会長の時間

0年0月0日

会長の時間38 平成28年6月1日(水)

2016年06月01日

黒田官兵衛

日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎

 

私の会長の時間もいよいよ最終章となってきました。今日は取って置きの最後の史料を紹介します。この文書は福岡藩、黒田長政によって書かれた、藩士の心得を説いた布告文書で、元和3年(1617)は丁度400年前になりますが、江戸時代初期の武家文書です。これほど古い史料が一般の家庭に残っていることはほとんど稀であり、余程家宝として大事に保管していた事と思われます。

 

一昨年のNHK大河ドラマ、黒田官兵衛をご覧になったことと思います。

ドラマの中では官兵衛の家臣に3人の重臣がいましたが、

第1家老の栗山大善は、近頃人気沸騰の浜田岳が演じていました。

第2家老の井上九郎右衛門には高橋一生が、

もう一人の重臣の母里太兵衛を速水もこみちが演じています。

母里太兵衛は黒田節のモデルであり、福島正則から、酒の大盃を一気に呑み干して日本号の槍をせしめた豪傑です。

栗山大善は黒田長政の子・忠之の時に、その行状をみかねて幕府に訴えます、所謂黒田騒動です。裁定の結果、藩は存続し本人は奥州盛岡藩の預かりとなります、この時に官兵衛の愛用した兜・赤合子(ごうす)も一緒に盛岡に持って行きます。従って、兜は東北に存在します。

井上九郎右衛門は、別府石垣原の戦いで、吉廣加兵衛率いる大友勢を激戦の末、打ち負かす武将です。井上九郎右衛門は1万2千石の家老でしたが、黒田騒動の後追放されます。

 

その井上九郎右衛門の子孫が日田にいると聞いてビックリしました、しかもよく知った方で、二度びっくりしました。井上秀樹さんといいます、現在中央通りの自治会長をなさっていますが、さすが井上九郎右衛門の子孫だけあって選挙のたびに、いつも選挙参謀をしておられるようです。井上氏から、見せて頂いた物が今回の史料です。

 

井上家は、その後何度かお家再興を試みますが、望みはかないません。江戸時代末期の天保12年(1841年)に久留米の有馬藩を介し福岡藩へお家再興を願い出ますが、有馬藩は動いて呉れたのですが成功しませんでした。

この詳細は井上家史料の中にありました。

本史料では、井上九郎右衛門が筆頭家老で、栗山大善丞が末席ですが、これは九郎右衛門は非常に長生きであったようで、栗山大善は息子の代に替わっているのです。

 

このように古文書は非常に面白いです、謎を解いていく気分は推理小説そのものでワクワクします。

会長の時間37 平成28年5月25日(水)

2016年05月25日



日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎

本日の職場例会は昭和学園高校にお邪魔しています、草野理事長、岡崎教頭、草野浩輔教諭には大変お世話になります。

校舎が新しくなって、私は2度目の訪問となりますが、改めてホテルのようなモダンな校舎に、こういう校舎で勉強できる学生は幸せだなと羨ましさを感じます。学生さんも大変喜んでいることでしょう。

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私達の学生の頃の校舎は、木造2階建て、隙間づくり、夏は暖房、冬は冷房完備の粗末な教室でした。

それが当り前で特に文句もありませんでした。しかし、高校生活は、青春時代そのものであり、勉強もあり、悩みもあり、恋もあり、人生の本当のスタートでありました。高校時代の友人は今も親しく付き合っています。

学ぶということは、

1・教える先生の強い情熱

2・学ぶ学生の強い意欲

3・社会状況や教育環境  等々が大いに影響するのではないかと考えます。

 

2年前の大河ドラマ「花燃ゆ」には幕末の松下村塾が出ていましたが、吉田松陰は松下村塾で、そもそもどれくらいの期間教えていたと思いますか?

調べてみたら、わずか2年9か月です。

安政元年(1855)には黒船に密航しようとして失敗し投獄されます。

安政2年に、出獄し自宅蟄居

安政3年3月から、幽囚室で近所の若者に講義を始めます。 (それから1年8か月後の)

安政4年11月、塾生が増え、部屋を増築し

松下村塾と名前を改めて講義を始める。  (その1年1か月後の)

安政5年12月、安政の大獄でとらえられる        (この間わずか2年9か月です)

安政6年、斬首 享年29歳

しかし塾生が凄い、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山形有朋、吉田俊麿、入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義等々。

教える方と学ぶ方の情熱のぶつかり合いが凄かったことでしょう。

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私たちも、同じく3年間高校で勉強しました。自分たちに学ぶ意欲がなかったのでしょうか、あるいはたまたま先生方の情熱が低かった時でしょうか。

一方、咸宜園は92年も続いています。

 

これから先、日田市の将来は、公立校より私学の双肩にかかっているような気が致します。これからも頑張って下さい。

平成28年熊本地震復興支援 募金活動に協力

2016年05月21日

日田市まつり振興会が行った熊本地震復興支援募金活動に協力し、21日、22日の2日間、日田川開き観光祭の中、街頭募金活動をしました。

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嘉義玉山扶輪社17周年授證慶典(祝賀会)及び日田、玉山友好クラブ更新調印式 報告

2016年05月18日

頓宮会友が報告しました。

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会長の時間 嘉義玉山ロータリークラブ17周年授證慶典(祝賀会)及び日田、玉山友好クラブ更新調印式

2016年05月18日

嘉義玉山ロータリークラブ17周年授證慶典(祝賀会)及び日田、玉山友好クラブ更新調印式

日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎

先週、5月11日は嘉義玉山ロータリークラブと友好クラブ締結書の更新調印式の為、嘉義玉山ロータリークラブ17周年授證慶典(祝賀式典)に出席して来ました。日田からの参加者は、織田、佐竹会友、橋本会友、諌山会友、井上太香美会友、頓宮会友、中野会友の7名です。

11日は早朝から江藤幹事見送りの中、日田を出発し福岡空港、桃園空港、それから新幹線で3時ごろには嘉義に着きました。嘉義駅には玉山ロータリークラブの会員が出迎えてくれました。

ホテルで一休みの後、6時前に式典会場に入り、式典は6時から始まり7時半まで続き、それから祝宴会へと移り9時半ごろまで、500名の出席者で多いに盛り上がりました。


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式典では、舞台の上と下に横1列にならんだ雛壇を作り、中央に会長夫妻、左右に来賓がずらりと並びます。中央会長夫人のすぐ左横に日田ロータリー会長の席は設けられ、緊張した時間を過ごしました。全く言葉の分らない祝辞や出席者の紹介などが続くのをぼんやり聞いていたところ、急に自分の名前を呼ばれて、あわてて立ち上がりましたが、危うく椅子ごとひっくり返りそうになりました。

友好クラブ締結書への署名式は式典の早い段階に行われ、条約文書に署名をしました。

次に会長プレゼントの交換が行われましたが、プレゼントには、今年度職業奉仕賞を贈呈した相沢秀一さんの漆器を持参しました。

その後、嘉義玉山ロータリークラブから熊本地震に対するお見舞いの言葉と、義援金として20万円を託されました。 早速、日田ロータリークラブの義援金60万円と合わせ、熊本地震総合支援室に送るよう手続きを取ります。広報委員会もこの件について宜しくお願いします。

 

その後祝辞では、まず台湾と、嘉義玉山クラブからの、熊本地震に対するお見舞いと義援金に対するお礼を申し上げ、次に日田ロータリーでは3月に「KANO」の上映会を開催し、戎台湾総領事の講演を行った事、台湾南部地震の為の募金箱を設置し19万5千円が集まり、同時に日田クラブからも10万円の寄付を現地に送った事等を伝えました。

祝辞も無事終え、その後も式典はしばらく続きますが、やがて何処からともなくテーブル毎に飲み始め、目の前の日田クラブのテーブルでも酒盛りが始まり、私は壇上から恨めしく眺めるばかりでした。

祝宴は7時半から始まり、日田クラブのメンバーも旧知の会友の方と盛んに交流の乾杯を重ねておりました。台湾式の乾杯は飲干すのが礼儀であり余程用心していたのですが2名ほど犠牲者が出ました。犠牲者には心から同情します。

祝宴では、嘉義玉山クラブが大歓迎をしてくれまして、いろいろな出し物を用意していました。余興のダンスはテンポよく軽快な振り付けで、大人も子供も、男性も女性も、本当にかわいらしく、楽しく踊っていました。あの踊りはいいなと感心しながらながめました。

2次会、3次会と付き合った猛者もいますが、私は2次会で退散しました。

 

12日は嘉義のメンバーに朝から昼食まで案内して頂き、午前中には新しく完成した故宮の別院である南院を見学しました。入館予約が急だった為に嘉義の会長が手配をしてくれたようです。

有名な翡翠の白菜が入り口の1番に展示してあり、これが例の白菜かとじっくり観察しました。会場内は精巧な玉の製品や、透き通るほど薄く削った玉のお茶碗などがあり、その細工には感心しました。また有田の磁器もたくさん飾ってありました。

午後は嘉義から台北に移動し夕食には台湾料理を堪能しました。

 

翌13日は、午前中に九份に行き、千と千尋の神隠しの湯婆婆の屋敷でお茶を飲みましたが、天瀬の高塚とはだいぶ規模が違うようでした。

午後からはもう帰り支度となり、日田には10時半に帰り着きましたが、高速道で日田に近づくと、しだいに我町日田が世界で一番良い町だとじんわり感じられ、井上さんと2人で日田はいいなと言いながら帰って参りました。

「私の履歴書」

2016年05月11日

石松会友が「私の履歴書」と題し卓話しました。

PH卓話

会長の時間

2016年05月11日

会長の時間

副会長 功能重雄

※会長が友好クラブ調印式で台湾訪問のため

「真名 仮名について」  日本列島は、元来、無文字社会であった。アイヌ語も、文字はなく音声、歌で伝承されてきた。  奈良時代、中国から漢字が伝来し、漢字のことを真名(まな)という。仮名(かな)は、仏典を読むのに音訓の読みだけを用いた万葉仮名に始まり、借字(かりな、かんな、かな)に由来する。  片仮名は、不完全を意味し、たとえば、多(タ)伊(イ)江(エ)牟(ム)平仮名は、平安時代、漢字の草書体から草仮名、更に簡略化されて平仮名となった。

PH会長

 

会長の時間36 平成28年4月27日(水)

2016年04月27日

日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎

今回の、4月14日、16日の大地震では、熊本、大分の両県は甚大なる被害に見舞われました。特に熊本県の益城町、西原村、南阿蘇村では言葉では言い尽くせないほどの凄惨な状況です。被害にあわれた方々には心からお見舞いを申し上げます。

 

一方ロータリーでも2720地区は大分、熊本が地盤であり、その全域に被害が広がっています、被災されたロータリアンも多数おられることと思います。

2720地区では、ガバナーエレクトの事務所に熊本地震総合支援室が設置されました。そこから

  • クラブ会員の被害状況の報告(地震の影響で3日以上業務が出来なかった会員を報告)
  • 被災者支援及び義援金のお願い

の通達がありました。(ところで皆さんの被害状況は如何でしょうか?)

早速、埼玉県の戸田イブニングRCから、10周年記念事業を取りやめ、その資金をすべて義援金として送りたいがどうすればよいかと事務局に問い合わせが有りました。そこで新設された熊本地震総合支援室の口座を連絡致しました。

我々日田クラブもこの状況にどう対処すればよいのか、どういう援助が出来るのか、本日の理事会で検討して参りたいと考えています、皆様のご協力を宜しくお願い致します。

 

また、この地震の影響で、日田中央クラブは40周年の記念行事を半年間延期することを決めました、この対応に苦慮している模様です。我々日田クラブでも20日の例会は休会と致しました。

宇土RCの30周年事業も延期との連絡がありました。玖珠クラブも延期のようです。

 

被災された住宅はもちろんですが、熊本城や阿蘇神社の姿を見ると、地震の恐ろしさが、真面に伝わって来ます。今回改めて、布田川断層や日奈久断層など認識しました。別府―万年山断層帯にある何本も入り組んだ断層を見ると、益々心配になってきます。有感地震も900回を超え最高になりました。一刻も早く終束してくれることを願います。

 

私のメモには、14日、9:26分 ポケットの携帯が、警報音と共に振動した、一瞬何が起こったのか分らなかった。3回目の警報音と共に回りがカタカタと音を立て始め、次第に激しい揺れと変わり、家ごとグラグラと揺すられていった。不安になって大黒柱のそばに移動したが、ストーブの火は消えなかった。NHKに変えると日田は震度4だった。

16日の本震はもう一回り大きな揺れでした、中にはこの地震に気付かなかった強者もおられるようです。天瀬地区は簡易水道が濁り、我家の水道水は茶色になり1週間ほど給水車の世話になりました。

天瀬から日田に来る間でも、神ノ釣のトンネル入り口の崩落等、運転中気付いただけでも5ケ所程崖崩れが起こっていました。

 

これから先は次第に収束に向かうと思われますが、自らの安全と被災地支援を考えて参りたいと思います。

6月の例会予定他

2016年04月25日

・6月 1日(水)
次年度クラブ協議会
理事会

・6月 8日(水)午後6時30分  日田市の歴史の宿亀山亭
家族会 夜間例会

・6月15日(水)
献血例会

・6月22日(水)  日田市の歴史の宿亀山亭
会長卓話 織田荘太郎会長

・6月29日(水)
休会

5月の例会予定他

2016年04月24日

・5月 4日(水)

休会

・5月 7日(土)

宇土RC創立30周年記念式典
ホテルニューオータニ熊本 中止

・5月11日(水)〜13日(金)
台湾友好クラブ再調印

・5月11日(水)  日田市の歴史の宿亀山亭

会員卓話 石松雅彰会友

・5月18日(水)午後0時30分  日田市の歴史の宿亀山亭
台湾再調印報告

・5月21日(土)
玖珠RC創立35周年記念式典 望山荘 延期

・5月25日(水)
職場例会 昭和学園高等学校

・5月28日(土)〜6月1日(水)
韓国ソウル国際ロータリー年次大会

4月の例会予定他

2016年04月20日

・4月 6日(水)午後0時30分  日田市の歴史の宿亀山亭

雑誌月間 北郷太門雑誌委員長 ・理事会

・4月10日(日)

地区研修協議会

・4月13日(水)午後0時30分  日田市の歴史の宿亀山亭
地区大会報告

・4月20日(水)

休会のまま

・4月23日(土) 日田市のマリエールオークパイン
3クラブ合同例会
日田中央RC40周年記念式典 →中止(秋ごろに延期となります)

・4月27日(水)午後0時30分  日田市の歴史の宿亀山亭
ロータリー情報月間 田嶋R情報委員長
理事会

会長の時間35 平成28年4月13日(水)

2016年04月13日

地区大会報告

日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎

3月26~27日に地区大会が、熊本市民会館崇城大学ホールで開催されました。

出席者は日田クラブから織田、佐竹委員長、江藤幹事、松本会友、永田会友、田嶋会友、諌山会友、井上会友、石松会友、原会友、森山会友、湯浅会友、一の宮会友、中西会友の14名です。

 

大会ではRI会長代理に、2008~9年にご自身もRI会長を務められた李東建(イドンカン)氏が来られ、アドレスと最後の大会所感を述べられました。アドレスでは、変化を受け入れ、もっと懸命に努力しなければならないと、そのように述べられました。

地区大会には、韓国や、台湾からも多数参加されていましたが、休憩時間にステージ上の李東建RI会長代理の許へ、挨拶や写真撮影の為に韓国の参加者が全員ステージに上り行動する姿は日本人とは少し違うなと感じました。

 

大会はコンパクトに速やかに進行していきました。

メインプログラムの「ポリオ ダバイ ピライエ」とは耳慣れない言葉ですが、ポリオ撲滅の為の活動を、パネラーの奉仕活動や体験談を通して我々に紹介し、教え、そして喚起する大変興味深いプログラムでした。パネラーは6名です。

1人目は、福祉活動などに経験豊富な、地元熊本放送局の女性アナウンサー。

2人目が、ポリオ投与の為に今回インドでの活動に実際に参加された、野田ガバナー御本人。

3人目は、ポリオ投与活動を長年主催しておられる、代表でエキスパートである医師のロータリアン

4人目は、小児まひにかかり、マヒが残り今も車いす生活ですが、立派に工場長を務めておられる方

5人目は、ポリオ投与のインド旅行に初めて参加し、その意義に大変感動している若いローターアクトの女性

6人目は、同じくこの活動に参加した若いロータリアン。

以上6人のパネラーが、それぞれ活動と経験を踏まえたしっかりした話をされました。

 

昔し、日本にポリオが流行しワクチンがなく困った時期、アメリカでもポリオが流行し自国の対応に追われていた、その時国交のないソ連から大量にワクチンが送られてきた事。

ポリオに感染してマヒの為、車椅子の生活だが、工場長を任され立派に務めている方の話。

ローターアクトの女性は、この活動に初めて参加し、その意義に感動し、機会があればまた参加したいと話していました。

ワクチンの投与は、舌の上に2滴ほどワクチンを垂らし、投与の済んだ人には手の小指の爪に黒のマーキングをする。この色は長期間落ちないそうです、すでに投与の済んだ子がほとんどだそうです。

野田ガバナーご自身も、この日の為に事業に参加され、インドまで行き活動されています。

本当に、誠実に、確実に行動する、野田ガバナーの本質を見た気がして、今までにない取り組みだと非常に好感を持ちました。

野田ガバナーご自身も、インドでのポリオワクチン投与活動の報告を通じ、ポリオについての理解を深めるにとどまらず、我々は何をなすべきかという問題提起が出来たのではないかと、手ごたえを感じておられるようでした。

 

次にもう一件、別府北ロータリークラブのグローバル補助金を使った事業報告に、難しい事業によくぞ取り組んだと、感心しました。我々日田クラブは地区補助金を利用して、単独でミャンマーに学校を建てましたがその時にグローバル補助金の難しさに気付いていました。

グローバル補助金は単独クラブではなく、いくつかのクラブと共同して計画をしなければなりません、その代り補助金額はけた違いに大きくなります。別府北クラブの場合は、自己資金60万円に対し、総事業費1130万円となっています。日本からは別府北クラブのほかに6~7クラブが参加し、相手国タイではクロイントRC外19クラブが参加、共に協力してタイ バンコックのソムチェックホスピタルに2台の最新型人工透析器を寄贈した事業だそうです。

2720地区にグローバル補助金推進チームを作って進めたと伺っていますが、よくこれだけの数のクラブをまとめる事が出来たなと改めと感心させられました。

 

会長の時間34 平成28年4月6日(水)

2016年04月06日

名字について

日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎

 

近頃、「夫婦別姓」という言葉を良く耳に致します。

西日本新聞1月9日の記事に、伝統でない「夫婦同姓」という論評がありました。

(記事では)日本に戸籍制度が確立したのは「壬申戸籍」によってであり明治5年の事である。これを機に身分制度を担ってきた「姓」「氏」は解消され「名字」となった。「名字」は3年後義務化されたがどんなものでも届け出さえすればよかった。そもそも江戸時代まで武士は「夫婦別姓」であり、庶民には公的な姓も氏もなかったのであるから、まさに「適当」につけたはずである。・・以下省略

 

江戸時代には百姓町民には名字がなかった? ・・・これは本当でしょうか、嘘でしょうか?

江戸時代武士階級は「夫婦別姓」であった? ・・・これは本当でしょうか、嘘でしょうか?

 

まず、庶民には公的な姓も氏もなかったのであるから、まさに「適当」につけたはずである。という表現は、かなり乱暴な表現をしています。

明治3年、平民苗字許可令が出されますが、世間ではあまり関心がありませんでした。

明治8年、平民苗字必称義務令が出されて、一般平民すべて名字を持たなければならなくなります。

この時庶民は、皆適当に名字をつけたと思っておられる方が多いと思いますが、これは間違いです。

江戸時代は、百姓町人に名字を公的に名乗ることを許さなかっただけで、名字を消滅させたり、取り上げられてしまった訳ではありません。公文書には百姓町人の名字は載っていませんが、私的なお墓、鳥居、庚申様、神社奉納帳などのものには、ちゃんと名字が見られます。これは、名字自体を庶民の多くが、かなり高い確率で保持伝来していたということです。江戸時代は250年続きます、その間には名字が分からなくなった人もいるかも知れませんが、それはごく少数派です。

そう言う訳で、その時に適当に名字をつけた人もいた、という表現が正しいと思います。

 

次に、江戸時代の武士階級は夫婦別姓だった。これは本当です。

武士は男の世界であり、男が武士の「家」を継ぐが、しかし「妻」はよそ者だという概念でした。

明治5年には名字の変更が禁止され、そこで問題になったのが「女は結婚した後、生家の名字を名乗るのか、夫の名字を名乗るのか」ということです。

政府が「夫婦別姓」を堅持したのは、「家」は血族を持って構成されるべきで、「妻」は外部の者だから、「家」の姓から除外すべきである、とする考え方です。政府には、武家出身者が多く武士の習慣が民法に適用されたのでしょう、これは明治9年から明治31年まで続きます。

この間、「夫婦同姓」の伺いが何度か出されていますが、政府は聞き入れません。しかし、庶民の方は「夫婦同姓」が慣習であり、いくら政府が「夫婦別姓」を説いても従えなかったという訳です。これによって、明治31年に民法が執行され、ようやく「夫婦同姓」となります。

 

それから120年後の今、再び選択的「夫婦別姓」論が出て来ました。明治時代とは意味合いが違うでしょうが、以前「夫婦別姓」から「夫婦同姓」に何故変わったのかご存じなのだろうかと、心配になります。

NEW日田いち

2016年04月06日

 

日田いちのスタッフの皆さんがPRに来訪されました。

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会長の時間33 平成28年3月30日(水)

2016年03月30日

ミャンマー出張報告 : ミャンマー小学校へ井戸寄贈・工事完成視察

日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎

 

  • これまでの経過

日田ロータリークラブ創立50周年記念事業の一つとして、ロータリー財団の補助金を利用し、ミャ

ンマー・キータンゴン村の小学校改修を計画し、2012・12に現地を視察しました。

丁度2年前の、2014・04・01 小学校が完成しているつもりで出かけましたが、柱と屋根ばかりで、茫然自失のまま帰国しました。その2か月後の6月、新校舎が完成し開校式に出席、6月14日の50周年式典に漸く間に合いました。

それまでの竹とヤシの葉造りの粗末な校舎から鉄骨レンガ造りの頑丈な学校に変わり、その結果、公立小学校となりました。先生も国から派遣され、授業料も無償になり、今まで学校に行けなかった児童も通学できるようになって、生徒数も60人に増えました。

去年(2015)1月学校完成後の交流として、小学校にノートや鉛筆を届けに行った際、児童達の

飲料水の事情が非常に悪いことを知らされ、井戸を掘って欲しいとの要請がありました。

小学生の飲料水の状況は、雨季には雨水を甕(かめ)に貯めて飲み、乾季には40分以上かけて井戸のある場所から水を汲んで来るか、学校近くの緑色に濁った川の水を汲んで甕に貯め、沈殿させ、その上澄みを飲むか、だそうです。ミャンマーの児童たちでもお腹を壊す子が多いとのことでした。

 

  • 現地の状況

キータンゴン村の要請を受け、再びロータリー財団の補助金を使い、キータンゴン村小学校とワッチ

ョン村小学校の2校に井戸を寄贈することを決定しました。乾季に入って工事が始まり、2月29日

に井戸の完成を視察に行きました。

○ワッチョン村の小学校は、中学校が併設された大きな学校でした。

小学生120人、中学生110人、合計230人の児童生徒。

井戸は 67m掘削。(ボーリング)

○キータンゴン村小学校は、中学校が新たに増設されて、床面積が2倍の大きさになっていました。

小学生56人、中学生13人、合計69人の児童生徒。

先生は5人に増員。

井戸は 80m掘削。

両校とも水はよく出ます。日本の水のように清らかな水ではありませんが、水槽に水を溜め下部に沈殿させ、上の方の水を使います。

キータンゴン村小学校は、驚いたことに中学校が増設され、床面積が2倍の大きさになっていました。村の近くに住んでいるお米工場の社長が、去年、たくさん利益が出たので寄付をしてくれたとのことです。生徒数も69人、先生も2人から5人に増えました。学校が次第に発展していく姿を目の当たりにすると、この事業に取り組んだ意義は大きかったなと喜んでいます。

キータンゴン村とワッチョン村から、井戸と水槽の寄贈について感謝状を戴きました。

 

ミャンマーの小、中学校では、3月から夏休みに入っています。今回我々の為にキータンゴン村では特別に、この日に終業式を行うということで小学生だけ出席してくれました。ワッチョン村の小学校でも、わざわざこの日の為に小学生が数十人集まってくれました。

ワッチョンの小学校で、日本を知っていますかと尋ねると、全員「知らない」でした。

キータンゴン小学校では、全員「知っている」と手を挙げました。

そこで、Mr・橋本を知っていますかと尋ねると、全員「知っている」と答えました。名前も覚えていてくれました。さらに、Mr・織田を知っているかと尋ねると3割ぐらいが手を挙げました。喜ばしいことです。

因みに、橋本会友は6回もミャンマーを訪れています、田嶋会友が4回、私が3回、北川会友と頓宮会友がそれぞれ1回ずつ、全部で15回も交流を行ってきました。

 

  • 将来、及び感想

ヤンゴンに2年前に行った際は、乗用車は全て廃車寸前の日本の会社名の入ったままのポンコツ車でしたが、今回は、たった2年の間に日本と全く変わらない立派な中古車に全て代わっていました、ナビやETCも装備されていますが、もちろん使えません。日本車が9割以上、そのうちトヨタが断然多いようです。街並みも綺麗になり、ヤンゴン市内では建設ラッシュです。田舎も、ヤシの葉の家から木の板壁の家にかなり代わって来ています。特に都会はダイナミックに変化しています。

今回の視察では、ヤンゴンから車で2時間、そこでバイクの後ろに乗換え、40分かけワッチョンの村へ、そこからさらに30分かけキータンゴン村へ、さらに40分かけて元の地点に戻ってきました。

バイクの後ろでは、体を柔らかくし揺れに任せていないと振り落とされます。案内してくれたイーモンさん(女性)は、日傘をさしてしかも横座りです、まるで曲芸師のようです。前回より距離が短く感じました。

 

これからは、日本などの資金と技術の導入が加速されるでしょうから、年々発展していくことは間違いありません。キータンゴン小学校などにもみられるように、国民に向学心があり、将来が楽しみな国です。治安は良く、親日的で、国民性は温和で怒鳴り合う姿を見たことがありません。

「人に悪いことをしたら、自分に帰ってくる」という仏教的思想が根底にあるように思います。

日田ロータリークラブとしても、何らかの形でこの国とのご縁を継続できたらと思います。

 

 

 

 

 

 

台湾南部地震の義援金を届けました

2016年03月23日

3月19日にパトリアで映画KANO上映会を開いた際に、会場で今年2月に発生した台湾南部地震への義援金を募りました。

会場で集まった募金は19万4978円。クラブからの義援金と合わせ台北駐福岡経済文化弁事処の戎義俊処長に届けました。

橋本信一郎奉仕プロジェクト委員長、織田荘太郎会長、戎処長、藤井日田中央RC会長

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ミャンマー井戸寄贈を記者クラブで報告

2016年03月23日

日田ロータリークラブ創立50周年記念事業の一つとして小学校建設をしたミャンマーキータンゴン村に、井戸を作り、3月16日記者クラブで報告しました。

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キータンゴン村は、ヤンゴンから車で西に2時間、さらにバイクに乗って南に小一時間の電気も水道もない人口250人の田舎ですが、鉄骨レンガ造りの頑丈な学校となり、その結果、村営から公営の小学校に認定され、生徒数も60人と増え、授業料や先生の給料も政府から出るようになりました。翌年、日田クラブより小学校にノートや鉛筆を届けに行った際に生徒達の飲料水の事情が非常に悪いことを知らされ、井戸寄贈の要請がありました。

小学生の飲料水の状況は、雨季は屋根に降った雨水を樋で水槽に貯め、乾季には40分以上をかけ井戸のあるところから水を汲んで来るか、または、近くの緑色に淀んで濁った川の水を汲んで水槽に貯め、それに石(何か薬用効果のあるものか?)を入れて沈殿させ、その上澄みを飲んでいるのだそうです。さすがの生徒たちもお腹を壊す子が多いようです。

再びロータリー財団の補助金を申請し、キータンゴン村の小学校とワッチョン村の小学校の2校に井戸を寄贈することを決定。工事は乾季に行われるので2月29日に井戸掘削工事の完成を織田会長と橋本奉仕プロジェクト委員長の2名が視察に行きました。

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掘削が浅いと水質が悪いため、約70mの深さまで掘っています。

両校とも水はよく出ます、日本の水とまではいきませんがほぼ透明です。水槽下部を沈殿層として使い、その上に水道蛇口を取付け上部の水を使います。

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建物向かって左側半分が日田RCが建設した小学校、右側半分はその後増設されていた中学校

キータンゴン小学校は中学校を増設し、先生も2人から5人に増え学校の床面積も倍増し、この学校が次第に発展していく姿を見ると、この事業の意義は大きかったなと喜んでいます。キータンゴン村とワッチョン村の役所から、井戸と水槽の寄贈について感謝状を戴きました。

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ワッチョン村の井戸

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織田会長(左)と橋本奉仕プロジェクト委員長

 

記者クラブでの報告当日にOABテレビのOABニュースで放送されました。また、大分合同新聞にも取り上げていただきました。


会長の時間32 平成28年3月23日(水)

2016年03月23日

「KANO」 上映会を振り返って

日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎

3月19日(土曜日)パトリアで映画KANOを、2クラブ合同で、日田中央では40周年記念事業として、上映会を行い成功裏に終了した事を皆様と共に喜びたいと思います。 これは偏に、会友皆様の御協力と、若い会友が夫々の役割を果たして貰ったおかげだと深く感謝致しています。

当日の入場者数は、主催者側の発表で900人、パトリアではでは800人と、どちらにせよ大盛況であり、大成功であったと喜んでいます。お客様の目には涙、我々の目にも涙、しかし、私は閉会の辞をトチってはならないと、とても映画も会場も楽しむ余裕等ありませんでした。

 

台湾南部地震の為の募金は?・・・194,987円 と 139元(475円)と予想を大きく上回る、20万円近い額が集まりました。来場者の御好意に感謝致します。

当日取材の新聞社には、早速このことを連絡しました。大分合同は翌日掲載してくれました。

(西日本からも23日に掲載と知らされましたので、てっきりKANOと思い込んでいたら、ミャンマーの方でした。我ながら少し出過ぎと思いました。)

 

またこの募金は、3月22日(昨日)日田中央クラブの藤井会長、日田クラブから橋本会友と私の3名で、福岡の台湾領事館、戎総領事の所へお届けしました。領事館は桜坂の一等地にありました。

この時に、募金とは別に、日田ロータリークラブからも義援金として10万円を共に届けて参りました。台湾衛生保健部(厚生省)で受け付け、1,2か月後に受領証が送って来るそうです。

戎総領事も、これほど大規模な上映会は初めてと喜んでおられました。

 

戎総領事の講演の中に、日本の武士道精神が出てきましたが、昔、武士道精神を学んだ台湾に日本の精神が息づいているのに、当の日本には何処に日本精神は残っているのだろうと改めて考えさせられました。情けなくもあり、反省し、発奮の材料にして参ります。

 

2クラブ合同のKANO上映会は、

当初、両クラブのKANOを見て感動した会友が、ぜひこれを皆に見て貰いたい、特に若い高校生に見て欲しいという声が次第に大きくなり、2クラブ合同の上映会へと発展しました。立ち上げから8ヶ月間、毎月役員会を開き、計画、検討、実行と、役員はそれぞれの持ち場で取り組んできました。台湾総領事の講演もお願いしました。

 

日田RC、及び日田中央RCがこれほど真剣に、親密に取り組んだことは近来なかったのではないでしょうか。我々も、心から中央の会友と打ち解けあい、このような機会を得たことは、我々にとっても貴重な経験でありました。

また、何もないところから、皆で力を合わせて作り上げてきた、このKANOのプロジェクトが成功した事は、なによりの喜びです。

 

日田中央RC、日田RCの役員と会友の皆様、大変お疲れ様でした。今後も相互の友好が続くことを祈念しています。

会員卓話 藤川和央会友

2016年03月23日

株式会社モンリクの藤川社長の卓話。

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映画KANO上映会

2016年03月19日

パトリア日田で映画KANO上映会を開きました。

上映に先立ち台北駐福岡経済文化弁事処 戎義俊氏に講演をしていただきました。

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