会長の時間

会長の時間8

2022年09月21日

日田ロータリークラブ会長 石松雅彰 

 

本日の会長の時間は、9月17日(土曜日)に行われました「別府ロータリークラブ創立70周年記念式典」について報告いたします。

 この式典については、8月理事会にて協議し、当クラブの50周年に別府ロータリークラブより12名の登録をいただいており、また当クラブの60周年式典を次年度に控えていることから数名程度の登録が望ましいとの判断から、次年度会長、幹事を中心に4名が参加いたしました。会場には膳所ガバナーエレクトもご来賓として出席されていました。

 式典会場は別府市公会堂で、この会場は70年前の昭和28年4月、チャーターナイトの会場ともなった、ゆかりの深い場所とのことでした。

 私の勉強不足で、別府ロータリークラブの歴史や伝統など何も知らずに参加いたしましたが、主催者のご挨拶や祝辞において、創立の経過や背景、活動の歴史などが披露されましたので、その一部をご紹介いたしたいと思います。

 クラブの創立は、大阪ロータリークラブと大分ロータリークラブがスポンサークラブとなって1952年(昭和27年)9月8日にRI加盟承認を受けたもので、戦後復帰後の新設クラブとしては大分で2番目、九州で8番目、全国で44番目に当たるとのことでした。

 大分RC杉原正春会長のお話によりますと、戦後間もないころ、大分の首藤定氏を中心とする「自由懇話会」と別府の亀の井ホテルに集う「木曜会」に、大阪RCのチャーターメンバーである星野行則氏が度々参加していたことから、首藤氏と星野氏が中心となって大分、別府合同のロータリークラブを作ろうという話になり、昭和25年12月14日「大分、別府ロータリークラブ」が誕生したそうですが、二つの市にまたがるロータリークラブは如何なものかと国際ロータリーからクレームが付き、やむを得ず「大分ロータリークラブ」として昭和26年4月23日に正式承認を得て、別府については将来、分離独立するということになったそうです。

その後、既定方針通り、1年半後の昭和27年9月「別府ロータリークラブ」誕生となったもので、大分RCと別府RCは双子のような関係にあるとのことでした。

そのため、別府ロータリークラブのチャーターメンバーには「大分ロータリークラブ」からの移籍会員が8名おられたそうです。

また、堀川貴史ガバナーからは祝辞の中で、「別府という地域とロータリーのつながりは古く、今から約83年前、1939年4月、当時のRI「70区」(日本、朝鮮半島、台湾)の地区大会が、福岡ロータリークラブがホストクラブとなり別府にて開催されており、ロータリークラブがない都市での開催は初めてのことであった。」とのお話もありました。

 しかも、その時の会場もこの別府公民館であったそうで、現在の公民館はリニューアルされてはいますが、当時の雰囲気を残す格式のある建物でした。

別府ロータリークラブは、現在会員数39名、うち女性会員が4名で、今回の70周年記念事業は、女性会員が中心となって奉仕活動をしたプロジェクト事業であるとの話もありました。

また、小野哲夫実行委員長は、今回の70周年記念式典に当たって、二つのことを決めて準備してきたと話されました。

 一つが、「全員参加」、全ての事柄を話し合いで決定し、進めていくというやり方です。

このことは、入会間もない新しい会員が、この事業に係ることがロータリーに対する理解や、クラブの歴史を知る最も良い機会となると考えたからだと述べていました。

コロナ禍で、全体で集まることに制約があることから、委員会ごとに集まって準備を進め、大会幹事のもとに情報を集約して、幹事を通じて他の委員会等に情報提供を行い、情報の共有化を図ったとのことでした。

 二つ目は、コロナで痛めつけられた地元、別府のためになる事業をしたいということでした。観光地別府は観光産業を中心に経済的に大きな痛手を受けていますが、間接的には殆どの市民が影響を受け、その影響は最も弱い立場の人々、とりわけ女性や子供たちに、より大きな打撃となって現れており、そのような人々の役に立ちたいとの思いで、

70周年記念事業を企画立案してきたと話されていました。

 時間の都合で、記念事業の内容は紹介できませんが、今回の式典参加は次年度に60周年を迎える我々にとって参考になる面も多く、意義のあるものとなったと感じています。 

 会長の時間を終わります。