活動報告

0年0月0日

「タイの国際大会に参加して」    河津 龍治会友

2012年06月08日

「タイの国際大会に参加して」          河津 龍治会友

 まず、38,000人の会場ですが平面的で後ろの方は全く見えない状態で、やっぱり日本の武道館みたいな施設のところでした方が良かったのではないかと思いました。ほとんでスクリーンを見るだけで、全くステージが見えませんでした。  また今回の旅行ですが、本当にお酒を飲みませんでした。何か皆さん、思惑があったのか知りませんが、こんなにお酒をのまなかった旅も初めてです。私が「飲もう飲もう。」と言ってワインを1本出すのですが、ほとんど私だけが飲んだ様なもので、何かしら思惑があったのではと思っています。  それから15~16年前から物価が全然変わっていないのです。だからめちゃくちゃ安いです。なんでも安い、食事も安い、いろんな面で安いです…。ということで親日家のタイは大変楽しかったです。  最後に飛行機の中でファーストクラスに乗っている本田ガバナー夫妻を見つけて、今度生まれてくるときは神主の家に生まれてきたいと思っております、以上。

「タイの国際大会に出席して」  国際奉仕委員長 橋本 信一郎

2012年06月08日

「タイの国際大会に出席して」  国際奉仕委員長 橋本 信一郎

 5月5日から9日まで、国際大会出席のためタイのバンコックに行ってきました。6日の開会式は出席者が多いため、午前と午後の2回に分けて行われました。私達は午後の部でしたが、巨大な会場はほぼ満席で、モニターはあるもののステージは遠くよく見えませんでした。午前の部には、タイ王室の王女がご臨席になられました。録画で見ましたが、お足が悪いようで車椅子で来られましたがスピーチのときはご起立になられて祝辞を述べられていました。  式では、約200の参加国全てが国旗とともに紹介されました。紹介のたびに当事国からの参加者が歓声を上げましたが、参加者が多かったのは、日本、韓国、台湾、アメリカとホスト国のタイのようでした。  ロータリークラブのある香港・マカオは中華人民共和国の旗で紹介されましたが、何か違和感を覚えました。一方で、台湾はどのように紹介されるのかと思っていましたら「TAIWAN」と紹介されました。「チャイニーズ・タイペイ」などと言わないのは、さすが国際ロータリーの見識だと感心しました。 それにしても、国際大会では英語が分からないと何があっているのかよく分かりませんでした。  開会式の後は場所を移して「2720地区ナイト」が開催されました。アトラクションでタイの民族舞踊が披露されたり、約100名の参加者がクラブごとに紹介されるなどして懇親を深めました。  6日の午前中はタイの王宮を見学しましたが、タイ独特の建物が大変立派であり、壁画などには独特の仏教文化が表現されており意味は分かりませんが興味をそそられました。  7日には映画「戦場に掛ける橋」で有名なカンチャナブリ観光に出かけました。映画では木造でしたが、実際はコンクリート製でした。後で作ったのかと思いましたが当時日本軍鉄道隊が作ったもののようです。映画では日本の技術が悪かったように描かれていますが、実際は日本人の設計・監督で作ったようです。泰緬鉄道に一時間ほど乗りましたが、僅か一年半でよく作ったものだと思いました。タイ人のガイドは日本が負けるのがもう少し遅かったら鉄道が完成していたのにと言っていました。「タイで日本のことを悪く言う人はいないよ。嫌いなのはイギリス」とも言っていました。  近くに連合軍兵士の墓地がありましたが、こちらには国連から補助金が出ているそうです。近くに日本軍鉄道隊が昭和19年2月に建てた南方労務者と俘虜のための慰霊塔がありましたが、こちらはお世話をしてくれているおばあさんに日本大使館から僅かなお金が出ているだけのようです。  8日はゴルフをしましたが、雨の予報があったのでカメラを持参せず写真がありません。幸い雨も降らず曇りで暑くもなく、素晴らしいコースでゴルフを楽しんで来ました。  最終日の9日は、世界遺産のアユタヤに行きました。行く途中建物も電柱もアユタヤ遺跡も、大水害で水に浸かった跡がありました。現在は完全に復旧していますが、当時は、見渡す限り水に覆われていたのではないかと思います。観光客用の象に乗りましたが、相当な高さでかなりの揺れがあります。戦闘用にも使ったようですが、よく、こういう動物を飼いならしたものだと思いました。 アユタヤ遺跡は1767年にビルマの侵攻を受け破壊されたので、レンガを積み重ねた状態の遺跡です。当時はどうだったか分かりませんが、建造物としては余り感動しませんでした。  アユタヤに1600年頃、日本人が1000から1500人住んでいたという日本人町跡を見学に行きました。記念館には山田長政像や、当時、日本とシャムを行き来したシャム船の模型がありました。長崎から上海までは13日の航海だったそうですが、シャムまでは50日もかかったそうです。船には100人くらいが乗り組んでいたようです。大砲も積まれていますが、いかにも大航海時代だなと思いました。もし、鎖国をしなかったならば、アジアはどう変わっていただろうかと想像します。  アユタヤは国際交易都市ですが、バンコックから70キロほど北にあり、海から相当離れていますが、船が遡上してきたようです。海防上の理由のようですが、実際、スペイン艦隊がアユタヤを目指して攻めてきたとき、山田長政の指揮する日本人傭兵が撃退し、そのことは現在でもタイの教科書に書かれているそうです。  タイは、日本と同じく植民地にもならず、王室もあり、仏教国でもあり、殺伐とした感じのないとても素晴らしい国でした。地政学的にも東南アジアの中心であり、進出した日本企業も多く、周辺国の発展とともにタイはますます発展するのではないかと感じました。 タイの経済は華僑が牛耳っていると聞いていましたが、町に漢字を余り見かけませんでした。案内したガイドは二人とも華僑系でしたが、北京語も喋らず、自分はタイ人であるとハッキリ言っていました。 さすがに、独立を保ってきた国だけあって外交的センスが優れているような印象でした。  天気予報では全て雨のマークでしたが、幸い天気にも恵まれ大変に有意義な旅となりました。また、行きたい国の一つになりました。

会長の時間46 平成24年6月6日(水)

2012年06月06日

日田ロータリークラブ会長 武内眞司

みなさん、こんにちは。
今日は一年の活動を振り返るクラブ協議会です、反省や次年度に向かっての抱負等をお聞かせいただけたら幸いです。私は最終例会の日にまとめてご報告したいと思います。

さて、先ほど紹介した通りに、藤蔭高校インターアクトクラブのメンバーの方々がお越しです。昨年の7月の年度当初の例会の際に、今年度の会長の方針の中でお約束した活動目標の中で、内容は別として唯一実行することが出来なかったのが、インターアクトクラブの活性化でした。
ご案内の通りに、本田ガバナーの今年度のスローガンは「心機一転」です、ご指導される担当の先生も変わったことですので、文字通りに心機一転する気持ちで、インターアクト活動が活性化するように願っております。

インターアクトクラブは、奉仕と国際理解を深めるために、世界中の青少年が共に活動出来る組織を作る目的で1962年に発足いたしました。第一号は、アメリカ・フロリダにあるメルボルン高校IACですが、日本では1963年6月27日に結成された宮城県仙台育英高校IACが最初です。その後世界中にIAC活動が広まり、現在世界中の青少年が国際的な友好と親睦を深めております。
日田ロータリークラブが提唱した日田ロータリーIACは1968年6月22日に当時の日田商業高校内に結成され、その歴史は40年を超えておりますが、正直なところ活動は低調気味です。いや でした。
偶然ですが、日本でも日田でもIACが発足したのは6月です、今日の活動支援金贈呈をキッカケにして、ロータリアンとインターアクターが「奉仕の理想」を実現するために、話し合いをしながら、一緒に活動する機会を多く持ちたいと考えております。
インターアクトクラブの目的や目標はロータリージャパンのHPに詳しく掲載されておりますので、一度ご覧になってください、活動の指針になると思います。今後は、当クラブ内の新世代支援育成委員会が中心となり日田ロータリークラブが全面的に、アドバイス、サポートいたしますので、安心してIAC活動に邁進してください。

会長の時間45 平成24年5月30日(水)

2012年05月30日

日田ロータリークラブ会長 武内眞司

みなさん、こんにちは。

第65回目の川開き観光祭が好天に恵まれ無事に終了いたしました、準備や当日の警備に加え、月曜の朝、後片付け等に尽力をいただきました関係者各位に感謝申し上げます。

そんな観光祭の土曜日に、風早にお泊りいただいた東京からのお客様の話を今日は紹介したいと思います。
「日田の花火はいかがでした?」と私としては、日田観光の一番のイベントの印象をお聞きしたつもりでしたが、花火のことには触れずに「日田は素晴らしい町ですね」の一言返事。訳を聞けば、日曜日の朝、町で子供達とすれ違った際に「おはようございます」といきなり大きな声で挨拶され、驚きながら「おはよう」と応えたところ「いい天気ですね~」と笑顔を返され、「うん、いい天気だね」から会話が始まり、旅先の日田で爽やかな時間を過ごすことが出来ましたとのことでした。
こんな素敵な子供達がいる町は、きっと素晴らしい人達が住む町に違いない、日田に感動しました、「絶対また来ます」とのご返事に、私の方が感謝感激した次第です。数千万円をかけたイベントより、子供達の元気な挨拶の方がより大きな感動を生むというところに、観光というものの原点があるように思われます。

ご案内の通りにあいさつの「あ」は明るくの「あ」、「い」はいつもの「い」、「さ」は相手より先にの「さ」、「つ」は人が繋がるの「つ」と言われます。挨拶することは人間形成において重要な要素ですし、良好な人間関係を築く基本です。私の年度では無理ですが、日田ロータリークラブの新世代支援育成プロジェクトに「挨拶運動」を取り上げ、子供達を応援するのもいいかも知れません。花を見て怒る人がいないように、笑顔で挨拶をされて怒る人もまずはいないでしょう。また日頃から挨拶をちゃんとする人間は、秋葉原や渋谷でいきなり人を刺すようなことはないと思います。

最近あまり感動しなくなった還暦過ぎの男が、可愛い小学生の行為に感激しましたので、紹介して会長の時間といたします。

会長の時間44 平成24年5月23日(水)

2012年05月23日

日田ロータリークラブ会長 武内眞司

 

みなさん、こんにちは。

今週の月曜日は金環日食ということで日本全国が大騒動し、また昨日は東京スカイツリータワーの開業日ということでしたので、二日続けて日本国民の多くが、空を見上げる光景をメディア報道で見ることになりました。うつむき加減な経済が続く日本でありますので、下を見る景色よりは、上を見る景色の方が上向きの希望が見えるようで、個人的には元気をもらった二日間でした。

 

昨晩、帳面消しというわけではありませんが、カミさんがどうしても焼き鳥が食べたいということで、とあるお店に行きました。するとカウンター席に新入会員夫妻が先客でおりまして、しばし歓談をいたしました。

焼き鳥を食べながら、新入会員から「日田ロータリークラブに入会してほんとうに良かった、例会出席を毎回楽しんでいますし、6月の家族会も女房共々楽しみしています」との嬉しい言葉をもらいました。

他の優秀な新入会員からも、日田クラブを選んで間違いなかったと、たびたび感謝されることがあり、B型のいい加減な会長としては、望外の喜びを感じている今日この頃であります。

しかし、48年の歴史と伝統を誇る日田ロータリークラブに唯一欠けているものがガバナーの輩出です、先週も言いましたが、手順を踏んで確実に前に進めたいと思っております。

 

今週末は65回目となる川開き観光祭ですが、コンセプト自体は65年間変わっておらず、景気低迷が長く続く中、一日の売り上げ以上に花代がかかり商店にとって、かなりの負担になっているのも事実です。博多どんたくのように企業負担で出来れば良いのですが、日田市では花火の協賛もあり難しいと思います。どのような形が良いのか市民全体で検討する時期が来ているようです。

 

今日はロータリー国際大会の参加報告があります、開催地が「もてなしの国・タイ」でしたので公式はもちろんのこと、非公式な報告があるのではないかと楽しみにしております。

会長の時間43 平成24年5月16日(水)

2012年05月16日

日田ロータリークラブ会長 武内眞司

 

みなさん、こんにちは。

今日は久しぶりの職場例会です、準備等にお骨折りいただきました職業奉仕員会の皆様ありがとうございました。あいにく本日、職員の方のご不幸で松本委員長は欠席ですが、電話で感謝の念は伝えております。

 

先週末の12日(土)に川島ガバナー補佐から召集がかかり、織田幹事と中津へ行ってまいりました。第一分区の会長・幹事全員に加え、本田ガバナー、木下パストガバナー、穴井・高山元ガバナー補佐が出席した物々しい「大分第一分区 会長・幹事会」という会議でした。

 

議題は皆様のご想像通り、2014年~2015年度のガバナー選出の件でしたが、ガバナーに関してオープンな議論をする会議開催は、初めてのことだそうです。2720地区の大分県選出のガバナーはこれまでに、第一分区から2名、第2分区(宇佐・国東・豊後高田)からは0、第三分区から5名、第4分区から7名選出されており、2014年度は大分第一分区から是非選出して欲しいとの依頼でした。第一分区では向笠元RI会長がガバナーに就任された後、1991年度に就任された伊東眞純パストガバナー以来20年間ガバナーを選出しておらず、2720地区として非常にバランスを欠いた状態であるとのことでした。

 

当該年度の1年後に60周年を迎える中津クラブ、50周年の日田クラブ、40周年の中津中央クラブからは、周年事業開催後の体力消耗で難しいという意見や、他のクラブからは、会員数が20数名だから難しいという理由等が出されました。しかし本田ガバナーから、難しいという理由は誰でも、またいくらでも作れるが、地域を代表する有能な人材が集まるロータリークラブだから、また分区全体でサポートするから、心配するほど難しいことではありません、と自らの経験を交え諭され、ガバナーを輩出したクラブは、伝統と歴史に会員の誇りが加わり、一段と格式高い良いクラブになりますよ、ともおっしゃいました。

2時間の会議中、それぞれのクラブから色んな意見が述べられましたが、日田中央の古川会長は「親クラブである日田ロータリークラブからガバナーが出れば、全面的に応援したい」との見解を述べられました。

 

今日は職場例会ですので、込み入った詳細はこれ以上述べずに報告だけにいたしますが、わがクラブには衆目の一致する素晴らしい候補者がいらっしゃいます。20年に一度巡ってくるガバナー輩出の機会ですので、クラブとしての総意がまとまれば、本人に色んな事情があるのは承知して、命がけとまでは言いませんが、出来うる限り一生懸命に説得しようと思います。その時はご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

職場例会 天領日田洋酒博物館 館長 高嶋甲子郎

2012年05月16日

天領日田洋酒博物館 館長 高嶋甲子郎

本日は天領日田洋酒博物館にお忙しい中お越しくださいましてありがとうございます。日田中央RCのRACに5年間在席して活動していました。おかげさまでいろんな方達と交流が出来ました。

今日は私がなぜこの博物館を開いたか?この過程をお話ししたいと思います。

この博物館は私が中学3年生から31年間かけて一人で集めた洋酒のコレクションになります。きっかけは小学生のころからアメリカやヨーロッパに憧れがあり、亡くなった父の影響も大きなものがありました。コースターなどの小物から始まり高校時代までに自転車で市内の酒屋さんから展示品をもらったりして収集していました。大学時代に、ある有名なバーでバーテンダーをしながらコレクションの資金を集めていましたが、他に発送のアルバイトや警備などいくつも掛け持ちでやりながら、骨董市などで手に入れていました。大学卒業後、東京に3年間勤務していました。給与やボーナスを趣味につぎ込みお金がないので骨董品の転売で収集品を増やしていき、もちろん失敗もありましたが、おかげで目利きになり現在に至っております。在庫品は実家の高嶋紙器の倉庫に入れてあり、そこで博物館の品物を見せていましたが、この空間でお酒を飲みたいという方が増えてきましたので一緒に出来るものをということで、この博物館を作りました。昨年の4月29日の昭和の日に立ち上げましたが、まだ宣伝不足で皆様方のお力添えをよろしくお願い致します。ただ家族からは冷たい視線を浴びせられています。自宅は家族5人で借家に住んでいますので、家を先に建ててもらいたかったと言われました。博物館を開くにあたり日田以外でお誘いはたくさんありましたが、やはり地元で商売抜きにやりたかったので、本業をしながら夜に楽しませてもらっています。深夜3時に寝て、朝7時に起きる生活をしていますが、好きだから苦になりません。まだまだほしいものもあるので…と笑ってお話をしていただきました。

博物館のなかにはコレクションの6~7割ほどが展示してあり、展示品の95%にお酒が入っているそうです。ニッカウヰスキーの名前は前身の「大日本果汁」の「日」と「果」を取ってつけた由来や、日田工場の撤退の際に特別に譲ってもらったポットスチル(単式蒸留器)のこと、ギネスブックに載っている世界最小のボトルや禁酒法時代の酒、マリリン・モンローやエルビス・プレスリー、車や汽車などいろいろな形の入手困難なボトル、また販促用ポスターやノベルティグッズなどがあり、楽しいお話を聞かせていただきました。

6月の予定

2012年05月12日

6月の例会予定

6月6日(水):クラブ協議会

6月13日(水):献血例会

6月20日(水):家族例会 会場:アプロディール紙音

6月27日(水):最終例会

6月その他の予定

6月3日(日):インターシティーミーティング 中津にて

会長の時間42 平成24年5月9日(水)

2012年05月09日

日田ロータリークラブ会長 武内眞司

 

みなさん、こんにちは。

先日の三クラブ合同例会は会友各位のご協力で、日田クラブらしい品格ある例会・懇親会を開催することができました。会長として少しだけ不満を申し上げるなら、ジャズバンドの女性がもう少し若かったらもっと良かったな~と思ったくらいです。(笑)親睦委員会のみなさん、ありがとうございました。

 

さて、長いGWが終わりました。職業柄、私にとってのGWは年末年始以上に忙しい日が続き、また期間中に婚礼が2件ありまして、あたふたバタバタした9日間でした。疲れはしましたが少しだけ稼ぎましたので、まあまあ良いGWでした。

 

昨年の今頃「今年還暦を迎えます」と60歳にちなんで6000円をスマイルいたしましたが、時の経つのは早くなんと明日10日で私は満61歳を迎えます。1年間馬齢を重ねただけですので、今日のスマイルは6100円でなく、普通に誕生祝いの2000円にいたします。

 

歳をとることを表現する言葉に先程の「馬齢を重ねる」という言葉があります。出自がハッキリわかる競走馬と違い野生の馬は、いつ生まれいつ死んだのかわからないことが多く、また生きている間も食べて走ること位しか能力が無いように思われて、あまり価値の無い生き方をすることをそのように表現をすることになったようです。しかし私が馬なら、安全が保証されて飼育されるよりは、自由に野山を駆け回る野生馬の人生(馬生)を間違いなく選ぶでしょう。

 

また「嫌われ者は世に蔓延る」という良い言葉もあります、その例えを信じて、明後日から6回目と言わず7回目の年男を目指し、馬齢をさらにさらに重ねたいと思います。

 

ところで、橋本国際奉仕委員長を団長に、河津会友、佐藤会友の3名がタイでのロータリー国際大会に参加しておりますが、居心地がいいようでまだ帰国の途についてないようです。公式・非公式のお土産話がバサロあると思いますので、帰朝報告卓話をプログラムに入れたいと思います。

私がロータリークラブに入るまで!  頓宮正敏会友

2012年05月09日

私がロータリークラブに入るまで!  頓宮 正敏会友

 

私は、平成6年に16年間勤めた、体育施設・遊具施設のメーカーでK社という所を退職し、独立しました。いわゆる脱サラです。

独立して、K社の仕事も下請で行っていました。平成12年の12月にK社が倒産し、私もK社に売掛はあったのですが、私はそんなことより、人生の転機が来たと確信しました。

人の不幸を喜んでいるわけじゃありませんが、ビックチャンスだと思いました。4ヶ月後の平成13年3月に社名を「有限会社 九州体育施設」と変更致しました。社員は、私を含む4名で毎日朝7時から夜は早くて10時頃まで休みもなく、ほとんど毎日仕事をしました。

翌年、平成14年度の決算で約1億円の売上でした。その1億円に対して、皆様が多いか少ないかどう思われるかわかりませんが、私は4人での売上額というより内容(利益率)でした。特殊な製品の販売、又特殊工事がほとんどだったので利益率は50%を超えるものでした。

ただ、問題がゼネコンの下請工事が多く、手形がほとんどで最初の1~2年は大変苦労しました。その年に今の会社、小関段ボール跡を買い、翌年平成15年に「株式会社 九州体育施設」と社名を変更致しました。そして今、社員20名の世間でいう典型的な中小企業です。会社の話はその位にしまして…

平成21年に日田祇園祭り、平成山鉾振興会の会長を受けることになりました。というより、誰も引き受ける人がいなかったというのが現実です。

各町、豆田4基、隈、竹田4基、平成山、祇園囃子保存会の各会長10名からなる、日田祇園山鉾振興会会長会という組織の中で、会議も然ることながら、食事会も多く、会長会、寿司店などで石井先生とよく会うようになりまして、2年ほどたってのことです。ある時、『頓宮君、小西君も入会するので君も一緒に入らないか?』と言われ、入会いたしました。

ところが、どういう訳か小西君の方が1ヶ月先に入会していました。人間は誰でも一人くらいは『この人には何も負けたくない』という人間がいると思います。私も例外なく、私よりも4つ年下の男がいます。そう、小西総一です。こいつだけには何も負けたくありませんでしたが、今日ロータリーでは先輩になってしまいました。

私のような者がロータリーに入っていいものかといつも思っています。

例会、又、催し事には必ず参加し、何事にも協力致しますので、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

又、今日も欠席の小西先輩宜しくお願い致します。

会長の時間41 平成24年4月25日(水)

2012年04月25日

日田ロータリークラブ会長 武内眞司

みなさん、こんばんは。

 

中央ロータリークラブ・古川会長のお母様が昨日お亡くなりになられ、本日古川会長は欠席です。ご冥福をお祈りしお悔やみ申し上げます。

 

さて、先日の会長の時間で「春爛漫」の季節になりましたと挨拶し、爛漫の意味をご紹介したばかりですが、昨日の日田市は、全国一高い30.5度の真夏日を記録したということで、色んなメディアで日田が紹介されました。夏は猛暑の多いことで有名な日田ですが、昨日は函館にいる大学時代の同級生から「こっちはやっと10度になったけど、日田は暑そうだね~」という突然の電話があり、その後お互いの近況を話すことができました。久しぶりにポン友の声が聞けて、日田がニュースになるのはなんでんかんでんいいな~と思った次第です。

 

そんな真夏日の昨日、私は陽気に誘われTシャツ、短パン姿になり日がな一日庭の手入れと掃除に明け暮れました。梅が終わり、桜が散り、春が終わったな~と思うそばから、気が付けば、私のホテルの前庭では北海道の友人からもらった「スズラン」が小さな白い花を付け、玄関脇では花の終わった「一人静か」が青々と葉を伸ばし、中庭ではマンサクの赤い花が咲き乱れるという具合で、まさに初夏に相応しい「百花繚乱」の季節が到来しております。

 

「百花繚乱」の元々の意味は、色々な花が咲き乱れるということですが、ご案内の通りに意味が転じて、有能な人材が多く現れ、素晴らしい業績を残すという意味にも用いられます。

これをロータリークラブに当てはめますと、寒い冬もあるがそれを我慢して春の到来を迎えることができた暁には「百花繚乱」の世界を創ることが出来るのではないかと私は信じております。従前以上に今後三クラブが努力を重ね、力を合わせれば、日田・玖珠地域に無くはならない奉仕団体としての地位を更に確立するのではないでしょうか?

 

そのためには先ずは親睦です、私と古川会長、飯田会長は仲良し会長三人組と自負しております、今夜はそんな三人の会長に負けないように、会員一同が胸襟を開いて、大いに語り大いに飲みたいと思います。

 

今夜は日田クラブの親睦委員会が中心となり、周到に準備をしたつもりです。あいにくの雨ですが、時間の許す限り親睦の夜を堪能されますようにお願い申し上げまして、会長の時間といたします。

3クラブ合同親睦会

2012年04月25日

・武内会長挨拶

私の友人で東京の経済団体にいるのですが、数年前に一緒に飲んだ際、お酒と美味しい料理を前にしてのスピーチは東京では(田舎に行けばいくほど長くなるそうですが)40秒~1分が理想的な時間だそうです。そして間違っても3分を超えてはならないと言われていました。カップ麺を日清が創作するに当たり一番大事なことは人間が美味しいものを目の前にして我慢できる時間は3分が限度だそうです。あのカップ麺を開発するときには美味しくするための3分ではなく、3分間で美味しくしろという言明であり、それに向かって皆が開発したそうです。それは日本に限らず世界中でカップ麺は大流行ですので、たぶん人間どこの国に限らず、すべて3分間しか待てないのだと私は思っています。今日は美味しいお酒と料理を前にして今1分半くらいですので、たぶん理想的な姿だと思います。後はお跡がよろしいようでということで、当クラブの親睦委員へ渡したいと思います。親睦委員会よろしくお願い致します。

 

この後、佐竹享次年度ガバナー補佐より乾杯の発声で開宴。ジャズユニット四つ葉のクローバーの皆さんの演奏で始まり、楽しい時間を過ごしました。

 

会長の時間40 平成24年4月18日(水)

2012年04月18日

日田ロータリークラブ会長 武内眞司

 

みなさん、こんにちは。

 

春爛漫の暖かい日が続き夜もさほど寒くなく、昼夜を問わず町を徘徊しても気持ちの良い季節となりました。日本の美しい四季の中でも春は格別なものがあり、一年中花は咲くのに春のみ爛漫という言葉を使用いたします。

「爛漫」とは花々が咲き乱れる様子であり「春らんまん」とは春の花が咲き、光満ち溢れるさまを表現する言葉として用いられます。日田の寒い冬を耐えたご褒美だと私は思います。

そんな春爛漫の本日、忙しい中に川島ガバナー補佐がお見えです、きっと光満ち溢れるお話があると思います。

 

川島ガバナー補佐は著書を多く出しておられると聞いておりますが、今日は文学繋がりで私が出会った文学者の話を少し披露したいと思います。

みなさんご存知だと思いますが、コロンビア大学の名誉教授であるドナルド・ローレンス・キーンさんは大好きな日本に骨を埋めるため、大震災後日本国籍を取得されました。日本文学者であるキーンさんとは以前ホテル風早にお泊りいただいた際、親しくお話をさせて頂いたことがあります。

詳細は長くなりますので省きますが、中国研究から漢字に関心を持ち、漢字つながりで日本文学研究者となり、「源氏物語」「近松門左衛門」「松尾芭蕉」「三島文学」等々を世界に紹介した業績は顕著であり、叙勲もされ外国人で初めて文化勲章も受章されております。

優しい語り口のキーンさんとお話した際、日本人として自らの浅学菲才を思い知らされ、今を知るには古典に学ばねばと当時思いましたが、思っただけで何も勉強せず現在に至り、恥じ入るばかりです。

日本国籍を取得した際の「今日は曇っているが、雲の合間に美しい日本が見える」というコメントは、今の日本の現状と将来への希望を表すものだと私は感銘を受けました。

国籍を変えてまで日本人になろうとするキーンさんの想いに応えるような国でありたいと思いますし、個人的には氏がすらすらと書いた轆轤という漢字を私も書けるような日本人になりたいと思います、が多分無理でしょう。しかしキーンさんのような品格ある日本人になるための勉強は続けて行こうと思っております。がこれも無理かな~(笑)まあ白旗だけは上げないでおきます。

 

尚、先日の花見例会の時に新入会員から名前とお顔がまだ一致しなので例会時のバッチ着用を会長から再度お願いして欲しいと依頼されました、以前にも申し上げましたが、真面目な新入会員のためにも例会時のバッチ着用を再度お願い申し上げまして、今日の会長の時間を終わります。

 

ロータリー情報委員会  中野友徳会友

2012年04月18日

ロータリー情報委員会  中野 友徳

いまさらロータリーについて、お話をすることも無いのですが、最近入会された方々に聞いて頂きたいと思います。

ロータリーのハンドブックを調べたところ、ロータリー情報委員会は積極的にロータリーの知識を提供することと書いています。

ロータリーは自分で考え、行動することが基本であって、先輩は手取り、足取り教えてはくれない。ロータリーが面白くない、魅力がないというのは自分自身が面白くない、魅力がないと言っているのと同じであると思います。

 

会員が退会する主な原因が三つあると分析してみました。

① 第1にリーダーシップの弱さ 会長はじめ理事、役員等のリーダーシップの弱さ。

② 第2に会費について 会費が高いのではなく、会費に見合う満足感、充実感がロータリーから得られない。

③ 奉仕活動について せっかくロータリーに入会し、ボランティア活動でもやろうかと思ったが、期待したほど満足感のある奉仕活動を味わえない。

 

会費の納入、例会の出席、雑誌(ロータリーの友)の講読 三大義務さえ知らない会員が多い。

ロータリーは人材の宝庫ともいわれております。いろいろな分野で活躍をされている方々と親睦を深めたり、卓話を聞くことにより有形、無形の知識が増し人生を豊かにし、そして自分の事業にも大変役立つことでしょう。ロータリーは異業種交流の最たるものであり普段得られないような情報をロータリーに入ることによって得ることが出来ます。そしていろいろな人と知り合うことが一つの大きな魅力であります。

われわれは今一度、原点に立ち戻り、それぞれのクラブの例会を見直し、魅力あるロータリークラブにしなければならないと思います。

 

向笠廣次 元国際ロータリークラブ会長について 川嶌眞人ガバナー補佐

2012年04月18日

向笠廣次 元国際ロータリークラブ会長について

 

川嶌 眞人ガバナー補佐

 

向笠廣次(むかさ ひろじ)氏

 

日本から出た二人目のRI会長(1982-83年度)。テーマは「人類はひとつ 世界中に友情の橋をかけよう(MANKIND IS ONE Build Bridges of Friendship Throughout the World)」。

 

国際的にも著名な精神科医の向笠氏は。明治44年11月9日、九州の福岡県久留米市の医師の家に生まれました。父も祖父も叔父も兄弟も2人の息子も全て医師です。向笠氏は九州帝国大学で精神科を学びながら、人類はひとつと確信するようになりました。また、すべての人々が本能的に平和を求めると信じました。

 

孫が先祖の人数を知りたがったとき、次のように答えたものでした。「20世代経過すると、100万人の先祖を持ち、30世代では、10億人、40世代を経過すると1兆人の先祖をもつことになります。要するに私たちすべて『いとこ』なのです」。

 

九州帝国大学医学部を卒業してからも、同大学の精神病教育センターで研究を続けました。後に、中津市で、精神科医院を開院しました。向笠氏は、電気ショック療法のパイオニアで、向笠氏の考案した研究設備は、ワシントンD.C.にある米精神医学協会に常時展示されています。向笠廣次氏は、1957年に中津ロータリークラブに入会すると、「人類はひとつ」という点でロータリアンが自分と同じ信念をもっていることに程なく気付きました。向笠氏は、クラブ、地区、RIにおいて熱心にいろいろな役職を務めました。根っからの国際人でしたので、特に国際レベルの役職を楽しみました。喜代子夫人とは学生結婚で、関心事は二人とも共通していました。二人は、ロータリーにおいても、旅行、読書、絵画、文学、クラッシク音楽、きのこ採りなどにおいてもボランティア奉仕においても非常に熱心でした。二人は世界各地できのこ採りに情熱を傾け、きのこを選別し、調理し、世界中のロータリアンの友情の橋をかけ続けてきました。

 

向笠氏は、1982年ダラス国際大会で、次のように述べています。

 

「人間の考えには似たところがあります。どの国の芸術であっても称賛できます。どの国のことでも、素晴らしい行為には感動します。どこかの国に悲劇が発生すれば、私たちは涙をこぼさずにいられません。こういった事実は、他の何よりも、世界のいたるところで考え方が似ていることを裏付けています」。また同じ1982年、ボカラトン国際協議会で「人類は疑いもなくひとつの家族です。さあ、みなさん、左右にいるオジサンやイトコと初対面のあいさつをしてください」と述べたのは有名。

 

1967-68年度第370地区ガバナー、1978-80年度RI理事などを歴任。

 

5月の予定

2012年04月12日

5月の例会予定

5月2日(水):休会

5月9日(水):内部卓話 頓宮会友

5月16日(水):職場例会 天領日田洋酒博物館

5月23日(水):内部卓話 佐藤英治会友

5月30日(水):外部卓話

 

 

5月その他の予定

 

会長の時間39 平成24年4月11日(水)

2012年04月11日

日田ロータリークラブ会長 武内眞司

 

みなさん、こんばんは。

 

今日は恒例の花見例会です。あいにく昨夜から天候が悪く屋内に会場を移しての開催となりました。花見の日に雨が降ったのは久しぶりでありまして、私が覚えている限りでは、およそ10年ぶりのことではないかと思います。私の日頃の行いのせいだと思い反省しております。

 

4月8日(日)に菊池ロータリークラブの創立40周年記念事業に日田クラブから7名で参加いたしました。2720地区における大分県のクラブでは断然多い参加人数で、参加クラブ紹介の時「お~」という驚きの声があがり、また本田ガバナーからも「今日はどうしたことですか~」という質問も受けました。まさか、わがクラブの50周年事業のために来ましたとは、品格ある日田クラブの会長としては言えず「隣町だから大勢でお祝いにまいりました」と、しれ~とした顔でお応えしました。

 

ところでその際驚いたのは、菊池クラブのスポンサークラブである熊本ロータリークラブからの参加者(登録者)が2名しかいないことでした。色んな事情があったのではと推察はいたしますが、親子のような関係のクラブなのにどうしたことなのか、今でも疑問です。

日田、日田中央、玖珠の三クラブは仲のよい言わば親・小・孫の関係のクラブです、これからも武者小路実篤の「仲良きことは美しきかな」をずっと実践して行きたいと思います。

今夜は時間の許す限り、みんなで春の到来を祝いましょう!

「日田ロータリークラブ定款・細則について」   幹事 織田 荘太郎

2012年04月04日

日田ロータリークラブ定款・細則について

織田 荘太郎

 

本日は、日田ロータリークラブ定款・細則について、新入会員の方、私を含めロータリー歴の浅い方は、知らない人も多いのではないかと思い卓話を申し出ました。

去年の6月、木下ガバナーの時に大分で定款細則セミナーが開催されました。目的は、『2010年の規定審議会において、青少年分野の奉仕活動が第5の奉仕活動として標準定款に盛り込まれた、その為に、定款を改める必要が生じた』という事でしたが、どうして良いのか、その意味が解らなかった。

ただ、話の中で1つだけ覚えている事は、ロータリーを蝕む病気がある、それは『前例のまま穏便に症候群』と言う病気だそうです、これに罹る率は非常に高く、この治療法はただ一つクラブ細則の改正にある、という話でした。

私はそれまでクラブ定款・細則というものを見たことがありませんでした。

 

セミナーから帰ると、早速事務局に日田ロータリーの定款・細則とはどんなものかを訪ねました。

そしてコピーして貰った物が大変古い資料でした。それは、細則と定款が混同していて、最後に、この定款は昭和39年3月14日から実施すると書いてありました。

昭和39年3月14日といえば、日田ロータリークラブの創立記念日です。今から48年前のもので、これはすぐ改正した方がよいのではないかと大変驚きました。

しかし、調べていくうちにもっと新しい定款、細則がある事が分かりました。

それは、日田ロータリークラブ定款・細則 2001年版の物でした。

 

最新版は2010年8月のもので、インターネットから取り出せます。

資料 【1】(標準)ロータリークラブ定款

資料 【2】 推奨ロータリークラブ細則

ここで、2001年の定款と2010年の資料【1】とがどのように変わったのかを調べました。

1ページ Eクラブというものが出来ている(インターネットのクラブ)

1 〃  第5条  五大奉仕部門 の追加

2 〃  第7条  第4節 (a)(b)に分かれる

3 〃  第9条  第1節 (7)追加

3 〃  第9条  第2節 が 以前は 第1節(c)であった

3 〃  第10条 第5節 (c)一部追加

4 〃  第12条 第2節 (a)の(3)項抹消 ・

4 〃  第12条 第4節 (a)60%――50%

4 〃  第12条 第6節 (f)が追加

5 〃  第12条 第10節 追加

5 〃  第16条 仲介を仲裁及び調停に変更し大幅追加 その他に小さい語句の変更がある。 そこで早速新しい定款を採用した方が良いと考えました。

ところで、わかりやすいロータリーの20ページには 『1922年(大正11年)国際ロータリークラブ連合会がRIに改組されたことを機会に標準ロータリークラブ定款が作られ、それ以降に設立されたクラブはその標準ロータリークラブ定款を採用することが義務付けられるようになり、それ以降は各クラブ独自の判断で決められる事項は、クラブ名と区域限界のみとなり、それ以外は標準ロータリークラブ定款の原文そのものを採用しなければならなくなった』とあります。

従って標準ロータリークラブ定款は、そのまま採用し以前のものと差し替えればよいことになります。

ここで一つだけ問題が残ります、前の定款では、所在地域が日田市 日田郡となっていて、今日田郡は無くなりました。もしこれを勝手に変えられないとなると、

ロータリー定款 第19条 第2節 第2条と第3条の改正

定款の第2条(名称)及び第3条(クラブ所在地域)は 定足数を満たした数の会員が出席した本クラブの例会においていつでも、出席している全投票会員の最低3分の2の賛成票によって、改正する事が出来る。 但し当該改正案の通告が、これを議する例会の少なくとも10日前に各委員及びガバナーに郵送されなければならない。そしてさらに、かかる改正はRI理事会に提出してその承認を求めなければならない。その承認があって初めてその改正は効力を発するものとする。云々・・・

このように、かなりややこしくなります。

又一方では国法の順守ということも言われていて、日田郡抹消の方法が今は良く解りません

 

次に古い日田ロータリークラブ細則と【2】とを比較してみると。

1ページ  第1条の追加

1 〃   第2条と第3条の位置がいれかわる

1 〃   第4条 第2節の追加

2 〃   第8条 奉仕部門の追加

2 〃   第9条 委員会 及び 第10条委員会の任務がCLPで大幅変更

3 〃   第12条 第6節 追加

3 〃   第13条 第7節 追加    以上の変更である

細則の改正については、会長、直前会長、会長エレクトを含む改正委員会を組織し細則の中身が日田ロータリーの慣習と一致しているか否かを検討し、もし不一致であるなら新たな細則を作るべきである。

細則の第16条改正に『本細則は定足数の出席する任意の例会において、出席会員の3分の2の賛成投票によって改正する事が出来る。但しかかる改正案の予告は例会の少なくとも10日前に各会員に郵送されていなければならない』  定足数とは会員総数の3分の1の数である。

大変簡単なようですが、ここにもかなり制約があります。

我々ロータリークラブが守るべき定款・細則には4種類あり、その優先順位は

1・国際ロータリー定款

2・国際ロータリー細則

3・標準ロータリークラブ定款

4・推奨ロータリークラブ細則

の順位となり、そのほかに、ロータリー章典というのもあり、500ページを超す本です。

我々が改正しようと思っている細則は最下位のランクであり、他の全ての内容を順守しなければなりません。

 

定款・細則の前に、標準とか推奨とか紛らわしいことがかいてありますが。

標準ロータリークラブ定款の標準とは何か、それは1922年以前に結成され、すでに独自の定款を持っているクラブがあり、それ以外のところを標準という。

推奨ロータリークラブ細則の推奨とは何か『本細則は単に推奨されるに過ぎない』と注意欄にあるように、細則の原型としてクラブ内で自由に改正できる為のものである。

RIロータリー定款・細則と標準ロータリー定款は3年ごとの規定審議会で審議され必要とあれば改正される。  例えば、2004年・・・旧来のまま

2007年・・・4大奉仕部門の理念・クラブ細則は全面的にCLP

2010年・・・5大奉仕になった、

このように定款・細則は改正されている。日田ロータリークラブの定款は書類を新しくすべきであり、年代をつけて定款が改正されるごとにさし替えるようにすべきである。

 

次に、細則が日田ロータリーの慣習と一致しているかを検討してみます。

細則 第3条 理事及び役員の選挙 第1節

役員を選挙すべき1か月前の例会において、その議長たる役員は会員に対して、次次年度会長、副会長、幹事、会計、および(  )名の理事を指名することを求めなければならない。その指名は、クラブの決定するところに従って指名委員会又は出席全会員の何れか一方又は双方によって行う事が出来る。

指名委員会を利用することに決定した場合、かかる委員会をクラブの定めるところに従って設置しなければならない。適法に行われた指名は各役職ごとにアルファベット順に投票用紙に記載され、年次総会において投票に付されるものとする。云々

(パスト会長会で会長ノミニーの推薦)  (他役員は会長エレクトが任命)

 

第5条 会合 第1節 年次総会

本クラブの年次総会は毎年(12月)に開催されるものとする。そして、この年次総会において次年度

の役員及び理事の選挙を行わなければならない。

(年末家族例会で紹介)

(12月第1週の例会は、クラブ協議会ではなく、年次総会として

会長ノミニーの選出  理事役員の承認  会計報告 等行うべきだと思う。)

 

幹事の勉強不足から、いろいろ手落ちに今頃気づいています。

 

セミナーでも、『何れにせよ、細則をそのまま使う事には問題がある、クラブの現況と異なる細則をそのまま採用しているクラブは、クラブが細則に違反していることになります』と言っている。

 

日田ロータリークラブ定款・細則は創立50周年までには、新しい定款・細則を提示できるようにして置くべきだと考えます。会友の皆様も、資料をご覧になって、現状に即しているかどうかを検討して頂き、次の機会にはぜひ改正を行って頂きたいと思います。

 

その他の問題点

理事の定員

会計委員の仕事が曖昧

直前会長は理事であるべきだ

会長はすべての会合の議長を務める

定款の15条

(各会員は定款・細則の印刷物を受け取ったかどうかにかかわらず、定款・細則の条項に従うものとする)

セミナーから9ケ月後の報告となりましたが、これで報告を終わります。

 

 

会長の時間38 平成24年4月4日(水)

2012年04月04日

日田ロータリークラブ会長 武内眞司

みなさん、こんにちは。

 

昨日はまさに春の嵐というような大風の吹いた一日でした、桜が心配だったのですが、幸いなことに満開になる前ということで、11日の花見は心配しないでいいようです。今回は、いつもの花見弁当に加えBBQをリクエストしております、大勢の参加をお願いいたします。

 

私事ですが、今月8日に欧風懐石秋子想が25周年を迎えることになりました。小学生の時からずっと飲食サービス業に興味があり、大学卒業後にホテルの皿洗いからスタートした後、帰省し家業を継いで仕事をしながらも夢を追い続け、36才の時に縁もゆかりも無い豆田町でレストランを創業いたしました。当時はチラホラとしか観光客がいない豆田町でしたが、町の将来性に賭けてみようと思った船出でした。

25年間一心不乱に働きましたが、気が付けばレストラン、ホテル業に加えバンケット業にも進出することになり、また必要にかられた結果、いつの間にか1000坪近い土地を購入することになり今に至っております。

社是という大げさなものは無いのですが、創業するからには、100年企業を目指そうと思い、それが私と後継者の息子の目標となりました。

 

それに関してですが、日本では今年100周年を迎える会社が1854社あるそうです。現在経済が絶好調のお隣の韓国では100年企業が3社しかなく、中国では約1000社、欧州でも3000社程度しかありません。海外では王朝が変わる時や、政変が起こった時に、企業も時の権力者と運命を共にすることが多いのがその原因のようです。それに比べて、わが日本に100年企業は10万社以上あり、それが日本の底力だと思います。

その内容には二通りあるようで、伝統を守り続ける企業と変革を重ね成長する企業で、前者の代表がカンロ飴や大正製薬等であり、後者の代表は明治期創業のニンテンドーや大正時代に操業したシャープ等です。最近存続を賭け、台湾の企業と提携したシャープですが、企業としての発足はベルトのバッケル作りが最初ですし、シャープペンシルの発明を経て電器産業に発展してきた会社です、今は困難・苦境の時代かも知れませんが、歴史を見れば必ず変革を重ね復活する会社だと私は確信しております。

 

政治も経済も混迷深きわが国ですが、日本の底力を信じて、ロータリーの目標である職業奉仕をこれからも重ねたいと思っております。今後とも「欧風懐石秋子想」「ホテル風早」「アプロディール紙音」をよろしくお願い申し上げまして、会長の時間といたします。

 

 

会長の時間37 平成24年3月28日(水)

2012年03月28日

日田ロータリークラブ会長 武内眞司

みなさん、こんにちは。

 

先週の例会日の21日に春の選抜高校野球が始まりました。

地方大会の成績で選ばれた高校の29校に加え、21世紀枠で選ばれた3校を加えた32の高校で熱戦が続いており、既に2回戦に突入しております。今年の選手宣誓は、21世紀枠で出場した石巻工業高校の阿部翔人主将でしたが、選手宣誓の内容の良さもさることながら、張りのあるいい声での宣誓に驚くと共に感動さえ覚えました。選手宣誓はクジ引きで選ばれるものですが、よくぞ東北・石巻の高校が一番クジを引き当てたことだと思い、世の中に「神の見えざる手」はあるものだと再認識した次第です。

 

先週の地区大会報告で紹介しましたが、国際ロータリー第2720地区が復興支援する県は宮城県であり、石巻は当然含まれます。残念ながら石巻工高は1回戦で破れましたが、両親や家族を失くした学生を応援するロータリークラブの「希望の風奨学金」の対象者が、選手や応援団の中にいるのではないかと思いながらTV観戦をいたしました。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ことの多い日本人ですが、奉仕の理想を掲げる者達が集まるロータリークラブとして、末永く東日本大震災の復興支援を続けたいと思います。

 

今日は織田幹事の卓話がありますが、ロータリー関係の資料をこれほど熟読している会友はあまりいないんじゃないかと思うほど、勉強熱心な幹事です。いい加減な会長の私にとってはまさに「神様 仏様 織田様」のような存在で、幹事を依頼してほんとうに良かったと思っております。

織田幹事の卓話を楽しみにして、会長の時間を終わります。

 

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