12月の例会予定
2018年11月22日・12月 5日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
会員卓話 宮崎会友
・12月12日(水)午後6時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
年末家族会
・12月19日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
クラブ協議会〜上半期を終えて
・12月26日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
会長卓話〜上半期を終えて
・12月 5日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
会員卓話 宮崎会友
・12月12日(水)午後6時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
年末家族会
・12月19日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
クラブ協議会〜上半期を終えて
・12月26日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
会長卓話〜上半期を終えて
日田ロータリークラブ 会長 膳所和彦
いつもの朝の風景
私は早朝愛犬を連れて自宅近くを散歩しています。雨の日以外はほぼ毎日午前6時50分に家を出て、約15分かけ、いつも同じルートを回って来ます。自宅前の細い道を抜けセブンイレブンのある本町交差点に出て、国道沿いを江田会友の自宅の少し手前まで行き、その後裏道を通り自宅へ戻って来ます。その道程の間に必ず見る光景、そして時々見る光景があります。毎日見かけるのは、国道沿いにある駐車場に駐車している黒の軽自動車です。その軽自動車の中には必ずスーツを着て新聞を読んでいる一人の男性がいます。週末以外は必ずいらっしゃいます。ある日私の散歩の時間が遅れ、7時30分頃駐車場を通った時、その男性は車から出て道路を渡り、向かいの証券会社のビルに入って行きました。おそらくビルの玄関の鍵が開くまでいつも車の中で待っているのだと思いますが、やはりその早朝の行動は不思議です。もう一人毎日会うのが黒のジャージを着、白い手袋をしている若い男性です。彼には私が自宅に戻る手前で必ずすれ違いますが、挨拶を交わしたことはありません。何となく声を掛けづらい雰囲気があり、お互い無言のまま通り過ぎています。そして毎日ではないのですが、頻繁に出会う光景があります。まず私の医院の向かいからエンジンの音を掻き立てながらさっそうとアウディで現れる江藤会友です。お互い軽い会釈をしますが、あっという間に駆け抜けて行きますので、ほんの一瞬の出会いです。そして本町交差点付近で出会うのが、ダンベルを両手に持ってウオーキングされている石松会友です。石松会友とは出会うと声を掛け合います。つい最近は創立55周年記念式典の準備もありましたので、それに関する話を立ち止まってしたこともあります。その他本町交差点の信号で止まっているのを見ることが多い白いレクサスLS。どなたが運転しているかは不明です。そして自宅前ですれ違う大日の女子社員の方々は、よく歩きスマフォをされています。しかし私と出会うと「おはよう」と言っていただております。また稀ではありますが、シルバーカーを押しながら非常にゆっくり歩いているおばあちゃんがいます。立ち止まって私の愛犬に声を掛けてくれるのですが、私の愛犬は愛想がなく、むしろ吠えたりしてしまいます。本当に申し訳ないと思っております。
このように私達人間は様々なルーチンな行動をとっています。ある程度の規則性は人々の暮らしにとって重要な意味を持っていると思います。私達は朝ほぼ決まった時間に起き、顔を洗い、歯を磨き、朝食を取ります。その後仕事に出かけ、夜になると夕食を食べ、ビールを飲み、お風呂に入り、そして就寝します。このようないわゆる生体バイオリズムは、人の心と体が健全であるために極めて重要な役割を果たしています。皆さんも健康維持のため生活のリズムを大事にして下さい。
日田ロータリークラブ 会長 膳所和彦
天領まつりと弘前ねぷた
先週末は素晴らしい晴天に恵まれ、日田天領まつりおよび千年明かりは大成功のうちに終わりました。特に豆田の町を練り歩いた「弘前ねぷた」の行列は、昨年と同じように日田の人々に大きな感動を与えてくれました。10日(土)夜の行列をご覧になった方々は気づかれたと思いますが、何故か私を含めた日田市医師会のメンバー3人がその行列に参加しました。実はこの弘前からわざわざ日田に来ていただいたねぷた隊は、弘前市医師会が中心となって運営しているものでした。昨年の7月日田市が九州北部豪雨に見舞われた際、その慰問のため遠路はるばる日田に来られたのです。この時の費用はすべて自分達で賄い、日田に元気を与えることを目的にすべての機材と人員を伴っての遠征でした。先日日田観光協会の富安会長が日田ロータリークラブにこのねぷた隊への寄付の依頼に来られました。今年は日田市の方で、費用を負担するための寄付のお願いでした。その時の説明にあったように弘前市医師会のねぷた隊のメンバーに日田市出身の方がおられ、慰問の話が進んだようです。弘前ねぷたは約400年の歴史があり、毎年8月1日から7日にかけて約80機のねぷた隊が町を練り歩く壮大なお祭りです。青森ねぶたと違い、やや小ぶりの山車(だし)が引かれます。そして「ヤーヤードー」と言う独特の掛け声を使っています。
今回同じ医師会と言うこともあり、日田市医師会としても交流と協力をさせていただくこととなりました。全医師会員に募金をお願いし、多少の金額を集め日田市の祭り担当の方へ寄付いたしました。その縁もあり是非ねぷた隊の出陣式とパレードへ参加していただきたいとの依頼がありましたので、喜んで参加した次第です。「踊る阿呆に、見る阿呆」とよく言われますが、私はいつも「見る阿呆」であり、人生初めて「踊る阿呆」になりました。日田陣屋跡地から「ヤーヤードー」の掛け声とともに行列は出発しました。とにかく沿道の観客の人の数がすごかった。圧倒されるような人、人、人でした。皆さんこちらに携帯電話やカメラを向け写真を撮っていました。まるで大スターにでもなったような気分で、恥ずかしいのですが、心地よい緊張感がありました。約45分かけってゆっくり、しかし「ヤーヤード」と声を張り上げながら、そして提灯を掲げながら、豆田の町を練り歩きました。私達医師会メンバーは往路だけの行列参加でしたが、途中顔見知りに声をかけられ、また多くの方々に拍手をしていただきました。日田の人達が笑顔を取り戻し、元気になっているのを肌で感じることができました。弘前ねぷたの皆様には心より感謝申し上げたいと思います。
日田ロータリークラブ 会長 膳所和彦
宇佐神宮にて
先日の日曜日(11月4日)宇佐八幡ロータリークラブの創立30周年記念行事が宇佐神宮内で行われ、日田ロータリークラブから7名が参加しました。記念式典と祝賀会は境内の中にある参集殿で、そして記念コンサートは能舞台で行われました。神々の御前で執り行われたすべての行事は、いつものものと違い、独特な雰囲気がありました。そしてもう一つ、この時の記念コンサートは我が日田ロータリークラブの歌姫である吉富今日子会友がメインゲストとして民謡を披露したこともあり、私達にとって特別な記念式典となりました。宇佐神宮は全国にある約44,000の八幡宮の総本社です。その荘厳さはやはり素晴らしいものでした。宇佐神宮の創建は571年頃とされており、社殿は725年に造営されたようです。勿論本殿は国宝に指定されています。本殿には3つの主祭神があり、一之御殿には応神天皇、二之御殿には宗像三女神、三之御殿には神功皇后が祭られています。参拝は二拝四拍手一拝を作法としており、一般のやり方と違っていました。
参集殿で開催された式典ではまず宇佐神宮の宮司さんが挨拶されました。この方は宇佐八幡ロータリークラブの会員であるとこのことで、このため宇佐神宮での創立記念式典開催が可能となったようです。
そして次に場所を能舞台場に移し、吉富今日子民謡ショーが行われました。いつもどおり素晴らしい歌声を披露し、拍手喝采を浴びていました。その後再び参集殿に移動し、祝賀会が始まりました。祝賀会での会員とそのご家族による手作り感満載のhospitalityには感激いたしました。ビュッフェ形式の祝宴でしたが、宇佐八幡ロータリークラブの皆様の細やかな気配りにより、ついついお酒も食事も進んでしまいました。
今回自分達が主催して行った日田ロータリークラブ創立55周年記念行事の直後の他クラブの記念行事であったこともあり、いろいろと勉強させられることが多かったように思います。最後に宇佐八幡ロータリークラブの実行委員長が、「私達クラブの会員は本当に素晴らしい」とおっしゃたことに深く感銘いたしました。そしてこの言葉はそのまま我が日田ラータリークラブにも当てはまると思います。創立55周年、本当にお疲れ様でした。そして有難うございました。
・11月 7日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
新入会員卓話 佐藤克之会友
・11月14日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
ロータリー財団月間
・11月21日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
地区大会報告
・11月28日(水)午後0時30分 大分県建設業協会日田支部
大分県建設業協会日田支部 職場例会
大分県建設業協会日田支部マップ
.
.
.
その他の予定
11/16金 地区指導者育成セミナー(ホルトホール大分)
地区学友会創立総会・記念祝賀会(トキハ会館)
11/17土 地区大会 本会議(ホルトホール大分)
RI会長代理歓迎晩餐会・会員交流会(レンブラントホテル大分)
日田ロータリークラブ 会長 膳所和彦
高山ガバナーをお迎えして
本日は国際ロータリー第2720地区本年度ガバナーであります高山泰四郎様をお迎えしての、日田ロータリークラブおよび日田中央ロータリークラブの合同例会です。まずは先日の日田ロータリークラブ創立55周年記念行事には、第2720地区の多くのロータリアンにご参加いただき、また高山ガバナーには丁重な祝辞を賜りましたことに対しまして、心より御礼申し上げます。
本日高山ガバナー、令夫人操様、また地区副幹事の薬真寺朗彦様におかれましては大変お忙しい中を日田にお越しいただき、誠に有難うございます。本年度の高山ガバナーの地区スローガンは「ロータリーを信奉し、奉仕に行動しよう」~ロータリー心の太陽~となっています。この「信奉」と「太陽」と言うことばに私は深く印象付けられました。これらは高山ガバナーのロータリーへの愛がいかに強いかを示していることばだと思います。後ほど、その愛に溢れた高山ガバナーのお話しを伺うのを楽しみにしております。本日は宜しくお願いいたします。
日田ロータリークラブ会長 膳所和彦
10月6日に開催いたしました日田ロータリークラブ創立55周年記念講演会・式典・祝賀会はすべて盛会にうちに終えることができました。これも一重に会員の皆様の絶大なる御協力によるものと深く感謝申し上げます。
記念講演会はNPO法人ロシナンテス代表であります川原尚行先生にスーダンでの医療を中心とした支援活動についてお話いただきました。川原先生が長年行っている活動はあまりにも過酷であり、私達の想像を超えるものでありました。先生がいかなる苦難にも真っ向から立ち向かう姿に対し、私達は深い感動を覚えざるを得ません。その活躍は医療だけでなく、学校建設や井戸設置など人々の生活そのものにも大きな影響を与えており、スーダンの人々にとって正にスーパーヒーロー的存在ではないでしょうか。今回の講演会にはロータリアンだけでなく、一般日田市民の方や日田市医師会准看護学院と昭和学園看護専攻科の学生さん達などを含め、約600人の聴衆に参加していただきました。これは私達の予想を超えるものでした。台風襲来中の悪天候にもかかわらず多くの方々に参加していただいたことは、私達にとって感慨深いものがありました。また講演会を実行するにあたり、会場となりました昭和学園のスタッフそして学生の皆様には、多大なる御協力をいただきました。心より御礼申し上げます。
記念式典からは会場を道路の向かい側にあるマリエール・オークパインに移りましたが、会員の皆様の円滑な誘導により、来賓およびロータリアンの方々の移動もスムーズに行われました。記念式典には残念ながら、大分県知事広瀬勝貞様、日田市長原田啓介様、国際ロータリー第2720地区ガバナー高山泰四郎様は出席できず、すべて代理の方々の参加でした。皆様より代理としての祝辞を賜ることができました。さらに中津ロータリークラブ時松会長よりお言葉をいただき、最後に台湾嘉義ロータリークラブ会長の許朝謀様より日本語での祝辞をいただきました。かなりの長文であったにもかかわらず、すべて日本語で述べられてことには感激いたしました。来年春には嘉義ロータリークラブの周年行事に参加予定ですが、その時の挨拶を中国語で行なうかどうか……今から不安です。式典担当の皆さんのおかげで記念式典も予定通り進行し、1時間で終えることができました。
記念祝賀会は同じマリエール・オークパインの3階で行われました。式典が順調に、また時間通りに行われたので、祝賀会もスムーズに開演となりました。司会が三苫会友から松浦会友に代わりましたが、なかなかうまくこなしていたと思います。乾杯の前に永田副ガバナーのサプライズ・バースデーのお祝いを行い、非常に喜んでいただきました。その後宴が進行し、なでしこ会による女性日田祇園囃子と変面のショーが行われ、喝采を受けました。私もなるべく多くの席を回り、多くの方たちとお話したかったのですが、全員と接することはできませんでした。この点は大いに反省しております。今回初めて企画したバーコーナーは意外と好評だったようです。皆さんも色々なお酒を楽しまれたと思います。最後は武内祝宴委員長による日田式の締めで会を閉じました。
全体を通して、会としてはつつがなく進行できたと感じております。参加していただいた方々より、賛辞の声をいただきました。私としては満足できる創立記念行事となりました。これもすべて会員の皆様の最高のパフォーマンスによるものです。日田ロータリークラブは最高です。
日田ロータリークラブ 会長 膳所和彦
本庶佑氏ノーベル医学生理学賞受賞
先日、京都大学名誉教授の本庶佑(ほんじょ・たすく)氏がノーベル医学生理学賞を受賞されました。米国テキサス大学のジェームス・アリソン博士との共同受賞でしたが、日本人(外国籍の日本人も含む)としては27人目の受賞者となります。受賞理由は、体内で異物を攻撃する免疫反応に対し抑制をかけるタンパク質「PD-1」の発見でした。そして免疫反応において重要な役割を果たしているT細胞にある「PD-1」と結合し、免疫反応にブレーキがかからないようにする「免疫チェックポイント癌阻害薬」として開発されたのがオプジーボでした。このオプジーボが4年前に登場してから癌治療の現場は一変したようです。これまで治療の手立てがなかった進行癌に対しても、オプジーボが劇的に有効であり、癌を縮小したとの報告が相次いでいます。効果があった患者さんでは長期生存できる可能性が高まっています。
ここで癌と免疫の関係について簡単にお話します。私達の周りには細菌やウイルスなどの病原体が無数にあり、これらが体の中に侵入して病気の原因となります。このような病原体や癌細胞などから体を守っているのが「免疫」です。免疫は体の中に自分以外のもの、いわゆる異物が侵入してくるとこれを攻撃して体から排除します。癌細胞も異物とみなされ、同じように攻撃されるのです。この免疫反応にとって司令塔として働くのが「T細胞」です。癌細胞が侵入してくるとこのT細胞が活性化され、癌をアタックします。この時前述したT細胞のPD-1はこれらの免疫反応にブレーキをかけますが、オプジーボがPD-1に結合して、その作用をブロックすることでT細胞はその役割を十分果たすことができるのです。つまり癌細胞がT細胞の攻撃によって力を失うことになります。オプジーボのように癌細胞を直接攻撃するのではなく、免疫力を高めることで癌を治療するような免疫療法は、これまでの「手術療法」、「放射線療法」、「化学療法」とは異なる、新しいしかも非常に有用な癌治療法と期待されています。
オプジーボは癌に対する夢のような治療薬ですが、勿論問題がない訳ではありません。まず副作用には十分な注意が必要です。100%癌だけに有効で、正常組織にまったく無害である薬剤はありません。オプジーボがこれだけ強い免疫効果がありますので、当然体の他の臓器への影響も無視できません。間質性肺炎、心筋炎、横紋筋融解症、大腸炎、肝障害、血小板減少症などの副作用があることをしっかり認識しておく必要があります。オプジーボのもう一つの問題点は、非常に薬価が高いと言うことです。当初1ボトル100mgが73万円でした。これを体重60kgの肺癌の患者さんで換算すると、1回あたりの薬剤費用が約130万円かかり、1年間では約3,500万円にもなります。もちろん高額医療費制度がありますので、患者さんの自己負担額は月15万円を超えることはありません。残りはすべて国庫負担となるのです。現在日本には約13万人の肺癌患者がいるとされ、例えばこのうち5万人が1年間オプジーボを使うと仮定すると、総費用は1兆7,500万円となる計算です。このような現実を踏まえ、厚生労働省はオプジーボの価格を100mgあたり73万円から28万円へ引き下げました。一方オプジーボのような高額な新薬が続々と認可されてきており、医療費全体(約42兆円)の約20%を占める薬剤費はもっと増えることが予想されます。このことは間違いなく保険料の引き上げや増税と言った私達国民の負担増につながると思われます。費用対効果の点からみると、これら高額な「夢の薬剤」の使用は果たして正当であるかどうか….今後オプジーボなどのような新しく開発された高額な薬剤の使用については適切なガイドライン作りが必要となってきます。
最後になりますが、今回ノーベル医学生理学賞を受賞された本庶先生は山口県立宇部高等学校の出身です。同じ山口県人として、世界的な大偉業を達成された本庶先生を大いに誇りに思います。
日田ロータリークラブ 会長 膳所和彦
日田市医師会は昭和24年(1949年)に「日田郡市医師会」の名称で設立され、今年で69年目となります。また平成17年には日田郡が日田市に併合され、それに伴い「公益法人日田郡市医師会」も「公益法人日田市医師会」と名称を変更いたしました。さらに平成24年全国で施行された公益法人改革により、公益法人から「非営利社団法人日田市医師会」として再スタートすることとなりました。現在総会員数は102名で、私が第14代目の医師会長となっております。
日田市医師会は、各医療機関における医事業務をサポートするだけでなく、日田市における医療・介護・保健・福祉などのサービスの充実・発展のため重要な役割を果たしてきております。医師会が直接経営している事業としては、検診センター、准看護学院、訪問看護ステーションがあります。准看護学院が生徒数減少のためやや苦戦しておりますが、検診センターと訪問看護ステーションにつきましては現在安定した事業内容となっています。また行政から委託されています夜間・休日当番医制度、学校医制度、予防接種事業、検死業務などを、全医師会員の協力のもと堅実に取り組んでいます。夜間・休日当番医制度では、1年365日毎日夜間19時から22時まで、さらに休日(日曜日、正月、お盆を含む)には夜間だけでなく9時から17時までの昼間の時間帯も、医師会の各医療機関が交代で診療を行っています。また検死業務も医師会が委託されており、不審死や事件死などがあると輪番制で登録されている医療機関から検死のため医師が派遣されます。これは夜中であってもお構いなしです。大変ストレスのかかる辛い仕事ですが、日田市には専属の警察医はおらず、医師会が請け負わざるを得ないのです。さらに最近では2025年に日本において高齢化率がピークを迎えることが予測されており、それに対応するため医師会を中心に様々な取り組みがなされています。市民の皆さんが住み慣れた地域で安心して暮らせるためには、医療・介護・福祉・生活支援のサポートが継続的にかつ包括的に実施されなければなりません。つまりいわゆる「地域包括ケアシステム」を確立することが急務となっています。医師会はその目的達成のための中心的リーダーとなることが期待されています。
日田市の医療機関は現在4つの救急告示病院を含む17の病院、そして37の有床または無床診療所から構成されています。特に同地域の拠点病院であります済生会日田病院を中心として、各医療機関が密な連携を取りながら、日田市および日田市民の健康や生活を守るため、医師会員一丸となって医療業務に取り組んでいます。昨年発生した九州北部豪雨災害の際にも、医師会・済生会日田病院・西部保健所・日田市が連携し、災害時医療支援活動を行ってまいりました。今後も地元医師会として日田市の皆様の生活をサポートするため最大限の努力してゆく所存です。ご理解、ご支援の程宜しくお願い申し上げます。
・10月 6日(土)昭和学園体育館 日田市のマリエールオークパイン日田(13時30分〜21時)
創立55周年記念式典
・10月10日(水)休会
・10月17日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
創立55周年記念式典を振り返って
・10月24日(水)午後6時30分 日田市の紙音
観月例会
・10月31日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
高山ガバナー公式訪問例会(2クラブ合同)
日田ロータリークラブ 会長 膳所和彦
テニスについて
先日全米オープンテニス大会で大阪なおみ選手が、日本人として初めてテニスのグランド・スラム(4大大会)で優勝しました。これはゴルフであればマスターズ大会優勝、サッカーであればワールドカップ優勝に匹敵するくらいの大快挙です。彼女がハイチ人の父親と日本人の母親を持つハーフであること、そして外見は完全に外人であり、ことばも日本語をほとんどしゃべらないことなどから、真の日本人ではないのではと疑問視する人もいます。しかし彼女は大阪生まれで、日本国籍を持つ立派な日本人です。私達は今回の結果を素直に喜ぶべきだと思います。実は現在日田テニス協会の会長は石井先生で、笹倉会友と私が副会長しており、テニスに関わっている私達にとって今回の大阪選手の優勝は夢のような出来事です。
テニスの起源は、古代エジプト時代に見ることができます。数人が集まり球を打ち合う姿が壁画に残されています。現在のテニスの原型となったのは11-12世紀のフランスの修道院の回廊で貴族が手のひらや手袋を使って、球の打ち合いを楽しんだことに始まるようです。その後16世紀になり、「ジョドポーム」と呼ばれるゲームとして定着するようになりました。1877年にイギリス・ロンドンでウインブルドン選手権が開催され、さらにアメリカでも全米テニス選手権がスタートしました。
さて、テニスをプレーされる方またテレビなどでテニスの試合を見られる方は御存じだと思いますが、テニスのゲームにはやや不可解な点があります。まずそのゲームポイントのカウントの仕方です。1ポイント取ると15(フィフティーン)、2ポイント取ると30(サーティー)、そして3ポイント取ると45(フォーティー・ファイブ)ではなく、何故か40(フォーティー)となります。さらに4ポイント目を取るとそのゲームが勝ちになるのです。15そして30となるのは、まだ分かるのですが、どうして次は40になるのか? 実はテニスがゲームとして始まった16世紀頃のフランスでは60進法が採用されており、15刻みの数え方が基本となっていました。このためテニスのカウントは、15, 30, 45となったのですが、45(フォーティー・ファイブ)はコールしにくいため40(フォーティー)となったと言う説が有力なようです。もう一つテニスにおける疑問点は、サーブが2回できる点です。サーブでゲームが始まる球技としては、テニス以外に卓球、バレーボール、バドミントンなどがありますが、これらのスポーツではすべてサーブは一度しかできません。一度サーブを失敗すると相手のポイントになります。しかしテニスだけは何故か、一度サーブを失敗しても2回目が許されるのです。その理由として挙げられているのが、テニスが他の球技と比べてプレーが難しく、サーブを一度にするとゲームとして成立しなくなるからだと言われています。確かにトッププロでも、試合中のファーストサーブ成功率は60-70%、良くて80%です。ゲームとして面白くするには、サーブを2回にする必要があったようです。大阪なおみ選手の一つの武器はこのサーブです。一方錦織圭選手は男子選手の中ではサーブの力がかなり劣ります。もしサーブが1回しか許されないのであれば、錦織選手も全米オープンテニス選手権やウインブルドンテニス選手権で優勝できるかもしれません。いずれにしても大阪選手と錦織選手の今後の活躍が楽しみです。東京オリンピックでの金メダルを期待しましょう。
日田ロータリークラブ 会長 膳所和彦
膳所姓について
日本には現在漢字で約11万種類、そして読み方にすると約17万種類の姓(苗字)があると言われています。これはアメリカに次いで世界では2番目に多い数になります。日本で多い姓としては、「佐藤」、「鈴木」、「高橋」などがあります。一方珍しい姓としては、「雲母(きらら)」、「回り道(まわりみち)」、「凸守(でこもり)」、そして有名人にも榮倉奈々さんの「榮倉(えいくら)」、綾瀬はるかさんの本名でもある「蓼丸(たでまる)」などがあり、これらの姓は日本に1~5世帯しかないそうです。さて、「膳所」も比較的珍しい姓ですが、現在日本に約19世帯で110人程度おり、全国で30,148番目に多い姓です。福岡県に約30人、大分県に約20人、兵庫県に約20人、その他三重県、神奈川県、埼玉県、大阪府に各々約10人分布しています。大分県では特に宇佐市に多くの膳所姓の人が住んでおり、これには理由があります。その理由は「膳所」のルーツを辿ると明らかになります。
現在滋賀県大津市に膳所と言う地名があるのは御存じだと思います。今年の春の選抜高校野球において21世紀推薦枠で滋賀県立膳所高校が出場しました。そして膳所にはJR膳所駅、膳所神社、膳所城跡公園などがあります。その歴史を振り返ってみると、1,400年以上前に天智天皇が都を飛鳥から大津に遷した時、この地を「御厨所(みくりどころ)」つまり料理をする所と定めたようです。その後「天皇のめしあがりもの」と言う意味のある「陪膳(おもの)」の所と言われるようになり、それが時を経て「膳のところ」つまり「膳所(ぜぜ)」となりました。膳所を姓として名乗るようになったのもこの頃からであったとされています。そしてここからは父膳所美光の著書からの引用です。膳所家は藤原氏の一族として皇室で重要な職務を果たしていたようですが、935年の平将門の乱や939年の藤原純友の乱が起こる前に近江より西へ下り、宗像を経てその後現在の宇佐市に上陸したと推論しています。父の計算によると、膳所家の九州上陸が925年となっています。そして宇佐上陸地点には小さな高塚があり、そこではこれまで上陸記念850年祭や、1,000年祭が行われていたことが「膳所文書」と言う古文書に記載されていました。私も父が中心となって開催した1,050年祭の時にその高塚を訪れたことがあります。現在も宇佐市に膳所姓が多いのは膳所家九州上陸記念の場所が宇佐であったからです。また父美光がまとめ上げた著書には、さらに詳しく膳所文書のことや膳所家の歴史のことが書いてありますが、それらの紹介は今回省かせていただきます。
4年前に私と家内は膳所姓を名乗ることとなりました。そして私の次女夫婦とその2人の子供たちも2年前に膳所となり、膳所姓の人間が合計6人も増えたことになります。膳所と言う氏姓はもはや希少ではないかもしれません。
日田ロータリークラブ 会長 膳所和彦
日本の喫煙状況
日本における成人喫煙率は2010年時点で19.5%でした。国はこれを2022年までに12%までに減らそうと計画していましたが、2016年においても18.3%と依然として高い状況です。2020年には東京オリンピックが開催されますので、それまでに受動喫煙対策を徹底し、望まない受動喫煙のない社会をできるだけ早く実現することが国の近々の課題となっています。ご存知のように喫煙は人の健康を害する大きな原因の一つです。ガン、循環器疾患、呼吸器疾患だけでなく、喫煙は骨粗鬆症、糖尿病、高血圧、不妊、認知症などの発症に深く関係しています。欧米ではこの喫煙による健康障害を重要し、積極的に対策を講じています。まずタバコの価格ですが、日本では1箱約4ドルであるのに対し、アメリカでは約6ドル、フランスでは約9ドル、英国では約12ドル、オーストラリアでは何と約16ドルと日本の4倍にもなっています。またそれにかかる税率も日本が約20%で、欧米では30〜50%となっています。さらに受動喫煙対策についても、海外では公共の場やレストランでは喫煙はほとんどできませんが、日本においてはまったく逆で、喫煙できないレストランがほとんどないのが現状です。2020年の東京オリンピックに向け、国はかなり焦っています。と言うのも、1988年のカルガリー大会以降IOCはオリンピックでの禁煙を宣言し、「タバコフリー・オリンピック」を目指しています。最近開催された大会では、鉄道、バス、タクシーなどの公共交通機関、また飲食店、ホテル、運動施設などにおいてほぼ完全禁煙が徹底されました。あの北京でさえ実践されたのです。本年3月に健康増進法が改正され、飲食店は原則屋内禁煙となりましたが、客席面積100m2以下の既存の飲食店は対象外とされています。この例外規定が適用されると、全国で55%のお店が喫煙可能になるとされています。但し、東京では条例により、面積に関係なく従業員のいる飲食店は原則屋内禁煙となり、国より規制が厳しくなっています。
以上、日本は世界と比べると喫煙に対する規制はまだまだかなり緩いようです。果たして東京オリンピックが開催される2020年には、町でタバコを吸う人がいなくなるでしょうか? 乞うご期待です。
・9月 5日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
9/1公共・青少年セミナー報告(青少年スポーツ支援委員会)
・9月12日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
ロータリーの友月間(雑誌委員会)
・9月19日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
ゲスト卓話 日田警察署長
・9月26日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
創立55周年 準備打ち合わせ
日田ロータリークラブ 会長 膳所和彦
我が故郷下関について
私は山口県下関市に生まれ、高校まで(正確には一浪時代まで)過ごしました。実家は観光地として有名な唐戸市場の比較的近くにあり、現在は弟夫婦が家を建て直し住んでおります。下関市は現在人口約26万人で、現内閣総理大臣である安倍晋三さんの選挙拠点です。ちなみに、明治維新以降山口県出身の内閣総理大臣は8名おり、全国では圧倒的に多い数です。おかげで山口県のインフラ整備は非常に整っております(私の個人的な印象ですが..)。これまで我が故郷下関が歴史上重要な舞台となった大きな出来事が3つあります。
一つ目は「源平による壇ノ浦の決戦」です。源氏と平氏の戦いは瀬戸内海から始まり、下関にある壇ノ浦で最後の決戦を向かえました。開戦当初は関門海峡の東向きの潮にのった平氏が優勢でしたが、潮の流れが西向きに変わると、源義経率いる源氏が盛り返し、平氏は滅ぼされてしまいます。この時8歳だった安徳天皇も母である建礼門院とともに海に入水し、絶命しました。その後安徳天皇の菩提を弔うため、祖父である後白河法皇が下関側にお堂をつくり、そこに安徳天皇がまつられました。このお堂は後に赤間神宮として建て直され、現在壇ノ浦を望むように佇んでいます。
二つ目は「巌流島の戦い」です。巌流島は関門海峡に浮かぶ小さな島で、元々は無人島です。1612年ここで宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘を行い、武蔵が小次郎を倒したとされています。佐々木小次郎は当時小倉藩の剣術師範で、その流派の巌流から後にこの島が巌流島と名付けられました。しかしながら、この巌流島の戦いが実際に行われたかどうかについては疑問視されています。その理由として宮本武蔵と佐々木小次郎の年齢差が40歳くらいあったこと、そして佐々木小次郎自体が実在人物であるか不明なことなどなど、謎の多いところであります。しかし巌流島の戦いは我々下関人にとって最大のロマンであり、色褪せることのない大事な歴史絵巻です。
三つ目は「幕末維新の舞台」となったことです。今年は明治維新後150年目となる節目の年です。現在NHKテレビの大河ドラマでは「西郷どん」が放映されており、薩摩つまり鹿児島県が注目を浴びていますが、幕末の主役はやはり長州・山口県です。吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文、木戸孝允、久坂玄瑞などは山口県萩生まれでしたが、倒幕運動の舞台となったのは海上及び陸上交通の拠点であった下関でした。イギリス、フランスなどの西欧列強国と戦った下関戦争時の砲台跡、坂本龍馬とお龍が新婚生活を送った伊藤家跡、高杉晋作が挙兵した功山寺、高杉晋作終焉の地、高杉晋作が眠る東行庵など幕末の雰囲気を感じられる場所が下関市内に数多くあります。明治維新後日本の政治を牽引して来たのは長州(山口県)でした。最初に述べたように多くの総理大臣が山口県から輩出された事実からも、そのことが窺えます。そして下関は交通の要所であることから、その中心として発展して来たのです。
以上、私の故郷下関について紹介させていただきました。皆さん、機会があれば是非下関に足を運んでいただき、歴史的名所を散策したり、また唐戸市場で新鮮な魚(特にフグ)を堪能していただければと思っております。高速道路で行けば、車で2時間かかりません。「おいでませ、山口いや下関へ」
日田ロータリークラブ 会長 膳所和彦
他クラブを訪問して
私はこれまで他クラブへ正式なメ―クアップを経験したことがありません。今回会長となり、2720地区大分第1グループの3つのクラブを訪問させていただきました。そこで感じたのが、他クラブの例会の雰囲気や進行の仕方が多少異なっていると言うことでした。最初に訪問した日田中央ロータリークラブでは、例会が始まる前に委員会報告やスマイル発表の原稿がSAAに提出されていました。また例会が始まるとまず「四つのテスト」を全員で復唱します。その後は会長の時間、幹事報告と進み、スマイルは事前に提出されたものをスマイル委員長が発表していました。そして会場には日本茶とコーヒーのセルフサービスがセットしてありました。玖珠ロータリークラブにおいてもまず「四つのテスト」が全員で復唱されます。その後の例会の流れは我々のクラブと同じですが、会員数がやや少なく、当日も全会員数が19でありながら出席者は11-12名でした。クラブ運営にも苦労されているようでした。
そして先日我がクラブの親クラブである中津ロータリークラブに訪問して来ました。中津ロータリークラブは現在会員数60名で、創立65年目になるそうです。周年行事は10年毎に行っており、今期は特に記念式典などは予定していないとのことでした。例会場は中津駅前にあるグランプラザ中津ホテルで、会場のセッティングなどは現在の日田ロータリークラブと非常に似ており、円卓に8名前後が着席しておりました。点鐘後ローターリーソング(この時は「四つのテスト」・・・初めて聞きました)を歌い、すぐに会長の時間と幹事報告があり、その後に食事となります。そして食事中に各委員会報告がなされました。スマイル発表の後に13時より外部卓話がありましたが、少し早目に終わってもそれで閉会とはならず、13時30分まで質問などを受け、時間どおりに点鐘閉会となります。閉会直前に出席報告があり、当日は75%程度の出席率でしたが、その後のメークアップ修正率が極めて高いようです。前回も79%の出席で、メークアップにより90%となっていました。
以上、他クラブ訪問についての報告と感想でした。各々のクラブの特徴や個性を実感でき、良い経験となりました。
日田ロータリークラブ 会長 膳所和彦
インターアクトクラブについて
国際ロータリークラブ第2720地区2018~19年度ガバナーであります高山泰四郎氏の重点取り組み事項の一つとして、「青少年奉仕活動のさらなる充実」が挙げられています。現在国際ロータリークラブの青少年奉仕部門の活動プロジェクトとしては、①ローターアクト、②インターアクト、③ライラ(RYLA)、④青少年交換があります。ローターアクトは18才から30才までの青年が対象で、現在177カ国で9,500以上のクラブ数があり、会員数は約29万人です。インターアクトは12才から18才までの中学生および高校生が対象となっており、現在159カ国、2万以上のクラブ数があり、会員数は46万人以上と言われています。大分県には13の高校にインターアクトクラブがあり、日田ロータリークラブには藤蔭高校インターアクトクラブが所属しています。その活動としては、24時間テレビ街頭募金や地域清掃・美化活動などがありますが、藤蔭高校独自として以前より東南アジアへの支援物資輸送活動を行っています。この支援活動は20年以上も継続して実施されており、評価されるべき、素晴らしい活動だと思います。
藤蔭高校インターアクトクラブは日田ロータリークラブの提唱にて1968年6月に結成され、今年でちょうど50年目となります。本年度部員数は20名です。この記念すべき年度になり、初めてインターアクトクラブでは定期例会が開催されることとなりました。当面は1月に2回、第2,4火曜日の16時から1時間程度開催される予定です。この例会にはなるべく日田ロータリークラブからも参加したいと考えております。現在永田青少年奉仕委員会委員長を中心として、例会の進め方などについて検討中です。一つの案として我々ロータリアンの中から、それぞれの専門職について卓話を行うことが挙げられています。いずれにしても日田ロータリークラブは藤蔭高校インターアクトクラブを全面的にサポートし、部員の皆さんが奉仕活動を通して、貴重な体験ができるよう応援したいと考えております。今後の具体的な戦略につきましては、永田委員長に一任いたします。また会員の皆様とインターアクトクラブの生徒達との交流の場を設けることも検討中です。皆様のご協力を宜しくお願いいたします。
中津RC・中津中央RC・中津平成RC、 3クラブの高山ガバナー公式訪問に、橋本ガバナー補佐、中西ガバナー補佐幹事で出席しました。
中島会長
玖珠RCガバナー公式訪問に出席しました。