会長の時間

0年0月0日

会長の時間8

2020年09月23日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美 

 9月末日をもって人生において初めての定年を経験します。平成15年10月1日に、日田家庭裁判所及び大分地方裁判所日田支部の調停委員を拝命してから17年の任期が終了します。私は家事と民事の事件を担当してきましたが、いくつかの忘れられない事件があります。


ああすればよかった。こうすればまとめられたのではなかったかと反省する調停もあれば、よくあの事件をまとめたものだと自負する調停もありました。

私が調停委員になりたての頃は特定調停事件がたくさんありました。平易な言い方でいえばサラ金事件です。あの当時のテレビのCMは24時間サラ金会社のものでした。いかにも簡単に融資が受けられるような内容でしたし、簡単に借りることができました。ただ借りたお金は返済しなければならないこと、金利が発生すること、返済が滞れば取り立てが厳しくなるということが忘れられていたようです。悲しい事件がたくさん起きました。そこで違法な金利や取り立てから、借主を守るために法律ができたのです。金利の計算方法も知らない者が計算式を学び、プロの業者と渡り合うのですから大変でした。借金の返済方法や生活再建の指導をしたこともあります。この時に感じたことは多重債務者即ち借金を借金で返済しなければならなくなった人の金に対する認識の甘さです。もちろんやむに已まれぬ理由から多重債務者になった方もいましたが、遊行費につぎ込んでそれになる人の割合が多くみられました。


家事事件では離婚調停に多くかかわりました。本人たちが離婚するのは構いませんが、子供たちがそのトラブルに巻き込まれて行く過程は悲しいものがありました。相続のトラブルもたくさん見ました。その中から私が学んだことは、

1、収入に見合った生活をすること(身の丈発言は問題になりましたが)

2、夫婦仲良く、互いに誠実に接すること(夫婦は他人であることを忘れないで)

3、余分な財産は残さないこと(喧嘩の種になる)

良い経験をさせてもらいました。

会長の時間7

2020年09月16日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美 


何気なくロータリーの友9月号を開きました。今月はその記事の中から思うことをお話しします。


タイトルは「変態が改革する多様性社会」。講演者は出口春明氏、立命館アジア太平洋大学学長です。ページの上部の方に目をやると、2019年11月9日 国際ロータリー第2720地区地区大会記念講演要旨と記されています。つまり昨年中津で行われた地区大会の講演の要旨でした。ということは、昨年参加された方はまだ記憶されていると思いますが、面白い記事だったのでここでお話することをお許しください。

また時間にも制約がありますので、詳しくはロータリーの友9月号でご確認ください。


 私たちの年代(団塊の世代と言われる年代)には成功体験があります。令和の時代になっても、まだ日本の技術は世界一とか、日本は先進国と信じている人がたくさんいます。今から30年前、確かに日本の国際競争力は世界で1位でした。世界のトップ企業20社のうち14社が日本企業でした。ところが現在は0社ということです。現在の世界のトップ20社は、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン等のIT企業です。特にこの4社は創業14年にしてトヨタ自動車の約2倍の時価総額を持っているそうです。さらにこれらに追随する企業群をユニコーンと言うそうで世界で380社ぐらいありますが、その中に入る日本の会社は3社位でしか無いと言うことです。


なぜこんなに凋落したのかというと、日本が得意な製造業、その製造業GDPに占める割合が、2割ギリギリまで落ち込んでいるという現状があります。現在GDPに占める割合が高い産業は、アイティー企業とサービス業で、サービス業の消費を支えているのは男性よりも女性の割合が高いとのことです。ところが日本における女性の地位が低いこと、世界の先進国並みに女性の地位を向上させなければ世界の潮流に置いて行かれると筆者は主張しています。私たちの意識の中には、製造業こそ経済活動の源泉であるという意識が抜けていません。日本の教育目標は製造業に向く人材の育成でありました。すなわち偏差値がそこそこ高く、素直で我慢強く、協調性があり、上司の言うことをよく聞く人を育てるということです。しかし、これから必要とされる人材は、独創的な人間、極論的に言うと変態的思考の持ち主、経営者は多様な人材の登用、すなわちラグビー、ワールドカップ日本代表チームのように国籍、人種が混在したようなダイバーシティーを許容するような意識改革ができる者でなければならないと述べています。今日までの常識明日は非常識というくらい世の中の変化が急激です。日本の経済を引っ張る人たちが、30年前の栄光を忘れなければ、日本の将来は無いんだなと考えさせられました。ぜひロータリーの友で、この記事を読んでくださいお奨めします。

会長の時間6

2020年09月09日

日田ロータリークラブ 会長 井上太香美


 今日は、にわかに注目を集めている大学のお話をします。


法政大学第二法学部法律学科、ご存知菅義偉さんの出身大学です。ちなみに私も同大学同学部の卒業生です。面識はありませんが報道による彼の経歴から、3年間同じキャンパスで過ごしたことになります。そこで当時の第二部学生の様子などお伝えしたいと思います。


法政大学のキャンパスは、総武線飯田橋駅と市ヶ谷駅の中間にあります。校舎は一部建て替わっていますが、場所は当時(1970年)と同じです。学部は法学部、文学部、経済学部、社会学部がありました。学生数は1学年で800名位いたと思います。70年安保闘争の時代で、全共闘「中核」の本家みたいでした。とりわけ「革マル派」との対立が激しく、1970年8月大学構内の六角校舎でリンチ殺人事件が起きました。加えて代々木系学生の勢力も強く、学内は日々騒然としていました。その年はほとんど休講だったと思います。翌年は殺人事件の影響で構内に鉄柵が設けられ、それに対する反対運動、その次は学費値上げ反対闘争と学生運動華やかな時代でした。学生ストと大学側のロックアウトの応酬で、毎年学年末試験はレポート提出、おかげで正式の試験を受けることなく卒業しました。カリキュラムや教室、教授(のちに同学の総長になった方が2名。有名な砂川事件の伊達秋雄教授もいました。)は昼間部と同じで、月曜日から土曜日まで休み時間無しでした。そんな騒然とした学内でしたが、それゆえに在学中は、いろいろな分野に興味を持ち、よく勉強したものです。


学費は年間3万円、私立大では一番安かったので受験しました。学生生協が充実していて、書店から不動産屋までそろっていましたので安価で生活に必要な買い物ができました。一番助かったのは学食で、ラーメン70円、カレーライス80円、日替わり定食は100円、和、洋、中華等品数が豊富でおいしかったです。先週ネットで見たら学力レベルが低いだろうと書かれてありましたが、勉強が嫌いだったら夜学に4年間も通学できません。10時ごろ授業が終われば、飯田橋駅近くのマンモス喫茶「ルノアール」で夜を徹して日本の将来を政治家気取りで、学友と侃々諤々(かんかんがくがく)語り合ったものでした。時は“東西冷戦、ベトナム戦争”の真っ最中、高度経済成長の中で、本当に楽しく充実した学生ライフでした。

会長の時間5

2020年08月19日

日田ロータリークラブ 会長 井上太香美

私の心旅

NHK・BS番組にタレントの日野正平さんが自転車で旅をする「心旅」というのがありました。今日はこの番組をヒントに「私の心の風景」をお話ししたいと思います。

 

ほとんどの方は記憶にないと思いますが、私の思い出の風景に東京都荒川区にあった東京スタジアムという野球場があります。昭和37年に開場し、昭和47年に閉場した球場です。

 

使用していた球団は東京オリオンズ、前身は大毎オリオンズ、現在は千葉ロッテマリーンズです。両翼90メートル、中堅は120メートルですから現在では考えられない小さな球場でした。私がよくその球場に行ったのには訳があります。東京オリオンズはパリーグの球団ですから、西鉄ライオンズが来るんです。グレーのユニフォームの胸に[FUKUOKA]の地名が入っている。それだけで九州の匂いがするんです。3塁側のスタンドに座ると「テレっとするな」「しゃんと、打たんかー」という九州弁の中に入れるなつかしさがありました。

 

文字どおり石川啄木の「ふるさとの 訛り懐かし停車場の 人混みの中に そを聞きに行く」の心境です。パリーグの試合ですから観客席はガラガラ、いまのホークスの雰囲気はありません。47年ごろから外野席は無料というありさまでした。残念なことに西鉄ライオンズは黒い霧事件で身売りして、ライオンズの応援はできなくなりました。しかし、西鉄の稲尾、池永、近鉄の鈴木、太田、東映の張本、南海の野村や広瀬、ロッテの有藤、江藤など往年の名選手のプレーを身近にみることができました。中でもオリンピック100メートルの飯島が「代走専門の選手」として盗塁を成功させた場面はよく覚えています。当時のパリーグ球団は、西鉄、東映、東京、阪急、近鉄、南海です。

 

会長の時間4

2020年08月05日

日田ロータリークラブ 会長 井上太香美

 

withコロナ=コロナウイルスと共に

 

 毎日新型コロナウイルス感染者の増加を伝えるニュースが流れてきます。「どこがおもしろい!」と怒鳴りたくもなる毎日です。私は医療の専門家ではありませんから、医学的な意見は申しあげません。患者サイドに立った考えを述べたいと思います。にわか勉強で得た知識ですが、地球上からこのウイルスを封じ込めることは出来ないと聞きました。即ち「withコロナ」、インフルエンザと同じように、折り合いをつけながら、共生していくウイルスだそうです。

 4月に緊急事態宣言がでたとき、日田市において最初の感染者にはなりたくないと思いました。風評被害が怖かったからです。幸い最初の感染者にはならなかったのですが、あれから約4ヶ月間、当市において新たに感染者が出たとき、あの時以上のバッシングが起こるのではないかと危惧しています。

最後まで感染者の出なかった岩手県において、最初の感染者に対してすさまじい誹謗中傷が起きているそうです。県知事までその火消しに出てくるありさまです。怖いのはウイルスよりも世間のバッシングです。このウイルスに感染するリスクは私たち全員が平等に負っています。どんなに注意しても、感染するときには感染するのです。自分が、家族が、会社が感染者になったときのことを考えてみましょう。とても傍観者の立ち位置には立てません。ウイルスの危険度は、インフルエンザの方が高いとも聞いています。私たちは間違ってもバッシングをする立場に立つことなく、感染者を擁護する立場に回りましょう。その人に罪はないのです。どんなに暗く長い夜であっても明けない夜はないのですから。

会長の時間3

2020年07月22日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

 

 本来であれば、今日明日は2020東京オリンピックの話題で大騒ぎをしているはずでした。新型コロナウイルスのため1年間の延期となってしまいましたが、楽しみが先延ばしになったと前向きに考えましょう。今日は56年前の1964オリンピックを知る者として小学6年生から中学3年生の間、1少年の目からみたオリンピックのお話をさせていただきます。

 東京の前のローマ大会は小5の時です。当時ほとんどの家ではテレビがありません。あったとしても実況放送などは見ることができません。ラジオの実況中継も音が大きくなったり小さくなったりで良く聞こえません。それでも男子体操の活躍やマラソンのアベベがはだしで走ったことを記憶しています。次はいよいよ東京ということで、学校で五輪マークの小さなバッジなどを買って帽子につけて通学したことを覚えています。学校の掲示板にはオリンピックのポスター、100メートルのスタートの図柄でしたが掲示されていました。運動会では毎年「東京五輪音頭」が流れ大人も子供も踊らされたような気がします。中学校のバスケットコートのゴールには五輪マークが飾られていました。そして一番強く打たれ感動したしたことは、クーベルタン男爵の「オリンピックは勝つことではなく参加することに意義がある」ということばでした。運動神経のない私にとって、「運動は勝つことではなく参加することに意義がある」と置き換えて、ゴルフコンペに参加しています。とにかくローマ大会から東京大会までの4年間、日本中が熱病にかかったような雰囲気でした。

 開会式は、学校のテレビで見たと記憶しています。白黒テレビでしたが、アナウンサーの解説であたかもその色が見えるようでした。ブルーインパルスが、競技場の上空に見事に五輪マークを描いたときは感激しました。そして何よりも特筆しなければならないことは、大部分の国民が初めて競技をというものを自分の目でみることができたということです。現在のようにテレビがありません。国際試合もありません。レスリングとプロレスの違いも分からない人がいました。重量挙げや、サッカー、体操、フェンシング、三段跳び、棒高跳び人間技を超えたかに見えるスポーツをみることができました。その意味で東京五輪は日本のスポーツの発展や普及に多大な貢献をしたといえると思います。

会長の時間2 硯川昭一ガバナー公式訪問

2020年07月15日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

 

本来ならば、ガバナー公式訪問例会ですので、会長の時間もロータリークラブに関しての蘊蓄(うんちく)を述べるべきでしょうが、その話は後程ごガバナーより詳細にお話があると思われます。よって本日は通常の例会の雰囲気でやらしていただきます。

 7月に入りずっと曇り空が続いています。7日には豪雨となり天ケ瀬、津江方面では甚大な被害が発生しました。

 日田の水害の歴史を振り返ってみると昭和28年の災害にたどり着きます。以来平成24年7月まで特筆されるような大水害は無かったと思います。私は、昭和28年の災害時は4歳になる年ですからもちろん記憶にありません。話によりますと三隈川の氾濫ということで、私の育った花月川の支流小野川も氾濫したとはいえ、市内ほどの被害はなかったと聞いています。とにかく平成24年の豪雨まで、63年間、水害とは無縁の人生でした。ところが、その5年後九州北部豪雨によって生まれ育った小野谷の姿は変わってしまいました。以来毎年のように避難指示が出るようになりました。その原因として、地球の温暖化等の影響が無視できなくなった気がします。

 今日は私が初めて見た、平成24年の水害についてお話ししたいと思います。

7月3日の朝でした。玄関を開けると土砂降りの雨です。事務所まで約100mあります。その間に2本の用水路があるのですが、車道の上に水があふれていました。とにかくあちこちの用水路があふれて事務所の周りは水浸しの状態でした。この日の状態は、皆さんもそれぞれ目撃されたと思います。その日の夕方財津方面に様子を見に行った時、コカ・コーラのあたりまで浸水した事態に愕然とした次第です。私は小野地区の鈴連町で稲作をしておりましたので、翌日田んぼの状況を見に行こうしましたが、道路が土砂で寸断されており、通行止めでした。土砂を寄せて交互通行になり田の様子が見られるまでに数日かかりました。幸い私の田は、水につかったものの流されずに済みました。その時に見た景色は忘れられません。川に密生していたヨシが1本もありませんでした。苔のついていた石が真っ白になっていました。田んぼの川に面した石垣の草がきれいにむしり取られて、ピカピカに磨かれていました。水辺の砂も真っ白で後日、田の草をそこに捨てていたのですが、気が引けて掃除に行ったほどです。幾筋も谷川から道路上に押し流され岩石に山に驚きました、清流を取り戻した川の美しさ、この対比の不可思議は目に焼き付いています。作業が終わるころ1台の救急車が参りました。何か気になる救急車でした。私の田んぼより上はまだ道路が寸断されています。除去作業中の重機が、緊急車両の前を開けておりました。早く病人のところにつけたらいいなと念じつつ帰路についたのですが、翌日私の元に届いたのは、幼馴染で同級生の友人の訃報でした。結局救急車は間に合わなかったのです。

 

会長の時間1

2020年07月01日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

 

本日は 井上年度最初の例会です。来年6月まで、頓宮幹事をはじめ理事の皆様、そして会員の皆様のご協力を賜りながら一生懸命頑張ってまいります。どうぞよろしくお願いします。

会長の時間をいただきましたので、第1回は来週から週報を飾る絵のお話をします。私には毎週週報を飾るような名画というものも持ち合わせておりません。そこで当クラブの織田会友に相談をいたしました。織田さんは気持ちよく、何枚かの絵を収録したUSBを貸してくださいました。その中の絵はどれも素晴らしいものでしたが、特に胸を打たれたのが「母と子」と題された絵でありました。

従前から私が思うに、女性の美と感じるものは多々ありますが、乳児を抱いてやさしく微笑む姿、すなわち母親のいとし子を見守るまなざしと、それに応える子供のまなざし、まさに見返りを求めぬ絆、是程美しいものは無いと思います。私はすぐにこれを使わしてくださいとお願いし、快く了解していただきました。

折から感染症の蔓延で心がすさんでいる時であります。経済状況も疲弊しております。聞こえてくる言葉は「ソーシャルディスタンス」社会的距離の保持です。分断、といういやな声も聞こえてきます。こんな時こそ、人のやさしさの原点ともいえる親子、これを表現した絵のような温かさが必要ではないかと思います。その思いをもってこの絵で1年間週報を飾らしていただきます。織田会友ありがとうございます。

会長の時間32

2020年06月17日

年度末卓話 1年を振り返って

日田ロータリークラブ会長 白石章二

一年前の今頃は、世界がまさかこのような状況になるとは夢にも思っていませんでした。

七月に私の年度がスタートし、毎週の会長の時間の事で頭がいっぱいで、あっという間に一週間が過ぎていっていたのが、なにか遠い昔のことのように今感じています。

会長になって始めて、他クラブの例会に出席させていただき、クラブが違うとこんなに例会の様子や雰囲気が違うのかと少し驚きました。

特に玖珠ロータリクラブにお邪魔した時は、あまりの会員の少なさに少し戸惑いました。

日田ロータリークラブは本当に会員に恵まれているなあと実感しました。

最初の夜間例会の納涼例会では、新入会員の合原会友や若い会友と一緒に二次会に行き楽しい時間を過ごさせてもらいました。

8月には日隈小学校金管バンドの皆さんに来ていただき演奏を披露して頂きました。

そして去年も見事に全国大会に出場し、本当に嬉しく思いました。

9月は、今年度の一番の事業であるチャリティーコンサートが開催され、石松幹事や佐藤委員長そして当時会員だった吉冨今日子さんや会員の皆様のご協力で無事にコンサートを終えることが出来ました。

この収益金は後にNPO法人のリエラさんを通じて、九州北部豪雨災害で被災されたご家族の子供さん達に無事渡されました。

皆さんのご協力、本当にありがとうございました。

10月には長年日田ロータリークラブで活躍された、井上名誉会友がお亡くなりになるという悲しい出来事がありました。

告別式では会長として、弔辞を読むという大役を仰せつかり、とても緊張しましたが、なんとか私なりの思いを話させていただきました。

11月には中津市で地区大会が開かれました。

二日間に渡る大会で大勢の会員の皆さんと一緒にとても充実した時間を過ごさせていただきました。

20日の職場例会では昭和学園さんにお邪魔し、生徒の皆さんの手作りの昼食をご馳走になりました。

まるで京料理の様な上品な料理でとても関心しました。

12月には年末恒例の家族例会が開催されましたが、担当の親睦委員長の松浦会友のお父さんが直前にお亡くなりになり、当日は湯浅会友と高嶋会友が代わりに司会進行をして頂きました。

亡くなられた井上会友の奥様をお招きしてのパーティでしたが、とても喜んでいただき本当に嬉しく思いました。

井上名誉会友に少しは恩返しが出来たのではないかなと思っております。

1221日には、藤蔭高校のインターアクトクラブの生徒の皆さんと大原神社の大掃除をしましたが、担当の永田会友と石松幹事が早くから来られて掃除をされていました。

私もちょこっと掃除に参加しました。

一年間のすす払いが出来てとてもいい気持ちがしました。

開けて1月の新年夜間例会は亀山亭で開催致しました。

久しぶりの川端のホテルでの宴会でしたが、思えばこれがコロナ以前の最後の楽しい宴会となってしまいました。

会長の任期もあと半年になり、なかなか慣れない会長の時間も、あと半分という思いと、まだ半分もあるという複雑な思いがいたしました。

122日には職業奉仕賞贈呈式を行い、みそら会前理事長の池永惠子氏に来訪していただきました。

29日には、原正隆会友がマルチプルポールハリスフェローを受賞されました。

日田ロータリークラブとして初めての事です。

本当におめでとうございます。

2月には2年越しのお約束であった、視覚障害者への読み聞かせの活動を長年されている、「かたつむりの会」へ専用の録音機を寄付することが出来ました。

この頃から新型コロナウイルスの日本での感染が広がりだし、クルーズ船の集団感染で一気に緊張が高まり、世界中が大変な事になりだしました。

3月には学校の閉鎖が始まり、東京などで自粛が始まり、後に全国的な自粛要請が発せられました。

膳所日田医師会会長のアドバイスも考慮し、日田市として各種の会合やイベントの自粛要請が出された事から、会長として34日からの例会の中止を決定いたしました。

当初はひと月位で何とかなるんじゃないかと高をくくっていましたが、その後の世界中でのあっという間の感染の拡大と、死者数の増加に私もさすがに、これは大変な事になったと背筋が寒くなる思いがいたしました。

例会再開のめども立たない中、日田ロータリークラブのラインでの情報交換がされるようになり、私も非公式ですが、いろいろと思いをラインに載せさせて頂きました。

例会出席の為のラインでしたが、思わぬ形で役に立ちました。

ほかのクラブでは、オンラインでの例会をやっているそうだ、などの情報も入ってきましたが、日田クラブの会員数の多さや年齢層を考えると中々直ぐにはできませんでした。

5月になり段々と自粛も解除になり、13日の理事会において現在の状態が続く事を前提に、6月からの例会の再開を決定致しました。

いまだかつてない三か月に及ぶ例会の休会の間、あんなにすぐに来る水曜日の会長の時間が無いことで、一週間が意外に長く感じられたのが少し面白かったです。

休会中はこのまま私の年度も尻切れトンボで終わってしまうのかなあと、思ったりもしましたが、なんとか残りひと月でも再開することが出来て大変嬉しく思っていますが、一週間先には又何があるか、誰にもわかりません。

油断は禁物です。

ですが、何とか一年間皆さんのご協力で乗り切ることができそうなこと、本当に感謝しております。

次年度の会長他理事や委員長の皆さん、また難しい一年になりそうですが、めげずに頑張りましょう。

会長の時間31

2020年06月05日

日田ロータリークラブ会長 白石章二

例会を中止してから早三か月、季節も冬から一気に初夏になりました。

この三か月で会員の皆さん方を囲む状況にも、相当の変化があった事と思います。

総じて悪い方向に向いてしまった方がほとんどでは無いでしょうか。

100年に一度位の災厄に、立ち向かわなければならないことは災難としか言いようが無いですが、これも運命と受け入れるしか無いなと、今では思っています。

今日、欠席されている方々も本当は出席したいのだが、今は出来ないと云うう方も多くおられると思います。

特に病院や介護施設の方にとっては、命に係わる問題だとお察し致します。

私の花業界においても、皆さん同様業務の縮小の嵐にさらされております。

葬儀は家族葬になり、結婚披露宴は中止や延期になり花の需要も減り大変苦労していますが、ここマリエールさんも相当の影響を受けている事とお察しいたします。

今回のコロナ禍により、影響を受けやむを得ず退会される会員の方もおられ本当に残念でなりません。

しかし、今日こうして皆さんと又集まることが出来ました。

本当に嬉しく思っています。

会長としての私の任期も、今月で終わりになってしまいました。

少し心残りはありますが、チャリティーコンサートなど計画していた行事が出来た事は本当に運がよかったと思います。

むしろ、次の井上年度は本当に大変だと思いますが、私も精いっぱい協力していきたいと思っています。

今回のパンデミックによる経済的影響が出てくるのは、むしろこれからだと思いますが、会員の皆さんと一緒に知恵を出し合っていければ、きっとこの難関を乗り越えていけると思います。

出来ない事を嘆くより、何が出来るのかをこれから考えていきたいと今強く思っています。

会長の時間30

2020年02月26日

日田ロータリークラブ会長 白石章二

過去に起きた最大のパンデミックはスペイン風邪(スペインインフルエンザ)です。

電子顕微鏡のない当時はインフルエンザウイルスはまだ発見されていなくて未知の病気だったようです。

ちなみにウイルスの大きさは一万分の一ミリです。

そのスペイン風邪ですが1918年から1920年までに当時の世界人口1820憶人のなんと三分の一が感染し2000万から一説には5000万人が死亡したそうです。

当時世界は第一次世界大戦の最中で、各国はその流行を隠していましたが、参戦していなかったスペインでは情報が広まりあたかもスペイン発であるように受け取られたようです。

最初は米国のカンザス州から発生した記録があるようですが本当にそこなのかはよくわかっていなくて、中国から広まったと言う説もあるようです。

その米国が第一次世界大戦に参戦し、ウイルスがヨーロッパに拡散しその後アフリカやアジアそして南米へも広がったようです。

船での感染も起こっており、当時米国の兵員輸送船「リヴァイアサン号」乗員11千人で感染が発生し約200百人が死亡したようです。

日本では19189月末から10月初頭までに感染が広がり総人口5719万人の内、総患者数21168千人なんと37%が感染し25万7千人の方が亡くなったようです。(致死率1.2%)

日本でも矢矧(やはぎ)事件という船での感染事件が発生しています。

呉を母港とする軽巡洋艦「矢矧」が469人の乗員を乗せ191811月にシンガポールに寄港した際に一時上陸した乗組員によりインフルエンザウイルスが持ち込まれ閉鎖空間の艦内で爆発的に感染が広まり看護師や軍医も倒れ最終的に306人(65%)が発病し48人(16%)が死亡したそうです。

この様に過去にも船での感染が発生している事を考えると、今度の豪華客船の事ももう少し歴史に学んでいたらと思ってしまいます。

しかもイギリス船籍の船で運営はアメリカの企業だそうです。

あまり日本に文句は言えないと思ってしまいます。

むやみに危機をあおらず正しく怖がって、冷静に対処するしかないようです。

会長の時間29

2020年02月19日

日田ロータリークラブ会長 白石章二 

先週の「永遠のゼロ」の話の続きをしたいと思います。

太平洋戦争当時の戦闘機に求められたのは、格闘性能と速度です。

ですがこれは、相反する性能だそうです。

これに旧日本海軍はもう一つ、航続距離まで要求したそうです。

普通はどれか一つに絞って設計するようです。

これにチャレンジしたのが、三菱重工業の若き設計士の堀越二郎でした。

そして見事にこの三つの要求を備えた飛行機「零戦」が誕生しました。

当時アメリカ軍は劣等なアジア人が、まともな戦闘機など作れるはずがないと思っていましたので、零戦に遭遇したアメリカ空軍は、相当びっくりしたようです。

空中戦をドッグファイトと言いますが、これは犬同士がけんかするときにお互いの尻尾を嚙もうとぐるぐるまわるところからそう呼ばれるようになったようですが、この零戦と戦うとアメリカ軍の飛行機は三回転するまでに、後ろにつかれて撃ち落されたそうです。

これにびっくりしたアメリカ軍は、雷雲と零戦に遭遇した時は、任務を途中で放棄してよいと言う、指令までだしたそうです。

それほど恐れられた零戦ですが、高性能ゆえの弱点もあったようで、それは作るのにかなりの手間と時間がかかることでした。

それゆえ、段々とアメリカ軍の物量作戦に対抗出来なくなったようです。

何事もすべて良しとはいかないようです。

会長の時間28

2020年02月12日

日田ロータリークラブ会長 白石章二 

 

 

今売れっ子の作家の百田尚樹さんを、ご存じの方も多いと思いますが、彼は私と同じ年です。

223日生まれで私と11日しか違いません。

彼の本で最初に読んだのは、高校生のボクシング部を描いた「BOX」という作品です。

当時私の長男もちょうど高校のボクシング部に入っていたので、とても面白く興味深く読ませてもらいました。

百田さん自身も学生時代にボクシングをやっていたようで、とてもリアリティのある物語でした。

次に読んだのは、映画もヒットした「永遠のゼロ」です。

2巻物で、結構な読み応えがあり、彼の取材力に本当に関心しました。

一部で彼のことを右翼という人もいますが、作品を読むと、とてもそんな風には思えなくて、むしろ無謀な戦争をしてしまった当時の日本政府を美化するようなことは全然なく、零戦を通して、どうしようもない戦いを継続するしか無かった戦闘機乗りの思いが伝わってくる作品でした。

最近読んだのは「日本国記」です。

これも相当に内容の濃い作品で、すらすらと読める類の本ではありません。

特に、近現代史にかなりウエートを置いて書いてあり、賛否両論はあると思いますが、私は自虐的な戦後の日本の近現代史に一石を投じる本だと思っています。

何より彼の日本を思う気持ちが、私にはひしひしと伝わってきますが、左翼の方には多分相当に気に障る存在だと思います。

会長の時間27

2020年02月05日

日田ロータリークラブ会長 白石章二 

とうとう習近平主席も、今回のコロナウイルス肺炎への中国政府の対応の遅さを認めたようです。

今回は中国政府自体も正確な状況の把握が出来ていなかったようで、中国共産党政府の強権的な体制のため、地方の役人が悪い情報をあげるのをためらった結果、対応が後手に回ってしまったようです。

BS放送の世界各国の放送局のニュースを見ても、どこもコロナウイルスのニュースがトップニュースになっています。

特にヨーロッパでは、東洋人を危険視する状況が話題に取り上げられていましたが、私たち日本人に対しても例外ではないと思われます。

本当に迷惑な話です。

今回のように先行きのわからない重大な問題に対して、特に我々日本人は危機意識より、まあ大した事では無いのではないか、というふうに思いがちですが、これを正常化バイアスと云うそうです。

縁起でもないとか、言い当てるとか、なるべくマイナスの事は考えたくないと云うような、私たち日本人に特有の考え方も影響しているようです。

一般市民はそれでもいいかもしれませんがいますが、政府はそういう訳にはいきません。

政府はあらゆる状況を想定して、対策を取らなければいけませんが、それには正確な情報を把握する必要があります。

しかし今の日本にはそういう組織が無いようです。

そういう正確な情報の把握が出来ない状況が、今回の日本政府の対応の遅さに影響しているようです。

今回の状況はある意味、戦争と同じようなバイオテロの状況のような気がします。

まだもう暫くは、こういう状態が続くようですが東京オリンピックがとても心配です。

CIAMI6のような組織は無理でも、多くの正しい情報を集められる組織が日本にも必要なのではと、素人の私でも考えてしまいます。

 

会長の時間26

2020年01月29日

日田ロータリークラブ会長 白石章二 

 

中国で新型コロナウィルス肺炎が猛威を振るっているようです。

今回は中国政府も早めの対応をしているような感じです。

以前だと、都合の悪いことはなるべく大っぴらにせずに、隠せるものは隠しておこう、というような事が多かったんでしょうが、ネットの普及で一般市民にも情報が入ってくるようになって、世界の各国の政府もなかなか隠し事が出来なくなっているような感じがします。

しかし中国政府が、どこまで正確な情報を発表しているのかは、よくわかりませんが、日本への団体旅行を禁止するなど相当中国政府も焦っているように感じます。

観光産業の方は本当に大変だと思います。

毎日情報が色々と入ってきていて、今後どうなるのかわからないので、すこし心配でもあります。

日本政府は、武漢市にチャーター機を飛ばして、日本人を帰国させる準備をしているようですが、武漢市には600人位の日本人がいるようで、何かがあると邦人の保護は本当に大変なようです。

中国国内には現在12万人以上の日本人が暮らしているようですが、よく考えてみると、この中国にいる日本人は一旦何か日本と中国の間に良くない事が起こると、彼らの人質のようになってしまうような危険性があるような気がしてなりません。

アメリカと違い、中国に対してあまり強い態度にでれない日本のお家の事情も少しわかるような気がします。

経済と安全保障のバランスを、今後どう折り合いをつけていくか、日本も難しい時代に入っていっているように思います。

 

会長の時間25

2020年01月22日

日田ロータリークラブ会長 白石章二 

去年の1022日から、行方不明になっていたうちの猫が先日の日曜日に、行方が判明して、三か月ぶりに戻ってきました。

案外と近くの方に保護されていました。

その方は猫好きで、すごく親切にされていたようですが、最近になって私のの家の猫では?と思われて、連絡していただきました。

迎えに行くと、まさにうちの猫でした。

もう帰ってこないだろうと思っていましたので、とても嬉しく思いました。

この猫は、野良猫で生まれて間もない位の時に、家の裏に迷い込んで来て、

孫が餌を与えたため、もう家から離れなくなり、半分しょうがなく飼う事になったのでした。

うちに戻ってもすぐには元の家とはわからないようで、キョロキョロしていましたが、やがて以前のことをおもいだしたのか、だんだん落ち着いてきました。

そして、夜用事を済ませて家に戻った私は猫に首輪をつけようと思い、抱っこをしましたが、それがよっぽど嫌だったのかリコ(猫の名前 雌猫です)は思いっ切り私の手にガブリと噛みつきました。

しかも三回も。

おかげで次の日手首はパンパンに腫れあがり、病院で手当てを受ける羽目になりました。

お尻に破傷風の予防注射までされました。

飼い犬に手を嚙まれるということわざがありますが。

出戻り猫にもご用心!

 

会長の時間24

2020年01月15日

日田ロータリークラブ会長 白石章二

昨年末より世界では色々な出来事が起こっているようですが、私にもちょっとした出来事がありました。

今週の13日の午前10時頃、私が久留米方面から日田に帰る途中、虹峠を少し下った日田よりの辺りで、国道の川沿いをかなりの年配の男性が、トボトボと一人で歩いて下っていました。

普段そこは人が歩くような所ではない場所なので、私はてっきり痴ほうで徘徊しているのではないかと思い、どうしようかと思いましたが、消防団で何度も人探しをした経験がある私は思い切って警察に連絡しました。

夜明け大橋の下でかけたので、福岡の警察にかかりました。

一部始終を話すと、警察の方から私にその老人の身柄を確保してもらいたい旨の要望をされましたので、急いで引き返してみると、もうヤマサキのコンビニの所まで、歩いて来ていました。

そこで私もコンビニに車を止めると、その老人も此方のほうに、道路をよちよちと渡ってくるではありませんか。

車にはねられないかと、冷や冷やして見ていましたが、何とか道路を渡りきりました。

そこで私はその老人に、「どうかしましたか。」と尋ねると案外としっかりした口調で「コンビニに来た」と言うではありませんか。

なんとそのご老人は徒歩で虹峠を越えてコンビニまで来たのでした。

早とちりに気づいた私はすぐに警察にその旨を連絡しました。

そのあとすぐ日田署から感謝の連絡を頂きました。

今回は私の思い違いで何事もなくて良かったですが、最近わたしの近所でも徘徊する老人が増えているようです。

明日は我が身といいますので、自分がそうなった時は、誰か助けてくれるとありがたいなと、つくづく思った出来事でした。

会長の時間23

2020年01月08日

日田ロータリークラブ会長 白石章二

皆さん明けましておめでとうございます。

令和2年がいよいよスタートしました。

私も、あと半年気を引き締めてやっていこうと思っています。

さて、年が明けてすぐ八坂神社へ初詣に行きましたが、意外と人が少なかったような気がしました。

おととしまでは、祇園会館で無料の振る舞い年越しそばをやっていて、とてもにぎわっていたようですが、食べるものがないと、人は集まらないようです。

午後からは大原神社へいきましたが、ここは大変にぎわっていました。

去年はここで偶然、頓宮会友とお会いしましたが、そのとき彼が大きくて豪華な熊手を買って肩に担いでいるのを思い出しましたので、わたしも今年は奮発して、大き目の熊手を買いました。

福をかき集めれればいいなと思いました。

二日の日は、元大原神社へ行ってみました。

敷地の中へ入ると、立派な石段があって、そこを上っていくと、上に立派な神殿があります。

大原神社は1625年に現在の場所に移るまで600年ほどここにあったそうです。

現在の神殿は元大原神社として260年ほど前に立てかえられたそうで、小さいながらも立派な造りで感心しました。

7世紀ごろ日田の馬原の地に出来た神社が、元大原神社の場所に移りまた現在の大原神社に繋がっていると思うと、日田の歴史の古さや素晴らしさを実感した正月でした。

会長の時間22

2019年12月25日

日田ロータリークラブ会長 白石章二

年末になると気になってくるのが、「買わないと言う選択肢はないやろ」という鶴瓶さんのCMでおなじみの年末ジャンボ宝くじです。

私も以前何回か買ったことがあります。

今年は10億円が一等賞金だそうで、当たったら何に使おうかとか、女房には黙っていようかとか色々考えてしまい、抽選日まではとても楽しい時間をすごせます。

2年前の12月に東京に行った時には、有楽町の駅の宝くじ売り場で並んでいる人の数の多さにびっくりしたのを覚えています。

そこは過去一等賞が多数出た売り場だそうですが、これだけの人数の人が買えば一等が多く出るのもなるほどと思ってしまいます。

この楽しい宝くじですが一等の当選確率はどのくらいかと云うと、250万分の1だそうです。

これをわかりやすく例えると、ここに25人の人を集めたとします。

大体一人の人間の髪の毛の数が約10万本ですので、この25人の中から一人を選んでその人の頭に生えている髪の毛の中から一本の当たりの髪の毛を見つけるほどの確立です。

ですが買っていない人には金輪際当たりません。

残り物には福があると言いますので、今年最後の運試しで買ってみようかと思っていましたが、なんと先週の土曜日で発売が終了していました。

やはり縁がありませんでした。

会長の時間21

2019年12月18日

日田ロータリークラブ会長 白石章二

地球の温暖化対策についての会議、COP21が協同声明を出せずに終了したそうです。

環境少女のグレタさんなど、最近では地球温暖化の事が世界的に話題になっていて、ネット等では色々な憶測記事が、出回っています。

私は、専門家ではないので科学的なことはよくわかりません。

しかし、少し気になる数字を最近知ってしまいました。

それはPPMという単位です。

これは大気中の分子の数を表す単位ですが、現在のCO2の大気中の割合は約400PPM程だそうです、

このPPM100万個の大気中の分子のなかで対象の分子がいくつあるかの単位ですので400PPMだと100万分の400となり1万分では4になり大気中の1万の分子の中の4個になります。

大気の8割は窒素、2割が酸素ですがそれには温室効果はありません、そのなかで1万分の4個のCO2が大気の温度を上昇させていることになりますが、素人の私は本当なのと思ってしまいます。

そういえば最近はCO2とは言わずに、温室効果ガスと言い方が変わっていて他にも原因のガスがあるよと言っているようで、何か恣意的なものを感じてしまいます。

何かの現象の原因を考える時に、単純に犯人を決め付けるようなことが多いように感じます。

日本人はまじめなので、すぐに信じてしまいがちですが、もっと科学的に、先入観をもたずに、政治的にならないようにするのがこれから大切になってくるのではと思ってしまいます。

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