卓話

2012年

「上半期を終えて」 橋本信一郎会長

2012年12月26日

「上半期を終えて」

橋本信一郎

 

今期は「一眼を足下に、一眼を海外に」という会長方針でスタートいたしました。

 

まず、足下ということで申しますと、上半期に3名の会員が新しく入会していただき総勢54名のクラブになりました。

若い新進気鋭の湯浅会友と、当クラブ初の女性会員である原会友、大学で長年、研究と教育をされてこられた北川会友です。それぞれ個性のある会友の入会により、ますます活性化して楽しいクラブになること期待します。

今期の目標は5名ですから、あと2名、有為で楽しい会員が入会していただけますよう、皆様方には宜しくご紹介方をお願いします。

 

また、趣味同好委員会にゴルフ同好会を新しく創設し、毎月1回の開催を基本に懇親を深めております。今後は、クラブ内だけではなく、ゴルフを通じて近隣クラブとの交流を深めることにも活用したいと思います。来年4月には、第2分区のゴルフ大会が予定されておりますので、多数、参加されることを期待します。

 

10月24日のチャリティバザーにも、過去最高の資金が集まったそうです。皆様とご婦人方のご協力に感謝します。

10月3日の、岡村ガバナー公式訪問も日田クラブをホストとして開催されましたが、後の懇親会も含めて、若い会員の活躍で活気があり、ガバナーご夫妻も気持ちよく過ごされたのではないかと推測します。親睦委員会には年末例会も盛り上げていただいたことを感謝します。

 

それから、この上半期、第2720地区のセミナーが多く開催されましたが、各委員長と委員さん方が積極的に参加していただきました。

9月2日の米山記念セミナー、9月9日と10月27日の財団セミナー、7月28日のインターアクト年次大会等々です。やはり、セミナーに参加すればロータリーが良く理解できますし、他クラブとの交流もできますので、下期も特に新入会員の方たちにが、多くご出席して下さいますようお願いします。

 

また、期初早々に50周年実行委員長と2014年5月31日の開催日が決まりました。記念講演の講演者も交渉優先権を一応確保しております。

来年の3月9日に開催されます第2720地区大会では、日田の50周年記念大会に出来るだけ多くのクラブから出席していただくために宣伝をしなければなりませんので、多数のご出席をお願いします。

 

次に「海外」に目を転じますと、国際交流のための中国語講座が開講いたしました。

講師は鬼武会友の会社のネイティブスピーカー3名です。受講生は井上幸一会友夫人をはじめ10名です。来年には台北に小籠包を食べに行って中国語を使おうと話し合っています。

 

10月13日からの香港エレクトロニクスショウへの参加者は私だけでしたが、巨大な会場と来場者と数千と言われるブースの多さに、アジアの時代の到来を実感して参りました。

内陸の日田にいるからこそ、アジアには積極的に関わって、これからの日田市の活路を見出すべきだと考えます。これからも台湾嘉義ロータリークラブをはじめとして国際交流を盛んにしていきたいと考えます。

 

そして、50周年記念事業の一つとして、ミャンマーでの校舎建設の現地視察のために、田嶋副会長、織田R財団委員長と私の3名が、11月31日から12月4日まで行って参りました。

後で、現地の写真をお見せしますが、現在はとても貧しいですが、西側の資金と技術援助があれば、これから必ず発展する国だとの印象でした。

対日感情も良くオールジャパンで協力支援してくべきであると感じました。我々も細やかですが、ミャンマーの発展のために支援したいと考えます。

来年の年末頃には開校式があるはずですから、多くの方のご参加を期待します。

 

いずれにいたしましても、会友各位に支えられまして、無事、上半期を終えることが出来ましたことを感謝いたします。あと1年半、よろしくお願い致します。

 

会員卓話 井上太香美会友 「年金の話」

2012年12月05日

12月8日(水)

会員卓話 井上太香美会友 「年金の話」

井上会友に老齢基礎年金の繰上受給と通常受給の累計額が同額となる年令の話をしていただきました。

ゲスト卓話 青木正年西部振興局長「日田には未来がある」

2012年11月21日

11月21日(水)
ゲスト卓話 青木正年西部振興局長「日田には未来がある」

日田市の未来の可能性について、日田市の地理的要衝、子どもたちの事、有効求人倍率、観光、文化、再生可能エネルギー等々をお話ししていただきながら、わかり易く講演いただきました。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

会員卓話 織田莊太郎ロータリー財団委員長 「未来の夢計画について」

2012年11月14日

11月14日(水)
会員卓話 織田莊太郎ロータリー財団委員長 「未来の夢計画について」

 

 

 

米山奨学生スピーチ

2012年10月10日

米山奨学生 APUのペレーラ・ブッディニーさん

 

 

 

 

 

 

新入会員卓話 湯浅 総会友 ・ 原 道子会友

2012年09月19日

 

新入会員卓話  湯浅総会友
本日は今年2回目の卓話ということで参加者が少ないと思っていましたが、出席率が通常どおりであったのは唯一の女性会員、原さんのおかげだと思います。皆様と同期会員の原さんに感謝します。日田ロータリークラブにおいて1月25日の外部卓話を引き受けたことにより、多くの反響がありました。学生や保護者さんの間では増え続ける体重とともにそこそこ有名になってたのですが、一気に社会人の方から講演依頼や、いろいろな活動へ参加をよびかけられるようになりました。ロータリーの力を痛感しました。 塾事業のほうも順調に、8月末で講師数8名、日田市史上2回目の200名以上在籍の学習塾となりました。以前200名在籍されていたT塾さんは今年で閉塾されましたが、バブル期ではなく少子化不景気の中でこの数字を達成し、地域に受け入れられていることをありがたく思います。現在日田市域で子供は1学年650名しかおりません。その中で中3を45名集め、6人ほど入塾を断りました。地域占有率では大分でダントツのトップ塾とのことです。九州でも指折りとのこと。しかし大事なことはそういう数や占有率ではなく、生徒一人ひとりのオンリーワンの塾になれるかだと思っています。現在ではそういう意味で質の高い講師不足で、高2、中2、小5、小4の4学年以外は募集停止にしています。どなたかよい講師の方がいればご紹介お願いします。 私の家庭は2代続けて母子家庭で、男付き合いとかが全くよくわかっていません。ロータリーといえば、僕にとってはマツダのエンジンだったのですが、会長橋本先生がさりげにおいていった名簿をみてびっくりしました。祖母が「ぶげんしゃどん」と言っていた方がずらり。「なんで僕こんなところに呼ばれたんやろう・・・」というのが第一印象です。それでも恥を捨て置き入会させて頂いたのは、自営業で既に叱ってくれる人もおらず、父親もおらず、学ぶ人が欲しかった事が入会させて頂いた大きな理由です。また1月25日の卓話で話しましたが、日田の教育格差をどうにかしたく、少しでも実行力を持ちたかったこと。隈診療所の宮崎先生がクリスマスにサンタの格好をして訪問する、というネタで医療系学生を推薦入試で20名ほど通してもらってるので、断れば祖母をお世話して頂いた宮崎先生に顔向けできないと思ったこと。草野先生や佐藤先生がいるので、色々なご相談が出来るかなと思ったこと。今の僕では見る影もありませんが、高校のころ石井博基先生のテニスクラブに所属させて頂いて、たらふくタダ飯を食べさせて頂いたので、かの有名な「出世払い」をしなくちゃいけない、と思ったこと。また幼少のころ母子家庭でお世話になった橋本先生は、散歩で毎日塾の前を通るのですが、まさかここで断れば連れてる犬から噛まれる危険を感じたからです。 今のところ最年少会員とのこと、塾の仕事がら平日の昼間はわりと時間が取れますので、諸先輩方に勉強させて頂きたく思っています。なにか人手が足らないときは、見てのとおり食事さえいただければいつでもはせ参じますので申しつけください。皆様のご指導、心よりお待ちしています。

 

 

新入会員卓話 原 道子会友
まずは、初の女性会友に承認して頂きましたことに、お礼申し上げます。日田ロータリーグラブに入会して、日も浅く、まだまだ何もわかりませんが、今後ともよろしくお願いします。少し私のことについてお話させていただきますと、皆様ご存知とは思いますが、原 正隆の娘でございます。私の会社である有限会社三愛メディカルセンターは、亡き祖母、父の母が、設立した会社でございまして、それを引き継ぎました。祖母は、いつまでも息子想いの人でしたので、何か出来ることをしたかったのだと思います。仕事内容としましては、病院内の受付、保健請求業務、患者様の対応など、医療は今やサービス業でありますので、その顔となる業務になります。今現在、医療も様変わりしましたので、厳しい状況になりましたが。今更ながら、診療から経営まで、一人でこなしている父を、とても尊敬しているしだいです。私の小さい頃は、父は忙しく、話しもできず、ましてや、一緒に遊んだことも少なかったように思います。今の傾向としては、世間は、家庭第一という感じですが、私の子供時代では、お父さんは一生懸命仕事をして、お母さんは家庭を守る、という時でしたので、今どきとは違う家庭でした。ですから、なかなか父との接点がなく、今、ようやくここにきてやっと、話ができるようになりました。今回何を話していいのかわからず、こまりはて、迷いましたが、私の趣味についてお話を移します。高校、大学の頃から体を動かすのが好きでしたので、いろいろなスポーツをかじりました。テニスに、スキー、スキューバーダイビングと、いわばバブルの道を歩んだ世代です。唯一ゴルフだけは、親父くさい!と拒否していたものが、それが、今では、父との遊びの接点となりました。父の助言がなければ、これすら持てなかったと思います。父の若い頃に、自分が出来なかったことを、私がさせてもらったことは、ありがたいと感謝しているところです。これによって、一緒にゴルフするだけでなく、共通の趣味になったことは、嬉しいことです。また、このゴルフによって、いろいろな方と知り合うことが出来たのは、きっと、父のおかげでしょう。実は、父は、男の子が欲しかったんじゃないかと思われる節がありました。女の子にもかかわらず、なぜか、父の好きなお相撲を取ったり、空手の技をさせられたりと、どう考えても、男の子を育てて、大人になったら、お酒を飲みたかったんだと思います。でも、女の子ですから、それが出来ないと、残念だったのでしょう!だからこそ、何か一緒にできることは、私たちにとって、非常に重要なことだと思います。これで、少しでも、父の願望が満たされるなら、なおさらです。皆さまにもお分かりのとおり、父とは似ていますので、出来る限りご迷惑をおかけしませんように、また私に与えられました使命でございます父の引率を滞りなくできますよう、それと共に、奉仕の一環のお手伝いができますように、励みたいと思います。初の女性会友に恥じぬよう、頑張ってまいりますので、皆さまご指導いただけますよう、重ねてお願いいたします。とめどもない話で、お時間をいただいたことを申し訳なく思っておりますが、これにて、終わりとさせていただきます。お付き合いくださいまして、まことにありがとうございました。

ローレル日田カントリークラブについて 総支配人 穴井貴弘さん

2012年09月12日

職場例会でローレル日田カントリークラブを訪れました。

ローレル日田カントリークラブ    佐藤英治会友挨拶
本日はローレル日田カントリークラブで職場例会をして頂きましてまことにありがとうございます。
ローレル日田カントリークラブは平成3年に開場いたしました。 当時バブルが弾ける前で、ゴルフ場の管理の職人がなかなかみつからず私の父である副社長は私に大学を辞めてすぐに帰って来いと毎日電話があり、人に頼ることが嫌いだった父が私に大学を辞めてまで手伝ってくれと言った言葉がとても信じられませんでした。 それから1年間は毎朝5時起きで仕事をしながら大学に通い無事に5年で卒業する事ができました。 念願でありましたロータリークラブに入会して、やっと1年が過ぎました。ロータリーソングも覚え、毎週出席することに楽しみも覚えてきました。 これからロータリークラブで少しでも長く社会貢献できるようがんばってまいります。 ありがとうございました。

お詫び 昼食は私どものレストランの料理長が用意するはずでしたが、本日はロータリークラブのお陰でしょうか?バタバタと予約が50組を超えてしまい、ちょうどお客様が昼食に上がってくる時間と重なりますので、勝手ながらお弁当にさせて頂きました。 大変申し訳ありませんでした。
ローレル日田カントリークラブの紹介   総支配人 穴井貴弘氏
本日は、日田ロータリークラブ様の職場例会で多数のご来場頂き誠にありがとうございます。
株式会社日田ゴルフ場の総支配人をしております、穴井でございます。 又、日頃よりメンバー様をはじめ数多くのご来場を感謝申し上げます。

私から弊社の概要を簡単にご説明申し上げます。 弊社は昭和47年10月にゴルフブームに先駆け、株式会社日田ゴルフ場日田国際ゴルフクラブを初代社長の佐藤正一氏によって設立されました。 その後、平成3年11月に日田国際の姉妹コースとしてローレル日田カントリークラブが誕生しました。 平成11年には初代社長の他界により2代目社長に佐藤英正氏、昨年5月から3代目社長に佐藤英治が就任しております。 従業員数は、日田国際GCが23名、ローレル日田CCが28名(パート社員含む51名が働く)になっております。部署としましては、フロント業務、スタート室業務、コース管理部、ハウス担当部、それと嘱託ではありますがレストラン部に分かれております。 それぞれ年間の来場者としましては日田国際GC約30,000人、ローレル日田CCが約40,000人のご来場を頂いております。日田市内のお客様はもちろんの事、北は山口県から南は宮崎、鹿児島県からのご来場を頂いております。 日田ICより約10分の好立地と、クラブハウスに天然温泉がある事も、人気のひとつになっているのかなと思っております。

両クラブとも土日祝は、約5割が福岡を中心とした県外のお客さまで、平日に関しましては日田市内の方が多い傾向にあります。 コースの紹介ですが、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、日田国際GCは、トリッキーでプレーヤーの1打1打のショットが大事になる大変緊張感が味わえる面白いコースであります。ローレル日田CCは、逆にフラットで広々としており、コンペも多く幅広いお客様に人気のコースになっております。 ここ最近のゴルフ場業界は大変厳しい中にあり、プレー料金の値下げ、ゴルフ人口の減少、又、経営譲渡などという言葉がよく伝えられておりますが、弊社と致しましては、理事長以下理事、役員の皆様、又メンバー様のご支援ご協力を賜りながら今後も職務に邁進する所存でございます。 プロの石川選手みたいなジュニアゴルファー、女性ゴルファー、高齢者、初心者の皆様に愛され、親しみやすいゴルフ場になっていく様努力し、又、お客様に満足して頂けるコースの整備、サービスの提供をしていきたいと思っております。 最後になりましたが、日田ロータリークラブ様の益々のご発展と、本日お集りの皆様のご健勝を祈念致しまして、簡単ではございますがご挨拶とさせて頂きます。

本日はありがとうございます!!

平成24年9月12日     株式会社 日田ゴルフ場 総支配人 穴井 貴弘

 

 

インターアクトについて 新世代委員長 宮崎秀人

2012年09月05日

インターアクトについて  新世代委員長 宮崎 秀人

第28回インターアクト年次大会が、7月28日(土)・29日(日)湯布院自然の家「ゆふの丘プラザ」にて提唱RC:別府北RCで、ホスト校が明豊高校インターアクトクラブで開催されました。初めて参加させていただきましたが、インターアクトクラブ同士の交流会が主体の催しです。・インターアクトクラブ( Interact Club、I A C)とは、奉仕と国際理解に貢献する青少年のための、ロータリークラブ(RC)提唱の世界的団体で、高校に在学中の生徒、または年齢12〜18歳までの青少年が入会できます。Interactという名は「国際的活動」International Actionを意味します(2010年1月、会員資格の最低年齢が14歳から12歳と決定しました。)・インターアクト・クラブは少なくとも2つの社会奉仕プロジェクトを行い、そのうち1つは国際理解と親善を推進するものとされています。プロジェクトを通じて、インターアクターは地元社会や海外のクラブと友情のネットワークを築きます。奉仕活動は、インターアクターの活動の真髄です。・インターアクトの目的は建設的な指導力を養成し、自己の完成を図る。他人へ対する思いやりと、他人の力になる心構えの奨励と実践。家庭と家族の重要性の認識と涵養。各自の責任を果たし、懸命に努力する。全ての有用な職業は社会に奉仕する機会であるとしてその品位と価値を自覚する。地域社会、国家及び世界の問題についての知識と理解を深める。国際理解と親善の推進。等を行う。 などが目的です。・現在、109余りの国や地域にある10,700以上のクラブを擁するインターアクトは、世界的な現象となりました。200,000人近くの若者がインターアクトとかかわりを持っています。 日本での第1号のIAC誕生から40年。2009年9月末日現在、554クラブ、約1万2,000人の会員がいます。・ロータリアンは、インターアクターとどのように付き合ったらいいのでしょうか。  「社会奉仕に関する1992年の声明」に、「各種社会奉仕活動を秩序立てるために、ロータリー・クラブが提唱するインターアクト・クラブ、ローターアクト・クラブ、ロータリー地域社会共同隊、その他のグループと緊密に協力すること」(『手続要覧2007年』P83)とあります。  インターアクターというと、年齢が離れすぎていて、どのように付き合ったらいいのか、どんな話をしたらいいのか、戸惑ってしまう方も多いかと思います。そんな時には、20代、30代の若いロータリアンが間に入って、世代間の橋渡しをしてもらってはいかがでしょうか。新しいつながりが生まれることと思われます。 当会にも若い会員がいますので、ぜひ、そのような会員が橋渡しになってほしいと思います。・私の感想 参加してみて、年齢の離れた若い人たちと、何を話していいのかとまどうばかりでした。ロータリーの活動を若い人たちに理解してもらうためにも、RCとIACでの共通の何か新しい活動を提案できればと考えています。これから勉強させてもらいます。

永山布政所について 伊藤塾 伊藤利光塾長

2012年08月29日

永山布政所について

伊藤塾 伊藤利光塾長

 

 

天領とは、江戸時代の幕府直轄の領地のこと。軍事、交通の要衝と金銀山を直轄地にし、年貢と金銀を幕府の収入にした。全国に47ケ所(代官所60数ケ所)あり、郡代、代官ともに勘定奉行に属した。

日田の天領は、1593年(文禄2年)豊臣秀吉の太閤蔵入地になることから始まる。大名「毛利高政」、初代代官「宮本長次郎豊盛」は隈に日隈城を築城し、隈町ができた。1601年(慶長6年)には、徳川家康の領地になり代官小川壱岐守光氏が豆田に永山城を築城、1616年(元和2年)譜代大名・石川忠総の領地になり日田藩が成立し豆田町ができた。初代代官から最後の郡代・窪田鎮勝までの275年間、45代の代官・郡代が日田を治めた。

代官とは、10万石未満の幕府直轄地の役職で、年貢収納と民政を掌った。代官所は全国に60数ケ所 あった。また、郡代とは、10万石以上の幕府直轄地の役職で年貢収納と民政を掌った。郡代は、関東郡代(勘定奉行)、笠松郡代、高山郡代、そして日田郡代の全国に4ケ所のみであった。

それぞれの郡代役所の目的であるが、関東郡代は1806年廃止されるが、東京日本橋で勘定奉行所が引き継いだ。笠松郡代は、東海道、中仙道の合流点で京都と江戸の中間の軍事拠点担う。また、西国筋郡代は日田にあり、16万石。九州の外様大名の御目付拠点である。高山郡代は12万石、江戸の木材供給地となった。 江戸幕府での郡代の地位は、現代でいうと大企業の課長クラス。日田にあった西国筋郡代は、江戸幕府の職名で勘定奉行に属し、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、筑前の幕領を管轄した。1639年には、永山布政所を設置している。管内の収税、庶務、訴訟を掌り、税収は最大で16.4万石あった。これは、松山の伊予藩15万石より多い数字である。しかし、石高は多いが地元で消費されず江戸に送られたため、藩のような繁栄はなかった。

九州には、日田に設置された西国筋郡代陣屋の他、出張陣屋が大分の四日市、大分の高松、宮崎の富高、天草、そして長崎奉行所があった。西国郡代役所詰めの役人数は、日田詰が16名、他合わせて37名であった。

西国筋郡代陣屋は、明治維新後解体され、建造物は何一つ残っていない。月隈公園の南側に跡地があるが、住宅地となり民家が建っている。西国筋郡代陣屋の絵図と平面図が残っている。絵図は 1825年前後、平面図は1830年前後のものである。絵図には、豆田の道路や長福寺と八坂神社、瓦葺と茅葺き屋根の家々が見られ、1864年の絵図にはある豆田水路はまだ描かれていない。また、郡代陣屋の周りに家なく、月隈公園に桜が見られ、正面には神社がある。瓦屋根付きの白壁土塀で、建物は平屋建てで瓦葺きの屋根である。さらに、平面図からは、 役人官舎が13軒あり、住宅の仕切りは竹垣、湯殿があることなどが見て取れる。

現在の日田の町割や文化の基盤は西国筋郡代の時代に形作られた。豆田は、国選定重要伝統的建造群保存地区、咸宜園は国指定史跡で世界遺産登録も推進されている。掛屋は、草野家・国重要文化財、広瀬家、山田家・国登録有形文化財で、長福寺は国重要文化財、祇園山鉾は国指定重要無形民俗文化財、小鹿田焼は国指定重要無形文化財と多くの西国筋郡代時代の遺産がある。

 

ロンドン五輪報告 吉田信之さん

2012年08月08日

五輪バドミントン末綱聡子選手の高校時代(現昭和学園高校、当時昭和女子高校)に指導していた吉田信之監督に来訪いただき、現地で見た生のロンドン五輪 バドミントンの速報をしていただきました。

 

 

 

「7.3、7.14水害を振り返って」草野義輔会友

2012年08月01日

「2012~13年度 日田ロータリークラブ会長方針」  会長卓話  日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

2012年07月04日

「2012~13年度 日田ロータリークラブ会長方針」
会長 橋本信一郎

 

田中作次RI会長は2012‐2013年度の戦略計画において、「クラブのサポートの強化」「人道的奉仕の重点化と増加」「公共イメージの認知度の向上」の三つの優先項目を組織全体のロードマップとして、各クラブに一層の力を注ぐように要請しています。

それを受けて、第2720地区の岡村ガバナーは以下の三点をメッセージとして提示しています。
①「元気なクラブ」を作っていこう。
②サーヴィスの心を身につけるために地元のみならず世界も睨んだ「地域社会貢献活動」を活発にしよう。
③会員一人ひとりの誠実な職業活動によって、ロータリーの「公共イメージ」を向上させよう。

以上の方針を受け、かつ、再来年に迎える創立50周年が、日田ロータリークラブの新しいステージの第一歩となるように、私は2012~13年度の会長方針を「会員の親睦・友情を第一とし、お互いに成長しながら、グローバルな眼と、より高い志と活力を持ったクラブとなる」とし、そのスローガンとして「一眼を足下に、一眼を海外に」を掲げます。

「一眼を足下に」

・クラブ会員の家族を含めて親睦・友情を第一とする。
・楽しく、お互いに成長できる、活発なクラブとする。
・第一分区のみならず、近隣のロータリークラブとの交流を促進する。それにより会員数の少ない近隣クラブの活性化に貢献するとともに、新しい友人を増やす。
・趣味同好委員会にゴルフ同好会も開設し、近隣クラブとの交流などに活用する。
・会員の増強、特に、有為な若い会員や女性会員の入会を推進する。
・これから、日田クラブが第2720地区をリードできるようなクラブになる為に、人材と組織運営の強化を図る。
・ロータリーの綱領など、サーヴィス(奉仕)とは何かを改めて学び、主に職業を通じたサーヴィスにより、
世のため人のために貢献し、ロータリーの公共イメージを向上させる。

「一眼を海外に」

・機会があれば、出来るだけ海外に出かけ、世界の潮流を体験・理解する。
・東南アジアで、我々が出来る人道的支援がないかどうかの調査を始める。台湾嘉義玉山ロータリークラブとも
共同して行えるよう連絡をとる。
・機会あるごとに、海外とのビジネスや交流の経験を卓話してもらうなど、グローバルな目を養う。
・中国語の学習クラスを再開する。

(イメージ)
楽しい・面白い・為になる → 有為な会員が増える → 自他共の成長に繋がる → 強いクラブになる
→ 世の為、人の為にサーヴィス(奉仕)する → 公共イメージが向上する → 我々の生きた足跡を残す

以上を新年度会長方針と致しますので、会員各位のご協力とご支援をよろしくお願いいたします。

一年を振り返り 会長卓話  日田ロータリークラブ会長 武内眞司

2012年06月28日

一年を振り返り

6月27日(水)

 

昨年末の「半期を振り返り」の際にも申し上げましたが、私の年度は50周年に向かいクラブ活性化を目標に、「温故創新」を年度スローガンに掲げ出発いたしました。伝統に立脚し必要なものは継続し、見直すべきものは改善し、新しくスタートさせるものを模索しながら、これまで以上に顔の見える日田ロータリークラブになりたいと願い、クラブ運営を私なりにやってまいりました。

 

クラブ活性化の源泉は会員の増加だと考え、会員増強を積極的に行ったところ、会員増強維持委員会を始め、会友各位のご協力で6名の新入会員を迎えることができました。さらにこの6名の新入会員の方達が優秀な方ばかりで頼もしいことこの上なしです。SAAの木下会友が忙しいこともあり、新入会員全員に例会場設営係をお願いしたところ、みな早く会場入りしいつも頑張ってくれています。ありがとうございます。

 

原点に返る目的で購入いたしました、会長、幹事等のタスキですが、始めのころは恥ずかしい思いで掛けていましたがその内慣れまして、今では掛けないと不安な気持ちになります。似合っているかどうかは別として、慣れとは恐ろしいものです。

 

委員会活動に関しては、今年度新しく立ち上げた「青少年スポーツ支援育成委員会」は年度当初の8月に、<日田ロータリークラブ会長杯ボウリング大会>を立案し実行いたしました。「大震災復興支援委員会」は河津建設の立花部長や日田市の原田総務企画部長をお招きして震災や防災に関する講演等を実現いたしました。

「奉仕プロジェクト大委員会」は恒例のチャリティバザーや愛の献血を実施し、職場訪問等も活発に企画されました。また、大震災義捐金のお礼で訪問した台湾・嘉義玉山クラブに加え、タイでの国際大会参加にも参加いたしました。

 

大事な親睦活動に関しては委員会の方々のお陰で納涼例会、観月会、クリスマス家族会、年度末家族会等多くの親睦活動が行われました。

 

少し残念なことは、半期に色んな突発事項が起き、年度当初予定していました「雪月花」の宴の内、「雪見の会」が実現できなかったことです。

美しい四季のある日本に生まれた特権は「花鳥風月・雪月花」を愛でる雅な心だと私は思っております。

 

 

 

「広報委員会」が作成した日田クラブのHPはデザイン・構成等日本一の内容を備えたHPになったと自負しております。石松委員長、中西会友ありがとうございました。各委員会活動に頑張ってくれた会友各位に改めまして心より感謝申し上げます。

 

下半期最初の例会時、副会長が病気療養のために休養する事態に直面、なにしろ突然の出来事で、その対策にほぼ2ヶ月を費やすことになり、委員会活動に注力できませんでした。申し訳ありません。

 

パスト会長をもっとこき使おうと考えまして、宴会時の乾杯や打ち込みは全てパスト会長を指名いたしました。突然の指名に驚かれた先輩もいたと思いますが「ロータリー愛」に免じてお許しください。

 

私の年度は、残念なことに会員のご家族の不幸が続き、さらにご葬儀と例会の時間が重なるという、想定外の事態が発生しいささか混乱いたしました。また年度中のガバナー補佐選出の依頼に加え、今年に入り本命のガバナー選出依頼が舞い込むという、まさに驚天動地の状態が未だ続いております。

先日開催いたしました「パスト会長会」で、欠席された方を除き出席のパスト会長全員から、日田ロータリークラブの悲願であるガバナー選出を是非実現させよう!と叱咤激励され、血判状を作るなら協力するよとまで言われております。

今年は辰年ですが、「画龍点晴を欠く」という言葉があります。

龍の絵を完成させるには最後の目玉の点が大事です、目玉を書くために、会長退任後、橋本次年度会長と活発に動き廻る所存です。ご協力のほど宜しくお願い申し上げます。

 

最後になりますが、日田ロータリークラブの良さは長く在籍しないとわからないというのが、在籍21年の私の感想です。

今年度入会された新入会員の方々は忙しい年代で大変でしょうが、長く在籍されまして、いつの日かこの会長のタスキを肩に掛けられますようにお願い申し上げまして退任の挨拶といたします。一年間ありがとうございました。

節電のご協力のお願い   茅嶋 孝男 会友(九州電力日田営業所長)

2012年06月11日

貴重なお時間ですが、電気の需給につきましては社会的動揺が大きいということで、ちょっとお願いをさせていただきます。

 実はお手元のパンフに書いてあります様に、この夏は昨年の問題により電気が足りません。約70万KW、大きな発電所1ヶ所分が足りません。足りない時どうするかといいますと、大きな工場に強制的に落としていただく措置があるのですが、それを発動したとしてもさらに30万KW足りません。そういう中で今、国は計画停電を検討しています。その状況は私どもにはまだ知らされていませんが、場合によっては1日1~2時間どこかの地区で停電があり、それは都市部、田舎に関係なく公平に輪番制でやっていくようになります。なんとしても今回、電気を確保するためには供給設備の発電所は限られているので電気の需給を抑えるしかない。これが失敗しますと計画停電に陥るし、計画停電を実施しないと60Hzの電気が西日本、中部から停電ということになりますから節電のお願いでございます。  ホテルやお客様相手の所は操業や営業に支障がない様にバックヤードでの節電をお願いしたい。九州全部でエアコンの設定温度を1度上げていただきますと、だいたい50万KWが確保できます。それから「緊急時の節電ご協力お願いメール」に登録をお願いします。電力の需給状況が大変厳しい場合、節電メールが入ります。前週、前日、当日に入ります。また登録していただくと夏場の台風等にいたしましても、どの地区が停電で復旧が何時になるという情報も取れるようになります。是非ご協力をお願いします。

職場例会 天領日田洋酒博物館 館長 高嶋甲子郎

2012年05月16日

天領日田洋酒博物館 館長 高嶋甲子郎

本日は天領日田洋酒博物館にお忙しい中お越しくださいましてありがとうございます。日田中央RCのRACに5年間在席して活動していました。おかげさまでいろんな方達と交流が出来ました。

今日は私がなぜこの博物館を開いたか?この過程をお話ししたいと思います。

この博物館は私が中学3年生から31年間かけて一人で集めた洋酒のコレクションになります。きっかけは小学生のころからアメリカやヨーロッパに憧れがあり、亡くなった父の影響も大きなものがありました。コースターなどの小物から始まり高校時代までに自転車で市内の酒屋さんから展示品をもらったりして収集していました。大学時代に、ある有名なバーでバーテンダーをしながらコレクションの資金を集めていましたが、他に発送のアルバイトや警備などいくつも掛け持ちでやりながら、骨董市などで手に入れていました。大学卒業後、東京に3年間勤務していました。給与やボーナスを趣味につぎ込みお金がないので骨董品の転売で収集品を増やしていき、もちろん失敗もありましたが、おかげで目利きになり現在に至っております。在庫品は実家の高嶋紙器の倉庫に入れてあり、そこで博物館の品物を見せていましたが、この空間でお酒を飲みたいという方が増えてきましたので一緒に出来るものをということで、この博物館を作りました。昨年の4月29日の昭和の日に立ち上げましたが、まだ宣伝不足で皆様方のお力添えをよろしくお願い致します。ただ家族からは冷たい視線を浴びせられています。自宅は家族5人で借家に住んでいますので、家を先に建ててもらいたかったと言われました。博物館を開くにあたり日田以外でお誘いはたくさんありましたが、やはり地元で商売抜きにやりたかったので、本業をしながら夜に楽しませてもらっています。深夜3時に寝て、朝7時に起きる生活をしていますが、好きだから苦になりません。まだまだほしいものもあるので…と笑ってお話をしていただきました。

博物館のなかにはコレクションの6~7割ほどが展示してあり、展示品の95%にお酒が入っているそうです。ニッカウヰスキーの名前は前身の「大日本果汁」の「日」と「果」を取ってつけた由来や、日田工場の撤退の際に特別に譲ってもらったポットスチル(単式蒸留器)のこと、ギネスブックに載っている世界最小のボトルや禁酒法時代の酒、マリリン・モンローやエルビス・プレスリー、車や汽車などいろいろな形の入手困難なボトル、また販促用ポスターやノベルティグッズなどがあり、楽しいお話を聞かせていただきました。

私がロータリークラブに入るまで!  頓宮正敏会友

2012年05月09日

私がロータリークラブに入るまで!  頓宮 正敏会友

 

私は、平成6年に16年間勤めた、体育施設・遊具施設のメーカーでK社という所を退職し、独立しました。いわゆる脱サラです。

独立して、K社の仕事も下請で行っていました。平成12年の12月にK社が倒産し、私もK社に売掛はあったのですが、私はそんなことより、人生の転機が来たと確信しました。

人の不幸を喜んでいるわけじゃありませんが、ビックチャンスだと思いました。4ヶ月後の平成13年3月に社名を「有限会社 九州体育施設」と変更致しました。社員は、私を含む4名で毎日朝7時から夜は早くて10時頃まで休みもなく、ほとんど毎日仕事をしました。

翌年、平成14年度の決算で約1億円の売上でした。その1億円に対して、皆様が多いか少ないかどう思われるかわかりませんが、私は4人での売上額というより内容(利益率)でした。特殊な製品の販売、又特殊工事がほとんどだったので利益率は50%を超えるものでした。

ただ、問題がゼネコンの下請工事が多く、手形がほとんどで最初の1~2年は大変苦労しました。その年に今の会社、小関段ボール跡を買い、翌年平成15年に「株式会社 九州体育施設」と社名を変更致しました。そして今、社員20名の世間でいう典型的な中小企業です。会社の話はその位にしまして…

平成21年に日田祇園祭り、平成山鉾振興会の会長を受けることになりました。というより、誰も引き受ける人がいなかったというのが現実です。

各町、豆田4基、隈、竹田4基、平成山、祇園囃子保存会の各会長10名からなる、日田祇園山鉾振興会会長会という組織の中で、会議も然ることながら、食事会も多く、会長会、寿司店などで石井先生とよく会うようになりまして、2年ほどたってのことです。ある時、『頓宮君、小西君も入会するので君も一緒に入らないか?』と言われ、入会いたしました。

ところが、どういう訳か小西君の方が1ヶ月先に入会していました。人間は誰でも一人くらいは『この人には何も負けたくない』という人間がいると思います。私も例外なく、私よりも4つ年下の男がいます。そう、小西総一です。こいつだけには何も負けたくありませんでしたが、今日ロータリーでは先輩になってしまいました。

私のような者がロータリーに入っていいものかといつも思っています。

例会、又、催し事には必ず参加し、何事にも協力致しますので、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

又、今日も欠席の小西先輩宜しくお願い致します。

ロータリー情報委員会  中野友徳会友

2012年04月18日

ロータリー情報委員会  中野 友徳

いまさらロータリーについて、お話をすることも無いのですが、最近入会された方々に聞いて頂きたいと思います。

ロータリーのハンドブックを調べたところ、ロータリー情報委員会は積極的にロータリーの知識を提供することと書いています。

ロータリーは自分で考え、行動することが基本であって、先輩は手取り、足取り教えてはくれない。ロータリーが面白くない、魅力がないというのは自分自身が面白くない、魅力がないと言っているのと同じであると思います。

 

会員が退会する主な原因が三つあると分析してみました。

① 第1にリーダーシップの弱さ 会長はじめ理事、役員等のリーダーシップの弱さ。

② 第2に会費について 会費が高いのではなく、会費に見合う満足感、充実感がロータリーから得られない。

③ 奉仕活動について せっかくロータリーに入会し、ボランティア活動でもやろうかと思ったが、期待したほど満足感のある奉仕活動を味わえない。

 

会費の納入、例会の出席、雑誌(ロータリーの友)の講読 三大義務さえ知らない会員が多い。

ロータリーは人材の宝庫ともいわれております。いろいろな分野で活躍をされている方々と親睦を深めたり、卓話を聞くことにより有形、無形の知識が増し人生を豊かにし、そして自分の事業にも大変役立つことでしょう。ロータリーは異業種交流の最たるものであり普段得られないような情報をロータリーに入ることによって得ることが出来ます。そしていろいろな人と知り合うことが一つの大きな魅力であります。

われわれは今一度、原点に立ち戻り、それぞれのクラブの例会を見直し、魅力あるロータリークラブにしなければならないと思います。

 

向笠廣次 元国際ロータリークラブ会長について 川嶌眞人ガバナー補佐

2012年04月18日

向笠廣次 元国際ロータリークラブ会長について

 

川嶌 眞人ガバナー補佐

 

向笠廣次(むかさ ひろじ)氏

 

日本から出た二人目のRI会長(1982-83年度)。テーマは「人類はひとつ 世界中に友情の橋をかけよう(MANKIND IS ONE Build Bridges of Friendship Throughout the World)」。

 

国際的にも著名な精神科医の向笠氏は。明治44年11月9日、九州の福岡県久留米市の医師の家に生まれました。父も祖父も叔父も兄弟も2人の息子も全て医師です。向笠氏は九州帝国大学で精神科を学びながら、人類はひとつと確信するようになりました。また、すべての人々が本能的に平和を求めると信じました。

 

孫が先祖の人数を知りたがったとき、次のように答えたものでした。「20世代経過すると、100万人の先祖を持ち、30世代では、10億人、40世代を経過すると1兆人の先祖をもつことになります。要するに私たちすべて『いとこ』なのです」。

 

九州帝国大学医学部を卒業してからも、同大学の精神病教育センターで研究を続けました。後に、中津市で、精神科医院を開院しました。向笠氏は、電気ショック療法のパイオニアで、向笠氏の考案した研究設備は、ワシントンD.C.にある米精神医学協会に常時展示されています。向笠廣次氏は、1957年に中津ロータリークラブに入会すると、「人類はひとつ」という点でロータリアンが自分と同じ信念をもっていることに程なく気付きました。向笠氏は、クラブ、地区、RIにおいて熱心にいろいろな役職を務めました。根っからの国際人でしたので、特に国際レベルの役職を楽しみました。喜代子夫人とは学生結婚で、関心事は二人とも共通していました。二人は、ロータリーにおいても、旅行、読書、絵画、文学、クラッシク音楽、きのこ採りなどにおいてもボランティア奉仕においても非常に熱心でした。二人は世界各地できのこ採りに情熱を傾け、きのこを選別し、調理し、世界中のロータリアンの友情の橋をかけ続けてきました。

 

向笠氏は、1982年ダラス国際大会で、次のように述べています。

 

「人間の考えには似たところがあります。どの国の芸術であっても称賛できます。どの国のことでも、素晴らしい行為には感動します。どこかの国に悲劇が発生すれば、私たちは涙をこぼさずにいられません。こういった事実は、他の何よりも、世界のいたるところで考え方が似ていることを裏付けています」。また同じ1982年、ボカラトン国際協議会で「人類は疑いもなくひとつの家族です。さあ、みなさん、左右にいるオジサンやイトコと初対面のあいさつをしてください」と述べたのは有名。

 

1967-68年度第370地区ガバナー、1978-80年度RI理事などを歴任。

 

「日田ロータリークラブ定款・細則について」   幹事 織田 荘太郎

2012年04月04日

日田ロータリークラブ定款・細則について

織田 荘太郎

 

本日は、日田ロータリークラブ定款・細則について、新入会員の方、私を含めロータリー歴の浅い方は、知らない人も多いのではないかと思い卓話を申し出ました。

去年の6月、木下ガバナーの時に大分で定款細則セミナーが開催されました。目的は、『2010年の規定審議会において、青少年分野の奉仕活動が第5の奉仕活動として標準定款に盛り込まれた、その為に、定款を改める必要が生じた』という事でしたが、どうして良いのか、その意味が解らなかった。

ただ、話の中で1つだけ覚えている事は、ロータリーを蝕む病気がある、それは『前例のまま穏便に症候群』と言う病気だそうです、これに罹る率は非常に高く、この治療法はただ一つクラブ細則の改正にある、という話でした。

私はそれまでクラブ定款・細則というものを見たことがありませんでした。

 

セミナーから帰ると、早速事務局に日田ロータリーの定款・細則とはどんなものかを訪ねました。

そしてコピーして貰った物が大変古い資料でした。それは、細則と定款が混同していて、最後に、この定款は昭和39年3月14日から実施すると書いてありました。

昭和39年3月14日といえば、日田ロータリークラブの創立記念日です。今から48年前のもので、これはすぐ改正した方がよいのではないかと大変驚きました。

しかし、調べていくうちにもっと新しい定款、細則がある事が分かりました。

それは、日田ロータリークラブ定款・細則 2001年版の物でした。

 

最新版は2010年8月のもので、インターネットから取り出せます。

資料 【1】(標準)ロータリークラブ定款

資料 【2】 推奨ロータリークラブ細則

ここで、2001年の定款と2010年の資料【1】とがどのように変わったのかを調べました。

1ページ Eクラブというものが出来ている(インターネットのクラブ)

1 〃  第5条  五大奉仕部門 の追加

2 〃  第7条  第4節 (a)(b)に分かれる

3 〃  第9条  第1節 (7)追加

3 〃  第9条  第2節 が 以前は 第1節(c)であった

3 〃  第10条 第5節 (c)一部追加

4 〃  第12条 第2節 (a)の(3)項抹消 ・

4 〃  第12条 第4節 (a)60%――50%

4 〃  第12条 第6節 (f)が追加

5 〃  第12条 第10節 追加

5 〃  第16条 仲介を仲裁及び調停に変更し大幅追加 その他に小さい語句の変更がある。 そこで早速新しい定款を採用した方が良いと考えました。

ところで、わかりやすいロータリーの20ページには 『1922年(大正11年)国際ロータリークラブ連合会がRIに改組されたことを機会に標準ロータリークラブ定款が作られ、それ以降に設立されたクラブはその標準ロータリークラブ定款を採用することが義務付けられるようになり、それ以降は各クラブ独自の判断で決められる事項は、クラブ名と区域限界のみとなり、それ以外は標準ロータリークラブ定款の原文そのものを採用しなければならなくなった』とあります。

従って標準ロータリークラブ定款は、そのまま採用し以前のものと差し替えればよいことになります。

ここで一つだけ問題が残ります、前の定款では、所在地域が日田市 日田郡となっていて、今日田郡は無くなりました。もしこれを勝手に変えられないとなると、

ロータリー定款 第19条 第2節 第2条と第3条の改正

定款の第2条(名称)及び第3条(クラブ所在地域)は 定足数を満たした数の会員が出席した本クラブの例会においていつでも、出席している全投票会員の最低3分の2の賛成票によって、改正する事が出来る。 但し当該改正案の通告が、これを議する例会の少なくとも10日前に各委員及びガバナーに郵送されなければならない。そしてさらに、かかる改正はRI理事会に提出してその承認を求めなければならない。その承認があって初めてその改正は効力を発するものとする。云々・・・

このように、かなりややこしくなります。

又一方では国法の順守ということも言われていて、日田郡抹消の方法が今は良く解りません

 

次に古い日田ロータリークラブ細則と【2】とを比較してみると。

1ページ  第1条の追加

1 〃   第2条と第3条の位置がいれかわる

1 〃   第4条 第2節の追加

2 〃   第8条 奉仕部門の追加

2 〃   第9条 委員会 及び 第10条委員会の任務がCLPで大幅変更

3 〃   第12条 第6節 追加

3 〃   第13条 第7節 追加    以上の変更である

細則の改正については、会長、直前会長、会長エレクトを含む改正委員会を組織し細則の中身が日田ロータリーの慣習と一致しているか否かを検討し、もし不一致であるなら新たな細則を作るべきである。

細則の第16条改正に『本細則は定足数の出席する任意の例会において、出席会員の3分の2の賛成投票によって改正する事が出来る。但しかかる改正案の予告は例会の少なくとも10日前に各会員に郵送されていなければならない』  定足数とは会員総数の3分の1の数である。

大変簡単なようですが、ここにもかなり制約があります。

我々ロータリークラブが守るべき定款・細則には4種類あり、その優先順位は

1・国際ロータリー定款

2・国際ロータリー細則

3・標準ロータリークラブ定款

4・推奨ロータリークラブ細則

の順位となり、そのほかに、ロータリー章典というのもあり、500ページを超す本です。

我々が改正しようと思っている細則は最下位のランクであり、他の全ての内容を順守しなければなりません。

 

定款・細則の前に、標準とか推奨とか紛らわしいことがかいてありますが。

標準ロータリークラブ定款の標準とは何か、それは1922年以前に結成され、すでに独自の定款を持っているクラブがあり、それ以外のところを標準という。

推奨ロータリークラブ細則の推奨とは何か『本細則は単に推奨されるに過ぎない』と注意欄にあるように、細則の原型としてクラブ内で自由に改正できる為のものである。

RIロータリー定款・細則と標準ロータリー定款は3年ごとの規定審議会で審議され必要とあれば改正される。  例えば、2004年・・・旧来のまま

2007年・・・4大奉仕部門の理念・クラブ細則は全面的にCLP

2010年・・・5大奉仕になった、

このように定款・細則は改正されている。日田ロータリークラブの定款は書類を新しくすべきであり、年代をつけて定款が改正されるごとにさし替えるようにすべきである。

 

次に、細則が日田ロータリーの慣習と一致しているかを検討してみます。

細則 第3条 理事及び役員の選挙 第1節

役員を選挙すべき1か月前の例会において、その議長たる役員は会員に対して、次次年度会長、副会長、幹事、会計、および(  )名の理事を指名することを求めなければならない。その指名は、クラブの決定するところに従って指名委員会又は出席全会員の何れか一方又は双方によって行う事が出来る。

指名委員会を利用することに決定した場合、かかる委員会をクラブの定めるところに従って設置しなければならない。適法に行われた指名は各役職ごとにアルファベット順に投票用紙に記載され、年次総会において投票に付されるものとする。云々

(パスト会長会で会長ノミニーの推薦)  (他役員は会長エレクトが任命)

 

第5条 会合 第1節 年次総会

本クラブの年次総会は毎年(12月)に開催されるものとする。そして、この年次総会において次年度

の役員及び理事の選挙を行わなければならない。

(年末家族例会で紹介)

(12月第1週の例会は、クラブ協議会ではなく、年次総会として

会長ノミニーの選出  理事役員の承認  会計報告 等行うべきだと思う。)

 

幹事の勉強不足から、いろいろ手落ちに今頃気づいています。

 

セミナーでも、『何れにせよ、細則をそのまま使う事には問題がある、クラブの現況と異なる細則をそのまま採用しているクラブは、クラブが細則に違反していることになります』と言っている。

 

日田ロータリークラブ定款・細則は創立50周年までには、新しい定款・細則を提示できるようにして置くべきだと考えます。会友の皆様も、資料をご覧になって、現状に即しているかどうかを検討して頂き、次の機会にはぜひ改正を行って頂きたいと思います。

 

その他の問題点

理事の定員

会計委員の仕事が曖昧

直前会長は理事であるべきだ

会長はすべての会合の議長を務める

定款の15条

(各会員は定款・細則の印刷物を受け取ったかどうかにかかわらず、定款・細則の条項に従うものとする)

セミナーから9ケ月後の報告となりましたが、これで報告を終わります。

 

 

「ロータリークラブの思い出」   井上幸一会友

2012年03月14日

「ロータリークラブの思い出」   井上 幸一会友

2ヶ月ほど前から織田幹事よりあなたは50年もRCにおられているので何か話をしてほしいと言われていました。織田幹事は物腰が柔らかい様に見えますが、実は違い非常に芯の強いところがありまして「NO」は許さないという感じで、私もこれは大変なことになったということで帰って調べてみました。ロータリーの文章はかさばりますので、いちいち処理して資料がありませんので、ロータリーが始まった頃の逸話とか、そういったことでご勘弁願いたいと思います。

その頃ロータリーはチャーターメンバーが26人でした。ロータリーとは何か?何をするところか?というのが大半のご意向でした。メンバー表を見ますと、その当時の我々が見ても年を物凄くとった人ばかりで、おじいちゃんばかりのロータリーでした。一番驚いたのは、ある会長さんでしたが、前に出てきて挨拶をするときに頬杖をついて挨拶したことでした。ご本人は非常に打ち解けた人だと解釈していましたが、私どもはやっぱり驚きました。でもロータリーというのは気楽なものだというふうに思っていました。その当時は1業種1人だけということが重要視されて、今のように1分類5人までよいとかではなく、その業種では優れた方しか入っていませんでした。いつでしたか東京RCが帝国ホテルであるときにメイクアップをしました。隣を見たら出光計助さん(出光興産)、反対側の隣は後藤昇さん(東建)など、日本を代表する人が横にいるわけです。何か話しかけてみようと思い話をしたら、出光さんは「九州にもいろいろとネットを広げていますので、私は日田にも来たことがあります」と非常に丁寧な言葉で答えていただきました。日本を代表する企業の方があんなに丁寧な仕草をなさるということにちょっと感心しました。

それと振り返ってみたのですが、何をロータリーに報告したのだろうかというと何もない気がしています。でもひとつだけ全力を注いだというのがIM(インターシティミーティング)でした。我々の1分区は6RCがあるわけです。それでインターシティミーティングというのは、いろいろ現在の自分がやっている行事等をつぶさに報告をしていただく、それとローターアクト、インターアクトも同じで発表していただくというのがインターシティミーティングでした。司会もその会で草野会友がしていただき、その上に藤原会友がいて宇野会友が全体の会長をしていただき、石井会友のロータリーとしての立場とか、いろいろ情報をお伝えしました。全員で一生懸命やる事業はそう多くはないわけです。これだけは自分で一生懸命やりたいのだという気持ちでやりました。その時は第1と第2に分かれて、第2はRKB毎日のニュースキャスターの納富昌子さんで、私も大概いろいろな女性を見てきましたけれども、こんなに瞳の綺麗な方はかつて見たことがありませんでした。だからなんとかお近づきになりたいと思っていましたら、ずっと日にちが経ってから武内会長が納富さんなら家にちょいちょい来ていますと言われました。なぜそれを早く言ってもらわなかったのか、もう私の自分の行動が終わったころ私に打ち明けてくれた次第です。しかし美人というよりは本当に瞳の綺麗な女性でした。

それともう一つは前にも話したと思いますが、世界大会がカナダのトロントでありました。大分県の会長と奥様は出るように参加要請があり、中津の三笠ガバナーが世界の会長になるということでした。世界の会長がどれほど大変なことかと非常に好奇心もあったのですが、とにかく3万人も入る所で三笠さんが流暢な英語で挨拶をされました。この時ほど日本人として誇りに思ったことはありません。ああいう雰囲気というのは直に感じないとわからないと思いました。カナダという所は今でこそ自由に行けますが、その当時はRCの会員でないと入られないようなホテルに泊まることが出来ました。いろいろカナディアンロッキーなど回って楽しい思いをしました。

さっきの納富さんが最後に夫婦の愛情はきちっとしておかなければ子供や孫は見ていますよという言葉で話を結んだわけですが、それを忠実に私は守っています。皆さんもこれは真面目な言葉ですので是非守っていただきたいとそう思っています。

それでは10分という約束でしたのでお粗末ではございますが私から見ましたRCということでどうぞ勘弁してください。

 

〈武内会長より一言〉

井上会友、貴重なお話をありがとうございます。納富さんとはいつもメールのやり取りをしておりますので、今後ご一緒にお食事でもしたいと思っております。今日はどうもありがとうございました。

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