが、最近ではグローバル化やデフレ、少子高齢化などで陰りも見え、GDPでは中国に抜かれて世界第三位になっています。

 

二〇二〇年の東京五輪はどのような意義を持つものになるでしょうか。世界の人が共感するどのようなビジョンを世界に示すことが出来るでしょうか。

 

単に巨大な箱モノ建設や一党独裁体制の国のような国威発揚は時代遅れだと思います。

 

日本は世界の世論調査で、常に「最も好きな国」或いは「良い影響を与えている国」の上位に挙げられています。

新聞は、日本はアジアや世界で四面楚歌のような書き方をしますが、台湾より以南の国々へ行けば、大変親日的であることが分かります。

 

日本の文化や精神は、芸術、科学技術、製品、武道、マンガ、アニメ、日本料理などを通じて広く世界に受け入れられています。

 

日本の文化は宗教や文明の違いを超えて普遍性を持っていると思います。

 

滝川クリステルさんは「おもてなし」の心をプレゼンテーションで訴えました。

 

フレンドリーな笑顔と親切、美味しい食べ物、掛け値のない正札販売、清潔な食堂やトイレ、ゴミ一つ落ちていない道路、夜でも女性が歩ける治安の良さ、ノーチップで受けられる平等なサービス、正確安全に運行される交通機関、並んで待つマナーの良さなど、日本人にとって当り前のことでも、オリンピックで初めて来日した方たちには、日本人の普段の生活が最大の「おもてなし」になり得るでしょう。

 

こういう社会や生き方もあるのかと感じてくれれば、世界に良い影響を与えることになると思います。

 

会長の時間9 平成25年9月11日(水)

2013年09月11日

会長の時間 田嶋篤副会長 2013.9.11

会長が所用で大分に出張という事で、代わりに挨拶させていただきます。
今日はGGCさんに来訪させて頂いておりますが、GGCさんは平成23年4月に当地に進出されて来られました。特に専務さんは、会議所、労働基準協会、日田工業連合会など、盛んにご尽力されて頂いております。

毎日お世話になっている「もやし」ですが、お世話になっていながら気付いていないことも多いですので、職場例会のお願いを致しましたら快くお受けいただきました。円がこれだけ安くなってきますと、大豆の原料の輸入などが大変だと思いますが、その辺のお話もあると思いますのでよろしくお願いいたします。

会長の時間8 平成25年9月4日(水)

2013年09月04日

「なぜ日本人は悪いことをしないのか」2013.09.4

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

先日、外部卓話していただいたダータス・ノリコさんのお話は大変面白かったです。

いくつも面白いお話があったのですが、特に興味深かったのは、トルコ人のご主人が日本人と話していて気付いたことのようですが「人間は神の存在がなければ悪いことをするのに、なぜ日本人は悪いことをしないのか」ということです。

 

私は話を聴きながら、新渡戸稲造の名著「武士道」のことを思い出しました。

その第一版(1900、明治33年)の序文の中には次のことが書かれています。

 

「約10年前、著名なベルギーの法学者ラヴレー氏の家で歓待を受けて数日を過ごしたことがある。

ある日の散策中、私たちの会話が宗教の話題に及んだ。

この高名な学者に『あなた方の学校では宗教教育というものがないとおっしゃるのですか』と訊ねられ、私が『ありません』と返事をすると、氏は驚きのあまり突然歩みを止められた。

そして容易に忘れがたい声で『宗教がないとは。一体あなた方はどのようにして子弟に道徳教育を授けるのですか』と繰り返された。その時、私はその質問に愕然とした。なぜなら私が幼いころ学んだ人の倫(みち)たる教訓は学校で受けたものではなかったからだ」

 

新渡戸博士は自分に善悪の観念を作り出させた様々な要素を分析して、そのような観念を吹き込んだものは武士道であったことに思い当り、英語で「武士道」という本を書いて世に出したのです。

 

現代日本には既に武士階級もなく、小中学校でも家庭でも道徳教育が盛んに行われているということは寡聞にして知りませんが、世界的にみて、日本の犯罪発生率は低く、来日外国人が認める治安のとても良い国です。

 

このことについて、我々はもっと誇りに思うと同時に、何故そうなのかをもう一度考えてみても良いのではないかと思います。「武士道」の原文は難しいですが、台湾の李登輝元総統も「武士道解題」という本を書かれています。本棚に積んだままになっていますので改めて読んでみようと思います。

 

(註)

名著『武士道』は当初英語で書かれ、1900年(明治33年)に『武士道』の初版が刊行された。やがてドイツ語、フランス語など各国語に訳されベストセラーとなり、セオドア・ルーズベルト大統領らに大きな感銘を与えた。日本語訳の出版は日露戦争後の1908年のことであった。新渡戸の武士道は読み継がれ、21世紀に入っても解題書が出版され続けている。

会長の時間7 平成25年8月28日(水)

2013年08月28日

「ミャンマー支援について」2013.08.28

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

7月以来、猛暑が続いた日田の夏も、最近の雨で漸く少し涼しくなりました。

夏の疲れが出るのもこれからだと思いますので、どうぞ皆様もご自愛ください。

 

さて、創立50周年記念事業の一つ話を進めてまいりましたミャンマー・キータンゴン村の学習小屋改修事業につきましてご報告いたします。

 

今年の春先に、第2720地区ロータリー財団に地区補助金35万円の申請をいたしましたが、一旦ストップがかかりました。ミャンマーがアメリカの制裁国であるという理由です。今期から「未来の夢計画」の一環として地区補助金は地区で使いやすいようなったと理解しておりましたので、地区補助金の申請がアメリカにまで行って審査を受けるというのは意外でした。地区補助金とはいえ、制裁国への補助金は不可とするなどの一定のルールがあったのかもしれません。

 

その間、第2720地区の木村初ロータリー財団委員長が東京の日本支部と本件を通すために色々ご尽力をいただいて、最終的にアメリカのロータリー財団本部の審査を受けることになりました。

アメリカから「米国財務省資産管理局審査用チェックリスト」の提出を求められたのには驚きました。11項目のチェックリストを織田財団委員長とミャンマー窓口とのメールのやり取りで修正をしながら何度かアメリカ本部に提出しました。

 

このとき幸運だったのは、アメリカのロータリー財団本部に和田はるかさんという日本人女性がいたことです。従って、やり取りは全て日本語で出来たので意思疎通がとても良く出来ました。和田さんに伝えたのは、実際に現地を視察したこと、ミャンマー人が貧しくても非常に教育熱心で将来有望な民族であること、この国に自由と民主主義を根付かせて東南アジアの発展に寄与させることの重要性等でした。和田さんが、アメリカ本部で同僚と上司に強力に説得に当たって頂いたことと推測します。

 

その結果、先日、漸く財団から承認が下りました。

ミャンマーへの事業申請も初めてなら、承認も世界で初めてのことのようです。

既にオバマ大統領もミャンマーを訪問しておりますし、現在でもヤンゴンには大きなアメリカ大使館があります。やがて、ミャンマーへの制裁も解除されるものと確信しますが、ロータリークラブのないミャンマーへ世界で初めて財団の補助金を使用できたということを大変うれしく思います。

これからは他のロータリークラブからもミャンマーへの支援が増えるものと期待します。

 

改めまして、木村財団委員長、東京の関係各位、和田はるかさんとアメリカ財団本部の各位に感謝と敬意を表します。

 

これから、支援の具体化に向け行動します。10月には現地を訪問する予定です。

会長の時間6 平成25年8月21日(水)

2013年08月21日

日田ロータリークラブ副会長 田嶋 篤

会長のスローガンの一つでもあります親睦ということでありますが、久しぶりの夜間例会でもあります。遊船も亀山亭さんが新造船の船を出してくれるということですので、ゆっくり楽しんで親睦を深めて頂きたいと思います。

2時間くらいの短い時間ではありますが、よろしくお願いします。

会長の時間5 平成25年8月7日(水)

2013年08月07日

2013.08.07「歴史と体験」

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

終戦の日が近くなりました。戦争は20年8月15日に終わりましたが、私は昭和22年の生まれですから、本や写真などで知った知識としては知っていますが、僅か1年半前に終わった戦争のことは体験としては全く分かりません。

 

物心のついた頃(多分昭和26年前後、日本に主権のない占領下でしたが)のことは少し分かります。

例えば、米軍の戦車を何両も積んだ貨車が、日田駅で流される「アニーローリー」の曲に送られ、夕日に照らされながら久留米方面に向かっていた光景が今でも目に浮かびます。今思えば、まさに敗戦国そのものですが、当時は分かるはずもありませんでした。

 

知識としての歴史は遠い昔のことのように思えますが、例えば、昭和20年時点でいえば、戊辰戦争から77年、日清戦争から50年、日露戦争から40年しか経っていません。

ですから、最近まで少なくとも日清・日露戦争を体験された方が沢山おられた訳です。

昭和40年代頃はまだまだ明治生まれの方は沢山いらっしゃいました。

 

同じように、昭和40年以降に生まれた人は、終戦時のことはもとより、昭和20年代30年代のことも肌身に感じることは出来ません。

 

少しでも、前の世代が次の世代に体験を語り継いでいくことが、歴史を学ぶ上でも大いに役に立つものと思います。

 

ところで、奥野誠亮(おくの・せいすけ)さんという大正2年生まれの100歳の元政治家がいらっしゃいます。この方が、先日こういうことを新聞に書いていました。

 

「占領中は、日本の国会も政府も自主的活動はできませんでした。国会へ法律を出すのも、審議で修正するのも、その議決が賛成でも反対でも、事前に連合国軍総令部(GHQ)の承認を受けなければならなかった。憲法も同じです。こういうことを若い人に知ってほしい」

私は、そこまで国会がアメリカ軍のチェックを受けていたとは全く知りませんでしたが、考えてみれば、主権が無いのですから当然のことです。

 

今日は、青柳会友の体験談を楽しみにしたいと思います。

会長の時間4 平成25年7月24日(水)

2013年07月24日

 

「四つのテスト」  2013.07.24

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

暑い日が続きます。先日、ウナギを食べにいって、土用って何だろうと思って調べてみました。

土用とは、立夏・立秋・立冬・立春の直前約18日間のことだそうです。

今年は7月19日が土用の入りで、7月23日が大暑、8月7日が立秋です。

8月7日といえば、まだまだ暑い盛りですが、そこを秋の初めとするとするシナの古典は素晴らしい。現象は盛りに見えても人間の感じないところで物事は変化を始めているということでしょうか。

深い哲学があると思います。

 

さて、日本では土用の丑の日に、暑い時期を乗り切るためにウナギを食べる習慣があります。

この由来については諸説ありますが、平賀源内(1728年 – 1780年)が発案したという説が最もよく知られています。

それによると、商売がうまく行かないウナギ屋が、夏に売れないウナギを何とか売るため源内の所に相談に行くと、源内は、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めました。すると、そのウナギ屋は大変繁盛し、他のウナギ屋もそれを真似るようになって、土用の丑の日にウナギを食べる風習が定着したといわれています。

 

最近では乱獲が過ぎてウナギがいなくなるのではないかとも言われます。ダムや堰もウナギが川を遡上できない原因の一つです。マリアナ沖で生まれたウナギが遠路日本にたどり着き、人工の堰の手前で死んでしまうのは余りに不憫です。ヨーロッパではウナギ遡上用の水路が設備されているのをテレビで見ましたが、日本も何らかの対策があって良いのではと思います。

 

さて、週報の絵の上にスペースがありますので、今週から四つのテストを掲載することにしました。昨日、日田中央ロータリークラブを幹事と訪問して参りましたが、彼のクラブでは、例会の初めに毎回、職業奉仕委員長が先導して唱和していました。

この四つのテストを載せるにあたって、スペル等に間違いがあってはいけないと思い、インターットで調べましたところ、各クラブにかなりバラツキがありました。複数であったり単数であったり、

「the」があったり、なかったりです。

 

いまや、「四つのテスト」は100か国以上の言葉に翻訳されているようですが、この日本語訳についても十分なものかどうかは分かりません。ですから、まずは原文に当たる方がその真意を理解するのに正確かと思います。

 

例えば、「言行はこれに照らしてから」も英語のthink の訳語が脱落しています。

「みんなに公平か」についても、原文にはconcerned:「かかわりのある」「利害関係のある」が抜けています。「みんな」とすると全ての不特定多数の者を対象としている感もあり、少し違うのではないかとも思います。

the TRUTHについても、なぜここにだけtheが付くのか良く分かりません。ただ、「真実」という言葉で片づけてよいものかどうか分かりません。一説によれば「神の御心」という説もあるようです。

 

ロータリー計画の職業奉仕部門推進の一方法として国際ロータリー理事会がクラブの注意を喚起した「執務上の心得書」には

○ 四つの簡単な質問から成る総ての人間関係の便利な尺度

○ 人に要求するものではなく自分自身の反省の具とするもの

○ この自己反省方式を国際ロータリーは高く評価

「ロータリーにおける諸奉仕活動・特に職業奉仕における指針として常用するにいたる」と書いていますが、特に「人に要求するものではなく自分自身の反省の具とするもの」ことが重要であるかもしれません。また、RI理事会が「これを規則として取扱ってはならない」と勧告(55-56)のもそれなりの理由があるのかもしれません。

 

なお、先週の例会でお話ししました海軍兵学校五省をお手元に配布しております。これは東郷元帥の書かれたものだそうです。

一、 至誠(しせい)に悖(もと)るなかりしか

一、 言行(げんこう)に恥(は)づるなかりしか

一、 氣力に缺(か)くるなかりしか

一、 努力に憾(うら)みなかりしか

一、 不精(ぶしょう)に亘(わた)るなかりしか

 

(以下、ウィキペディアより)

考案者は、当時(昭和7年)、兵学校校長であった松下元少将。

今日では帝国海軍の精神を象徴する標語であるかのように語られることがあるが、五省が兵学校校舎に掲げられるようになったのは国内の軍国主義的色合いが濃くなり始めた1932年(昭和7年)からであり、その採用期間は海軍70余年の中でも末期の10数年間に過ぎない。古参の海軍軍人の中には、文語調箇条書きの五省を生徒に唱和させることについて、「(リベラリズムと柔軟性を重んじた)帝国海軍の伝統になじまない」として不快感を表明する者も少なからず存在した。

 

しかし、一方で、戦後に日本を占領したアメリカ海軍の幹部が五省の精神に感銘を受け、英訳文をアナポリス海軍兵学校に掲示したり、日本国内でも、海上自衛隊が日々の行動を自省する標語として用いたりしている。現在、海軍兵学校の後継にあたる海上自衛隊幹部候補生学校及び海上自衛隊第1術科学校では、五省が旧海軍の伝統として継承されている。

 

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