0年0月0日
会長の時間7 平成25年8月28日(水)
2013年08月28日
「ミャンマー支援について」2013.08.28
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
7月以来、猛暑が続いた日田の夏も、最近の雨で漸く少し涼しくなりました。
夏の疲れが出るのもこれからだと思いますので、どうぞ皆様もご自愛ください。
さて、創立50周年記念事業の一つ話を進めてまいりましたミャンマー・キータンゴン村の学習小屋改修事業につきましてご報告いたします。
今年の春先に、第2720地区ロータリー財団に地区補助金35万円の申請をいたしましたが、一旦ストップがかかりました。ミャンマーがアメリカの制裁国であるという理由です。今期から「未来の夢計画」の一環として地区補助金は地区で使いやすいようなったと理解しておりましたので、地区補助金の申請がアメリカにまで行って審査を受けるというのは意外でした。地区補助金とはいえ、制裁国への補助金は不可とするなどの一定のルールがあったのかもしれません。
その間、第2720地区の木村初ロータリー財団委員長が東京の日本支部と本件を通すために色々ご尽力をいただいて、最終的にアメリカのロータリー財団本部の審査を受けることになりました。
アメリカから「米国財務省資産管理局審査用チェックリスト」の提出を求められたのには驚きました。11項目のチェックリストを織田財団委員長とミャンマー窓口とのメールのやり取りで修正をしながら何度かアメリカ本部に提出しました。
このとき幸運だったのは、アメリカのロータリー財団本部に和田はるかさんという日本人女性がいたことです。従って、やり取りは全て日本語で出来たので意思疎通がとても良く出来ました。和田さんに伝えたのは、実際に現地を視察したこと、ミャンマー人が貧しくても非常に教育熱心で将来有望な民族であること、この国に自由と民主主義を根付かせて東南アジアの発展に寄与させることの重要性等でした。和田さんが、アメリカ本部で同僚と上司に強力に説得に当たって頂いたことと推測します。
その結果、先日、漸く財団から承認が下りました。
ミャンマーへの事業申請も初めてなら、承認も世界で初めてのことのようです。
既にオバマ大統領もミャンマーを訪問しておりますし、現在でもヤンゴンには大きなアメリカ大使館があります。やがて、ミャンマーへの制裁も解除されるものと確信しますが、ロータリークラブのないミャンマーへ世界で初めて財団の補助金を使用できたということを大変うれしく思います。
これからは他のロータリークラブからもミャンマーへの支援が増えるものと期待します。
改めまして、木村財団委員長、東京の関係各位、和田はるかさんとアメリカ財団本部の各位に感謝と敬意を表します。
これから、支援の具体化に向け行動します。10月には現地を訪問する予定です。
会長の時間6 平成25年8月21日(水)
2013年08月21日
日田ロータリークラブ副会長 田嶋 篤
会長のスローガンの一つでもあります親睦ということでありますが、久しぶりの夜間例会でもあります。遊船も亀山亭さんが新造船の船を出してくれるということですので、ゆっくり楽しんで親睦を深めて頂きたいと思います。
2時間くらいの短い時間ではありますが、よろしくお願いします。
会長の時間5 平成25年8月7日(水)
2013年08月07日
2013.08.07「歴史と体験」
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
終戦の日が近くなりました。戦争は20年8月15日に終わりましたが、私は昭和22年の生まれですから、本や写真などで知った知識としては知っていますが、僅か1年半前に終わった戦争のことは体験としては全く分かりません。
物心のついた頃(多分昭和26年前後、日本に主権のない占領下でしたが)のことは少し分かります。
例えば、米軍の戦車を何両も積んだ貨車が、日田駅で流される「アニーローリー」の曲に送られ、夕日に照らされながら久留米方面に向かっていた光景が今でも目に浮かびます。今思えば、まさに敗戦国そのものですが、当時は分かるはずもありませんでした。
知識としての歴史は遠い昔のことのように思えますが、例えば、昭和20年時点でいえば、戊辰戦争から77年、日清戦争から50年、日露戦争から40年しか経っていません。
ですから、最近まで少なくとも日清・日露戦争を体験された方が沢山おられた訳です。
昭和40年代頃はまだまだ明治生まれの方は沢山いらっしゃいました。
同じように、昭和40年以降に生まれた人は、終戦時のことはもとより、昭和20年代30年代のことも肌身に感じることは出来ません。
少しでも、前の世代が次の世代に体験を語り継いでいくことが、歴史を学ぶ上でも大いに役に立つものと思います。
ところで、奥野誠亮(おくの・せいすけ)さんという大正2年生まれの100歳の元政治家がいらっしゃいます。この方が、先日こういうことを新聞に書いていました。
「占領中は、日本の国会も政府も自主的活動はできませんでした。国会へ法律を出すのも、審議で修正するのも、その議決が賛成でも反対でも、事前に連合国軍総令部(GHQ)の承認を受けなければならなかった。憲法も同じです。こういうことを若い人に知ってほしい」
私は、そこまで国会がアメリカ軍のチェックを受けていたとは全く知りませんでしたが、考えてみれば、主権が無いのですから当然のことです。
今日は、青柳会友の体験談を楽しみにしたいと思います。
会長の時間4 平成25年7月24日(水)
2013年07月24日
「四つのテスト」 2013.07.24
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
暑い日が続きます。先日、ウナギを食べにいって、土用って何だろうと思って調べてみました。
土用とは、立夏・立秋・立冬・立春の直前約18日間のことだそうです。
今年は7月19日が土用の入りで、7月23日が大暑、8月7日が立秋です。
8月7日といえば、まだまだ暑い盛りですが、そこを秋の初めとするとするシナの古典は素晴らしい。現象は盛りに見えても人間の感じないところで物事は変化を始めているということでしょうか。
深い哲学があると思います。
さて、日本では土用の丑の日に、暑い時期を乗り切るためにウナギを食べる習慣があります。
この由来については諸説ありますが、平賀源内(1728年 – 1780年)が発案したという説が最もよく知られています。
それによると、商売がうまく行かないウナギ屋が、夏に売れないウナギを何とか売るため源内の所に相談に行くと、源内は、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めました。すると、そのウナギ屋は大変繁盛し、他のウナギ屋もそれを真似るようになって、土用の丑の日にウナギを食べる風習が定着したといわれています。
最近では乱獲が過ぎてウナギがいなくなるのではないかとも言われます。ダムや堰もウナギが川を遡上できない原因の一つです。マリアナ沖で生まれたウナギが遠路日本にたどり着き、人工の堰の手前で死んでしまうのは余りに不憫です。ヨーロッパではウナギ遡上用の水路が設備されているのをテレビで見ましたが、日本も何らかの対策があって良いのではと思います。
さて、週報の絵の上にスペースがありますので、今週から四つのテストを掲載することにしました。昨日、日田中央ロータリークラブを幹事と訪問して参りましたが、彼のクラブでは、例会の初めに毎回、職業奉仕委員長が先導して唱和していました。
この四つのテストを載せるにあたって、スペル等に間違いがあってはいけないと思い、インターットで調べましたところ、各クラブにかなりバラツキがありました。複数であったり単数であったり、
「the」があったり、なかったりです。
いまや、「四つのテスト」は100か国以上の言葉に翻訳されているようですが、この日本語訳についても十分なものかどうかは分かりません。ですから、まずは原文に当たる方がその真意を理解するのに正確かと思います。
例えば、「言行はこれに照らしてから」も英語のthink の訳語が脱落しています。
「みんなに公平か」についても、原文にはconcerned:「かかわりのある」「利害関係のある」が抜けています。「みんな」とすると全ての不特定多数の者を対象としている感もあり、少し違うのではないかとも思います。
the TRUTHについても、なぜここにだけtheが付くのか良く分かりません。ただ、「真実」という言葉で片づけてよいものかどうか分かりません。一説によれば「神の御心」という説もあるようです。
ロータリー計画の職業奉仕部門推進の一方法として国際ロータリー理事会がクラブの注意を喚起した「執務上の心得書」には
○ 四つの簡単な質問から成る総ての人間関係の便利な尺度
○ 人に要求するものではなく自分自身の反省の具とするもの
○ この自己反省方式を国際ロータリーは高く評価
「ロータリーにおける諸奉仕活動・特に職業奉仕における指針として常用するにいたる」と書いていますが、特に「人に要求するものではなく自分自身の反省の具とするもの」ことが重要であるかもしれません。また、RI理事会が「これを規則として取扱ってはならない」と勧告(55-56)のもそれなりの理由があるのかもしれません。
なお、先週の例会でお話ししました海軍兵学校五省をお手元に配布しております。これは東郷元帥の書かれたものだそうです。
一、 至誠(しせい)に悖(もと)るなかりしか
一、 言行(げんこう)に恥(は)づるなかりしか
一、 氣力に缺(か)くるなかりしか
一、 努力に憾(うら)みなかりしか
一、 不精(ぶしょう)に亘(わた)るなかりしか
(以下、ウィキペディアより)
考案者は、当時(昭和7年)、兵学校校長であった松下元少将。
今日では帝国海軍の精神を象徴する標語であるかのように語られることがあるが、五省が兵学校校舎に掲げられるようになったのは国内の軍国主義的色合いが濃くなり始めた1932年(昭和7年)からであり、その採用期間は海軍70余年の中でも末期の10数年間に過ぎない。古参の海軍軍人の中には、文語調箇条書きの五省を生徒に唱和させることについて、「(リベラリズムと柔軟性を重んじた)帝国海軍の伝統になじまない」として不快感を表明する者も少なからず存在した。
しかし、一方で、戦後に日本を占領したアメリカ海軍の幹部が五省の精神に感銘を受け、英訳文をアナポリス海軍兵学校に掲示したり、日本国内でも、海上自衛隊が日々の行動を自省する標語として用いたりしている。現在、海軍兵学校の後継にあたる海上自衛隊幹部候補生学校及び海上自衛隊第1術科学校では、五省が旧海軍の伝統として継承されている。
会長の時間3 平成25年7月17日(水)
2013年07月17日
「至誠」 2013.07.17
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
先週、ウズベキスタンで日本人捕虜が陰日向なく働いたという事をお話ししましたが、そのあとで、この会場にいらっしゃる当時若者であった先輩たちに「なぜ彼らは真面目に手抜きをせずに働いたのでしょうか」とお伺いしたら「当時は『修身』や『公民』や『教育勅語』があったからな」というご感想でした。
そこで私は第三期(大正7年~昭和8年)の「尋常小学校修身教科書(四年生)」を調べてみました。
目録には「勤労」「信義」「誠実」「博愛」など二十七の項がありましたが、最後の第二十七項「よい日本人」が、今回のエピソードの背景つまり当時の日本人の身の処し方の理由に一番近いのではないかと思いました。
そこには「(略)大きくなっては志を立て、自立自営の道をはかり、忠実に事にあたり、志を堅くし、仕事にはげまねばなりません。けれどもよい日本人になるには至誠をもってよく実行することがたいせつです。至誠から出たものでなければ、よい行のように見えてもそれは生気のない造花のようなものです」と書いてありました。
確かに、陰日向があってはとても至誠とはいえません。海軍兵学校の五省の中の第一番目に「至誠に悖るなかりしか」とあります。
大地震でも無傷だったナヴォイ劇場も、一つ一つの作業を疎かにしない至誠によって出来た建造物だったといえます。
誠意を尽くすというのは、かつて日本人の徳目の中で大きな比重を占めていたようですが、現在でも、日本製品の品質の良さなど、まだまだ誇れるものがあると思えますが、今後も継続して行けるものでしょうか。
日本人は真面目すぎて融通が利かないような点もあり、また、誠意の通じがたいような国もありますが、長い目で見れば、誠意を尽くすことが他国から信頼を得る王道なのかもしれないと思います。
会長の時間2 平成25年7月10日(水)
2013年07月10日
「日本文化の底力」
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
今は本当に便利な世の中になりました。先日、参議院の予算委員会で、とても良い質疑があったと聞きましたので、ユーチューブで探しましたら、その全質疑を見ることが出来ました。
それは、中山恭子議員と麻生副総理との「日本文化の底力」についてのやりとりでした。
中山議員は元外交官で、中央アジアのウズベキスタン大使を3年間務められましたが、この国は非常に親日的なのだそうです。日本とは無縁に見えるこの国がなぜ親日国家なのでしょうか。
この国には、終戦後、シベリアを経由して2万5千人の日本人捕虜が、劇場、運河、鉄道、発電所などの建設に従事させられました。
この質疑の中で、麻生副総理は1997年に日本の閣僚として初めてこの国を訪問したときのカリモフ大統領とのエピソードを次のように紹介しました。
終戦当時、カリモフ大統領は子供でしたが、毎週末、母親に連れられて日本人の働く現場に連れていかれたそうです。そして、毎週母親が言った台詞は「せがれ、ご覧。あの日本人の兵隊さんを。ロシア兵が見ていなくても働く。お前も大きくなったら、人が見ていなくても働く人間になれ」だった。「母親の言うことを守って、今日俺は大統領になれた」と。
この部隊は混成部隊で、当時のあらゆる階層の普通の日本の若者たちですから、全ての若者が身につけていた所作です。
帰国の見通しもない中、日本人として恥ずかしくないものをと陰日向なく働いた2万5千人の日本の若者たちが、今日の日本とウズベキスタンの関係の基礎になっていることは間違いありません。
当時造ったナヴォイ劇場は、1966年の大地震で首都が壊滅したにも関わらず、無傷で残ったそうです。それにより「日本人は手抜きをしない」という評判が広がったと言われます。
カリモフ大統領は、独立後、その壁面プレートに刻まれていた「日本人捕虜」を「日本国民」に書き直させたそうです。
このユーチューブの映像を見て、私は、私だったら、或いは今の日本人だったらどうするだろうかと考えました。
理不尽にもソ連によって強制連行されたのですから、一生懸命働く義理はありません。ロシア兵の監視がなければサボタージュするかもしれません。或いは、当時の人と同じように現地の人の為により良いものを残してやろうと考えるでしょうか。
なぜ、当時の若者は陰日向なく働いたのでしょうか。長い歴史の中で培われた日本の文化のお蔭でしょうか。それとも教育のせいでしょうか。
この会場にいらっしゃる当時の若者たちにもご意見を伺いたいものです。
今の時代、戦後生まれが大部分を占めて、体験としての当時のことが分からなくなっています。
今期は、当時、体験されたことを会員卓話していただきたいと考えておりますので、よろしくお願いします。
会長の時間1 平成25年7月3日(水)
2013年07月03日
「新年度を迎えて」 2013.07.03
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
今日から、新しい年度(2013~2014)になりました。
ご案内の通り、今年は、日田ロータリークラブクラブにとって、創立50周年の節目に当たる特別な年です。
会員の皆様と、新役員と50周年実行委員会の方たちには、格別のご尽力を賜ることとなりますが、よろしくお願いします。
新年度会長方針は、後ほど皆様にご説明いたしますが、この一年、全員が無事で和気藹々と前に向かって進んでいくことを願いまして、会長の時間を終わります。
会長の時間45 平成25年6月26日(水)
2013年06月26日
「2クラブ合同例会」2013.06.26
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
こんばんは。今日は日田ロータリークラブと日田中央ロータリークラブの合同夜間例会です。
今期最後の例会が2クラブ合同例会となったのは、長い歴史の中で初めての事ではないかと思いますが、今期の納めと来期への新たな出発という意味では、これもまた良かったのではないかと思います。
そして、第2720地区と日田ロータリーと中央ロータリーが、全国のロータリアンから集まりました北部九州水害義捐金にプラスして、日田市に災害用小型発電機15台を贈呈いたしますが、その贈呈式が、今日ここで全員が参加して行われるのも、私たちの活動を実感できて良かったと思います。
どうぞ、今宵は2クラブの会員が交流して一層の親睦を深めてほしいと思います。
会長の時間44 平成25年6月19日(水)
2013年06月19日
「一年を振り返って」
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
今期は「一眼を足下に、一眼を海外に」という会長方針でスタートいたしました。
まず、足下ということで申しますと、
上半期に3名の会員が新しく入会していただき総勢54名のクラブになりました。残念ながら、会社の都合で1名退会となり、現在53名ですが、世界的に会員が減少する中で、比較的良い状況であるといえます。来期も有為で楽しい会員が増えて、活力があり、皆が成長できる日田ロータリークラブでありたいと考えます。
また、今期、趣味同好委員会にゴルフ同好会を新設し、毎月1回の開催を基本に懇親を深めておりますが、6月2日には小国ロータリークラブから4名が参加してくれました。これからも、ゴルフを通じて近隣クラブとの交流を深めることにも活用したいと思います。
6月9日には第一グループゴルフコンペが周防灘カントリーで開催され、日田からも10名が参加しましたが、生憎の雨でしたがゴルフを通じて親交を深めました。尚、5月12日の会長杯ゴルフでは、参加者中最高齢の中野会友が優勝、ニアピンも3個獲得されました。
さて、この1年間、第2720地区ではセミナー等が多く開催されました。7月12日のブライダル委員会 9月2日の米山記念セミナー、9月9日と10月27日の財団セミナー、7月28日、湯布院青年の家で開催されたインターアクト年次大会、10月13日のローターアクト大会です。
今年に入って、2月9日の熊本でのクラブ管理運営委員会です。
3月8・9日には、大分オアシスで「地区大会」が開催され、席上、日田クラブは会員増強優秀クラブの表彰を受けました。
4月21日には人吉で「地区協議会」が開催され、日田からもバスで多数参加いたしました。
更には、5月25日の熊本での職業奉仕セミナー、同じく熊本で5月31日、会員増強セミナーが開催されました。
これらのセミナーと式典には、副会長、各委員長と委員さん方が積極的に参加していただきました。セミナーや式典に参加すればロータリーが良く理解できますし、他クラブとの交流もできますので、来期も特に新会員の方たちには、多くご出席して下さいますようお願いします。
来期は日田ロータリークラブの創立50周年記念の年です。今期、他クラブから周年行事の案内のあったクラブにはほとんど出席いたしました。
9月15日の別府RC60周年、3月2日の 大分東RC50周年、4月20日の玉名中央ロータリークラ30周年、6月2日の国東ロータリー30周年です。
間もなく、石井委員長の下で50周年実行委員会が立ち上がりますが、来年の5月31日が大盛会、大成功裏に終わることを願います。どうぞ、皆様のご協力をお願いいたします。
岡村ガバナー公式訪問も、10月3日、日田クラブをホストとして3クラブ合同で開催されましたが、後の懇親会も含めて活気があり和気藹々とした公式訪問だったと思います。この席で、岡村ガバナーからミャンマー学校改修の窓口になる方をご紹介いただき、早速11月末のミャンマー訪問に繋げることが出来ました。
次に一方の「海外」に目を転じますと、国際交流のための中国語講座を開講いたしましたが、残念ながら少しずつ受講生が減っています。先に台湾で小籠包を食べに行った方がいいのかなぁとも思っています。
そして、50周年記念事業の一つとして、ミャンマーでの校舎建設の現地視察のために、田嶋副会長、織田R財団委員長と私の3名が、11月31日から12月4日まで行って参りました。現在はロータリー財団に補助金申請中ですが、いずれにせよ、雨期明けの10月には着工し12月か1月には開校式が出来るものと考えております。出来るだけ多くの方の参加を期待します。安倍総理も訪問されましたが、あの国は必ず発展する国であると確信します。それだけの素質を持った国民でで、且つ親日国です。
3月27日には嘉義玉山ロータリークラブがご婦人同伴で多数日田に来られ、夜間例会で歓待しました。
そのお返しで、4月24日から嘉義玉山扶輪社の14周年記念式典に草野会友、頓宮会友とともに参加して参りましたが、嘉義プリンスホテルの宴会場を借り切った盛大な式典と宴会だったので驚きました。翌日には八田與一技師の烏山頭ダムと日田からも協賛金を提供しました桜の植林を見学して来ました。本当に嘉義玉山の方たちも良くしてくれます。
川開きの5月26日には、日田市陸上競技場で日田少年ラクビーフェスティバルが開催され日田ロータリークラブが後援しました。大分・別府・中津・玖珠・日田の少年チームが熱戦を繰り広げました。
10月24日にパトリアで開かれたチャリティバザーでは過去最高の資金が集まったそうです。
6月12日には献血例会がありましたが、昨年の8月17日には県庁で36年間に及ぶ日田ロータリークラブの献血推進活動に対し厚生労働大臣の団体表彰を7受賞しました。これからも社会奉仕活動の一環として継続して参ります。
今期最後の6月28日の例会は二クラブ合同例会といたします。
その冒頭で、第2720地区・日田ロータリークラブ・日田中央ロータリークラブから、日田市に「災害用発電機15台」の贈呈式を行います。
これは第2720地区からの日田市水害お見舞金に、2クラブが金額を加え、日田市の要望である「災害用発電機15台」を贈呈するものです。
これは家庭用のプロパンガス2本で2時間発電できるので、災害時の停電などに非常に役に立つものだと思います。
この他にも、ゲスト卓話、会員卓話、職場例会、家族会などの夜間例会等々、各委員長と委員には大変ご苦労様でした。
会友各位に支えられまして、無事、1年間を終えることが出来ましたことを感謝いたします。来期1年もよろしくお願い致します。
会長の時間43 平成25年6月12日(水)
2013年06月12日
「献血例会」2013.6.12
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
本日は恒例の献血例会です。
昨年、日田ロータリークラブは、36年間にわたる定期的な献血推進活動と地域に密着した献血広報活動に積極的に協力をしたという理由で、厚生労働大臣表彰状を受けました。
献血は、救急救命など様々な医療分野で欠かせない血液製剤の製造に必要なものですが、それは多くの献血者の善意に支えられております。
日田市は、大分県下でも献血をされる方が、非常に多いのだそうです。これは日田市の誇りでもあります。
日田ロータリークラブが、社会奉仕活動の一環として、市民の皆様の献血活動のお手伝いを継続していくことは、今後とも、非常に重要なことだと思います。
今日は、ご多忙な中、各会場に分かれての献血でございますが、今日一日、よろしくお願いします。
会長の時間42 平成25年6月5日(水)
2013年06月05日
「家族例会」2013.06.05
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
皆さま、ようこそいらっしゃいました。今夜は、恒例の家族例会です。
先日、人吉で開かれた地区協議会で神戸地区のパストガバナー深川純一さんは、
ロータリーの魅力は「初めに親睦ありき」だとおっしゃいました。
そして「ロータリーを楽しむ」とは、成長するロータリアンを見て、お互いに楽しむことであるともおっしゃいました。
皆さま、今夜は、美味しい料理とワインで親睦を深めていただくと同時に、
成長する日田ロータリアンの姿も見て、楽しんでいただきたいと思います。
さて、今年度も残り少なくなりました。来月からは新しい年度であり、そして日田ロータリークラブの創立50周年の年でもあります。
来年の5月31日の記念式典・祝賀会に向けて、会員のみならず、奥様方のご協力ご支援をお願いすることになると思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
最後に今日の家族例会を準備してくれました親睦委員会の皆さんに感謝して、会長挨拶といたします。
会長の時間41 平成25年5月29日(水)
2013年05月29日
「相手を知る」2013.05.29
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
昨今、日本南西諸島の波が高くなってきましたので、中国人の考え方について学ぶことは無駄ではないと思いますので、少しお話したいと思います。
中国には「孫子」や「呉子」など古来、数多くの兵法書があり、戦国大名など日本の武家も大いに学んできましたが、「三十六計」という清朝初期にまとめられたといわれる兵法書があります。
この本には、様々な時代の故事・教訓がちりばめられ、中国では「孫子」よりも「三十六計」のほうが、庶民に慣れ親しまれており、日常生活でも幅広く引用されているようです。
中国映画「赤壁(レッド・クリフ)」を観ていますと、盛んに「借刀殺人」だの「瞞天過海」だの「三十六計」からとった言葉が盛んにセリフに出て来ていましたので、庶民が普通に使っている考え方なのでしょう。
日本人の中国駐在員が「三十六計」の本を机の上に置いていたら、中国人の愛人が「あなたは私から逃げ出すつもりか」と怒り出したという笑い話?もあるそうです。「走為上:逃げるをもって上策となす」です。
最近の尖閣周辺の中国艦船の動きを見ていると「瞞天過海 」つまり、「 敵に繰り返し行動を見せつけて見慣れさせておき、油断を誘って攻撃する。秘密は公然としているものに隠されており、秘密と公開は決して対立するものではない」という彼らの戦略を感じます。領海・領空侵犯の意図を公然と見せつけているといえます。
そして「以逸待労 – 直ちに戦闘するのではなく、敵を撹乱して主導権を握り、敵の疲弊を誘う」のではないかとも思えます。
中国は海洋監視船の増強も含めて空母や潜水艦のほかに強襲揚陸艦などの海洋戦力の大増強を図っており、特に、強襲揚陸艦は港湾施設のない離島などでも、短時間で武装兵員や戦闘車両を上陸させることが出来ます。
我国は、相手の意図を見抜き、手を打ち、警戒を怠らぬことが大切だと思います。
会長の時間40 平成25年5月22日(水)
2013年05月22日
「安倍外交に期待する」2013.05.22
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
本日は河津建設㈱さんの職場例会です。河津会友と社員の皆様方には大変お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。
さて、今日の新聞に、安倍首相が飯島内閣官房参与の訪朝に米国と韓国が不快感を示したことに対し「拉致問題について日本が主導的に解決しなければ、残念ながら他国がやってくれることではない」と述べたとありました。日本の国益は日本が守るしかないという明確な姿勢と決意の表れだと思います。
安倍政権は発足して約半年にすぎませんが、金融・経済のアベノミクスだけでなく、外交においても、鮮やかな手腕を発揮していると思います。
安倍首相は、今年1月にはベトナム、タイ、インドネシアの東南アジアを歴訪。その後、ロシアを訪問し、北方領土交渉を再開するとともに、ロシアとの、いわゆる「2プラス2」の外務・防衛閣僚会議を創設しました。
これまで「2プラス2」は、米国や豪州という同盟国級との間にしかありませんでしたが、今回、日米同盟という基軸の上に、平和条約も結んでいないロシアとの間でも作り、日本の安全保障の強化をはかりました。
更に、今月末にはミャンマーを訪問し、インドのシン首相も来日する予定ですが、新幹線や原子力協定などの他に、ここでも安倍政権はインドとの「2プラス2」の創設に踏み切るかもしれません。
今まで、中国が東シナ海と南シナ海で海軍力を増強してこられたのは、北と南の大陸国家からの脅威が薄れていたからであり、安倍外交戦略は、中国に東と北と南の3方面作戦を強いる戦略をとっていると思われます。
中国の習近平国家主席は6月にオバマ米大統領と会談しますが、その訪米の理由の一つは、安倍首相が積極的に展開した“中国包囲網外交”で、ベトナム、タイ、フィリピン、ミャンマー、トルコ、モンゴルなど中国の周辺国が次々と日本と関係を深めたことにより、中国の孤立感が強まっていることへの焦りが背景にありそうです。
韓国の朴政権は日本をことさら軽視し、中国になびき、アメリカ訪問時にはわざわざ日本を誹謗していますが、安倍政権の外交戦略とアベノミクスの前で無力感をさらけ出しています。
中韓のメディアは連日、安倍首相に対し「右傾化」「ナショナリスト」「戦後体制を覆すもの」等々、悪口を並び立てているようですが、これは打つ手が無くなったときの彼らのありふれたやり方だろうと思います。
外交に、永遠の友好国も敵国もありませんが、安倍首相には、戦後久しくなかった日本の独立と自尊と国益を守る大きなパワー外交を期待したいと思います。
会長の時間39 平成25年5月15日(水)
2013年05月15日
「地区協議会で学んだこと」2013.05.15
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
遅くなりましたが、3月15日に人吉で開催された地区協議会で、第2680地区のパストガバナー深川純一さんの「ロータリーの魅力」と題した基調講演がありました。
深川さんのお話の全容を正確にお伝えするには不安でありますが、得心した部分や感銘を受けた部分をご紹介したいと思います。間違いがあるかもしれませんがご容赦ください。
最初に、深川さんはロータリーの魅力は「初めに親睦ありき」だとおっしゃいました。
ロータリーには、その魅力の核となる原理原則「一業種一会員」と「例会出席の義務」があります。その原則ができた1905年当時は、同業者は食うか食われるかの騙し合いの関係であり、つまり「一業種一会員」でなければ、お互いに安心して心を通い合わせる自然な親睦が出来ませんでした。
そして、ロータリーの親睦とは何かというと、楽しくなければならないが、単なる感情的な親睦ではなく、他のロータリアンからお互いに学び高め合う精神的親睦です。
ロータリークラブの本質は社交クラブであり、奉仕クラブではありません。奉仕をするロータリアンを育てるための社交クラブであるということです。
ロータリーを楽しむとは、自己研鑽するロータリアンを観てお互いに楽しむという事でもあります。
また「一業種一会員」により、業界の代表である最も「良質な人」を選ぶことでクラブの質が保てます。
「良質な人」とは、自分と他人を包摂できる論理、つまり自分のことだけを考えず他人の事も考えられる人のことであり、目に見えない紐によって結ばれているという自覚を持つ人のことです。
初期ロータリーの指導的人物であるアーサー・シェルドンは「自分とは他人であり、他人とは自分である」あるいは「人類連帯の自覚」といっていますが、すべての人間は因縁浅からぬものです。
「情けは人の為ならず」で処理できる考えの人、良い意味での「お節介やきの人」のような良質な人をプールすることがクラブの質を保証することになります。
また、良い師匠と出会い、良質な人がお互いにお節介をやきあうことにより「先見性」を取得することができます。「先見性」が身に着くと、物の見方が根本的に変わります。
アーサー・シェルドンは「自己改善の功徳は企業改良に繋がる」とも言っています。
深川さんは「ロータリアンのすべての行動は倫理的でなければならない」「紳士であるべきだ」といい、クラーク博士は「Be gentleman」と言ったが、自分の良心に恥じないようにすれば規則はいりませんとおっしゃいました。
2001年に「一業種一会員」の原則は廃止されましたが、クラブには絶対的自治権があるので、クラブレベルで「一業種一会員」の原則を保持することは可能だと、深川さんはおっしゃっています。
日田クラブがどのような方針を取るかは今後の検討課題ですが、非常に有意義な深川さんの講演でありました。
アーサー F.シェルドン(Arthur Frederick Sheldon 1868~1935)
初期ロータリーの指導的人物。アメリカ・ミシガン州ヴァーノン生まれで、1908年シカゴRC入会。1950年のデトロイト国際大会で承認された、ロータリーの標語「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」という標語の原型になる言葉を、1910年、ロータリー初の大会(シカゴ)で掲げた人です。
彼の墓碑には、この標語が刻まれています。シェルドンは、ビジネスはすべて社会に尽くす手段でなければならない、という信念とともに生きました。
会長の時間38 平成25年5月8日(水)
2013年05月08日
「嘉義玉山扶輪社の14周年に参加して」2013.05.08
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
五月晴れに恵まれた連休もようやく終わりましたが、皆様はそれぞれに良きお時間を過ごされたものと拝察いたします。
さて、3週間ぶりの会長の時間ですが、今日は、4月24日に嘉義玉山ロータリークラブの14周年記念式典に参加したときのご報告をいたします。
私と草野会友、頓宮会友の3人で、24日の午前10時過ぎに福岡空港を発ち、現地時間の3時過ぎには新幹線で嘉義駅に着きました。ちなみに私と草野会友の新幹線料金は頓宮会友の半額でした。65歳以上は敬老料金になるからです。
その日の午後6時半からプリンスホテルで式典がありましたが、会場を見てびっくりしました。今までの日本レストランで行われていた式典とは規模が全く違い、ホテルの宴会場を一杯に使った式典で、これが14周年なのかと思ったくらいです。当該地区のロータリークラブのみならず、台北からも大勢のロータリアンが参加していて、二百数十名は居たと思います。
私は、最上壇の会長の横に座らされ、挨拶を頼まれましたが、照明でフロアが良く見えないので緊張しました。幸い、出発前日にオトギノの社員の松岡さんと黄さんに簡単な挨拶を中国語に翻訳してもらっていたので、通訳なしで何とか事なきを得ました。来年の日田ロータリークラブ50周年は、遊船で宴会をするので大勢で来てくださいと勧誘しました。
嘉義の式典を見て、50周年の式典・懇親会は大いに盛り上げなければならないと思いました。石井実行委員長、よろしくお願い申し上げます。
翌日は、嘉義のメンバーが車を出してくれて、かの有名な烏山頭ダムに案内してくれました。
日田ロータリークラブも寄付をした桜の苗木が、八田與一の銅像周辺からダムに向かって約800本植えられていました。桜が咲くには最低2年はかかるようですが、いずれ烏山頭ダムが桜の花でいっぱいに飾られるだろうと思います。
烏山頭ダムが完成して約80年、そのダム事業を顕彰して、今日、日本の象徴である桜を植えようという台湾の人々の心に感謝と親愛の情を感じます。故八田與一と奥様も満開の桜を見て喜ばれるだろうと思います。
数年後の3月には満開の桜で埋め尽くされた烏山頭ダムを、皆で見に行きたいと思います。
会長の時間37 平成25年4月24日(水)
2013年04月24日
「玉名ロータリークラブ30周年 佐藤正久氏講演より」2013.04.24
日田ロータリークラブ副会長 田嶋 篤
「大丈夫か?日本の防衛」
日本人は自国の領土に関してあまりにも無頓着過ぎます。最近、竹島や尖閣諸島問題が大きくクローズアップされてきましたが、領土というものは、面積とか資源とか、そのようなことで価値が決まるものではありません。領土は国家そのものなのです。
一度でも譲歩してしまうと五月雨式に日本の領土が奪われてしまいます。そういう最悪の事態にならないように、歯をくいしばっても領土は守らなくてはいけないのです。 今一度、学校教育を根本的に見直さなければならないと思っています。古代史の勉強も大切ですが、大正、昭和の歴史はもっと重要なはずです。他の国に領土を取られてしまってから問題意識が高まっても意味はありません。日本の未来を担う子供たちの為にもこの素晴らしい国を渡すことはできません。先祖様や先人から受け継いだものを、ちゃんと子孫に渡すのは当然の義務です。未来の子孫の為により良い日本を作り、守り、渡していかなくてはいけないと思えるのです。 ・私達には「守るべき人」がいる。 ・日本人は危機管理能力がきわめて低い ・人は人によって人になる ・いわたりと、思いやりは違う ・近代史の重要な事を教えていない ・高校生400人に7人しか知らない(領土問題)
会長の時間36 平成25年4月17日(水)
2013年04月17日
「母と子のスキンシップ」2013.04.17
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
4月の初めは新入の乳幼児が入って来ます。
初めて保育園に来る子は母親から離れるのを嫌がって、母親にしがみついて必死に泣きます。そんな子を園に慣らすために「慣らし保育」を行います。
最初の日は1時間から始めて、その子にあわせて徐々に保育時間を長くして、小さな乳幼児に無理のないように少しずつ慣らしていきます。連休までにはほとんどの子が慣れますが、連休で母親と一緒に過ごすと、連休明けに、また、ぐずるというのが毎年の通例だったようです。
ところが、年々、泣く子が少なくなっているということなので、私は、最近の子は知恵がつくのが早いからかなと思いました。
ところが、何十年も見てきたベテランの保育士たちに言わせると、それは違うそうです。
子供は泣く方が良いのだそうです。それは母親と乳幼児との「心とスキンシップの繋がり」がしっかりできているからだそうです。泣く子に聞き分けがないと困る親には「大好きなお母さんと別れるのが悲しいのですよ」と伝えるそうです。
逆にいえば、泣かない子には母親との密接なスキンシップが不足しているから、母親と離れても何とも感じないのかもしれません。
昔は3歳までは母親が子育てした方が良いという考えが広く社会一般にありましたが、厚労省は、それを「三歳神話」だとして以降、年々あずかる乳幼児の年齢は下がっています。
働く女性が増えたということもあるでしょうが、現在では生後3、4か月から乳児をあずかるようになりました。
であれば、尚更のこと、母子が触れ合う時間をたっぷり取ってほしいと思いますが、一旦「社会で子供を育てるという世の中」になると、なかなか、そうもいかないのが実情です。社会が高度化するにしたがって、肉親の関係までもが希薄になるのは寂しいことです。今後、どのような社会になるのか心配でもあります。
江戸の子育てでは、母親はもちろん祖母までもが、子供を裸で抱いて寝たとあります。
だから、日本人には自立心がないのだというような説がまかり通った時期もありましたが、先人の子育ての知恵を見直す必要もあるかも知れません。
会長の時間35 平成25年4月10日(水)
2013年04月10日
花見例会 2013.04.10
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
今夜は恒例の花見例会です。中野川沿いのライトアップされた八重桜の並木も見事に満開ですが、残念ながら、花冷えというよりも、まるで冬が戻ってきたような寒さです。
皆さんも防寒の備えをなさっていますが、風をひかないよう熱燗で体を温めてください。
今日は、準備してくれた親睦委員会の皆様と場所をご提供くださいました城谷会友に感謝申し上げて、簡単ですが挨拶といたします。
会長の時間34 平成25年4月3日(水)
2013年04月03日
「嘉義玉山ロータリーを迎えて 他」2013.04.03
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
先日の嘉義玉山ロータリークラブの来訪に際しては、皆様、お疲れ様でした。
平成19年に初めて友好クラブの締結をしておりますから、今年で6年の交流になりますが、今回は奥様方も大勢来られて賑やかな交流になりました。翌朝10時にはバスで柳川の方に向かい、あと3泊して鹿児島から台湾に帰られるということでしたが、皆さん大変喜んで帰られました。週報にも出ていますが、羅会長は4月24日に嘉義玉山の14周年に是非出席してくださいとのことです。
次に、休日や嘉義玉山の歓迎会が入り、ご報告が遅くなりましたが、3月16日(土)から17日(日)にかけての2日間、熊本県人吉市で会長エレクト研修に参加して参りました。
次年度の地区スローガンは「挑戦!未来への夢!良き友を得てロータリーを学び奉仕を実践しよう」です。
セミナーの中で「未来の夢計画」についてロータリー財団部長の木村初さんのセッションがありましたが、日田から良い事例が出ているという事で、途中で指名を受け、日田の「ミャンマーでの学校建替えプロジェクト」の概要を説明しました。大いに注目を集めましたので、50周年記念事業の一つとして、しっかりとやり遂げなければと思いました。
セミナー最後の質疑応答の中で、次年度予算案について疑問があったので質問しました。
それは、地区の繰越金が3年前には1930万円あったものが1180万、880万と減少して、次年度へは330万円しかないことです。
これに対して、赤山エレクトが手をあげられて、実はそれが大きな問題であると言われました。会長エレクト全員の前で窮状を訴えられたので地区全体で問題意識が共有されたのではないかと思います。いわゆるプライマリーバランスを正常に戻さないと次年度以降、赤字という事もあり得ます。地区全体で真剣に考えなければならない問題だと思います。
会長の時間33 平成25年3月27日(水)
2013年03月27日
「歓迎 嘉義玉山ロータリークラブ(嘉義玉山扶輪社)」2013.03.27
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
「大家 好」「こんばんは」
嘉義からの長旅、お疲れ様でした。今、九州は桜の花が満開です。とても良い時期にいらっしゃいました。桜の花とともに皆様を歓迎します。
本日は嘉義玉山ロータリークラブをお迎えしての例会です。
嘉義玉山ロータリークラブとは2007年(平成19年)に友好クラブとなり、毎年、相互に訪問して友好を深めてまいりました。今日も嘉義玉山ロータリークラブの会友(社員)及びご奥様方を日田にお迎えできますことは、私どもの喜びとするところであります。
台湾と日本には長い歴史がありますが、今日でもお互いが親近の情を持っていることは、親戚、兄弟のようであります。私は台湾人と日本人の感性や行動規範は世界の中で一番近いと思っています。
台湾を訪れた日本人で、台湾に悪い印象を持つ者はいません。みんな台湾が大好きになって帰ってきます。
最近ではこういうこともありました。野球の世界選手権(WBC)の2次予選で台湾チームと日本チームが東京ドームで対戦しました。
台湾チームは2対1で惜敗したのですが、試合後、台湾チームはドームの観客席に向かって円陣を作り、満員の観客に礼をしました。観客からは暖かい拍手が起こりました。
これには、前段の話があります。
台湾との試合が決まった時、ある若い日本人が、ツイッターで、東北大震災の時、台湾の人たちが200億円を超える義捐金を送ってくれたことに感謝のプラカードを持って集まろうと呼びかけ、これ見た多くの若い人たちが沢山のプラカードを持って集まったのです。これを場内のスクリーンで見た台湾選手が、試合後、感謝の御辞儀(おじぎ)をしたのです。
「謝謝台湾」、「謝謝日本」とお互いのエールの交換です。
ちなみに、嘉義農林は昭和8年に夏の甲子園で準優勝していますが、若い人は知らない人が多いと思います。
台湾と日本の歴史を余りよく知らない若い日本人たちから、新しい親善・友好の動きが出てきたことは誠に喜ばしいことです。
これからも、嘉義玉山ロータリークラブと日田ロータリークラブ、そして日台関係がますます発展することを祈念してご挨拶にかえます。