11月の例会予定
2015年10月21日・11月 4日(水)午前10時30分〜午後3時30分 パトリア日田
チャリティーバザー 責任者の方は9時30分集合
・11月11日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
ロータリー財団月間 原道子財団委員長卓話
・11月18日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
会員卓話 佐藤武朗定款細則委員長
・11月25日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
年次総会
・11月 4日(水)午前10時30分〜午後3時30分 パトリア日田
チャリティーバザー 責任者の方は9時30分集合
・11月11日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
ロータリー財団月間 原道子財団委員長卓話
・11月18日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
会員卓話 佐藤武朗定款細則委員長
・11月25日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
年次総会
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
先週の自由討論会には、ご協力頂きありがとうございました。今までにない例会が出来たのではないかと喜んでいます。
今月は米山月間でありますので、今日は米山奨学生シェド、デルシャン氏をお招きしての例会となります。私は今まで、米山記念奨学会の事については勉強不足で内容をほとんど知りませんでした。ほんの一週間ほど、にわか勉強をしました。
まず我々ロータリアンがなすべきことは何だろうと考えました。第一に職業奉仕だと思います、しかしこれはロータリアン以外の人でも、職業人としてほとんどの人が実践している事と思います。
それ以外に、ロータリアンとしてどんな奉仕ができるかと考えますと、それは寄付をすることではないでしょうか。ロータリーには、ロータリー財団と、ロ-タリー米山記念奨学会と、二つの大きな基金があります。我々が直接活動しなくても、この二つの組織が地域に、世界に奉仕活動を行ってくれています。我々は、親睦と知り合いを広める事も良いのですが、財団や米山に寄付をすることによって社会に奉仕する事も重要だと思います。
自分達が寄付をしても、その使い道が良く解らない、という意見もよく聞きます。
しかし本日のように、立派になられた米山奨学生が卓話をしてくださるという事は、それだけ奨学生の役に立っていると言う事ではないでしょうか。
また財団基金の方も、学校を建設したり、井戸を掘ったりする資金に活用されています。
私は今、これほど寄付の重要性を感じていますが、自分自身能々考えてみますと、米山記念奨学会に一度も寄付したことがありません、大変申し訳ない事です。早速この場で梅野米山記念奨学委員長に、今年度から1万円の寄付を行う事を申し出ます。
実はこれには少し訳があります、日田クラブの習慣として10年未満の会員は全員財団の方へ100ドルの寄付をします。10年目からは財団に変わって今度は、米山記念奨学会の方へ1万円の寄付を行うようになっています。この習慣は少し見直した方が良いかもしれません、このような訳で私より若い会友の方は、まだ全員米山奨学会へ寄付をした事がありません。この機会に10年未満の会友の方も、是非自分も米山へ寄付したいと思っていただけると大変うれしい事です、多分大勢おられると思います。
もう一つお願いですが、10年以上の会友も、米山だけでなく財団の方にも100ドル寄付してもよいぞと太っ腹なところをみせていただくと、益々うれしい事です。
本来この話しは、原財団委員長の卓話の日にお話しする予定でしたが、今日はなぜか、こういう成り行きになってしまいました。11月11日の財団月間の日には再度詳しくお話しするつもりでいますので、宜しく御考慮して下さるようお願いいたします。
もう一つ報告があります、チャーターメンバーの井上幸一氏が、日田クラブの名誉会員になって頂けることになりました。井上百合会友にお礼申し上げます。
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
今日は、2500回の記念すべき例会であり、出席率も江藤幹事の努力と皆様のご協力のおかげで93.3%となりました。
只今、2500回記念にちなんだ、2500円の豪華昼食を楽しんでいただきました。
また今日は、雰囲気も変わり丸テーブルでの例会となります。この後コーヒーとケーキを楽しみながら、「ロータリーの楽しみ方」というテーマで自由討論をしていただきたいと思います。
私は会長になる際、今年度の目標に3つのテーマを掲げました。
1・定款細則を見つめ直そう
2・ミャンマーに井戸を掘ろう
3・未来の日田市を想像し、創造しよう。
1・定款細則を見つめ直そう。については
佐藤定款細則委員長のご努力のおかげで、原案が先週の理事会で承認されました。
本日は、細則を皆様にお配りしていますが、不都合がないか最終チェックをお願いするものです。この件については、後程佐藤委員長からご説明があると思います。
自画自賛になりますが、この細則は200点満点の素晴らしい出来栄えだと喜んでいます。
2・ミャンマーに井戸を掘ろう。
原財団委員長に補助金の申請を提出して貰いましたが、前回の学校建設の時と同じようにアメリカ財務省から別途書類の提出を求められました。橋本会友に対応して頂き、無事補助金も確保し、事業を世話してくださる古庄氏へ10月4日に14万185円の資金を託しました。乾季の12月に工事を行うようです。日田クラブから現地視察団を1月末~2月初めに計画しなければなりません、ふるって御応募ください。決して強制指名入札にならないよう希望します。
3・未来の日田市を想像し、創造しよう。
この件は少しテーマが重すぎたかなと思っています。これは常に考えておくべき問題ではありますが今回は、地方創生大臣と少子化の総務大臣のお仕事内容をゆっくり見学させて貰おうと思っています。我々はもっと身近な「ロータリーの楽しみ方」というテーマで、本日気楽に自由に討論していきたいと思います。
4番目の番外に、映画「KANO」映写会を2クラブ合同で行いたいと取り組んでいます。
この事業を後援してもらう為に、県の教育委員会、日田市、西日本新聞社、大分合同新聞社の4部所に会友の井上県議、中央の藤井会長、私と3人でお伺いし、一応内諾を得たところです。
以上中間報告です。
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
先週の週報をご覧ください、NO.2499です。来週は丁度2500回となります。
江藤幹事が計画してくれておりますが、2500回にちなんで、2500円の豪華フルコースになるようです、ご期待ください。
もう一つ次週は、私の念願である自由討論を開催いたします、テーマは『ロータリーでの楽しみ方』です。六つの丸テーブルを用意しますので各テーブル毎に、自分自身のロータリーの楽しみ方を御自由にお話しして下されば、益々楽しいロータリーになると思います。
本日の会長の時間は、ルーツを求めてというお話しを致します。
玖珠クラブの会長、幹事がお見えになっておられますが、私の先祖も玖珠の出であることは間違いないようです。私の苗字は織田、織田信長の織田です、先祖をたどってみると、6代前までは織田信長の織田ですが、7代前は小さい田の小田です。どうして改名したのかわかりません。丁度塩谷代官のころに改名しています。
小さい田の小田は、玖珠の切株山の西麓に小田村があり、此処が出身地です。これは頼み寺や親戚がこの付近に集中していることからも分ります。
小田村は小田氏の発祥の地で、小田氏は清原一族の山田氏の流れをくみます。山田氏は、北山田や南山田の辺りが本拠地です。
玖珠では清原一族が絶大な勢力を持っています。少納言清原の正高が970年頃、玖珠に左遷させられます。その孫に3人の男の子があり、長野太郎、山田次郎、飯田三郎となり、長野太郎はその後、古後、帆足と勢力を伸ばし、山田次郎は平井、太田、小田、魚返、さらに粟野、今村、原田、志津里、原口、綾垣と勢力を拡大します。また飯田三郎は、江良、野上、松木、森、そして、片平田、岩室、右田、中島、見良津と広がっていきます。
このように、少しずつ領地を広げながら、その地の名前を名乗っていきます。
玖珠の飯田幹事は飯田三郎の流れではないでしょうか。
清原の正高は、京で小松女院と道ならぬ恋に落ちた為、玖珠に流されてくる訳ですが,その後、小松女院も後を追って京から玖珠までやって来ます。正高には、すでに妻も子供も居る事を悲観して自ら三日月の滝に身を投げるのです。
又、1336年南北朝の時代には、切株山の玖珠城が南朝方の拠点となり、小田氏、魚返氏、高勝寺の僧兵が立て籠って、北朝方の一色勢との数か月にわたる激戦の末敗れています。
この様に名字一つからでも、色々なことが分かってきます。古い地名等特に改名しない方がよいかと思います。
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
本日は、済生会日田病院の緩和ケア病棟での職場例会です。職場例会を支えて下さるスタッフにお礼申し上げます。
私は昔、保健体育の授業で『健康な身体に健全な精神が宿る』と教えられました。体調不良であるとか、頭が痛いとかあれば、良い考えも浮かんでこないし、良い経営もできないと思います。我々はやはり健康が第一です、また家族の一員が悪くてもしかりです。
ところで、今日の会長の時間は、熊本県立大理事長の五百旗頭真氏の文章からの引用です。
五百旗頭と書いて、いおきべと読みます。難しい読み方ですが、侍大将の子孫でしょうか。
平時にまさかの事がある、私の場合、長期入院などしたことがなかった。が、昨年6月、高熱を発し全身が震え、大学病院に転げ込んだ。胆石が暴れ出て十二指腸への出口をふさいだための敗血症であり、即日の手術が成功しなければ命はなかったという。
それであって、格別に忙しくなったのが妻であった。妻には母と姉の看病や、うれしい四人目の孫の世話があった。それに私の入院が加わった。若々しく駆け巡って活躍する妻を、家族一同まぶしく見ていた。
今年二月終に母が逝った後、妻は腹部の異常を訴えるようになった。病院は血液にもエコーにも問題はないという。
本人には癌であることをひた隠しにする風習が、日本社会ではいつ頃から後退したのだろうか。私には死ぬこと自体よりも、自分に何が起こっているかわからないことの方が耐え難い。妻はどう思うかわからないが、私は告知をお願いした。
5月15日入院中のベッドに横たわる妻に、長身の主治医が身をかがめて近づき、優しく穏やかに語りかけた。いたわりに満ちた態度であったが、内容はもはや手術もできない末期のすい臓がんであるとの冷厳な事実の通告であった。日ごろ物事に感じやすい妻がどう受け止めるであろうか。妻は涙と感情を抑え、ゆっくりとした口調で短い質問を発した。「いつ頃まで生きられますか」。医師は「神様にしかわかりません」といいながら、厄介な状況であり、早ければ半年かもしれない、家族と良い時間を少しでも長く持てるように尽くしたいと述べた。「いつ頃から侵されていたんでしょうか」との質問への応答の後、妻は自らの境遇への所感を口にした。「ほかの家族でなく、私でよかったと思います」
本日は、緩和ケアとはどんな仕事かよく勉強して帰りたいと思います。
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
観月例会
本日は観月例会ですが、あいにくの雨で月は見えません。
観月会と言えば秋、中秋の名月とが決まっています。しかし、満月は年に12回か13回あります。それなのに何故、春や夏ではなく秋なのでしょうか、余計なことを詮索してみました。
まず、秋には日本から見た月の位置が、観月に最も適しているということらしいです。時間と角度がピッタリと言う事でしょうか、天文学に素人の私には全くわかりません。
次に、秋の15夜の事を、芋名月と呼ぶ地方もあるそうです、やはり収穫の秋に感謝する行事ではないでしょうか。里芋の煮っ転がしが月見団子です、ススキと団子とお酒を備えて月に収穫を感謝する、理にかなった風習ではないでしょうか。
3番目は、子供の頃名月様には庭の松の木の枝に、芋や枝豆、栗、お菓子をお盆にのせて置いておくと、村の子供達が、大きな声で「上げたか、下げたか」と言って家々を回りお盆を見つけては、中身を持ち帰る。そう云う風習があったのを思い出します。
今日は観月例会で飲み明かすのもよいでしょうが、少し古事(いにしえごと)にも思いをはせて、味わいながら飲むのも風流ではないでしょうか。
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
これは、天瀬の古湯公民館の壁に貼ってある、天瀬古湯温泉の謂れを書いた史料の一部ですが、出展は豊後風土記の一節です。豊後風土記は奈良時代の七三三年頃編纂されたと言われています。
天武七年戊寅(六七八年)北部九州に大地震(白鳳大地震)があり五馬の庄に温泉が出たようですが、場所は特定できていません。現在玖珠川の両岸にある天瀬温泉の何処かだろうと思われます。人の声を聞けば、驚き慍りて泥を騰こと一丈ばかり、とあることから、大きな間歇泉であったと思われます。
昔は、今と違って、お湯が自然に湧き出した物を温泉と言いました。主に湯治のための使ったのでしょう。
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
本日は市長をお迎えしての例会となります。
皆様も市長のお話をお待ちでしょうから、会長の時間はなるだけ短くやらせてもらいます。
ところで皆さん、歯は丈夫ですか、私は今も歯医者通いをしています。
私の歯が悪くなった原因は、元々弱かったこともありますが、私は絵を描く時に、魂を詰め過ぎたのではないかと思っています。この因果関係を説明するには長くなるので省略します。今日のテーマは『歯が抜ける』という題です。これは「抜粋のつづり」から、東京女子医科大学名誉教授、岩田誠先生のお話です。
今は昔、100歳を向かえる長寿の方が珍しかった頃、先生の診ていた、その当時90歳を超えておられた、患者さんのお話です。その方は歯がすべて抜け落ちてしまって、食事も柔らかくしたものだけ食べておられた。ある時、「入れ歯はお持ちでないですか」と尋ねると、次のように答えられた。
「歯が抜け落ちるということは、それなりの意味があると思います。多分、この年になると胃腸の働きも、若いころと同じではないのだと思います。そんな状態で、若い頃と同じものを食べようとすれば、胃腸を壊してしまいます。歯が全部抜けたということは、これからは歯がなくても食べられるものだけを食べるようにと、神様が仰っているのだと思います。」・・・と答えられたそうです。
私(先生)はそれまで、歯が抜けることの意味なぞ考えたことがなかった。齢をとればやってくる、いささか悲しい結末の一つとしか思っていなかった。日常診察の合間に交わしたほんの些細な会話だったが、深い知恵を授けられた気がしてとてもうれしくなった。
と言う話しです。
私たちも、自分の歯を大切にしましょう。特に暴飲暴食はさけ、たまには家で食事をとり、年齢にあった食生活を心掛け、そしてそれぞれ仕事に励みまし
・10月 7日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
新入会員卓話 三笘会友
・10月14日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
2500回記念例会 自由討論「ロータリーでの楽しみ方」
・10月21日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
米山月間 別府大学 スリランカ出身 ジェド・デルシャン氏卓話
・10月28日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
職業奉仕賞贈呈式 相澤漆器 相澤秀一氏
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
昨日朝の台風はすごかったですね、一瞬、平成3年の台風19号が頭をよぎりました。私の所は4時まで停電しましたが、皆様の所は被害がありませんでしたか、お見舞い申し上げます。
本日は、三隈高校総合学科のお話ですが、園田先生、日小田先生、後程宜しくおねがい致します。
それでは会長の時間ですが、今日は「気球太平洋横断」の話をします。
今年2月の朝日新聞で、佐賀発の気球『世界記録』を達成という記事を見ました。
気球は佐賀を出発してメキシコ沿岸に着水したそうです。
気球は何日でアメリカまで到達できたと思いますか?・・・ 答えは7日と半日です。
気球は、1月25日の早朝佐賀を出発し、1月31日午後11時頃メキシコ沿岸に着水したそうです、7日半で到着しました。7日半は時間に直しますと180時間となりますが、なぜか新聞の公式記録には160時間となっていました。飛行距離は10,700kmです、これを時速になおしますと67Kmとなり、猛スピードの自動車の速度です。
昔、風船爆弾の話を聞いたことが有りますが、1週間ぐらいなら、どこに落ちるかは別にして、有りうるかなと思いました。
ところで、地球は大きいと思いますか、小さいと思いますか。
私は小さい頃、地球は水平でどこまでも広いと思っていました。40代の頃、飛行機でヨーロッパに行った事があります。その時地球は意外と狭いなと感じました。
多分人工衛星に乗った人は、地球は小さな綺麗な星だと思っているでしょう。なぜこの小さな星の中で争いがあるのだろうと大変心配していると思います。
地球が小さいと感じるようになったのは、乗物のスピードのせいです。
江戸時代までの移動手段は、徒歩、馬、船です。ところがこの船は以外と早いのです。
年貢米を運ぶ船に、上乗り人という人がいます。この人は、百姓の代表で読み書き、そろばんが出来、元気の良い庄屋職を務められるような人が年貢米の監視人になります。
この人の日記によると、伊勢から浦賀まで1日半で着いたそうです、これにはびっくりしました。その代り風待ちのため何日も停泊することがあるようですが、そういえば、紀伊国屋文左衛門のみかん船の話もあります。
そして現代は、自動車、汽車、飛行機の世の中です。ここから江戸まで300里、1日6里歩いて50日、今は飛行機で1時間半。この時間の短縮が地球を小さくしてしまいました。確かに地球は思っていた以上に小さいです、そして人間の生活廃棄物が自然環境を少しずつ変化させます。銘々勝手に消費していたのでは、終には取り返しのつかないことになるでしょう。この小さい地球を大事にしなければなりません。
気球から、とりとめのない話になりました。
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
本日は、藤蔭高校インターアクトのメンバーをお迎えしての例会となります。
7月31日に私と、江藤幹事、松本新世代委員長の3人で、恒例の藤蔭高校への訪問を行い、顧問の梶原先生にお会いしてきました。翌、8月1~2日にはインターアクトの年次大会が水俣で開かれ、それに8名の藤蔭高校のインターアクトと梶原先生、日田クラブからは湯浅地区インターアクト副委員長、松本新世代委員長、諌山会友の3名、合計12名と、例年になく多くのメンバーに参加して頂き、今年の藤蔭高校の意気込みのすごさを感じました。今日は、この報告会です。
藤蔭高校では生徒会が、東南アジア支援物資等輸送活動という素晴らしい事業を19年間も継続しています。去年は段ボール200個の支援物資を海外に発送したそうです。
聞くところによるとこの輸送費用がたいへん高額になるため、この費用集めにボランティア委員会が、企業を訪問し協賛金をお願いしているようです。日田クラブも協賛金として1万円を4年前から始めました、また、日田クラブの会友も9社ほどが協賛を続けています。これだけ素晴らしい活動を高校生がやっているのに、我々ロータリアンは見ているだけでよいのだろうか、もう少し何か支援が出来ないものだろうかと常々考えていました。
今年度は協賛金1万円の他に些少ではありますが、インターアクトクラブに4万円ほど支援致しました。会友の皆様方も、この活動の趣旨に賛同して頂き、9社に限らずもっと協賛して頂ければ幸いに存じます。
私の勉強不足で、我々が、インターアクトクラブとどのように接して行けばよいのか良くわかりません。今日のような機会に、インターアクトの方も自分たちの活動を発表し、大いに宣伝し、自分たちはこんな素晴らしいことをやっているのだ、しかし、こういう点が難かしいのだ、と伝えてもらえば、優しいロータリアンの皆様はきっと良い解決方法を教えてくれるでしょうし、支援もしてくれると思います、きっと頼りになります。
インターアクトクラブとは、この外にダメ絶対運動でも共同活動していますし、里山散策ではクラブのメンバーにコースや児童の監視に参加して貰っています。
提唱クラブは、指導、助言、監督の責任を持っているとなっていますが、それだけでなく支援も含め、協力して諸問題に対応していけたら良いなと思っています。
・9月 2日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
原田啓介日田市長卓話
・9月 9日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
会員卓話 マイナンバー制度について 井上太香美会友
・9月16日(水)午後6時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
観月例会 夜間例会
・9月23日(水)日田市の歴史の宿亀山亭
休会
・9月30日(水)
職場例会
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
日田クラブも最近新会員が増えてきましたので、私の事をご存知でない方も多いと思いまので、まず自己紹介からさせて貰います。
私は、ロータリー歴8年9ヶ月、職業分類は山林経営です、経営する程の山林は持っていません。林業関係に、佐藤建身会友、井上明夫会友と外にもおられましたので、たまたま開いていた山林経営にはめ込まれたものと思っています。
私の仕事は、山に木を植え、根ざらいをし、真直ぐな木を育て、伐採し、出荷する事を生業にしています。伐木は少しぐらい出来ますが、ほとんど業者に委託し、主に日田郡森林組合に出荷しています。全部伐採して出荷する方法を全伐と云い、立木を間引いて出荷する方法を間伐と言います。40年前は、全伐が主流でしたが、間伐方式に切り替え、漸く軌道に乗ってきた平成3年(今から24年前)、台風19号が北部九州を襲い、日田市の山林は壊滅的打撃を受けました。それから10年間は、倒木を整理する為の伐採、植林の為の山林の片付、そして植付けと毎日朝から晩までよく働きました。
一方木材価格の方は、昭和55年(35年前)をピークに下落し始め、上質材で、㎥(リューベ)3万円していました。平成に入ってからは、上質材でリューベが9千円、切り出しと市場の経費が8千円、手元に残るのが1千円という状態です。10トントラックいっぱい積んで1万円の手取り、即ち1万円の買い物をするために、大型トラック1台分材木を積んで行く必要がありました。普通材はもっと安く、0(ゼロ)又は赤字という状態です。そういう中でも山林の手入れだけは欠かさず行っています。
外材の需要が8割と言う状況の中で、円が1ドル120円まで安くなれば、外材の輸入が減り価格も上がるだろうと考えていましたが、この考えも通用しませんでした。
今も木材価格は一向に上がりません。現在、空家が問題になる程木造住宅は飽和しています、そして新しい住宅には木材を使う事が少なくなっています。杉、檜は建築に使ってこそ価値があります、燃料用に使えばよいと言う人もいますが、燃料材はまた桁違いに安くなります。
今は木造建築の時代ではないという人が多いと思いますが、木造は決して粗悪品ばかりではありません。一般の木造に対する考えの方が間違っているのです、木造建築は高級品なのです。奈良の大仏殿のような大建築も出来ます、五重塔のように高いものも出来ます、そして千年以上も長持ちします。皆さん、お金をたくさん稼いで、高価な立派な木造住宅を作って下さい。
私は現在、ボランティア精神で空気中の炭酸ガスを、木材質に変えて山林に蓄積しています。所謂炭酸ガスのダムをせっせと作っています。いつの日かダムを放流することなく、再び木材に陽が当たる時が来ると信じて、手入れだけは怠りません。
7月18日(土) 職業奉仕セミナーとクラブ奉仕セミナー報告 (大分ホルトホール)
午前中 職業奉仕セミナー 出席:織田、橋本会友
午後 クラブ奉仕セミナー 出席:織田、吉野会友
午前の職業奉仕セミナーでは、 職業奉仕とは、職業分類について、という2つのテーマでグループ討議を1時間ほど行いました。ディスカッションリーダーは午前も午後も、私のグループは野田ガバナーが務めて下さいました。
●職業奉仕とは、職業を通じて社会に奉仕する。これについては、正しい倫理観を持って職業を実践すれば、即ちその結果が職業奉仕につながってくる、と解釈しました。
また、我々ロータリーアンは、まず第一に商売があって、次に家庭があり、最後にロータリーがある、この順序を間違はないようにしなければいけないと感じました。
●職業分類については、以前は1業種1名の原則であったが、近年は、1業種5名まで良
いとなっています。これは会員増強を促進するためには良い方策であり、一定の成果は上っているが、その結果出席率の低下を招いている感がある。
午後のクラブ奉仕セミナーでも同じ形式で、ゲストの講演、グループ討論、発表、講評
と行われました。近頃はグループに分かれて各自が意見を述べる方式に変わってしまい、以前のように、聞いていればよかったセミナーとは少し様変わりしました。
グループ討議では、出席率を向上させるためには、効果的なクラブ作り、魅力的な例会作り、という3つのテーマで討論する予定が、出席率の向上だけで時間が終了しました。
●出席率向上については、メーキャップの奨励、新会員には後見人をつけ出席のアドバイスを行う等、一般的な方策が多い中、別府、別府北RCは今も100%出席を続けている。
日田クラブも昔は100%であったと、ベテラン会員が何時も残念がるのですが、それを現在も続けている事に大変感動しました。
彼らは、入会時から、オリエンテーションで必ず100%出席が義務であり、クラブの厳しい掟であると諭されていて、それを実行しているだけだそうです。
実質出席率は85~90%の様ですが後はメーキャップを必ず行っている様です。
発表した別府の会員は、本人が入院中の病院を抜け出して、例会には出席したそうです。
(我がクラブの幹事も似たようなことをしていて、大変頭が下がる思いです)
やはり入会時の教育が大事であり、日田クラブも、これまでの取組が少し甘かったのではないかと反省させられます。(しかしそうは言っても7~8年前は、とにかく会員増強が第一で、出席まで気が回らなかった時期もあった気がします。)
また、若い会員の為には、忙しい昼間を避けて、夜間の例会を月1度の割合で行っているというクラブも多々ありました。但し、お酒無しの普通の例会です。
国際ロータリー第2720地区、社会・国際奉仕部門(佐竹享部門長)の第1回会議が日田市ホテルソシアでありました。小山康直パストガバナーを始め、熊本・大分地区から13名が集まり、日田RCからは、佐竹享社会・国際奉仕部門長、橋本信一郎ブライダル推進副委員長、中西浩社会奉仕委員が参加しました。
今後のブライダル委員会の活動計画や、昨年度に引き続き日田で開かれる社会・国際奉仕部門セミナーの話し合いがされました。
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
先週25日(土)に嘉義玉山ロータリークラブの翁会友とご家族の方、それと嘉義大学の学生さんや家族の方16名が日田に来られ祇園祭を楽しまれました。学生さん方は翁さんのセミナーのメンバーです。夕食をサッポロビール園に御招待し、食事後はハッピとユカタに着替えて、頓宮会友が会長をされている平成山鉾を曳きに行きました。
サッポロビール園では7名の日田クラブ会友がお出迎えをし、食事の後は、田嶋会友、橋本会友、森山会友の3名の方が最後までお世話をして頂き、誠にご苦労様でした。
ところで我クラブは、7月から新年度に入り、1日には会長方針の表明、8日にはガバナー補佐とのクラブ協議会、14日には2クラブ合同の公式訪問例会と、息つく間もない慌しい出発でした。これは、まさに3段跳びの、ホップ、ステップ、ジャンプの様でした。
一段落するとその次は当然、慰労の為の納涼親睦例会となります。
祇園祭りでお疲れの会友の方も、今日は、体をほぐしながらゆっくりと飲もうではありませんか。また、新会員の方は、ベテラン会員、先輩会員と遠慮せずに、親睦を深めて頂きたいと思います。サッポロビールのテーマが『乾杯をもっとおいしく』という事だそうです。冷たいビールを美味しく、愉快に、飲み干しましょう。
・8月 5日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
会員増強月間 武内会員増強委員長
・8月12日(水)日田市の歴史の宿亀山亭
会員卓話 佐竹地区社会奉仕委員長
・8月19日(水)日田市の歴史の宿亀山亭
インターアクト年次大会報告(藤蔭高校インターアクトクラブ)
・8月26日(水)日田市の歴史の宿亀山亭
外部卓話(三隈高校総合学科)
日田ロータリークラブと友好クラブである台湾の嘉義玉山ロータリークラブの会員さんがご家族や台湾の学生さん達を連れて日田に来られました。
サッポロビール園で懇親会の後、日田祇園を見学。平成山の晩山運行を見て感激されていました。
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
本日、岡野ガバナー補佐が来訪されております。岡野ガバナー補佐は中津平成ロータリークラブに所属しておられ、職業は弁護士をされておられます。
来週14日に、三隈ホテルで2クラブ合同のガバナー公式訪問が行われますが、これに備えて日田クラブの状況を把握しておかれるということです。今日午前中に、大委員長と理事が出席し、ガバナー補佐指導の下クラブ協議会を行いました。皆様にはこの後すぐアドレスと講評を頂きたいとおもいます。また、大委員長には、各委員会の活動方針と計画を発表して貰います。
只今、市内は市長選挙の真最中です。皆さんも意中の候補の応援、運動に大変忙しいことと存じます。選挙管理委員としては最近の投票率の低下を非常に心配しています。若い人の選挙離れや、高齢者には交通の便が悪い為、投票率がひどく下がってきています。12日の選挙当日、都合の悪い方は早めの期日前投票を行って下さい、前々日から非常に混み合います。
そしてまたごく最近、友権者の年齢を18歳に引き下げる法案も可決されました。来年夏の参議院選から、有権者が240万人増えるという事だそうです。
選挙に関連したことをもう少しお話します。 前総務大臣・鳥取県知事 を歴任された片山善博氏の文章より抜粋しました。
選挙で『いい人を選ぶ』ことは有権者にとって大切なことであり、投票に行く人のほとんどはそうしている。では、いざその選ばれた人たちが『いい仕事をしているか』ということには、はたしてどれほどの有権者が注目しているのであろうか。
この点で、本当はみんなが一番関心を寄せなければならないのが、1番身近な市町村議会である。
失礼をかえりみずにいえば、市町村議会は一部の例外を除いて、全国どこに行ってもあまり評判がよくない。例えば、これまで国や県が決めていたことをこれからは市町村が決めるとする地方分権改革に賛成ですかと聞いてみると、ほとんどの人は賛成する。ところが、「市町村が決めるとは、最終的に議会がきめることなのですよ」と説明した後でもう一度同じ質問をすると、答えは大きく変わってくる。それなら「今まで通り国や県で決めて貰った方がいい」という人が断然多くなる。
残念ながら、自分たちが選んだ議員さん方が決めてくれるなら安心だという人はほとんど見られない。
ところで、今日から、新しい週報になりました。サイズもB5からA4版に変わりました。
なかなか良い出来だと思いませんか。色など佐藤会報編集委員長と相談して決めました。
表紙の絵は、女流画家、江藤久美さんの絵を掲載しています。彼女の絵は日本画で、いろいろな展覧会で常に受賞する実力の持ち主です。私も彼女の絵のファンです。絵の大きさは、F130号、1940×1620の大作です。 因みに、彼女は江藤幹事の妹さんです。