40年間100%出席
2012年11月29日100%出席の会友が例会で表彰されました。
中でも佐藤建身会友は40年間の100%出席です。
「ミャンマーについて」 2012.11.28
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
11月30日(12月5日朝帰国)から、私と田島副会長、織田R財団委員長で、学校建設予定地の現地視察に行ってまいります。つきましては、ミャンマーについて勉強したことを少しご紹介したいと考えます。
ミャンマー連邦共和国
面積:日本の1.8倍
人口:6250万人(約日本の半分)
首都:ネピドー(2006年よりヤンゴンより遷都)
民族構成:ビルマ族70%、シャン族8.5%、カレン族6.2%モン族2%、インド人2%
宗教:国民の85%が仏教徒、キリスト教徒5%(主に山岳少数民族)、イスラム教徒4%
公用語:ビルマ語
気温:平均最高気温30から40°の間で、最低気温は15°を下ることはない。
降水量:5月から10月が雨季で、11月から4月は乾季
ミャンマーの歴史
ビルマ族の起源は、もともとチベット高原から下りてきた人たちで、1044年にビルマ族のパガン王朝を樹立しました。チベット系ですから、ビルマ語は日本語と似た語順のウラル・アルタイ語系です。
1885年にイギリスに完全に鎮圧されて、1886年(明治29年)に英領インドに併合されて、ビルマ国王夫妻はインドに流刑となりその地で死亡しました。
その後、イギリスは北部山岳少数民族をキリスト教に改宗して軍と警察を担当させ、インド人は金融、華僑は商売、ビルマ人は最下層の農奴にするという分割統治政策をとりました。
この身分関係がビルマ人の山岳民族への憎悪として残り、今の残る民族対立の原因になりました。
日本とミャンマーの関係
1941年の大東亜戦争開戦後、日本軍は援蒋ルートの遮断などを目的としてビルマへ進攻し全土を制圧しました。この時、タイで日本軍の支援によって設立されたビルマ独立義勇軍をアウンサン(アウンサン・スーチー氏の父親)が率い、1943年にバー・モウを元首とするビルマ国が建国されました。
その後、1944年のインパール作戦の失敗など日本の敗色が濃くなると、アウンサンの指揮するビルマ国民軍は、日本軍とビルマ国政府に対してクーデターを起こしイギリス側に寝返りました。
しかし、戦後、イギリスは独立を許さず、再びイギリス領になりましたが、1948年に、やっとイギリス連邦を離脱してビルマ連邦として独立しました。
なお、ビルマ方面作戦に参加した303,501名の日本軍将兵のうち、6割以上にあたる185,149名が戦没し、帰還者は118,352名のみでありました。
ビルマ戦線については自らの従軍体験を基にした「フーコン戦記」(古山高麗雄)や、北ビルマの激戦に従軍された日田の方、元台湾人日本兵からその体験談を聞いたことがありますが、北ビルマから撤退の道は白骨街道と呼ばれるほど悲惨なものだったそうです。
今回の学校建設予定地の視察はもちろんのことですが、ビルマの風土や人情、日本人に対する想いなども肌で感じてきたいと考えます。帰国したら皆様に現地の実情をご報告いたします。
「子供を可愛がった日本人」 2012.11.21
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
最近は、育児放棄、幼児虐待など、子供をとりまく環境には厳しいものがあります。いつからこんな殺伐とした世の中になったのでしょう。
「江戸の子育て」という本があります。この本を読むと、江戸時代の日本人の子育ての様子が良く分かるので一部を紹介します。当時の子供たちは信じられないほどかわいがられて育てられていました。
明治初期に来日した英国婦人イザベラ・バードは「私はこれほど自分の子供をかわいがる人々を見たことがない。常に子供を抱いたり背負ったりしている。子供の遊んでいる様子をじっと見守り、時に一緒に遊んでやったりもする」と書いています。
ちなみに、戦国時代に来日した宣教師も同じように、子供たちがこんなに可愛がられて、こんなに安心して遊んでいる国は見たことがないと書いています。
江戸時代の大人たちは、毎晩、子供のそばで、おかしくもない子供の話も面白そうな様子で聞き、親からも年相応のことを話して聞かせ、子供を中心に団欒を共に楽しんでいたようです。
スキンシップも現代よりはるかに豊かで、乳をくわえて寝たり、抱かれて寝たりするだけでなく、外出の帰りは、大抵、おんぶか抱っこでした。
肌と肌とを接してやると子供は良く寝るので、子供を裸にして抱いて寝、子供が乳を求めて母親のところに行けば、いつでも乳を飲んだり、舐めたりすることが出来たようです。
睡眠についても、現代では一人で寝させるのを自立と言っていますが、一人で寝かせた様子はありません。婆と寝て目覚めると婆の乳を舐めたり、爺と寝て昔話をしてもらったり、いつも誰かが添い寝していました。
ある日記には「孫を抱いて寝ると『おじいさ、百人一首を読んで』という。天智天皇の『秋の田の』と読んでやると、その通りに読む」とあります。
愛情たっぷりの中で、百人一首や、舌切り雀、花咲かせ爺、古の聖賢の話、大和の名将勇士の振舞いなど、年相応の物語を取りまぜ、寝物語に聞かせながら自然に手習いや書物に導くことが江戸の子育てであったようです。
文化年間、松前藩で捕虜生活を送ったロシア海軍少佐ゴローニンは「日本人は世界で最も教育の進んだ国民である。読み書きの出来ない人間や祖国の法律を知らない人間は一人もいない。一番大切なことは日本人が幼年時代から子弟に忍耐、質素、礼儀を極めてたくみに教え込むことである」と書いています。
今は核家族化して、爺や婆と一緒に住むことも少なくなりました。中には孫を触らせてもらえない爺や婆もいます。
もう、江戸時代に戻ることもできませんが、今の日本人の考え方を変えない限り、いくら制度をさわっても、お金を出しても、少子化も幼児の虐待も改善されることはないだろうと思います。
11月21日(水)
ゲスト卓話 青木正年西部振興局長「日田には未来がある」
日田市の未来の可能性について、日田市の地理的要衝、子どもたちの事、有効求人倍率、観光、文化、再生可能エネルギー等々をお話ししていただきながら、わかり易く講演いただきました。ありがとうございました。
「東北大震災の被災地を見て」2012.11.14
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
先月、東北大震災の被災地、石巻市と仙台市を見てきました。
石巻市では、破壊された建物はきれいに片づけられていましたが、瓦礫のほとんどは、まだ集められて積み上げている状態だそうです。市民は北九州市の名前をあげて瓦礫の受け入れを感謝していました。
平地になっている石巻市の港に面した市街地では、新たに住宅等を建築することは禁止されていて、将来はスポーツ公園にする計画になっているということでした。
しかし、個人の所有地を国が買い取る土地の値段は固定資産評価額で、例えば8万円ですが、高台に建設される予定の土地の値段は18万だそうです。どうして移転できますかと被災者である語り部の人が言っていました。
話を聞きながら、日本で、私有財産がそのような形で処分されることが可能なのだろうかと疑問に思いました。仮に、ある人が津波はもう千年は来ないと判断するから、自分の責任で家を建てると言うことを政府が拒否できるのだろかと疑問に思いました。
石巻の海産物の年間売上高は600億円であったそうです。昔から、海と共存共栄で栄えてきた町です。漁業が再生しないと税収もあがりません。これからも町が再生しようとすれば漁業でしょうから、津波被害を受けた昔もそうであったように、人々は自然に再び海に近づいて来るしかないだろうと推測します。
自然災害を完全に防ぐことはできません。しかし、被害を減らすことは可能だと思います。
今まで何回も津波警報が出されたそうです。しかし、いつも二、三十センチのものだったので、皆が警報に慣れてしまったそうです。
また、今回の津波で、保育園児や小学生が園や学校にいて亡くなった子供はいないそうです。それは、園や学校では、マニュアル通り避難したからです。
警報の出し方や、港周辺での避難場所の確保などで、被害はかなり減らせるのではないかと思います。
仙台では、津波が畑を遡上していた場所に行きましたが、方々で田んぼの塩抜きをしていましたから、もう、畑を活用する方針のようです。私は、高速道路の土盛りで津波が止まったことからも、むしろ、海岸沿いに土を盛るべきではなかろうかと考えていましたら、先日の読売新聞に13メートルの土盛りをする計画があるという記事がありました。これでも巨大津波から完全に守れるかどうかわかりませんが、少なくとも減災はできると思います。
日曜日の「やしきたかじんのそこまで言って委員会」で、東大地震学のゲラー教授が「地震の予知は絶対に出来ません。これが学会の大方の意見です」と言っていましたが、やはり、日本人は良くも悪くも自然と共存して行くしかないのではないかと思います。
2012.11.7 日田キヤノンマテリアル株式会社さんで職場例会を開かせていただきました。
坂下喜一郎社長様をはじめ、工場長様、部長様にも大変お世話になりありがとうございました。
工場の説明、製品の説明の後、見学もさせていただきました。
「日田キヤノンマテリアル株式会社さんでの職場例会」 2012.11.7
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
本日は、日田キヤノンマテリアル株式会社さんの工場見学をかねての職場例会ですが、快く受け入れて下さいましたことを深く感謝いたします。
今年の6月に行われた開所式で御手洗冨士夫キヤノン会長は、日田キヤノンマテリアルで造る部品について「キヤノンの“宝”といえる技術やノウハウがぎっしり詰まっている。こうした重要な部品の生産は海外に出すつもりはない」と力説され、キヤノンのものづくり方針として「労働集約的な組み立ては一部を海外に出すが、付加価値の高いものは日本に残し、雇用にも貢献していく」と述べられました。
このような戦略性の高い工場を日田に建設、かつ、日田市内からの大勢の若い人たちを採用して下さいましたことに日田市民として感謝するとともに、将来的な事業の拡張を大いに期待いたします。
本日は、グローバル化の中で日本の製造業が如何に対応して行くかなどのお考えも併せてお聞かせ願えれば幸いです。本日はよろしくお願いします。
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
今日は恒例のチャリティバザーですが、朝早くから設営・値付けなどに来ていただき誠に有り難うございます。バザーに欠かせない奥様方のご協力にも深く感謝いたします。多くの来場者と出来るだけ多くの益金がでることを期待します。
さて、先般からお話ししております、創立50周年記念事業としての国際奉仕活動の件ですが、地区副幹事のご紹介でミャンマーでの小学校建設の話が来ております。
これは既に現地で小学校を3校建設した実績のある方のご紹介ですが、ヤンゴンからバスで2時間、バイクで30分のティダンゴンという村の掘っ立て小屋の寺子屋をコンクリートの学校に建替えたいというユニセフからの紹介です。写真で見ましたが、実にみすぼらしい建物ですが、壁にこれまたみすぼらしい黒板がかかっていましたので、貧しい村が独自に村の子供たちに教育しようとする姿勢に逆の意味で感心しました。
建設費用は約100万円くらいだそうです。教員の一人あたりの月給は通常3000円ということですが、この学校については、人件費は独自でやるという話もあります。
つきましては、事業化するためには、来年3月までに地区財団に財団補助金の申請をしなければならないので、現地調査をして、話を詰めてきたいと考えます。
現在、私と田島副会長と織田財団委員長の3名が、11月末から12月初めにかけて現地調査に行くようにしておりますが、他に参加希望の方がいらっしゃれば、早急にお申込み下さい。ミャンマーはビザが必要で取得に3週間かかることと、日本企業のミャンマーへの関心が高く、航空券が取りにくい状況があるためです。
ミャンマーは非常に親日的で国民は真面目で向学心が高いと言います。戦略的にも仲良くすべき大切な国ですので、50周年に向けて何とか良い事業にしたいと考えております。
2012.10.24 チャリティーバザーを開催しました。
午前中より準備開始。会場を設営し、会友が持ち寄った寄贈品を整理、値付けしていきます。
市価の半額が目安です。
たくさんの方にご来場いただきました。
ありがとうございました。
人気のコーナーは開場10分でほぼ完売。
貴重な売り上げは社会奉仕活動に使用させていただきます。
2012.10.17 観月例会を終えて
親睦委員 永田耕一
月見で一杯!という日本ならではのお酒の楽しみ方をかねての、本日の観月屋形船での親睦でしたが、いかんせん雨と、あるトラブルというか紛失というか・・波乱万丈なことがおきるひたRCならではで、陸上での親睦会となりました。
今季の親睦の方向として、昨年夜間例会が少なく諸先輩方と新人との親睦自体が少なかったことを受けて、今季は積極的に夜間例会を含め、夜の席を設けることを意識的に多くしました。そのことでも賛否両論はあるかと思いますが、少なからずベテラン・中堅そして新人間の親睦自体がより深くなったことは、今回の例会での各席での移動の頻繁さで垣間見ることができました。
まず当初の目的が達成できつつあることはありがたいことであります。
その中で親睦として大先輩方とお話をするなかで、やはりロータリークラブたるもの及びロータリアンたるもののお話を頂きますが、新しい世代を迎えた新しい時代のロータリーの動きはどうあるべきか!そしてその方向性で、失ってはいけない大事な日田RCとしての伝統は何か!をもっと明確にすることが、日田RCが今後もさらに維持発展していくために今、必要なことではないかと恐縮かつ僭越ではありますが「感想」として感じていることです。伝統も時代に合わせてマイナーチェンジしなければ維持できません。維持できなければ伝統も何もあったものでありません。しかし常に今だけを見て動けば、志や理念という共有認識は出来ません。それがなければ維持すら出来ません。今を優先し、今にあった戦略を行いながらも、引き継いでいくべき伝統や共有認識を今の言葉に咀嚼しながら脈々と世代間で引き継いでいく!この両輪こそビジネスにも、ロータリーにも、全てにおいて大切なことではないかとあらためて世代間の親睦を行いながら感じました。
香港エレクトロニクスフェア視察」2012.10.17
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
香港エレクトロニクスフェアを鬼武会友の案内で見学してきましたので感想をご報告します。私が最後に香港に行ったのは香港返還前で、ビルの間を発着する啓徳空港でしたから、新しく近代的ハブ空港となった香港国際空港の偉容に驚きました。英国統治最後の事業として僅か6年で完成させていますから、未だに満足なハブ空港のない日本と比べてその戦略性と実現スピードの差に愕然とします。
香港は中国本土を後背地を持つ利点もありますが、この空港を最大限に利用して世界中かバイヤーを集め、今回の香港エレクトロニクスフェアのような展示会などを数多く開催しています。今回フェアが開催された会場は地下1階、地上5階ですが、延面積で東京ドーム10個分だと聞きました。朝の9時から夕方6時まで、歩き回っても3分の1も見ていないのではないかと思います。3千数百社のサプライヤーがそれぞれ工夫を凝らした製品を展示していましたが、ほとんどが香港と中国本土の会社でした。台湾や韓国はありましたが、日本からはサプライヤーもバイヤーも少なかったのではないかという印象です。
展示された製品は一流品とは言えないかもしれませんが、デザインもよくて値段が安く、東南アジア、中近東、中南米、アフリカなどの発展途上国では大いに売れるだろうと思いました。3Dテレビ等の出品もありました。基幹技術は日本から輸入しているのかもしれませんが立派に映るし、コスト面で日本製品は太刀打ちできないでしょう。
数千の香港サプライヤーは、多分、ビルの狭い一室で企画を練り、部品を集めて、中国本土で組み立てるという構造なのでしょうが、これだけ世界中からバイヤーが集まっている活況を見ると、今後、日本の製造業はどう対応して行くべきかと素人ながら考えさせられました。
20数年前、広州交易会を見たことがあります。錆びた製品が展示されるなど何も見るべきものがなかった当時と比較すると、会場も製品も展示方法も洗練され大変な進歩でした。今後も東アジアの製造業等の動きには目が離せないと感じた今回の香港視察でした。鬼武会友の案内に感謝します。
2012年10月13日(土)、14日(日)の2日間、2012〜2013年度、国際ロータリー第2720地区ローターアクトの第28回年次大会が日田市で開かれました。
ホストクラブは、日田中央ローターアクトクラブ、提唱クラブは日田中央ロータリークラブです。
開会式は、亀山亭で、懇親会は三隈川に浮かぶ遊船で開かれました。
式典が終わり懇親会へ。懇親会は水上ステージと遊船でありました。
「岡村ガバナー公式訪問について」 2012.10.10
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
先日の岡村ガバナー公式訪問の会長・幹事懇談会で話し合われたことなどを報告します。
まず、何か困っていることはないか聞かれましたのでと、ロータリー財団資金を活用して国際奉仕をしたいが、どうすればよいかと質問しました。赤山年度には460万円の財団資金を地区にバックする予定であるので、クラブ資金と合わせて国際奉仕に使ってほしい。10月27日にセミナーで詳しく説明するとのことですので、私と財団委員長が話を聞いて参ります。
日田クラブは約50年間、ロータリー財団に資金を拠出するだけでしたが、来年の50周年には、有効に使わせていただきたいと考えております。
なお、岡村ガバナーは、自分は現在、ガバナーであるから財団の資金は使わずに、個人でミャンマーに学校を建てたいと言われていました。明日、中川地区副幹事のご紹介で、既にミャンマーに学校を建てた実績のある方の話を聞く予定になっています。
他クラブから、CLPについても質問が出ましたが、岡村ガバナーは「あれは本来、人数の少ないクラブのためで、本来、大委員長の下に各委員長はつかない。クラブが上手くいっていることが、クラブ・リーダーシップ・プランだ」と言われていました。
規定審議会の話もされました。この審議会は国際ロータリーの唯一の立法機関で各地区から1名選出の532名(内、日本から34名)で構成されています。
審議会で、定款の改定で議題になった一つに、Eクラブの件を取り上げられました。
Eクラブとは、インターネットを使って例会に参加できるクラブのようですが、日本では会員が顔を合わせない例会など考えられないので日本の委員の全員が反対したそうですが、外国の圧倒的多数の委員が賛成したのだそうです。
何事についてもいえることだと思いますが、日本の国内だけ基準や価値観で物事を考えていると、世界の大きな変化に気がつきません。世界のテクノロジーの進歩等に合わせて、常に発想を新たにすることが必要だと思いました。まさに「一眼を足下に、一眼を海外に」ではないかと考えます。
その意味でも、岡村ガバナーは、来年のリスボン国際大会について、2720地区から今のところ100人ぐらいにはなりそうだが、多くの会員の参加してほしいということでした。
ロータリークラブの良さは世界のロータリークラブとつながっていることだと思いますので、日田クラブからも出来るだけ多くの人が参加されることを希望します。
10月3日 第2720地区ガバナー 岡村泰岳氏が公式訪問されました。
この日は、玖珠ロータリークラブ、日田中央ロータリークラブ、日田ロータリークラブの3クラブ合同例会が開かれ大いに懇親されました。
「ガバナーをお迎えして」 2012.10.3
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
岡村ガバナー、奥様、ようこそ日田にいらっしゃいました。
本日は岡村㤗岳ガバナーと三枝子夫人をお迎えして、3クラブ合同例会が開かれますこと大変嬉しく思います。3クラブを代表して歓迎のご挨拶を申し上げます。
先程まで、岡村ガバナーと3クラブ会長・幹事懇談会がありました。ガバナーのお人柄だと思いますが、大変にざっくばらんな会議でありながら、国際ロータリーや第2720地区の在り方について、沢山のヒントやらご教示をいただきました。
最初に、ガバナーから「何か困っていることはありませんか」というご質問をいただき、「特にありません」とお答えしましたが、会議が終わって、自分が何にも知らないのが困ったことだと反省いたしました。
木下、本田パストガバナーから岡村ガバナー、そして赤山ガバナーエレクトと長期戦略に基づき、確実に第2720地区が発展向上していることを実感します。私は個人的に面白くなりそうだと思いました。
このあと懇親会があります。ガバナーと、そして3クラブの会員同士が懇親を深めていただきたいと思います。簡単ですが歓迎の挨拶といたします。
「時間という制約要因と捨てる技術」 2012.9.26
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
最近、私は、メガネ、本、携帯、書類、情報などを探すのに、相当な時間を無駄にしています。
先日、インターネットを見ていたら、私にとって、とても有用なことが書いてありましたので、皆さんにもご紹介したいと思います。
それは、「もし、あなたが毎日一時間節約したいなら、『乱雑さ』と手を切り、生活から『ごちゃごちゃ』を一掃する必要がある」ということです。
私の時間の無駄の原因は、まさに『乱雑さ』と『ごちゃごちゃ』のためです。
どうして『乱雑さ』と『ごちゃごちゃ』が生まれるかといえば、例えば、後で必要だろうと思ったものが、机の上や引き出しに溜まって、整理がつかなくなっているからです。
たとえ整理していたとしても、2年も3年も、あるいはそれ以上、一回も使わない情報や資料が山になっていますから、それは必要な情報とは言えません。もはやゴミの山です。
その上に、郵便物や定期刊行物が増えて、読まないまま積んであります。
更には、最近はアマゾンなどインターネットで、本が送料なしで簡単に買えるので、興味のある本、書評の良い本を、ワンクリックで次から次に買ってしまい、そのまま、積読(つんどく)になっています。
そして、先日、たまたま、本屋で月平均300冊から500冊読むという作家で元外務省主任分析官の佐藤勝氏が書いた、「読書の技法」という本を見つけました。
その中で佐藤さんは、1冊5分で読む「超速読」と30分で読む「普通の速読」を使いこなせと書いてありますが、彼の速読術とは、要は、読む必要のない本を排除するためのものだそうです。
佐藤さんは「正しい方法論を確立するために重要になるのは、『時間という制約要因』について、常に頭に入れておくことだ」と言っています。そして、正しい方法論には「捨てる技術」も含まれると書いてあります。
これから数年の間に、インターネット情報は40倍になるという説もあります。
増え続ける情報の中で、何を拾い、何を捨てるかの方法論を身に付けることにより、人生という時間的制約の中で、不要な情報や物は捨て、正しい情報を選択して、シンプルで豊かな生活を送りたいと考えています。
「辛卯歳(かのとうのとし)」2012.9.19
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
先日、中津ロータリークラブを訪問したときにお会いした塩釜ロータリークラブの和田忠さんからお手紙をいただきました。
その時、例会場で和田さんが話された昨年の東北大震災を予言するかのような昨年正月の塩釜神社のご託宣について、もう少し詳しく教えて下さいという私のお願いに対する返事でした。
和田さんは帰られて、早速、塩釜神社の宮司様にお聞きしたところ、その出典は安岡正篤先生の著書「干支の活学」の中の「辛卯歳(かのとうのとし)」であったそうです。
そのコピーは皆様のお手元にお配りしておりますが、
「辛」(かのと)はこれまで地下深く潜在していたエネルギーが様々な矛盾・抑圧を排除して地上に発現することを意味するそうです。
「卯」(う)という字は、真ん中の2本の棒は、門柱を表し、両側が門扉を開いた形を表し、従来、手を付けていなかった未開発地を思い切って開発することを表現している。
「辛卯」(かのと・う)は断固とした強い意志で、これまでの障害を除去して、新しい分野を切り開かねばならない年ということとのことです。
これをご覧になった皆様の想いは様々でしょうが、私は現在の日本や世界の状況を言い当てているように思えて仕方がありません。
日本も戦後の矛盾が顕在化してきているし、現在反日デモで揺れている中国にしても日本以上に抱えた矛盾が噴出して来ているように思います。
そういう意味では「辛卯歳(かのとうのとし)」は去年のことでありますが、様々な矛盾・抑圧が発現した年であり、それはまだ始まったばかりだといえないでしょうか。
塩釜ロータリークラブの和田忠さんからは、ご丁寧で格調の高いお手紙を頂戴し、ロータリアンはかくあるべしと改めて思いました。
新入会員卓話 湯浅総会友
本日は今年2回目の卓話ということで参加者が少ないと思っていましたが、出席率が通常どおりであったのは唯一の女性会員、原さんのおかげだと思います。皆様と同期会員の原さんに感謝します。日田ロータリークラブにおいて1月25日の外部卓話を引き受けたことにより、多くの反響がありました。学生や保護者さんの間では増え続ける体重とともにそこそこ有名になってたのですが、一気に社会人の方から講演依頼や、いろいろな活動へ参加をよびかけられるようになりました。ロータリーの力を痛感しました。 塾事業のほうも順調に、8月末で講師数8名、日田市史上2回目の200名以上在籍の学習塾となりました。以前200名在籍されていたT塾さんは今年で閉塾されましたが、バブル期ではなく少子化不景気の中でこの数字を達成し、地域に受け入れられていることをありがたく思います。現在日田市域で子供は1学年650名しかおりません。その中で中3を45名集め、6人ほど入塾を断りました。地域占有率では大分でダントツのトップ塾とのことです。九州でも指折りとのこと。しかし大事なことはそういう数や占有率ではなく、生徒一人ひとりのオンリーワンの塾になれるかだと思っています。現在ではそういう意味で質の高い講師不足で、高2、中2、小5、小4の4学年以外は募集停止にしています。どなたかよい講師の方がいればご紹介お願いします。 私の家庭は2代続けて母子家庭で、男付き合いとかが全くよくわかっていません。ロータリーといえば、僕にとってはマツダのエンジンだったのですが、会長橋本先生がさりげにおいていった名簿をみてびっくりしました。祖母が「ぶげんしゃどん」と言っていた方がずらり。「なんで僕こんなところに呼ばれたんやろう・・・」というのが第一印象です。それでも恥を捨て置き入会させて頂いたのは、自営業で既に叱ってくれる人もおらず、父親もおらず、学ぶ人が欲しかった事が入会させて頂いた大きな理由です。また1月25日の卓話で話しましたが、日田の教育格差をどうにかしたく、少しでも実行力を持ちたかったこと。隈診療所の宮崎先生がクリスマスにサンタの格好をして訪問する、というネタで医療系学生を推薦入試で20名ほど通してもらってるので、断れば祖母をお世話して頂いた宮崎先生に顔向けできないと思ったこと。草野先生や佐藤先生がいるので、色々なご相談が出来るかなと思ったこと。今の僕では見る影もありませんが、高校のころ石井博基先生のテニスクラブに所属させて頂いて、たらふくタダ飯を食べさせて頂いたので、かの有名な「出世払い」をしなくちゃいけない、と思ったこと。また幼少のころ母子家庭でお世話になった橋本先生は、散歩で毎日塾の前を通るのですが、まさかここで断れば連れてる犬から噛まれる危険を感じたからです。 今のところ最年少会員とのこと、塾の仕事がら平日の昼間はわりと時間が取れますので、諸先輩方に勉強させて頂きたく思っています。なにか人手が足らないときは、見てのとおり食事さえいただければいつでもはせ参じますので申しつけください。皆様のご指導、心よりお待ちしています。
新入会員卓話 原 道子会友
まずは、初の女性会友に承認して頂きましたことに、お礼申し上げます。日田ロータリーグラブに入会して、日も浅く、まだまだ何もわかりませんが、今後ともよろしくお願いします。少し私のことについてお話させていただきますと、皆様ご存知とは思いますが、原 正隆の娘でございます。私の会社である有限会社三愛メディカルセンターは、亡き祖母、父の母が、設立した会社でございまして、それを引き継ぎました。祖母は、いつまでも息子想いの人でしたので、何か出来ることをしたかったのだと思います。仕事内容としましては、病院内の受付、保健請求業務、患者様の対応など、医療は今やサービス業でありますので、その顔となる業務になります。今現在、医療も様変わりしましたので、厳しい状況になりましたが。今更ながら、診療から経営まで、一人でこなしている父を、とても尊敬しているしだいです。私の小さい頃は、父は忙しく、話しもできず、ましてや、一緒に遊んだことも少なかったように思います。今の傾向としては、世間は、家庭第一という感じですが、私の子供時代では、お父さんは一生懸命仕事をして、お母さんは家庭を守る、という時でしたので、今どきとは違う家庭でした。ですから、なかなか父との接点がなく、今、ようやくここにきてやっと、話ができるようになりました。今回何を話していいのかわからず、こまりはて、迷いましたが、私の趣味についてお話を移します。高校、大学の頃から体を動かすのが好きでしたので、いろいろなスポーツをかじりました。テニスに、スキー、スキューバーダイビングと、いわばバブルの道を歩んだ世代です。唯一ゴルフだけは、親父くさい!と拒否していたものが、それが、今では、父との遊びの接点となりました。父の助言がなければ、これすら持てなかったと思います。父の若い頃に、自分が出来なかったことを、私がさせてもらったことは、ありがたいと感謝しているところです。これによって、一緒にゴルフするだけでなく、共通の趣味になったことは、嬉しいことです。また、このゴルフによって、いろいろな方と知り合うことが出来たのは、きっと、父のおかげでしょう。実は、父は、男の子が欲しかったんじゃないかと思われる節がありました。女の子にもかかわらず、なぜか、父の好きなお相撲を取ったり、空手の技をさせられたりと、どう考えても、男の子を育てて、大人になったら、お酒を飲みたかったんだと思います。でも、女の子ですから、それが出来ないと、残念だったのでしょう!だからこそ、何か一緒にできることは、私たちにとって、非常に重要なことだと思います。これで、少しでも、父の願望が満たされるなら、なおさらです。皆さまにもお分かりのとおり、父とは似ていますので、出来る限りご迷惑をおかけしませんように、また私に与えられました使命でございます父の引率を滞りなくできますよう、それと共に、奉仕の一環のお手伝いができますように、励みたいと思います。初の女性会友に恥じぬよう、頑張ってまいりますので、皆さまご指導いただけますよう、重ねてお願いいたします。とめどもない話で、お時間をいただいたことを申し訳なく思っておりますが、これにて、終わりとさせていただきます。お付き合いくださいまして、まことにありがとうございました。