活動報告

0年0月0日

年末家族会がありました

2013年12月13日

日田市豆田町のアプロディール紙音で、恒例の年末家族例会がありました。

ジャズの演奏を聞きながら懇親を深めました。

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2014年 1月の例会予定

2013年12月13日

・1月 1日(水) 休会

 

・1月 8日(水)午後0時30分  日田市の歴史の宿亀山亭

新年例会(お昼の例会です) 年男の抱負

 

・1月15日(水)午後0時30分  日田市の歴史の宿亀山亭

会員卓話 ロータリー推進月間によせて 青柳寿人会友

 

・1月22日(水)午後0時30分  日田市の歴史の宿亀山亭

新入会員卓話 江田弘司会友

 

・1月29日(水)午後0時30分  日田市の歴史の宿亀山亭

外部卓話 ケアマネージャー協議会会長 赤坂由美子さん「介護に関して」

会長の時間21 平成25年12月11日(水)

2013年12月11日

「家族例会」2013.12.11

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

こんばんは。

今日は年末恒例の「家族例会」です。

今夜も大勢のご家族の方に参加していただき有難うございます。ロータリークラブの活動は、家族の皆様のご支援やご協力に支えられのことだと感謝します。

 

普通ならば、「あと半年です」と言うところですが、今期は、来年6月14日(土)に日田ロータリークラブの創立50周年を控えております。この50周年の式典と祝宴を成功裏に終わらせるためには、この半年が最も重要な期間であり、私の会長としての責務であると考えます。

 

チャーターメンバーの井上幸一会友を名誉委員長に、石井博基会友を実行委員長にお願いして、各委員会も出来ました。委員会ごとに準備に取り掛かっていますが、皆様、有能なロータリーのメンバーですから、歯車が回りだせば力強く動き始めますので楽しみでもあります。

 

また、式典の時には、奥様方には、来客の接待など色々とご協力をお願いすることになると思いますが、その節はどうぞ宜しくお願い申し上げます。

式典が終わりましたら、三隈川に遊船を浮かべて、奥様方にもご乗船いただいて、ガバナーを初め大分・熊本の各ロータリークラブの方たちと懇親を深める予定です。その日を楽しみにしながら、今日の家族例会も前祝として楽しみたいと思います。

本日は、有り難うございます。

12月の例会予定

2013年12月04日

・12月 4日(水)午後0時30分  日田市の歴史の宿亀山亭

職場例会 河津建設 川の浚渫の見学

 

・12月11日(水)午後6時30分  日田市のアプロディール紙音

年末家族会

 

・12月18日(水)午後0時30分  日田市の歴史の宿亀山亭

外部卓話 株式会社 吉冨産業 代表取締役 吉冨今日子さん 「民謡と私」

 

・12月25日(水)午後0時30分  日田市の歴史の宿亀山亭

会長卓話 「上半期を振り返って」

会長の時間20 平成25年12月4日(水)

2013年12月04日

「日本の15歳の学力が向上」2013.12.04

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

12月3日、経済協力開発機構(OECD)が、65カ国と地域の15歳男女、約51万人を対象として実施した2012年国際学習到達度調査(PISA)の結果を公表しました。

 

日本は、最悪だった2006年の調査に比べ、「読解力」が15位から4位に、「科学的応用力」が6位から4位に、「数学的応用力」が10位から7位に回復しました。

ちなみに2000年の第一回調査では日本はそれぞれ、8位、2位、1位とトップクラスでした。

 

今回のテストは、「脱ゆとり」を掲げて平成20年に改定された新学習指導要領で学んだ生徒が初めて受けたテストで、その成果が着実に表れているようです。

 

文科省は、昭和50年代後半から学習内容を徐々に減らす、いわゆる「ゆとり路線」をとってきました。そして、平成14年には授業時間の3割削減と完全週5日制を導入して本格的な「ゆとり教育」が始まりました。

 

当時「ミスターゆとり」と呼ばれた文科省の寺脇某という役人が、テレビ番組で「中学卒業の時、皆が100点を取らなければいけないのです」と馬鹿な発言しているのを聞いて「日本人をみんな阿呆にするつもりか」と怒り心頭に発したことを思い出します。

 

それから「脱ゆとり教育」に辿り着くまでには長い時間がかかりましたが、結局、潮目が変わったのは、2006年OECDテストの結果です。文部科学省幹部は「2006年のショックで日本は目が覚めた。教職員組合の要望も強く、それまではゆとり一色だったが、このショックで省内からもゆとり政策への批判が出るようになった」と打ち明けています。

 

この「ゆとり教育」は子供たちにも傷跡を残しています。彼らは「ゆとり世代」と呼ばれるのをとても嫌います。そして「それは自分たちの責任ではない」と言いますが、全くその通りです

あの当時、「世界で一つの花」という歌が流行りました。「君は世界で一つの花だから、そのままで良い。それが君の個性だから」というような歌だったと思います。

結局、「厭なことはしなくて良い。何故、厭なことをしなければならないのだ」という「ゆとり」というより「ゆるみ」の風潮を作ったような気がします。

子供を伸び伸びと育てるのは良いことですが、辛抱してやり続けさせることも必要だと思います。

 

彼らは前後の世代から「ゆとり世代だから」と揶揄されますが、その責任は文科省の役人と教職員組合と政治家にあります。子供を義務制の学校に通わせる親たちが反対の声を上げなかったことにも反省すべき点があります。私立の学校に向かった家庭もあります。私立では土曜日も授業があります。結局、しわ寄せは子供たちに来ました。

 

少し話は違いますが、週刊文春に、佐々木常夫さんという人が「プアなイノベーションより優れたイミテーション」と書いてありましたが、全くその通りだと思います。

職場例会 三隈川浚渫現場見学 河津建設

2013年12月04日

河津建設さんの職場例会です。
三隈川堰に堆積した土砂を撤去する工事現場を見学しました。

現場は川底が見え、昔の鮎やな跡や、昭和28年の水害以前の堤防跡を見ることが出来ます。

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会長の時間19 平成25年11月21日(水)

2013年11月27日

「戦略的対応」 2013.11.27

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

あるアメリカの戦略研究者が中国には戦略がない。もし戦略があるならば、何故あれだけ他国が反感を持つようなことをするのかと書いてありました。そして、中国の孫子の兵法とは、相手を秩序や規則を狂わせる戦略だそうです。

 

11月23日、中国は尖閣諸島を含む東シナ海に一方的に防空識別圏を設定しました。これは非常に危険なことで、相互の戦闘機が接近し、思わぬ衝突を招く可能性があります。

しかし、私は疑問に思うのは、こちらの混乱を起こさせるという中国の狙いに嵌りかけたのではないかということです。

 

中国は、民間航空会社が識別圏内の飛行計画の提出を拒めば緊急措置を取るとしていましたので、日航、全日空など国内4社は、23日以降、中国当局に対して飛行計画を提出したそうです。

 

25日に外務省の斉木事務次官が中国大使を呼んで、日本側は飛行計画の提出に応じる考えはないと通告。これに対して中国大使は「民間航空機の飛行の自由を妨げるものではない」と回答したので、26日に国交省は「官民一体で対応すべく航空会社は飛行計画を中国当局に提出しないように協力願いたい」と要請して、27日以降は飛行計画の提出を止めることになったそうです。

 

確かに航空機の安全確保が一番大切ではあります。しかし、飛行計画を提出することは中国の防空識別圏と管轄権を認めることです。そもそも、識別圏は領空に近づく国籍不明機が敵か味方かを判断するために領空の外側に設ける空域で管轄権は認められません。公海上空は飛行自由であり何ら制限を課すべきものではなく、識別圏を通過する航空会社に対して、飛行計画の提出を求める権限はないそうです。

 

この区域を飛ぶアメリカの民間航空機があるかどうか知りませんが、果たして飛行計画を提出したのでしょうか。今回は外務省・国交省の早い動きにより、一応の解決を見ていますが、航空各社が飛行計画を提出したことについて私は釈然としないものを感じます。

 

今朝のニュースによれば、米軍のB52爆撃機2機が日本時間の26日、中国が設定した防空識別圏内を事前通報なしに飛行しました。中国側から2機に対する呼びかけや戦闘機の緊急発進(スクランブル)はなかったそうです。

 

米政府は(1)防空識別圏を認めない(2)飛行経路の事前通報や無線の開放など、中国が要求する措置には応じない(3)米国の軍事作戦遂行に一切変更はない-との立場を明確にしています。

なぜ、このような原則を素早く明確にできるのだろうかと思います。

 

こちらの対応がバラバラにならないような明確な方針と態度を立てることが、相手の戦略に乗らないために必要なのではないかと思います。

会長の時間18 平成25年11月20日(水)

2013年11月20日

「面白い『古事記』」 2013.11.20

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

先週、伊勢神宮の話をしましたが、実は、その前の週、ミャンマーに行くときに空港の本屋で文庫本「眠れないほど面白い『古事記』愛と野望、エロスが渦巻く壮大な物語」を買って機内で読みました。

著者は「大人もぞっとする『グリム童話』」などを書いた女性作家の由良弥生さんという方です。

 

古事記は過去に何度か読みかけましたが、神様の名前が山のように出て来て、いつも神代の時代で挫折してしまいましたが、この本は神々や歴代天皇のドラマを物語風に大胆に再現していますので、読みやすくて機内で読んでしまいました。

 

古事記は上中下巻があります。いつも神代の時代で引っかかるので、今回は中巻の神武天皇の時代から読み始めましたが、読みだしたら、陰謀あり、戦あり、禁断の恋ありで、物語として面白かったです。

 

この本は古事記に興味を持つための入門編のようなものですから、次は少し難しい本に当たってみるのも良いかもしれません。戦後、古事記は皇国史観とかいって遠ざけられましたが、日本人としての基礎的な知識・教養として、古事記にもう少し親しんでも良いのかもしれません。

 

と申しますのは、古事記に現れる神々は、現在でも多くの神社で祭神として祀られています。

ですから、古事記の知識があれば、色んなことが繋がってくると思いますし、日本の文化や伝統が理解しやすくなると思います。

例えば、日田祇園は八坂神社のお祭りで御祭神はスサノオノ命ですし、大原八幡神社の御祭神は応神天皇です。若宮八幡は応神天皇の御子である仁徳天皇をお祭りしています。伊勢神宮と同じように、神話の世界と史実が混然一体となって現代に繋がっているのが我が国の歴史です。

 

先日参拝した、伊勢神宮を伊勢に定めた倭姫は、第十二代景行天皇の妹であり、熊襲征伐、東国遠征をしたヤマトタケルの叔母です。ヤマトタケルは熊襲征伐の時は女装するための倭姫の衣装をもらい受け、東国遠征の前にも伊勢神宮の倭姫を訪れ天叢雲剣と火打石を授けられています。この本を読んだ後でしたので、伊勢神宮に参拝したときには、この話を思い出しました。

 

また、神話では、天岩戸に天照大御神がお隠れになった時に、天の安の河で神々が話し合いをするなど、天照大御神といえども絶対ではなく、困ったことがあると、よく神々が集まって話し合いをし、知恵のある神様がアイディアを出して合意するのは、今の寄合とよく似ています。

西洋の民主主義よりも前に、日本の寄合主義ともいえるのが日本の伝統ではないかと思います。

 

とにかく、物語として、或いは古事記の入門編として、この本を読まれることをお勧めします。

外部卓話「地域における大分合同新聞の役割」大分合同新聞社日田支社岩本聡支社長

2013年11月20日

大分合同新聞社日田支社岩本聡支社長の卓話。

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よく支局長といわれるのですが、大分合同新聞では2人以上社員がいるところは支社と言っております。正確には支社長の岩本です。

本日はよろしくお願いします。

みなさんは新聞業界の裏話などを本日期待されているかもしれませんが、本日は裏話ではなく実際は合同新聞の宣伝です。

私はこの前純文学の九州芸術祭文学賞で県代表に選ばれております。最優秀になれば本が出たり、芥川賞になったりするのですが、文壇では注目された賞です。芥川賞を取っていればここにいなかっただろうと思いますが(笑)、合同新聞では正しいものを見ているんだ、というだと思います。合同新聞では県内に7支社、11支局あります。日田支社には4人社員がいます。4年前に赴任しまして、facebookなどを始めて市民の方と交流をしてきました。

合同新聞が何を目指しているかというと、それは明確に「地域密着」であります。私が記者になりまして臼杵支局に初めて赴任しましたけれども、その時教えられたのは「合同新聞は地域の広報で良い、地域のPRをして来なさい。」ということでした。私は元々の文化部の出身で、政治部などの硬派な分野は苦手です。広報だけやってこいというのは気が楽でした。地域活性化のためには何が必要でしょうか。基本的には「やる気」だと思います。情報発信でのツールとして新聞なのですが、地域の人に元気になってもらいながら、日田っていいところだなってっていう記事だけを書いて行きたいと思っています。
わかりやすい指標としてどれだけ地域密着かというと、日田の記事がどれだけ載っているか、ということですが、合同新聞は他誌より先に書いた記事がこれだけあります(図表)。日田の記事が多いのでそれだけで立て混んでます。先ほどの情報発信の面ということで言えば、大分県内では合同新聞が圧倒的に部数が多いということがわかっていただけると思います。県内の部数でいうと圧倒的です。

老朽化の中央公民館の問題をいち早く伝え、この間大山町でコスプレイベントがあったのですが、それは2011年から紹介しています。まるはらさんの肉醤、去年の時点でこういうものを作ります、ということで紹介させていただきました。ネット関係では自動販売機を作った武内さんをご紹介させていただきました。私はこういう柔らかいネタが好きなので、こういうものをよく出させていただいてます。水害の時も行動が早くて大山の災害の記事でおばあちゃんが自衛隊に助けられている写真が出たのもうちだけです。合同新聞が率先して出しています。あそこにはああいう被害があるんだ、という被害の報道を一回だけじゃなくて、生活情報が大事だと思っていて被災者の方に有益な情報を出そうということで、真っ先に何回も何回も出そうとしています。同じ情報を毎日載せるのは如何なものか、ということですが現地の方たちのために私が押し通しました。
あと大事なことですが情報は複数から取ってください。同じ内容の報道でも記事によって伝え方が違います。何かの施策に対しての批判は、複数の紙面をとって考えていただきたい。何のために記事を書くかは行政の批判記事を書くためということもありますが、やはり地域を元気にするためにしています。地域を元気にするためにより多くの購読をお願いします。本日はご清聴いただきありがとうございました。

 

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「日田ロータリークラブ創立50周年」委員会別協議会開催

2013年11月13日

創立50周年記念事業・式典に向け、委員会別の協議会を開きました。

 

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小ヶ内幹事があいさつ。

 

 

 

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石井実行委員長より概要・方針説明がありました。

 

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会長の時間17 平成25年11月13日(水)

2013年11月13日

「伊勢神宮参拝」2013.11.13

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

11月4日に伊勢神宮に参拝して来ました。今年は第62回目の式年遷宮の年なので、大勢の参拝者がいましたが、最終的には史上最高の1300万人を超えると見込まれているそうです。

 

伊勢神宮が創設されたのは今から2000年前で、それまでは大和の宮殿で天照大御神をお祭りしてい

ましたが、第10代崇神天皇の頃に疫病が発生し国民の大半が亡くなり、流民や反乱者が出るなど国が大きく混乱したため、天照大御神を宮中の外にお遷ししてお祭りしたところ、ひとまず国がおさまったそうです。

次の第11代垂仁天皇の時代に、皇女倭姫命により良い地を求めようお命じになり、ついに伊勢に辿り着きます。古事記には日本武尊が東国平定の旅に出る前に、伊勢神宮に叔母の倭姫命を訪ね、天叢雲剣と火打ち石を授けられたと書いてあります。

 

式年遷宮が始まったのは今から1300年前、天武天皇のご発案により、持統天皇4年(690)に第1回が行われました。ただ、神宮は木造ですから制度化される前にも遷宮はたびたび行われていたと思われます。

 

第1回以来、20年ごとに遷宮が実施されてきましたが、南北朝や戦国時代には、変則や中断があったそうです。そうした中でも伊勢神宮を大切にしようという精神は消えず、例えば、織田信長は内宮外宮に参拝しています。そして、後を継いだ豊臣秀吉が、戦乱で中断していた式年遷宮を再興し、天正13年(1585)に第41回式年遷宮が行われました。以来、20年ごとに続けられていたのですが、唯一の例外が、昭和24年に予定されていた式年遷宮です。

敗戦直後の厳しい時代だったので昭和天皇のご配慮で延期となりましたが、この天皇の思し召しを多くの人が知り、せめて入口の宇治橋だけでも、ということで掛けかえられ、そして4年後の昭和28年には式年遷宮が実施されました。戦後4回目という事になりますが、今年ほど盛大なことはなかったように思います。何かの節目でしょうか。

 

式年遷宮には13,600本の檜が伐採されるという事ですが、その一方で200年、300年という長期的な植林が進められており、もう少しすると、遷宮用の檜は全て神宮内でまかなえるようになるそうです。また、内宮外宮の古材は宇治橋の鳥居や熱田神宮のお宮に使われるなど全国の神社で無駄なく使われていますから究極のエコといえます。

 

伊勢神宮を、西行は「何事の おわしますかはしらねども かたじけなさに なみだこぼるる」と歌い、芭蕉は「たうとさに みなおしあいぬ ご遷宮」と詠みました。

平安時代に西行が、江戸時代に芭蕉や、弥次さん喜多さんが見た伊勢神宮と、今、我々が目の当たりにする神宮は、すべて同じ材料、同じ形式、同じ雰囲気であるという事はまさに驚くべきことであります。内宮に向かう参道の真ん中に気が数本立っています。外国人は、なぜ伐らないのかと聞くそうですが、例え、木が倒れたとしても、元と同じように植えるのだそうです。1300年前と同じように維持しようとする考え方が徹底されています。

ヨーロッパの人は中世の街並みをそのまま残すのに比べて、日本人は昔の街並みを大事にしないと言われています。しかし、日本人の生活様式は平気で変わっていきますが、日本文化の深奥の部分は変えないというのは興味深いことです。

 

伊勢神宮にお参りすれば、少なくとも1300年前と同じものを見ることができる。しかも、それは石やレンガで作ったものでなく、朽ち果てるべき木で作ったものを、人間が20年ごとに寸分たがわず作り変えることによって、時空を超越したものを感じることが出来る。そして、作り変えるたびに瑞々しい。これはまさに人類の奇跡と言って良いのではないでしょうか。

 

遷宮された後の外宮の正殿を特別に拝観することが出来ましたが、屋根は一部朽ちていました。

20年前に造ったものではありますが、平安時代にでも来たような不思議な感覚でした。

 

人間の肉体も不滅ではありませんが、命は親から子、子から孫へと繋がっていきます。

伊勢神宮は、日本民族の命と精神を繋いでいく日本の宝だと改めて思いました。

 

 

 

会長の時間16 平成25年11月6日(水)ミャンマー訪問

2013年11月06日

2013.11.05「キータンゴン村への訪問報告」

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

10月25日から29日まで、ミャンマーのキータンゴン村に学習小屋改修のための着手金を届けるために行ってきました。

 

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本来、資金は数回に分けて送金した方が良いのですが、現時点では送金システムが整備されていないのでリスクがあるという事でしたので、一旦、古庄さんに預けて、キータンゴン村の請求に応じて、都度、資金を渡すという形をとります。

 

今回、兵庫県の加古川中央ロータリークラブが、キータンゴン村からヤンゴン寄りにあるアミャンゴン村に新規に学校建設するというので同行しましたが、同じように分割して渡す形を取っております。

加古川中央ロータリークラブは40周年記念事業として「未来の夢計画」とは別に、クラブの資金だけで学校建設を支援しています。

 

キータンゴン村に行くのに、今回も前回と同じように途中からボートに乗りました。

前回は1時間20分位かかったと思いますが、今回は僅か30分ほどで村に着きました。今年は雨季が明けるのが遅く水量が多いので途中でショートカットしたからです。

 

キータンゴン村では、日曜日にもかかわらず、子供たちが正装して待っていてくれました。

資金の一部二千ドルを渡しましたが、村長は、早速、レンガや石や砂などの建設資材を購入して、水量の多いうちに船で現地に運び込みますと言っておりました。

 

その後の話で分かったのですが、キータンゴン村の学習小屋は、今年の6月に政府に正式に小学校として公認されたそうです。政府から公認されたことにより、先生も政府から新しく派遣された若い女性二名でした。今まで親が負担していた授業料は無料になり、今まで来られなかった子供たちも通学できるようになったそうです。これで新しい校舎ができれば、学校としての形が整うものと思います。

 

雨季明けから建設に着手するそうですが、今年の天候では、12月頃の着工になり、完成は来年の2月末の予定とのことでした。3月の初め頃に、竣工祝いに行きたいと考えますので、2月になったら参加者を募ります。多くの方のご参加を期待します。

 

ミャンマーではヤンゴン市内のシェンタゴン・パゴタなども見る価値がありますが、千年以上も変わらないような田舎の生活ぶりを見ることによっても色々と考えさせられます。

 

ボートから、水上に一軒だけ立つ小さな高床式の家の中が見えますが、子供たちが数人寝そべっていて赤ちゃんを母親が抱っこしています。あるいは茶色い川で洗濯をし、髪や体をあらっています。豚と鶏以外に財産と言えるようなものは何にも見当たりません。死ねば焼いて灰にするだけだそうで、先祖の供養はなく、ただ仏様を信仰するだけだそうです。不思議なことに、ミャンマーには姓が無いそうです。

 

電気も水道もない貧しい生活ですが、それぞれの人間の喜びや悲しみは我々と何にも変わるものではないと思います。能力も勿論変わりません。ただ貧しいだけです。

ヤンゴン市内のショッピングセンターでは、アイフォンも資生堂もトリンプのブラジャーも売っています。資生堂のシャンプー椿は一本1500円もしました。

便利なものを知れば、人々の意識や生活が変わっていくのは止めようがありません。古庄さんも、彼らの生活を変えていくのが良いことか悪いことか悩むこともあると言っていました。

 

しかし、放っておけば、かつて英国に植民地にされたように再び他国によって支配されるかもしれません。北方の大国の侵食をミャンマー人は大変嫌っています。

まず、教育によって国を強くしていくことが独立を維持していくために大切だと思います。

私はキータンゴン村の子供たちに「一生懸命勉強して、村の為、国の為に働いてください。学校が出来たらまた会いましょう」と伝えてきました。学校が完成して村民と子供たちが喜んでいる姿を3月に見たいと思います。

 

尚、今日、ここへ来ましたら杵築市の岡嶋正さんという方から郵便物が届いておりました。

開けてみましたら、岡嶋さんが大分合同新聞で日田ロータリークラブのミャンマー学校建替えの記事をご覧になり、国際奉仕活動に賛同して、お持ちになっていたミャンマー紙幣を送って下さいました。

先日来の広報活動によって、私たちの活動が広く県下に知られるようになったことは嬉しいことです。

頂いたお金は、3月にミャンマーに行ったときに本か学用品にして、キータンゴン村の子供たちにプレゼントしようと考えます。岡嶋さんに感謝します。

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11月の例会予定

2013年11月05日

・11月 6日(水)午後0時30分  日田市の株式会社大日
職場例会 株式会社大日のホームページ

・11月13日(水)午後0時30分  日田市の歴史の宿亀山亭
50周年委員会別協議会

・11月20日(水)午後0時30分  日田市の歴史の宿亀山亭
ゲスト卓話

大分合同新聞社日田支社 支社長 岩本聡さん

「地域における大分合同新聞の役割」

 

・11月27日(水)午後0時30分  日田市の歴史の宿亀山亭

クラブ協議会

ミャンマー学習小屋修復事業を報道発表

2013年10月28日

先般、日田市の記者クラブにて日田ロータリークラブ50周年記念事業であるミャンマーの学習小屋修復事業を説明いたしました。

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早速各紙に取り上げられています。

西日本新聞、読売新聞毎日新聞大分合同新聞

 

 

会長の時間15 平成25年10月23日(水)

2013年10月23日

2013.10.23「バザー」

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

今日は恒例の日田ロータリークラブのバザーです。

先日来、提供する品物を事務所にお運びいただきまして有り難うございました。

今朝も、白石社会奉仕委員長と諌山会友が、車を出して品物を会場に運び込んでくれました。

10時半からは、会友と奥様方が、会場設営・品物の仕分け・価格付けをしていただきましたので、1時半からのバザーの準備がすべて整いました。日田ロータリークラブのバザーを毎年楽しみにして、既に開場を待つ方もいらっしゃいます。今日も完売して社会奉仕のお役に立てたいと思います。

 

それから、先日、記者クラブで私と田嶋副会長、織田財団委員長、小ヶ内幹事、中西広報委員長が、日田ロータリークラブの創立50周年記念事業の一つとしての「ミャンマーの学習小屋の改修」の説明をしてきました。早速、西日本新聞と読売新聞が記事にしてくれました。ロータリーの国際奉仕について良い広報活動ができたと考えております。

記者会見の設定には中西広報委員長がお骨折り下さいました。

10月25日から、私がミャンマーに行って建設の段取りと開校式の日程等を決めてきます。帰って来ましたら、またご報告いたします。

 

チャリティバザー盛況

2013年10月23日

今年もチャリティバザーにたくさんの人が来場いただきました。

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観月例会

2013年10月16日

観月例会で懇親を深めました。

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会長の時間14 平成25年10月16日(水)

2013年10月16日

「ゴーストタウン」2013.1016

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

先日、テレビ東京で「未来世紀ジパング“潜入中国12大ゴーストタウン”」を見ました。

 

中国各地にある(中国語で鬼城というのだそうですが)ゴーストタウンのことは知ってはいましたが、テレビ映像で見て改めて驚きました。

内モンゴル自治区のルドス市の100万人分の巨大マンション群に入居者の姿はなく、広東の東莞の巨大ショッピングモールは何年か前の賑わいが嘘のような廃墟でしたが、このようなゴーストタウンが中国全土にいくつもあるそうです。

 

このような巨大開発は、中央に対して実績を上げたい地方政府が主体となっていますが、土地開発をするために、鉄パイプを持った300人のやくざが乗用車で、言うことをきかない農民を襲う信じがたい様子を、農民が撮ったビデオを放映したのもインパクトがありました。これでは解放前の地主が、地方政府に替わっただけです。

その資金がどこから出ているかといえば、いま注目される“シャドー・バンキング”です。

その中核となるのが、「理財商品」という金融商品で投資信託のようなものですが、ここを通じて庶民から集められた巨額のマネーが、不動産バブルの源泉になったと見られています。

 

それにしても、シャドー・バンキングの理財商品を、ビラだけで買う中国一般庶民のリスク感覚も理解できません。何に投資しているかも知らないで、よく虎の子の貯金を預ける気になるものだと思います。多分、周りの人が高い金利で儲かったという噂だけで買っているのではないでしょうか。

利に目ざといから、もし返って来なかったら、どれだけの騒ぎになるか分かりません。
日本にとって、金融に関する直接的な影響はあまりないと思われますが、中国の国内需要が低下した時の影響は大きいので、中国のバブルの崩壊すに備えることが重要になってくるだろうと思います。

とても良い番組でした。

会長の時間13 平成25年10月9日(水)

2013年10月09日

「かち栗」2013.10.9

日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎

 

秋が深まって栗が出回っています。先日、農家の人から、かち栗をいただきました。

茹でて天日に干して作ったものだそうですが、固い栗の実を食べながら、日本人は縄文時代以来このかち栗のようなものを食べて来たのだろうかと想像しました。

 

以前、私は30年ほど前に発見された青森県の三内丸山遺跡を訪ねたことがあります。

三内丸山遺跡は今から約5500年前~4000年前の縄文時代の巨大な集落跡ですが、ここで出土した栗の木をDNA分析した結果、栗が人の手で栽培されていたことが明らかになっています。

他にも豆、ゴボウ、ひょうたんなどの一年草も栽培されていたようですから、コメが日本に渡ってきたときに、あっという間に青森辺りまで栽培されるようになったというのも、こういう縄文人の技術と経験があったからではないでしょうか。

 

また、かち栗は保存食にも適していると思われるので、昔は貴重な食料として、戦場にも持っていったのだろうかとも想像しました。

 

そんなとき、偶々、明治の終わりの方で、乃木大将が日清戦争当時の衣食について話したことが新聞に出ていましたのでご紹介します。

 

「かの日露戦争に従軍した者に、日清戦争当時、衣食はどんなことであったかを話して聞かせると、その粗末であったこと、ほとんど嘘のごとく驚きます。さらに日清戦争の時分と西南戦争の時分の食物や弾薬、衣服の乏しさを比較しますと、これはまたもう一段ひどい。

それから以前の幕長戦争になると、ほとんどお話にならない。『そんな物を食ってよく生きていたな』と言って一笑に付されるような有様であります」だそうです。

 

具体的に何を食べたいたのか分かりませんが、かち栗などは貴重品だったのかもしれません。

 

明治末の人でさえ、僅か50年ほど前のことを『そんな物を食ってよく生きていたな』と言って一笑に付す位ですから、我々にはとても想像がつかないことです。

 

物質的に恵まれた今日、つい最近まで日本人が貧しい食料で必死に命をつないできたことを有難く思いながら、かち栗を食べました。

 

米山奨学制度研修会報告 井上明夫会友

2013年10月09日

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