0年0月0日
会長の時間36 平成28年4月27日(水)
2016年04月27日
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
今回の、4月14日、16日の大地震では、熊本、大分の両県は甚大なる被害に見舞われました。特に熊本県の益城町、西原村、南阿蘇村では言葉では言い尽くせないほどの凄惨な状況です。被害にあわれた方々には心からお見舞いを申し上げます。
一方ロータリーでも2720地区は大分、熊本が地盤であり、その全域に被害が広がっています、被災されたロータリアンも多数おられることと思います。
2720地区では、ガバナーエレクトの事務所に熊本地震総合支援室が設置されました。そこから
- クラブ会員の被害状況の報告(地震の影響で3日以上業務が出来なかった会員を報告)
- 被災者支援及び義援金のお願い
の通達がありました。(ところで皆さんの被害状況は如何でしょうか?)
早速、埼玉県の戸田イブニングRCから、10周年記念事業を取りやめ、その資金をすべて義援金として送りたいがどうすればよいかと事務局に問い合わせが有りました。そこで新設された熊本地震総合支援室の口座を連絡致しました。
我々日田クラブもこの状況にどう対処すればよいのか、どういう援助が出来るのか、本日の理事会で検討して参りたいと考えています、皆様のご協力を宜しくお願い致します。
また、この地震の影響で、日田中央クラブは40周年の記念行事を半年間延期することを決めました、この対応に苦慮している模様です。我々日田クラブでも20日の例会は休会と致しました。
宇土RCの30周年事業も延期との連絡がありました。玖珠クラブも延期のようです。
被災された住宅はもちろんですが、熊本城や阿蘇神社の姿を見ると、地震の恐ろしさが、真面に伝わって来ます。今回改めて、布田川断層や日奈久断層など認識しました。別府―万年山断層帯にある何本も入り組んだ断層を見ると、益々心配になってきます。有感地震も900回を超え最高になりました。一刻も早く終束してくれることを願います。
私のメモには、14日、9:26分 ポケットの携帯が、警報音と共に振動した、一瞬何が起こったのか分らなかった。3回目の警報音と共に回りがカタカタと音を立て始め、次第に激しい揺れと変わり、家ごとグラグラと揺すられていった。不安になって大黒柱のそばに移動したが、ストーブの火は消えなかった。NHKに変えると日田は震度4だった。
16日の本震はもう一回り大きな揺れでした、中にはこの地震に気付かなかった強者もおられるようです。天瀬地区は簡易水道が濁り、我家の水道水は茶色になり1週間ほど給水車の世話になりました。
天瀬から日田に来る間でも、神ノ釣のトンネル入り口の崩落等、運転中気付いただけでも5ケ所程崖崩れが起こっていました。
これから先は次第に収束に向かうと思われますが、自らの安全と被災地支援を考えて参りたいと思います。
会長の時間35 平成28年4月13日(水)
2016年04月13日
地区大会報告
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
3月26~27日に地区大会が、熊本市民会館崇城大学ホールで開催されました。
出席者は日田クラブから織田、佐竹委員長、江藤幹事、松本会友、永田会友、田嶋会友、諌山会友、井上会友、石松会友、原会友、森山会友、湯浅会友、一の宮会友、中西会友の14名です。
大会ではRI会長代理に、2008~9年にご自身もRI会長を務められた李東建(イドンカン)氏が来られ、アドレスと最後の大会所感を述べられました。アドレスでは、変化を受け入れ、もっと懸命に努力しなければならないと、そのように述べられました。
地区大会には、韓国や、台湾からも多数参加されていましたが、休憩時間にステージ上の李東建RI会長代理の許へ、挨拶や写真撮影の為に韓国の参加者が全員ステージに上り行動する姿は日本人とは少し違うなと感じました。
大会はコンパクトに速やかに進行していきました。
メインプログラムの「ポリオ ダバイ ピライエ」とは耳慣れない言葉ですが、ポリオ撲滅の為の活動を、パネラーの奉仕活動や体験談を通して我々に紹介し、教え、そして喚起する大変興味深いプログラムでした。パネラーは6名です。
1人目は、福祉活動などに経験豊富な、地元熊本放送局の女性アナウンサー。
2人目が、ポリオ投与の為に今回インドでの活動に実際に参加された、野田ガバナー御本人。
3人目は、ポリオ投与活動を長年主催しておられる、代表でエキスパートである医師のロータリアン
4人目は、小児まひにかかり、マヒが残り今も車いす生活ですが、立派に工場長を務めておられる方
5人目は、ポリオ投与のインド旅行に初めて参加し、その意義に大変感動している若いローターアクトの女性
6人目は、同じくこの活動に参加した若いロータリアン。
以上6人のパネラーが、それぞれ活動と経験を踏まえたしっかりした話をされました。
昔し、日本にポリオが流行しワクチンがなく困った時期、アメリカでもポリオが流行し自国の対応に追われていた、その時国交のないソ連から大量にワクチンが送られてきた事。
ポリオに感染してマヒの為、車椅子の生活だが、工場長を任され立派に務めている方の話。
ローターアクトの女性は、この活動に初めて参加し、その意義に感動し、機会があればまた参加したいと話していました。
ワクチンの投与は、舌の上に2滴ほどワクチンを垂らし、投与の済んだ人には手の小指の爪に黒のマーキングをする。この色は長期間落ちないそうです、すでに投与の済んだ子がほとんどだそうです。
野田ガバナーご自身も、この日の為に事業に参加され、インドまで行き活動されています。
本当に、誠実に、確実に行動する、野田ガバナーの本質を見た気がして、今までにない取り組みだと非常に好感を持ちました。
野田ガバナーご自身も、インドでのポリオワクチン投与活動の報告を通じ、ポリオについての理解を深めるにとどまらず、我々は何をなすべきかという問題提起が出来たのではないかと、手ごたえを感じておられるようでした。
次にもう一件、別府北ロータリークラブのグローバル補助金を使った事業報告に、難しい事業によくぞ取り組んだと、感心しました。我々日田クラブは地区補助金を利用して、単独でミャンマーに学校を建てましたがその時にグローバル補助金の難しさに気付いていました。
グローバル補助金は単独クラブではなく、いくつかのクラブと共同して計画をしなければなりません、その代り補助金額はけた違いに大きくなります。別府北クラブの場合は、自己資金60万円に対し、総事業費1130万円となっています。日本からは別府北クラブのほかに6~7クラブが参加し、相手国タイではクロイントRC外19クラブが参加、共に協力してタイ バンコックのソムチェックホスピタルに2台の最新型人工透析器を寄贈した事業だそうです。
2720地区にグローバル補助金推進チームを作って進めたと伺っていますが、よくこれだけの数のクラブをまとめる事が出来たなと改めと感心させられました。
会長の時間34 平成28年4月6日(水)
2016年04月06日
名字について
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
近頃、「夫婦別姓」という言葉を良く耳に致します。
西日本新聞1月9日の記事に、伝統でない「夫婦同姓」という論評がありました。
(記事では)日本に戸籍制度が確立したのは「壬申戸籍」によってであり明治5年の事である。これを機に身分制度を担ってきた「姓」「氏」は解消され「名字」となった。「名字」は3年後義務化されたがどんなものでも届け出さえすればよかった。そもそも江戸時代まで武士は「夫婦別姓」であり、庶民には公的な姓も氏もなかったのであるから、まさに「適当」につけたはずである。・・以下省略
江戸時代には百姓町民には名字がなかった? ・・・これは本当でしょうか、嘘でしょうか?
江戸時代武士階級は「夫婦別姓」であった? ・・・これは本当でしょうか、嘘でしょうか?
まず、庶民には公的な姓も氏もなかったのであるから、まさに「適当」につけたはずである。という表現は、かなり乱暴な表現をしています。
明治3年、平民苗字許可令が出されますが、世間ではあまり関心がありませんでした。
明治8年、平民苗字必称義務令が出されて、一般平民すべて名字を持たなければならなくなります。
この時庶民は、皆適当に名字をつけたと思っておられる方が多いと思いますが、これは間違いです。
江戸時代は、百姓町人に名字を公的に名乗ることを許さなかっただけで、名字を消滅させたり、取り上げられてしまった訳ではありません。公文書には百姓町人の名字は載っていませんが、私的なお墓、鳥居、庚申様、神社奉納帳などのものには、ちゃんと名字が見られます。これは、名字自体を庶民の多くが、かなり高い確率で保持伝来していたということです。江戸時代は250年続きます、その間には名字が分からなくなった人もいるかも知れませんが、それはごく少数派です。
そう言う訳で、その時に適当に名字をつけた人もいた、という表現が正しいと思います。
次に、江戸時代の武士階級は夫婦別姓だった。これは本当です。
武士は男の世界であり、男が武士の「家」を継ぐが、しかし「妻」はよそ者だという概念でした。
明治5年には名字の変更が禁止され、そこで問題になったのが「女は結婚した後、生家の名字を名乗るのか、夫の名字を名乗るのか」ということです。
政府が「夫婦別姓」を堅持したのは、「家」は血族を持って構成されるべきで、「妻」は外部の者だから、「家」の姓から除外すべきである、とする考え方です。政府には、武家出身者が多く武士の習慣が民法に適用されたのでしょう、これは明治9年から明治31年まで続きます。
この間、「夫婦同姓」の伺いが何度か出されていますが、政府は聞き入れません。しかし、庶民の方は「夫婦同姓」が慣習であり、いくら政府が「夫婦別姓」を説いても従えなかったという訳です。これによって、明治31年に民法が執行され、ようやく「夫婦同姓」となります。
それから120年後の今、再び選択的「夫婦別姓」論が出て来ました。明治時代とは意味合いが違うでしょうが、以前「夫婦別姓」から「夫婦同姓」に何故変わったのかご存じなのだろうかと、心配になります。
会長の時間33 平成28年3月30日(水)
2016年03月30日
ミャンマー出張報告 : ミャンマー小学校へ井戸寄贈・工事完成視察
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
日田ロータリークラブ創立50周年記念事業の一つとして、ロータリー財団の補助金を利用し、ミャ
ンマー・キータンゴン村の小学校改修を計画し、2012・12に現地を視察しました。
丁度2年前の、2014・04・01 小学校が完成しているつもりで出かけましたが、柱と屋根ばかりで、茫然自失のまま帰国しました。その2か月後の6月、新校舎が完成し開校式に出席、6月14日の50周年式典に漸く間に合いました。
それまでの竹とヤシの葉造りの粗末な校舎から鉄骨レンガ造りの頑丈な学校に変わり、その結果、公立小学校となりました。先生も国から派遣され、授業料も無償になり、今まで学校に行けなかった児童も通学できるようになって、生徒数も60人に増えました。
去年(2015)1月学校完成後の交流として、小学校にノートや鉛筆を届けに行った際、児童達の
飲料水の事情が非常に悪いことを知らされ、井戸を掘って欲しいとの要請がありました。
小学生の飲料水の状況は、雨季には雨水を甕(かめ)に貯めて飲み、乾季には40分以上かけて井戸のある場所から水を汲んで来るか、学校近くの緑色に濁った川の水を汲んで甕に貯め、沈殿させ、その上澄みを飲むか、だそうです。ミャンマーの児童たちでもお腹を壊す子が多いとのことでした。
キータンゴン村の要請を受け、再びロータリー財団の補助金を使い、キータンゴン村小学校とワッチ
ョン村小学校の2校に井戸を寄贈することを決定しました。乾季に入って工事が始まり、2月29日
に井戸の完成を視察に行きました。
○ワッチョン村の小学校は、中学校が併設された大きな学校でした。
小学生120人、中学生110人、合計230人の児童生徒。
井戸は 67m掘削。(ボーリング)
○キータンゴン村小学校は、中学校が新たに増設されて、床面積が2倍の大きさになっていました。
小学生56人、中学生13人、合計69人の児童生徒。
先生は5人に増員。
井戸は 80m掘削。
両校とも水はよく出ます。日本の水のように清らかな水ではありませんが、水槽に水を溜め下部に沈殿させ、上の方の水を使います。
キータンゴン村小学校は、驚いたことに中学校が増設され、床面積が2倍の大きさになっていました。村の近くに住んでいるお米工場の社長が、去年、たくさん利益が出たので寄付をしてくれたとのことです。生徒数も69人、先生も2人から5人に増えました。学校が次第に発展していく姿を目の当たりにすると、この事業に取り組んだ意義は大きかったなと喜んでいます。
キータンゴン村とワッチョン村から、井戸と水槽の寄贈について感謝状を戴きました。
ミャンマーの小、中学校では、3月から夏休みに入っています。今回我々の為にキータンゴン村では特別に、この日に終業式を行うということで小学生だけ出席してくれました。ワッチョン村の小学校でも、わざわざこの日の為に小学生が数十人集まってくれました。
ワッチョンの小学校で、日本を知っていますかと尋ねると、全員「知らない」でした。
キータンゴン小学校では、全員「知っている」と手を挙げました。
そこで、Mr・橋本を知っていますかと尋ねると、全員「知っている」と答えました。名前も覚えていてくれました。さらに、Mr・織田を知っているかと尋ねると3割ぐらいが手を挙げました。喜ばしいことです。
因みに、橋本会友は6回もミャンマーを訪れています、田嶋会友が4回、私が3回、北川会友と頓宮会友がそれぞれ1回ずつ、全部で15回も交流を行ってきました。
ヤンゴンに2年前に行った際は、乗用車は全て廃車寸前の日本の会社名の入ったままのポンコツ車でしたが、今回は、たった2年の間に日本と全く変わらない立派な中古車に全て代わっていました、ナビやETCも装備されていますが、もちろん使えません。日本車が9割以上、そのうちトヨタが断然多いようです。街並みも綺麗になり、ヤンゴン市内では建設ラッシュです。田舎も、ヤシの葉の家から木の板壁の家にかなり代わって来ています。特に都会はダイナミックに変化しています。
今回の視察では、ヤンゴンから車で2時間、そこでバイクの後ろに乗換え、40分かけワッチョンの村へ、そこからさらに30分かけキータンゴン村へ、さらに40分かけて元の地点に戻ってきました。
バイクの後ろでは、体を柔らかくし揺れに任せていないと振り落とされます。案内してくれたイーモンさん(女性)は、日傘をさしてしかも横座りです、まるで曲芸師のようです。前回より距離が短く感じました。
これからは、日本などの資金と技術の導入が加速されるでしょうから、年々発展していくことは間違いありません。キータンゴン小学校などにもみられるように、国民に向学心があり、将来が楽しみな国です。治安は良く、親日的で、国民性は温和で怒鳴り合う姿を見たことがありません。
「人に悪いことをしたら、自分に帰ってくる」という仏教的思想が根底にあるように思います。
日田ロータリークラブとしても、何らかの形でこの国とのご縁を継続できたらと思います。
会長の時間32 平成28年3月23日(水)
2016年03月23日
「KANO」 上映会を振り返って
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
3月19日(土曜日)パトリアで映画KANOを、2クラブ合同で、日田中央では40周年記念事業として、上映会を行い成功裏に終了した事を皆様と共に喜びたいと思います。 これは偏に、会友皆様の御協力と、若い会友が夫々の役割を果たして貰ったおかげだと深く感謝致しています。
当日の入場者数は、主催者側の発表で900人、パトリアではでは800人と、どちらにせよ大盛況であり、大成功であったと喜んでいます。お客様の目には涙、我々の目にも涙、しかし、私は閉会の辞をトチってはならないと、とても映画も会場も楽しむ余裕等ありませんでした。
台湾南部地震の為の募金は?・・・194,987円 と 139元(475円)と予想を大きく上回る、20万円近い額が集まりました。来場者の御好意に感謝致します。
当日取材の新聞社には、早速このことを連絡しました。大分合同は翌日掲載してくれました。
(西日本からも23日に掲載と知らされましたので、てっきりKANOと思い込んでいたら、ミャンマーの方でした。我ながら少し出過ぎと思いました。)
またこの募金は、3月22日(昨日)日田中央クラブの藤井会長、日田クラブから橋本会友と私の3名で、福岡の台湾領事館、戎総領事の所へお届けしました。領事館は桜坂の一等地にありました。
この時に、募金とは別に、日田ロータリークラブからも義援金として10万円を共に届けて参りました。台湾衛生保健部(厚生省)で受け付け、1,2か月後に受領証が送って来るそうです。
戎総領事も、これほど大規模な上映会は初めてと喜んでおられました。
戎総領事の講演の中に、日本の武士道精神が出てきましたが、昔、武士道精神を学んだ台湾に日本の精神が息づいているのに、当の日本には何処に日本精神は残っているのだろうと改めて考えさせられました。情けなくもあり、反省し、発奮の材料にして参ります。
2クラブ合同のKANO上映会は、
当初、両クラブのKANOを見て感動した会友が、ぜひこれを皆に見て貰いたい、特に若い高校生に見て欲しいという声が次第に大きくなり、2クラブ合同の上映会へと発展しました。立ち上げから8ヶ月間、毎月役員会を開き、計画、検討、実行と、役員はそれぞれの持ち場で取り組んできました。台湾総領事の講演もお願いしました。
日田RC、及び日田中央RCがこれほど真剣に、親密に取り組んだことは近来なかったのではないでしょうか。我々も、心から中央の会友と打ち解けあい、このような機会を得たことは、我々にとっても貴重な経験でありました。
また、何もないところから、皆で力を合わせて作り上げてきた、このKANOのプロジェクトが成功した事は、なによりの喜びです。
日田中央RC、日田RCの役員と会友の皆様、大変お疲れ様でした。今後も相互の友好が続くことを祈念しています。
会長の時間31 平成28年3月9日(水)
2016年03月09日
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
本日は創立記念例会です。創立は1964年3月14日、今から52年前になります。今夜の例会は、当初花見例会として計画しました。桜には少し早いし、外は寒いし、風邪をひくと困るし、という訳で小松軒の室内で行うことにしました。
いつからか、花見が創立記念に代わりましたが、花見を忘れた訳ではありません。桜の代わりに少しばかりの豊後梅を飾っています、花見の気分を少しだけ味わって頂きたいと思います。
先週は、橋本会友とミャンマーの井戸掘り視察に行ってまいりました。例会では、功能副会長には大変お世話になりました。
ミャンマーについては後日詳しく報告会する心算ですので、今日は簡単に報告します。
ミャンマーの、ワッチョン村とキータンゴン村の小学校に井戸と水槽を寄贈しました。工事は8割~9割5部ぐらいの状況で完成に近いというところです。井戸は良い水を出すために深さ70~80mまで掘っているそうです。水質は日本の水程ではありませんが、きれいな水が勢い良く出ます。両村から感謝状を頂いていますので披露いたします。
感謝状 キータンゴン小学校へ寄贈された、井戸と水槽に対し日田ロータリークラブの親切と援助に感謝します。
校長 キーア ジン ラット
ワッチョン村も同様の文です。 キータンゴンの村長より受領しました。
最後に来週末は、いよいよ映画「KANO」の上映会です。聞くところによると評判は上々のようです。まだ整理券の残っている方は、よろしくお願いします。
台湾地震の募金は、戎台湾福岡総領事を通じて届けたいと考えています。
上映会が上手くいくことを願っています。
会長の時間30 平成28年2月24日(水)
2016年02月24日
酒井田柿右衛門
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
私は、有田の陶器市が好きになり、ゴールデンウイークになると、家内と二人で良く陶器市に出かけました。最初はわくわくしながら、有田駅から上有田の方にひたすら露店を覗いて回りました。何度か続くと、やはり良いものを見て回るようになりました。
井上萬治、柿右衛門、今右衛門と、これらは本当に眺めるだけ、手も足も出ず、ただため息が出るだけです。
ところで、14代酒井田柿右衛門の昔の記事になりますが、当時メモ書きしていたものをお話します。
14代柿右衛門は、
大学では、昔はデッサンが大事と4年間みっちりやらされた。
今は個性を出せと言われる。しかし、デッサン力がなければ何も書けない。
12代は絵付け、13代はろくろが得意、14代の自分はどっちを向けば良いのか?
余白をかけ、白を描け 絵の強さと、残った白のバランスが良ければよい。
古伊万里、鍋島、柿右衛門 綺麗さと美しさは違う
天草の石は質が良くて白く作りやすい、それで有田の石が廃れてしまった。
しかし天草には味がない。
それで12代が、昔を有田の石で再興することに取り組んだ。
現代の技術は良すぎて、大事な宝物を取り去ってしまう。
不純物が宝物だ。
今は、古い寺の銅板や、釘などなんでも集めている。
千年昔の銅板の緑青などこさいで混ぜたり、調合したりして
昔の色を追及している。
科学の進歩、作陶の効率化が、有田本来の良さを失わせているという指摘は、他のすべてにも当てはまる事だと思います。不器用な生き方にこそ真実があるのかもしれません。
本日は、谷口会友の中山化成有限会社での職場例会です。谷口社長には宜しくお願いします。もう一件、2月28日から3月2日までミャンマーへ橋本会友と井戸の完成を見に行きます。来週の例会は功能副会長が代って行います。
会長の時間29 平成28年2月17日(水)
2016年02月17日
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎


会長の時間28 平成28年2月10日(水)
2016年02月10日
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
今日は3月19日に実施する、2クラブ合同の『KANO』上映会の現状報告と、今後の活動やお願いについてお話し致します。
KANO の内容はご存知の事と思いますが、嘉義農林学校野球部が日本の統治時代の台湾から甲子園に出場し、準優勝までした奇跡の実話です。これをパトリア大ホールで上映し皆様に見て頂こうという計画です。今まで2クラブで何度も会合し検討して来ました。
パトリア大ホールは定員千人ですから、高校生500名、一般500名と想定し、各高校に映画鑑賞を呼びかに行って参りました。しかし反応が薄く140名がやっとという状態です。会場が、ガラガラでは困った事になってしまいます。
そこで今日から、市役所、駅、地区公民館にポスターとチラシの配布を手分けして行おうという事にしました。ここの公民館は、近くだから私が行こうといわれる方は宜しくお願い致します。
その他では、2月8日に、記者クラブで新聞各社に取材を受けました。
本日10日、2時からKCVで収録が行われます。2月12日から順次放映されます。
2月21日には地元新聞に記事が掲載されます。
3月6日には同じく地元新聞にチラシを入れ配布されます。
いよいよ最後の手段として、来週2月17日から、会友の皆様方に観客動員をお願いしなくてはなりません。それも一人当たり5~10名の動員をお願いしたいと思います。
その為のポスター、チラシは準備しています、そして新たに入場整理券も用意します。
会友の職場を通じて、集客にご協力のほど宜しくお願い致します。
絶対に、2クラブ合同の上映会を成功させましょう。
外に、台湾の地震に関して、上映会会場に募金箱を置いたらどうかという声が上がり、これを実施することにしました。
また、日田クラブは寄付を行う予定はないかとの声も聴いています。これは理事会にかけ検討したいと思います。幹事と相談し対応します。
会長の時間27 平成28年2月3日(水)
2016年02月03日
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
知人に千原艸炎という字書き(書家)がいます、その人の発行する月刊通信の中に面白い詩がありました。この詩を見た時、何かしら自分の心に衝撃が走りました。
それは茨木のり子の『自分の感受性くらい』と言う詩です。彼女はすごい詩人でした。
この詩の外にも『私が一番きれいだったとき』、『倚りかからず』、『落ちこぼれ』等の作品も胸に突き刺さるようなものばかりです。
きょうはこの『自分の感受性くらい』と言う詩を紹介します、金八先生でも放送されたそうです。
自分の感受性くらい
茨木のり子
ぱさぱさに乾いていく心を
ひとのせいにするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにするな
そもそもが、ひよわな志しにすぎなかった
だめなことの一切を
時代のせいにするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
何か、自分の人生を見透かされ、叱られ、そして励まされている気がしました。
会長の時間26 平成28年1月27日(水)
2016年01月26日
出席率向上
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
今日は出席率について少しお話しします。
月曜日に、『例会出席へのご案内』というFAXを送信致しました。突然の事で驚かれた事と存じます。これは、最近の出席があまり思わしくないので、心配しての事です。
FAXの内容は
日田ロータリークラブの最近の出席率を見ますと、お気づきのように良くありません。
毎回65~70%程度と低迷しています。更に先週の例会は、出席率52%(実質)という危機的な状況でありました。大変残念な事です
我々執行部も、例会が楽しいものであるよう努めて参ります。
会友の皆様方も、ロータリーは出席することが義務であり、忙しい仕事の時間を工面し、
絶対欠席はしないぞと頑張って頂きたいと思います。
皆様と共に、日田ロータリークラブを支え、盛り上げて参りましょう。
このように送信しました。この場でお話ししても、欠席している会員には届かないだろうと考えたからです。
ところで、今までベテラン会友から「昔は出席が特に厳しく大変だった」と何度もお聞き
しています。活動計画書を見て改めて認識しました。
創立以降の出席状況は、創立5年目と6年目に、出席率100%を達成し373地区の第
1位となっています。そして19年、20年が96、95%で再び地区の1位、
さらに28年、32年と95、93%で再再度272地区の第1位に返り咲きという、輝かしい成績でした。この間の平均は93%です。先輩の方々には大変ご苦労様でした。
その後、46年目あたりから85%を割り込み始めました、会員も減少しています。
今は会員が過去最高の60名となっています、しかし、出席率は過去最低を記録するのではないかと心配して夜も眠られません。
例会にただ出席するだけではもったいない、義務で出席するのはなおもったいない。
出席するからには、何か一つ得て帰りたい。先輩と話が出来る事、ゴルフの話でも、飲み会の話でも、自分の意見でも、心が満たされればなんでも良いのです。
例会の中に楽しみを見つけ、有意義な時間をすごして下さい。
会長の時間25 平成28年1月20日(水)
2016年01月20日
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
私は、古文書の解読を趣味にしています。我が家の古文書はおおかた読んでしまいました。天瀬町歴史研究会の勉強史料も底をついてきました。そこで草野会友に、草野本家の史料を読ませてもらえないかとお願したところ、快く承知して頂きました。草野本家の史料は宝の山です。この史料も草野本家のお宝です『なんでも鑑定団』に出せば良い値がつくこと間違いなし・・・と思います。冗談はさておき明治維新の元勲たちの書簡を収めた立派な巻物です。
この史料は書簡というより、今時のメールです。連絡事項をしたため、使いを走らせたものだと思います。そういう書生が何人もいたのでしょう。当時の簡単な書簡には年月が入っていません、入れる習慣がなかったようです。本史料もただ10日としか書いていません。これを解読するのに3か月ぐらい要しました。西郷の郷の字は独特の崩し字になります、西口先生ではなく西郷先生です。一番難しかったのが最後の允です。最初はこれを久と読んでいましたが、誰だか人物の特定ができません。久さんと西口先生では全く意味が通じません。ある時木戸孝允(たかよし)の書簡をインターネットでながめていたら、最後にこの允の署名を見つけて飛び上がって喜びました。

これでようやく、木戸孝允が、西郷先生が来ないことを誰かに連絡しているところだとわかりました。相手が何者か、その時期がいつ頃か、そのヒントが明治6年の政変にあるのではないかと想像して、その記事も載せています。相手は反征韓論派だと見ています。
私は学問的な見地からではなく、あくまでパズルを解く推理の楽しみから古文書の解読に取り組んでいます。だから面白い、絶対やめられません。
皆様も始められてはいかがでしょう。
会長の時間24 平成28年1月13日(水)
2016年01月13日
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
以徳報怨 (いとくほうえん)
私が主催する天瀬町歴史研究会で、長老の方が、足腰が弱くなられ、永く月例会を休んでおられた。そこで、ご機嫌伺いにご自宅をお尋ねした時に、長老の若いころの戦争体験をお聞きすることができた。彼は学徒動員で少年兵として戦場へ赴き、中国南部の揚子江流域で任務に就いていた。中国は広大な土地で、占領したといっても拠点だけの支配で回りは敵だらけの危険な状態であったそうである。
間もなく敗戦になると、武器は没収され中国の奥へ奥へと連行された、たどり着いたところが長洲市の大学構内、そこが捕虜収容所となった。捕虜収容所では長い間不安な日々を過ごしたそうである。そうした或る日、収容所の壁に大きな落書きがあった。
そこには「以徳報怨」と大きく朱書きされていた、即ち「怨みは徳を以って報いる」と書かれていた。『これで自分たちも漸く助かるのだ、と安心して涙が出た』と言う事でした。
蒋介石軍は「怨みは徳を以って報いる」、他の中国共産軍やソ連軍と違って非常に寛大な政策で、おかげで自分たちは早く日本に帰還することが出来た、と言っておられた。
この時以来「以徳報怨」という言葉がいつも気に掛かっていたが、去年の7月31日の西日本新聞に、昭和天皇が外交関与発言・台湾養護を佐藤首相に促す、という記事が出ました。
この内容は、蒋介石総統率いる中華民国、即ち、台湾政府が国連の代表権を失う直前の1971年6月、佐藤栄作首相が米国のマイヤー駐日大使と会談した際、昭和天皇から「日本政府がしっかりと蒋介石を支持するよう」促されていたと伝えていたそうです。
この問題について、日本の外交文書にも「陛下が(中国問題を)心配しておられた」というマイヤー大使に対する佐藤首相の発言が記載されている。
昭和天皇の発言の背景には、蒋介石が終戦直後に中国に残った日本人の引揚げや、天皇制の尊重、対日賠償請求権の放棄等「以徳報怨」(徳を以って怨みに報いる)と呼ばれる寛大な対日政策を取った事に「恩義」や「信義」を持ち続けたことがあると思われる、と記事に記している。
「天皇は国事に対する行為のみを有しない」とする中、佐藤首相も戦後歴代首相の中で特に天皇に畏敬の念を抱いてきた首相として、台湾の蒋介石総統には、恩義を感じ、台湾の行く末を案じておられたのでしょう。
我々も、「以徳報怨」の深い意味を感じて、友好を保っていくべきだと思いました。
会長の時間23 平成28年1月6日(水)
2016年01月06日
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
明けましてお目出当ございます、今年もどうかよろしくお願い致します。
去年の暮から長い休みが続きましたが、年末年始は如何お過ごしになられたでしょうか?
旅行や、仕事や、寝正月や、孫の守りで疲れ切った人やいろいろ居られる事と思いますが、良いお正月を過ごされたのではないでしょうか。
2016年、平成28年はいよいよ始まりました。今年は申年であり、丁度私の干支になります。年男は今年もがんばるぞと意気込んでいます。
織田年度も前半を終了し、後期にもいろいろ事業が山積みです。
まず、2月になるかもしれませんが、ミャンマーの視察に行かねばなりません。
もう一つ、井戸掘りを新聞の記事にしてもらわねばなりません。
3月には、KANOの上映会と地区大会があります。
4月には、地区研修協議会と中央ロータリーの40周年、
5月には、台湾と友好クラブの調印、韓国での世界大会があります。
このように行事が目白押しです、皆様にはいろいろご協力をお願いすることが多いと思いますが、よろしくお願い致します。
今年も1年、皆様とご一緒に日田ロータリークラブを盛り上げていきたいと願っています。そしてまた、皆様にとって良い年であることを祈念しています。
会長の時間22 平成27年12月16日(水)
2015年12月16日
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
歌謡曲の詩
今年の6月、NHKの歌番組を見ました。歌は『親父』という曲で、歌手:大島花子、作詞:笹子重治・・・誰だろう?・・・外でもない、坂本九ちゃんでした。
私は、この歌を初めて聞きました。ご存知の方も多いと思いますが、聞いていてジーンときましたので歌詞を紹介したいと思います。節をつけて歌えれば、感動も、もっともっと伝わると思いますが。
15の時に酔っぱらい 親父にゲンコで殴られた
稼ぎもねえのに 飲むんじゃねえ 飲みたきゃ稼いで 自分の金で飲め
17の時にかせいで飲んだ 親父のゲンコで殴られた
かせいだ全部を飲むんじゃねえ 少しは残して おふくろ喜ばせ
今日の為に飲むんじゃない 明日の為に飲むもんだ
19の時おふくろと飲んだ 親父にゲンコで殴られた
母ちゃん なんで泣かすんだ 親孝行のマネして 飲むんじゃねえ
20才になって親父と飲んだ 親父にまたゲンコで殴られた
親より先に酔っぱらいやがって それでも 手前は男か だらしねえ
男は酒に飲まれるんじゃない 明日に生きるために飲む
今夜の酒は親父の酒だ あなたも もうゲンコで殴れまい
親父の写真に 黒いリボン 初めて あなたの笑顔の前で飲む
今夜は酒に飲まれてしまいたい もう一度 あなたに殴ってほしいから
男は酒に飲まれるんじゃない 明日に生きるために飲む
男は酒に飲まれるんじゃない 明日に生きるために飲む
私もこういう気持ちで毎晩飲んでいます。
歌は、ほんの2、3分間で人の心をわしづかみします、そして揺さぶります。スピーチもこれ程濃いスピーチが出来たらな、と羨ましいかぎりです。
会長の時間21 平成27年12月9日(水)
2015年12月09日
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
今晩は、今日は年末恒例のクリスマス家族会です。沢山の奥様方そして子供さん方に参加して頂き誠に有難うございます。奥様方に喜んでもらうのが今日の第一の目的です。
また、今年名誉会員になって頂いた、チャーターメンバーの井上幸一会友もおいで頂いています。懐かしい雰囲気をゆっくり楽しんで頂きたいと思います。
ところで、今年度、会長になりまして、はや半年になろうとしています。江藤幹事と2人3脚でやってまいりましたが皆様のご協力のおかげで何とか過ごしてまいりました。
アッという間の半年であったような気がします。あとの半年間も気を抜かずにやってまいりますので、皆様のご協力宜しくお願いします。
このあと、親睦委員会の方々がいろいろと趣向を凝らしておられるようです。
バイオリンとクラリネットの演奏もあると聞いており、素晴らしい演奏者と伺い大変期待をしています。やはり良いものを聞き、良いものを見ると言う事は自分達の感性を磨くためにも大切なことではないかと思っています。
今日は、皆様とご一緒に楽しい一時を過ごしましょう。
会長の時間20 平成27年12月2日(水)
2015年12月02日
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
先週流会しました年次総会を継続致しますので、会長の時間は短く終わらせたいと思います。 これは、ボーターズという選挙関係の機関紙に掲載されていた文章です。
昨今の政治論争では、国会の二院制の是非が問われています。では、そもそもなぜこれまで二院制が望ましいとされてきたのでしょうか。実は、二回審議して慎重を期すため、という理由からではありませんでした。
古典的な回答を示したのはジェイムス・ハリントンです。ハリントンはチャールズ1世処刑後の混乱するイギリスで、理想の国家案として『オシアナ共和国』を発表します。彼はここで、2人の少女が1つのケーキを公平に分けるにはどうしたらよいかという問いを吟味しながら、二院制の利点をしめします。
少女たちには、たくさんケーキを食べたいという利己心があります。
しかし、ケーキを切る人と選ぶ人を分けるだけで良い、というのがハリントンの解答です。
切る人がおかしな分け方をすれば、自分が損をするだけです。
同じように、法案を準備する院と、法案の採否を決める院は区別すべきと彼は主張します。
この様な原理で、衆議院と参議院が機能していけば、良い結果が出るのではないでしょうか。
会長の時間19 平成27年11月25日(水)
2015年11月25日
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
本日は年次総会です。後程重要な話し合いが行われますので、その前に軽い話でリラックスしてもらおうと思っています。
今日のテーマは『二八そば』という題です。
落語に、夜になって腹が減り、合わせて15文しか持ち合わせのない2人連れが16文のうどんを食べたいのだが1文足りない。そこで悪知恵を働かせて、うどんを食べた後支払いの段になってうどん屋のおやじの手に、「ひい、ふう、みい、よう、・・・八、今何時だい、へい九つです、 十、十一、・・・十六」という咄がありますが、ご存知でしょうか。
江戸時代は長い間、うどんの値段が16文と決まっていました、うどんも蕎麦も値段は一緒で16文です。今日のテーマである『二八そば』の名前の由来には二通りの説があります。1つめは、2x8=16文と値段をしゃれて言う説と、2つめは、小麦を2、そばを8と、つなぎの役目の小麦粉を2割入れるという説です。
『二八うどん』とはあまり耳にしませんので、小麦粉を2割合入れる方が有力かもしれません。私が注目しているのは値段が16文であると言う事の方です。
江戸時代の中期から後期までの、約100年間の長きにわたってうどん、蕎麦は16文と同じ値段です、これは幕府が値段を抑えていたこともあります。その為現在の物価と比較するときには便利です。
蕎麦の値段は、昔が16文で今では500円ということです、そうすると1文=31円、1両=3万1千円と言う事になります。しかし食料の値段は「生活の基礎」であるため、いつの時代も安く抑えられています。私の試算では、米では1両=4万5千円、しかし人件費は1両=24万円ぐらいになります。近頃の人件費は食料に比べてひどく高くなっています。全体の感じとしては、1両=10万円より少し上という所でしょうか。千両箱を盗むと1億円になります、しかし重量は25kgもあります。簡単に担いで屋根伝いに逃げたり出来ません。
いろいろ申しましたが、食料は生活の基であって、値段はいつの時代も低めに安定させられています。ここが私の一番残念に思う所です。
食料品の値段を抑えるということは農産物の値段が抑えられます。農産物の値段が抑えられれば農家の収入が上がりません、農家の収入が上がらなければ農業を継ぐ人がいません。したがって、ますます農村は疲弊し過疎になってしまいます。いわゆる限界集落、消滅集落です。
我々は、自給自足を忘れてはいけません、商業、工業だけで日本は成り立っていると思うのは、おごりです。やはり、バランスの良い社会を考えて行くべきだと思います。
会長の時間18 平成27年11月18日(水)
2015年11月18日
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
本日は、佐藤定款細則委員長の卓話となります。
この度、定款細則委員会の佐藤委員長はじめ、橋本副委員長、草野委員、梅野委員、佐竹委員、武内委員、のおかげで、立派な日田ロータリークラブ定款細則の冊子が出来上りました。委員会の皆様には大変感謝を致し、熱くお礼申し上げます。なお、この冊子は他クラブの手本となるような立派な出来栄えだと喜んでいます。
私もこの定款細則の作成にはかなり思い入れがあります。それは4年前の2011年6月、木下ガバナー(当時)主催の定款細則セミナーに出席したのがきっかけです。
その席上で、2010年の規定審議会で、青少年分野の奉仕活動が第5の奉仕活動として標準定款に盛り込まれた、その為定款を改める必要がある、と言う事でした。
私には何のことやらさっぱりわかりませんでした。それまで定款細則の存在すら知りませんでした、早速帰って麻生さんに定款細則の事を聞いたのが始まりです。
そのセミナーの中で、1つだけ印象に残った諺があります、それが
『ロータリーを蝕む病気がある、それは 【前例のまま穏便に症候群】 という病気だそうです。これに罹る率は非常に高く、この治療法はただ1つ、クラブ細則の改正にある。』
と言う事でした。それで訳も分からず細則を調べることになったわけです。
その結果、2012年3月に定款細則の卓話をさせてもらいましたが、その時にこの細則は、実際の日田クラブの習慣とは合っていない必ず改正すべきであると強く感じました。
今回会長となり、細則の改正に取り組む良い機会だと思い、定款細則委員会を立ち上げ、現在に至っています。
一方、定款はそのまま受け入れなくてはなりません。但し、クラブの名称と、所在地だけは変更出来るとなっています。そこで日田クラブの所在地が以前は、市町村合併前の日田市、日田郡となっていたのを日田市に変えるよう申請を出してみました、当然承認されました。
規定審議会が2010年、2013年と3年ごとにあり、ここで定款が審議され変更されます。
現在配布している手続要覧は2013年度版で、次は来年の2016年に規定審議会が開かれ、翌年に翻訳した2016年度版が地区に回ってきます。その時点で定款と細則を変更する必要が出てきます。ただ細則まで変更する必要があるかどうかはわかりませんが、今後も3年ごとに見直しが必要になってきます。
会長の時間17 平成27年11月11日(水)
2015年11月11日
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
今月は財団月間ですので、本日の卓話は原財団委員長が行います。
卓話の前に前座として、私が財団の寄付について少しお話しさせてもらいます。
先日の米山記念奨学生の卓話は素晴らしいものでした、あのように優秀な学生の為になっている寄付は意義有るものだと感じました。一方財団の方でも、地区補助金を利用してミャンマーに小学校の建設を行い、今年は井戸掘りを行おうとしています。
このようにロータリーでは、財団と米山への寄付が車の両輪のように、社会奉仕の重要な基金になっていると感じています。
4年前に2720地区ガバナーから、財団寄付を100$から150$に値上げするように要請がありました。日田ロータリーではその当時80$しか寄付をしていませんでした。クラブ拠出金の方を50$から60$に値上げしてようやく100$に届いただけです、地区の希望する150$にはまだまだ届きません。そこで皆さんに自ら進んで、しかも喜んで寄付をして頂くしかないという考えになりました。
去年の地区平均が102$、今年の日田ロータリーの予定が110$、皆様全員が寄付を希望してくだされば、これが160$になります。私は皆様全員が財団、米山の両方に寄付をすることを希望して下さるよう期待しています。
次にお配りした資料をご覧ください。日田ロータリーの寄付の仕組みを書いています。入会して10年間は財団に100$寄付します。これは銀行引き落としとなっていますので自分がどこに寄付しているか良く存じていない方も多いと思います。10年たって1000$になるとポールハリスフェローになります。その後は財団に変わって米山に1万円を寄付する事になります、これも10年立って10万円になると1回目の米山功労者となります。
そうゆう訳で、寄付を希望される方は、来週11月18日までにFAXにて事務局へご連絡して頂ければ幸いです。