「日田ロータリークラブ創立50周年」委員会別協議会開催
2013年11月13日創立50周年記念事業・式典に向け、委員会別の協議会を開きました。
小ヶ内幹事があいさつ。
石井実行委員長より概要・方針説明がありました。
創立50周年記念事業・式典に向け、委員会別の協議会を開きました。
小ヶ内幹事があいさつ。
石井実行委員長より概要・方針説明がありました。
「伊勢神宮参拝」2013.11.13
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
11月4日に伊勢神宮に参拝して来ました。今年は第62回目の式年遷宮の年なので、大勢の参拝者がいましたが、最終的には史上最高の1300万人を超えると見込まれているそうです。
伊勢神宮が創設されたのは今から2000年前で、それまでは大和の宮殿で天照大御神をお祭りしてい
ましたが、第10代崇神天皇の頃に疫病が発生し国民の大半が亡くなり、流民や反乱者が出るなど国が大きく混乱したため、天照大御神を宮中の外にお遷ししてお祭りしたところ、ひとまず国がおさまったそうです。
次の第11代垂仁天皇の時代に、皇女倭姫命により良い地を求めようお命じになり、ついに伊勢に辿り着きます。古事記には日本武尊が東国平定の旅に出る前に、伊勢神宮に叔母の倭姫命を訪ね、天叢雲剣と火打ち石を授けられたと書いてあります。
式年遷宮が始まったのは今から1300年前、天武天皇のご発案により、持統天皇4年(690)に第1回が行われました。ただ、神宮は木造ですから制度化される前にも遷宮はたびたび行われていたと思われます。
第1回以来、20年ごとに遷宮が実施されてきましたが、南北朝や戦国時代には、変則や中断があったそうです。そうした中でも伊勢神宮を大切にしようという精神は消えず、例えば、織田信長は内宮外宮に参拝しています。そして、後を継いだ豊臣秀吉が、戦乱で中断していた式年遷宮を再興し、天正13年(1585)に第41回式年遷宮が行われました。以来、20年ごとに続けられていたのですが、唯一の例外が、昭和24年に予定されていた式年遷宮です。
敗戦直後の厳しい時代だったので昭和天皇のご配慮で延期となりましたが、この天皇の思し召しを多くの人が知り、せめて入口の宇治橋だけでも、ということで掛けかえられ、そして4年後の昭和28年には式年遷宮が実施されました。戦後4回目という事になりますが、今年ほど盛大なことはなかったように思います。何かの節目でしょうか。
式年遷宮には13,600本の檜が伐採されるという事ですが、その一方で200年、300年という長期的な植林が進められており、もう少しすると、遷宮用の檜は全て神宮内でまかなえるようになるそうです。また、内宮外宮の古材は宇治橋の鳥居や熱田神宮のお宮に使われるなど全国の神社で無駄なく使われていますから究極のエコといえます。
伊勢神宮を、西行は「何事の おわしますかはしらねども かたじけなさに なみだこぼるる」と歌い、芭蕉は「たうとさに みなおしあいぬ ご遷宮」と詠みました。
平安時代に西行が、江戸時代に芭蕉や、弥次さん喜多さんが見た伊勢神宮と、今、我々が目の当たりにする神宮は、すべて同じ材料、同じ形式、同じ雰囲気であるという事はまさに驚くべきことであります。内宮に向かう参道の真ん中に気が数本立っています。外国人は、なぜ伐らないのかと聞くそうですが、例え、木が倒れたとしても、元と同じように植えるのだそうです。1300年前と同じように維持しようとする考え方が徹底されています。
ヨーロッパの人は中世の街並みをそのまま残すのに比べて、日本人は昔の街並みを大事にしないと言われています。しかし、日本人の生活様式は平気で変わっていきますが、日本文化の深奥の部分は変えないというのは興味深いことです。
伊勢神宮にお参りすれば、少なくとも1300年前と同じものを見ることができる。しかも、それは石やレンガで作ったものでなく、朽ち果てるべき木で作ったものを、人間が20年ごとに寸分たがわず作り変えることによって、時空を超越したものを感じることが出来る。そして、作り変えるたびに瑞々しい。これはまさに人類の奇跡と言って良いのではないでしょうか。
遷宮された後の外宮の正殿を特別に拝観することが出来ましたが、屋根は一部朽ちていました。
20年前に造ったものではありますが、平安時代にでも来たような不思議な感覚でした。
人間の肉体も不滅ではありませんが、命は親から子、子から孫へと繋がっていきます。
伊勢神宮は、日本民族の命と精神を繋いでいく日本の宝だと改めて思いました。
2013.11.05「キータンゴン村への訪問報告」
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
10月25日から29日まで、ミャンマーのキータンゴン村に学習小屋改修のための着手金を届けるために行ってきました。
本来、資金は数回に分けて送金した方が良いのですが、現時点では送金システムが整備されていないのでリスクがあるという事でしたので、一旦、古庄さんに預けて、キータンゴン村の請求に応じて、都度、資金を渡すという形をとります。
今回、兵庫県の加古川中央ロータリークラブが、キータンゴン村からヤンゴン寄りにあるアミャンゴン村に新規に学校建設するというので同行しましたが、同じように分割して渡す形を取っております。
加古川中央ロータリークラブは40周年記念事業として「未来の夢計画」とは別に、クラブの資金だけで学校建設を支援しています。
キータンゴン村に行くのに、今回も前回と同じように途中からボートに乗りました。
前回は1時間20分位かかったと思いますが、今回は僅か30分ほどで村に着きました。今年は雨季が明けるのが遅く水量が多いので途中でショートカットしたからです。
キータンゴン村では、日曜日にもかかわらず、子供たちが正装して待っていてくれました。
資金の一部二千ドルを渡しましたが、村長は、早速、レンガや石や砂などの建設資材を購入して、水量の多いうちに船で現地に運び込みますと言っておりました。
その後の話で分かったのですが、キータンゴン村の学習小屋は、今年の6月に政府に正式に小学校として公認されたそうです。政府から公認されたことにより、先生も政府から新しく派遣された若い女性二名でした。今まで親が負担していた授業料は無料になり、今まで来られなかった子供たちも通学できるようになったそうです。これで新しい校舎ができれば、学校としての形が整うものと思います。
雨季明けから建設に着手するそうですが、今年の天候では、12月頃の着工になり、完成は来年の2月末の予定とのことでした。3月の初め頃に、竣工祝いに行きたいと考えますので、2月になったら参加者を募ります。多くの方のご参加を期待します。
ミャンマーではヤンゴン市内のシェンタゴン・パゴタなども見る価値がありますが、千年以上も変わらないような田舎の生活ぶりを見ることによっても色々と考えさせられます。
ボートから、水上に一軒だけ立つ小さな高床式の家の中が見えますが、子供たちが数人寝そべっていて赤ちゃんを母親が抱っこしています。あるいは茶色い川で洗濯をし、髪や体をあらっています。豚と鶏以外に財産と言えるようなものは何にも見当たりません。死ねば焼いて灰にするだけだそうで、先祖の供養はなく、ただ仏様を信仰するだけだそうです。不思議なことに、ミャンマーには姓が無いそうです。
電気も水道もない貧しい生活ですが、それぞれの人間の喜びや悲しみは我々と何にも変わるものではないと思います。能力も勿論変わりません。ただ貧しいだけです。
ヤンゴン市内のショッピングセンターでは、アイフォンも資生堂もトリンプのブラジャーも売っています。資生堂のシャンプー椿は一本1500円もしました。
便利なものを知れば、人々の意識や生活が変わっていくのは止めようがありません。古庄さんも、彼らの生活を変えていくのが良いことか悪いことか悩むこともあると言っていました。
しかし、放っておけば、かつて英国に植民地にされたように再び他国によって支配されるかもしれません。北方の大国の侵食をミャンマー人は大変嫌っています。
まず、教育によって国を強くしていくことが独立を維持していくために大切だと思います。
私はキータンゴン村の子供たちに「一生懸命勉強して、村の為、国の為に働いてください。学校が出来たらまた会いましょう」と伝えてきました。学校が完成して村民と子供たちが喜んでいる姿を3月に見たいと思います。
尚、今日、ここへ来ましたら杵築市の岡嶋正さんという方から郵便物が届いておりました。
開けてみましたら、岡嶋さんが大分合同新聞で日田ロータリークラブのミャンマー学校建替えの記事をご覧になり、国際奉仕活動に賛同して、お持ちになっていたミャンマー紙幣を送って下さいました。
先日来の広報活動によって、私たちの活動が広く県下に知られるようになったことは嬉しいことです。
頂いたお金は、3月にミャンマーに行ったときに本か学用品にして、キータンゴン村の子供たちにプレゼントしようと考えます。岡嶋さんに感謝します。
・11月 6日(水)午後0時30分 日田市の株式会社大日
職場例会 株式会社大日のホームページ
・11月13日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
50周年委員会別協議会
・11月20日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
ゲスト卓話
大分合同新聞社日田支社 支社長 岩本聡さん
「地域における大分合同新聞の役割」
・11月27日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
クラブ協議会
先般、日田市の記者クラブにて日田ロータリークラブ50周年記念事業であるミャンマーの学習小屋修復事業を説明いたしました。
早速各紙に取り上げられています。
2013.10.23「バザー」
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
今日は恒例の日田ロータリークラブのバザーです。
先日来、提供する品物を事務所にお運びいただきまして有り難うございました。
今朝も、白石社会奉仕委員長と諌山会友が、車を出して品物を会場に運び込んでくれました。
10時半からは、会友と奥様方が、会場設営・品物の仕分け・価格付けをしていただきましたので、1時半からのバザーの準備がすべて整いました。日田ロータリークラブのバザーを毎年楽しみにして、既に開場を待つ方もいらっしゃいます。今日も完売して社会奉仕のお役に立てたいと思います。
それから、先日、記者クラブで私と田嶋副会長、織田財団委員長、小ヶ内幹事、中西広報委員長が、日田ロータリークラブの創立50周年記念事業の一つとしての「ミャンマーの学習小屋の改修」の説明をしてきました。早速、西日本新聞と読売新聞が記事にしてくれました。ロータリーの国際奉仕について良い広報活動ができたと考えております。
記者会見の設定には中西広報委員長がお骨折り下さいました。
10月25日から、私がミャンマーに行って建設の段取りと開校式の日程等を決めてきます。帰って来ましたら、またご報告いたします。
「ゴーストタウン」2013.1016
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
先日、テレビ東京で「未来世紀ジパング“潜入中国12大ゴーストタウン”」を見ました。
中国各地にある(中国語で鬼城というのだそうですが)ゴーストタウンのことは知ってはいましたが、テレビ映像で見て改めて驚きました。
内モンゴル自治区のルドス市の100万人分の巨大マンション群に入居者の姿はなく、広東の東莞の巨大ショッピングモールは何年か前の賑わいが嘘のような廃墟でしたが、このようなゴーストタウンが中国全土にいくつもあるそうです。
このような巨大開発は、中央に対して実績を上げたい地方政府が主体となっていますが、土地開発をするために、鉄パイプを持った300人のやくざが乗用車で、言うことをきかない農民を襲う信じがたい様子を、農民が撮ったビデオを放映したのもインパクトがありました。これでは解放前の地主が、地方政府に替わっただけです。
その資金がどこから出ているかといえば、いま注目される“シャドー・バンキング”です。
その中核となるのが、「理財商品」という金融商品で投資信託のようなものですが、ここを通じて庶民から集められた巨額のマネーが、不動産バブルの源泉になったと見られています。
それにしても、シャドー・バンキングの理財商品を、ビラだけで買う中国一般庶民のリスク感覚も理解できません。何に投資しているかも知らないで、よく虎の子の貯金を預ける気になるものだと思います。多分、周りの人が高い金利で儲かったという噂だけで買っているのではないでしょうか。
利に目ざといから、もし返って来なかったら、どれだけの騒ぎになるか分かりません。
日本にとって、金融に関する直接的な影響はあまりないと思われますが、中国の国内需要が低下した時の影響は大きいので、中国のバブルの崩壊すに備えることが重要になってくるだろうと思います。
とても良い番組でした。
「かち栗」2013.10.9
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
秋が深まって栗が出回っています。先日、農家の人から、かち栗をいただきました。
茹でて天日に干して作ったものだそうですが、固い栗の実を食べながら、日本人は縄文時代以来このかち栗のようなものを食べて来たのだろうかと想像しました。
以前、私は30年ほど前に発見された青森県の三内丸山遺跡を訪ねたことがあります。
三内丸山遺跡は今から約5500年前~4000年前の縄文時代の巨大な集落跡ですが、ここで出土した栗の木をDNA分析した結果、栗が人の手で栽培されていたことが明らかになっています。
他にも豆、ゴボウ、ひょうたんなどの一年草も栽培されていたようですから、コメが日本に渡ってきたときに、あっという間に青森辺りまで栽培されるようになったというのも、こういう縄文人の技術と経験があったからではないでしょうか。
また、かち栗は保存食にも適していると思われるので、昔は貴重な食料として、戦場にも持っていったのだろうかとも想像しました。
そんなとき、偶々、明治の終わりの方で、乃木大将が日清戦争当時の衣食について話したことが新聞に出ていましたのでご紹介します。
「かの日露戦争に従軍した者に、日清戦争当時、衣食はどんなことであったかを話して聞かせると、その粗末であったこと、ほとんど嘘のごとく驚きます。さらに日清戦争の時分と西南戦争の時分の食物や弾薬、衣服の乏しさを比較しますと、これはまたもう一段ひどい。
それから以前の幕長戦争になると、ほとんどお話にならない。『そんな物を食ってよく生きていたな』と言って一笑に付されるような有様であります」だそうです。
具体的に何を食べたいたのか分かりませんが、かち栗などは貴重品だったのかもしれません。
明治末の人でさえ、僅か50年ほど前のことを『そんな物を食ってよく生きていたな』と言って一笑に付す位ですから、我々にはとても想像がつかないことです。
物質的に恵まれた今日、つい最近まで日本人が貧しい食料で必死に命をつないできたことを有難く思いながら、かち栗を食べました。
日田中央RC主催のドラゴンボート大会が開かれるため、古賀弘人会長と手嶋伸之実行委員会会長がそのPRに来訪されました。
■2013水郷ひたドラゴンボート大会inみくま川
【日時】平成25年11月17日(日)小雨決行13時〜16時
【場所】三隈川特設コース【概要】直線250mのタイムレース。短時間のレースなのでそれだけ盛り上がるでしょう。上位1位〜3位を表彰。受付は三隈大橋付近、駐車場は竹田プール前公園及び河川敷。
■大会出場チーム募集
【参加資格】小学生以上ならどなたでも。1チーム9名〜10名。※漕ぎ手7〜8名、太鼓1名、操舵1名※ボート関係は全て準備します。
【参加料】1チーム5000円(保険料含む)【参加申し込み方法】申込用紙に記入の上、大会事務局まで郵送又はFAXで。先着36チームまで
【お申込み・お問合せ】日田市観光協会 電話0973-22-2036 FAX0973-22-2444【お申込み締め切り】10月31日必着
50周年記念式典の日程変更」2013.10.02
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
ガバナー公式訪問も無事に終わりました。お疲れ様でした。
その懇親会の席上、来年のシドニーで開かれる国際大会に参加する2720地区の旅行スケジュールが分かりました。5月30日から6月5日までだそうです。
まだ、旅行の案内状は来ておりませんが、ガバナー以下、パストガバナーや各クラブの会長など、相当数の参加が見込まれます。
従って、1年以上前から5月31日に決定していた日田ロータリークラブの50周年記念式典はガラガラということになります。
私、青くなりました。その場で、会場のパトリアが別の日に変更できるかどうかを相談、翌朝9時過ぎに、まだ6月に予約が入っていない土曜日がある事が判明いたしましたので、すぐにパトリアに行って押さえました。ほっとしました。
そういう経緯で、来年の50周年記念式典は、5月31日(土)から6月14日(土)に変更になりました。
29日の日曜日に、宇佐で開かれた米山奨学金セミナーで赤山ガバナーとお会いしましたので、6月14日のスケジュールを確保していただきました。翌6月15日が日出ロータリークラブの周年行事だそうです。
いよいよ、50周年実行委員会も動き出しましたので、改めまして皆様のご協力をお願いして、50周年を盛大に迎えたいと思います。よろしくお願いします。
本日はミャンマーでの学習小屋改修事業でご協力いただいている古庄重生さんの卓話も控えておりますので、会長卓話はこれで終わります。
ミャンマー学習小屋建設 古庄重生さん
初めまして古庄ともうします。私は別府からきました団塊世代の65歳です。以前は食品商社の祭原というところに約30年勤め、平成12年から14年にかけて現三菱食品との合併の時に退職させていただきました。若いときからの夢であった「なにか人様のお役に立ちたい」と思ってタイに渡り、一時的にはエイズの撲滅のボランティアをしておりました。けれどもたまたま別府のAPUという大学がありますが、その卒業生の面倒を見ていたらミャンマーに来てみませんか、ということで私みたいな人間でも何か役に立てそうだなということでミャンマーに渡り11年が経過しようとしているところです。橋本会長と知り合ったのは7月までガバナーをしておられた岡村さんの紹介です。
ミャンマーについては世界で一番安全な国だと思います。軍が庶民を押さえつけているためです。ミャンマーの方々は一般人には悪いことをしません。人口は6500万人。首都は皆様ヤンゴンとお思いかもしれませんがネピードというところにあります。「王様の住む町」という意味ですがそこに2006年から変わっております。軍のナンバーワンが自分の事を王様だと思って首都を移したのかも知れません。面積は日本の約1.8倍でインド、バングラディシュ、中国、ラオス、タイの5カ国に囲まれた国です。民族は大小合わせて135の多民族国家です。主な民族はビルマ族70%シャン族10%です。公用語はビルマ語ですが少数民族にはそれぞれの言語があります。イギリスの統治が100年あり英語を出来る人が多いです。この40年間の社会主義と軍政によって、逆に民主化されると内戦が起きるんじゃないかと私は不安視しています。このまま中国は黙っておるかなというのも心配の種です。通貨はチャットという単位です。橋本会長や織田さんはこの前こられたのでわかると思いますが、1000KSが日本円で100円で物価は日本の約10分の1です。しかし家賃、車などはめっぽう高いです。95%は日本の車ですが軍政下では2500ccのランドクルーザーでも一時は3000万しました。今はかなり下がりまして民政に移りつつありますので、車の値段は半分になっております。しかしホテル代は2年前から比べたら約3倍になっております。需要と供給のバランスが完全に崩れております。食については朝はモヒンガー<魚スープ>と言いまして麺を食べます。ミッチーナやシャンや地方の麺類も多く美味しい麺があります。基本的には米の麺です。ラーメンに近いものでありましてたくさんの種類の麺があります。カレー風のやつが多いです。おかずとして食べるんですね。マトンカレーのような感じでカレーと汁と肉を浸けたものが主体です。サラダなんかもいろんな種類のサラダがあります。
2011年より軍政から民政への転換が始まりまして現在は世界の注目の的で世界中から色々な人が来ています。とりわけ日本が一番経済援助をしていると思います。3000億円の円借款を帳消しにしていたりします。日本は何も考えずにお金を出すばっかりで馬鹿じゃないかと口悪くいう人もいます。中国の動きを気にしながら援助した方がいいという意味だと思います。元首都のヤンゴンはものすごい勢いで変わってます。土地も以前の4、5倍しています。みなさん乗せられて色々なものを買ったり売ったりしているみたいですけど、日本のバブルと一緒で崩壊の時がくるんじゃないかと思います。外国から来られた方に私は「今は何もしない方がいいんじゃないですか」と言います。一度崩壊したあとにビジネスなどはやられた方がいいんじゃないかと思います。大手の商社さんも工業団地に進出したりしてその辺の判断は難しいですが、現地にいる私としては後の方がいいんじゃないかと思います。色々なものが値上がりしていて、政府がそれを止めようとしていることも事実ですが、止まらないし、一部の金持ちだけが儲けているのが事実だと思います。
さて学校建設への歩みを話しますけれども(出来たときには)大勢で現地に来ていただきたいと思います。まず学校建設への歩みですが、最初は味の素の社長の紹介でタイに渡ったんです。エイズの関係の仕事に携わったんですが、自分の思うようなことができなくてミャンマーに渡ったのが事実です。その国に住むのであればその国に役に立つことをした方がいい、と言われまして考えていたところ、僧院がミャンマーにはたくさんあるんです。僧院が学校を運営しています。それでミャンマーの僧院に勉強道具を届ける支援をしていました。2008年にサイクロン(台風)がエーヤワデー管区からヤンゴン管区に襲来し、政府の発表では死者6万人行方不明者7万人という状況でしたが、実際に僕たちが後から村々を聞き取り調査しましたら30万人死者が出たという話も有り、ともかくすごい被害が出ました。(被害が出た原因の一つとしては)そういう台風情報が一般庶民には流れていませんでした。私はたまたま政府関連の人から「明日は絶対に外に出たらダメだ」ということを言われていました。2008年5月2~3日にかけて、マンションから民家の屋根がバンバン飛ぶのも見えました。それで(嵐が収まって)すぐ米とラーメンとを大量に買って、エーヤワデー管区に行こうとしたんですが、軍の方から規制が入って外国人は被災地にいけませんでした。フランス海軍も海上で支援物資を持ってきたそうですが入れませんでした。仕方なくミャンマー人にお米とラーメンを託しまして、看護師をやってる日本の女房と娘が「感染病がはやるから早く帰ってきなさい」ということで後ろ髪を引かれる思いで日本に帰国しました。
状況が気になっていましたがたまたま3ヶ月後に現地のユニセフのスタッフから現地を見て下さいと言う要請が入り、現地に入ることが出来ました。初めて入った村がエーヤワデー管区のテンゴン村です。サイクロンで学校は吹っ飛び跡形が少々残っていました。「古庄さん、テンゴン村に学校を作ってください。」と言われ何かしなくてはいけないと思い、学校建設に取り掛かりました。2008年です。75万円で学校ができていました。初めテンゴン村、次にニャンイワン村、3校目はダコン村というところに建設いたしました。生徒は150人程度の小さな村です。
学校を建設するに当たっては労働力を提供してください、ということで村の人たちにはお願いしております。ティーダンゴン村については先生の給料については村の人が払うという事です。先生の給料は一人3000円の2人で6000円です。これまでの2つの村については年間36000円でパゴダ会が負担しています。
学校に行こうにもバス代などのお金が足りない、学用品のお金ないということで、一人1000円あったら学校に行けるというような本当に貧しい国です。ヤンゴンだけは変わりつつありますが、ヤンゴンから一歩はいると日本の終戦後と変わらない本当に貧しい国です。日田ロータリーが4校目、加古川ロータリークラブが5校目になります。大分中央ロータリーの会員ですが柴田産業というガスの会社が創立50周年ということで6校目、大分の県会議員をされてる竹内さんという方のアスパルというグループが7校目、道路企画という会社が8校目を建てていただけるということになりました。本当に感謝しております。村の子供達に変わって御礼いたします。
日田のロータリーさんが建てて頂けるティーダンゴン村はヤンゴンから車で2時間、雨季はボートで1時間半、乾季はバイクで1時間ほどかかるエーヤワデー管区の小さな村です。村の人口は500名で小学生は70名です。現在校舎はありますが、竹とヤシの葉っぱで作った貧相な校舎であります。先生と労働力の提供は村の人たちがやっていただけるという話が住んでおります。もと校長先生をやっていた人もおりまして、教育には非常に熱心なところであります。
最後になりましたが継続することが大事だと思っております。私が70歳になるまでに10校というのが夢でありましたが、65までに8校ですので頑張りたいと思います。私が何でこんなことをしているのか、僕は商社マンでありましたが、数字に追い回されまして、52歳まで会社におりましたが、ミャンマーに来ることで心の健康を取り戻すことができました。私はミャンマーに恩返しをしなきゃいけないなということを思っております。皆さんも現地に来て彼らのエネルギーを吸収して帰りましょう。ミャンマーの小さな村でありますけど、子ども達から元気なエネルギーをいただけます。
・10月 2日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
外部卓話 古庄重生氏「ミャンマーの学校建設について」
・10月 9日(水)午後0時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
会員卓話 井上明夫会友 「米山記念奨学委員会セミナー報告」
・10月 16日(水)午後6時30分 日田市の歴史の宿亀山亭
観月例会
・10月 23日(水)午後0時 日田市のパトリア日田ギャラリー
チャリティーバザー
・10月 30日(水) 休会
赤山武興ガバナー公式訪問です。みくまホテルで、日田中央、玖珠、日田の3クラブ合同で開かれました。
今年度ガバナーに就任いたしました赤山武興と申します。人吉中央ロータリーの所属です。人吉の人口は4万人を切っております。人吉は「みくまがわ」ではなく「くまがわ」が通っておりまして日田と非常によく似ております。日田に来たのは昔セミナーが行われて以来ですが昨日のことのように蘇って参ります。非常に日田に好感を持ったまま今になり楽しみに来ましたが、ほんとに素晴らしいですね。先ほど会長さん幹事さんと逐次いろいろな話を聞かせて頂きました。3クラブとも非常に素晴らしいクラブです。心から敬意を表したいと思います。立場上監査というか監督をするようになっておりまして、いろいろなことをお聞きしましたが、たくさんのことに取り組んでおりまして大変良いことだと思います。人吉はガバナーが出るような土地ではない大変田舎でありましたが、ぜひ日田地域からもガバナーを出してください。日田も有名になり多くの人が来て経済効果が上がります。それではアドレスさせて頂きます。
[2013-2014 年度ガバナーアドレス]
ロータリーが生き残るには時代の変化とともに自分たちも変わる努力をしなければなら
ない。クラブの現状を見据え、柔軟に適応していかなければなりません。2013 年度のテー
マを「ロータリーを実践し、みんなに豊かな人生を」Engage Rotary,Change lives とし
ました。ロータリアンが積極的に参加し、ロータリーによって意欲を高め、ロータリーの奉仕のパワーで人々の人生を豊かにできるようにすることです。共に出発し、力を合わせてより良い未来へと導き実践していきましょう。
①基本方針 2013 〜 2014 年度
第 2720 地区スローガン
挑戦 ! 未来の夢 !
良き友を得て
ロータリーを学び
奉仕を実践しよう
未来の夢計画の実施年度、規定審議会の採決事項の実施等、時代の流れに対応し、ロー
タリーのシステムやその手法は本年度、大きく変化しています。しかしその基本原理や基
本理念は不変です。
~基本理念より~
使 命
私たちは、他者に奉仕し、高潔性を推進し事業と専門職務および地域社会のリーダーの
間の親睦を通じて世界理解、親善、平和を推進する。
奉仕の理念・・“愛”
The Ideal of Service
第 1 標語「超我の奉仕」
Service above self
第 2 標語「最も良く奉仕する者、最も多く報
いられる」
One Profits Most Who Serves Best
友情( Fellowship: 仲間、親睦 )
・いろんな立派な人やいろんな違う世界の人たちの一流の人たちの話を聞きながら自己研鑽、自己発展の機会に恵まれる。異業種交流としての例会等の出席ができる。そして品性高い素晴らしいロータリアン同士の友情は、心を癒し、真の良き友人を得ることができる。
・奉仕の理念 その究極は、倫理と愛なのです。ロータリーの基本に人に対する “愛”があることは重要 !
「誰であれ人を愛する人は、ロータリアンになるポテンシャル、可能性が有る」 ポール・ハリス
愛とは和なり 和とは接近なり
接近しなければ、 和は生じません
和のないところに、愛は生まれません
愛のないところに、 神は住み給わず
② 2013 年度「未来の夢」スタート
◎使いやすくなった財団の補助金を使って奉仕活動をしよう !
本年度地区補助金申請額
58,800 ドル
5,880,000 円
申請クラブ 32 クラブ申請
過去最高申請件数
◎補助金を使うためには財団への寄付をお願いします。「毎年あなたも 150 ドルを」それに、慶弔等の機会に「ポールハリスフェロー」や 「ベネファクター」等の特別寄付もよろしく御願いします。
③規定審議会の採決事項実施年度
・幹事を理事会メンバーと規定
・クラブの奉仕活動参加を出席要件とする。
・第五部門新世代奉仕を青少年奉仕に変更
・地区協議会・・> 地区研修・協議会
・ガバナー・ノミニー・デジグネート(次の次のガバナー)
(governor-nominee-designate)
>>>2014.2 月 15 日
地区クラブ管理運営セミナー開催予定。
規定審議会採決事項の説明会
ガバナーの任務 : クラブ定款や細則が規定審議会の結果に従い、RI 組織規定に準拠したものかどうか確認・・これは、翌年 1 月ごろ、手続き要覧の出版後に参考にして変更して下さい。定款、細則等の規定自体の効力は、7 月 1日から発効しています。ただ文書類の変更は本年度は、移行期間。
④地区大会・人吉市開催の成功を !
多くのロータリアンご夫妻にご参加いただき、熊本県南の活性化へ地域奉仕をお願いし
ます !
2014 年 3 月 15 日 ( 土 ) 〜 3 月 16 日 ( 日 )
<2 日間の本会議を実施予定 >
開催地 : 人吉市カルチャーパレス
講師:「そこまで言って委員会」パネラー 竹田恒泰
講演 慶応義塾大学講師旧皇族・明治天皇の玄孫
⑤会員増強、2720 人目標の継続
会員基盤の強化と活性化
どうか皆さんの全員が知り合いの良い人に声をかけて下さい。「良き友を得て、ロータリーを学び、社会に役立つ活動をしませんか」
第 2720 地区状況
2012.7 月 1 日 年初会員 2380 名
2013.7 月 1 日 年初会員 2364 名
昨年入会 237 名 −退会 253 名 = − 16 名
約 10% 入会し、約 10% 退会している状況
今年度目標純増 6%(140 名)以上
〜最終目標 356 名)!!
⑥ 2014 シドニー国際大会の推進
6 月 1 日〜 4 日
開催地 : オーストラリア・シドニー
⑦「私の心に残るロータリー体験」をお互いに語りましょう !!
ロータリークラブは、私たち多忙な職業人が学習する場として貴重です。ロータリアン
として研鑽を積むことにより、高齢になっても、自分が成長している実感を楽しんでいま
す。ロータリアンであることは、自分の意志で、生き方を選択したのです。奉仕の理念の実践が人生の中で、自分を活かす道であり、社会をより良い方向に導く強い力があることを信じ、良き友と共に、ロータリーを実践し、皆が豊かな人生を送れることを願っています。ロータリーの魅力と可能性を探し求め、ロータリー人生を、お互いに大いに楽しみましょう !!
会長の時間 日田中央ロータリー 古賀弘人 会長
2013.09.24
みなさまこんにちは。本日は3クラブ合同による赤山ガバナー公式訪問です。今日は日中の天気と同じくまさに晴れの日です。我々中央ロータリーがホストとして、ガバナーに様々なアドバイスをいただきながら進めてまいりましたが大変感謝しております。ガバナーという職責は本当に多忙でありますが、ガバナーが地区内の全てのクラブを全て訪問されるには理由があります。当然RIからのメッセージもありますし、問題のあるクラブに対しましては関心を払っていただきます。やはりなんといっても奉仕の意識を高める意味合いがございます。我々はこの後、貴重なガバナーアドレスを享受するわけでありますけれども、その中で思ったことがありましたらすぐに行動したいと思います。懇親の意識を高めるということもあります。何か思ったことがありましたら速やかに行動したいと思います。そして今日を境に、今以上に活況あるクラブに発展するように我々が精進するのがガバナー公式訪問の真の目的ではないでしょうか。今日は最後までご協力のほどよろしくお願いいたします。
「東京オリンピック開催決定を祝う」2013.09.18
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
2020年のオリンピック開催が東京に決定しました。我が国はロビー活動が下手だから、まさか東京になるとは思っていませんでした。
しかし、今回はオールジャパン体制で招致活動をしたようです。妨害工作を乗り越えて招致を成功させた関係者の並々ならぬ情熱と努力に敬意を表します。
また、最終プレゼンテーションをした安倍総理もオリンピックとは不思議な縁があります。昭和39年の東京オリンピックが決まった時の総理は安倍さんの祖父岸信介氏、札幌オリンピックが決まった時の総理は叔父の佐藤栄作氏のときです。
九月七日付けブエノスアイレス発ロイター通信は「安倍晋三首相の演説が2020年東京五輪大会決定への決め手となった」と五輪開催地決定のニュースを伝えました。
仮に、ここ数代の総理大臣がプレゼンテーションをしたとしたら、一体どうなっていたでしょうか。
さて、昭和三十九年の東京オリンピックは、戦災で焼け野原になった東京がわずか二十年で復興したことを世界に示しました。
昭和天皇がされた開会宣言で「オリンピアード」とおっしゃったことが今でも耳に残っています。あれから日本は「ジャパンアズナンバーワン」と呼ばれる経済成長を遂げ、世界第二位の経済大国になったのですが、最近ではグローバル化やデフレ、少子高齢化などで陰りも見え、GDPでは中国に抜かれて世界第三位になっています。
二〇二〇年の東京五輪はどのような意義を持つものになるでしょうか。世界の人が共感するどのようなビジョンを世界に示すことが出来るでしょうか。
単に巨大な箱モノ建設や一党独裁体制の国のような国威発揚は時代遅れだと思います。
日本は世界の世論調査で、常に「最も好きな国」或いは「良い影響を与えている国」の上位に挙げられています。
新聞は、日本はアジアや世界で四面楚歌のような書き方をしますが、台湾より以南の国々へ行けば、大変親日的であることが分かります。
日本の文化や精神は、芸術、科学技術、製品、武道、マンガ、アニメ、日本料理などを通じて広く世界に受け入れられています。
日本の文化は宗教や文明の違いを超えて普遍性を持っていると思います。
滝川クリステルさんは「おもてなし」の心をプレゼンテーションで訴えました。
フレンドリーな笑顔と親切、美味しい食べ物、掛け値のない正札販売、清潔な食堂やトイレ、ゴミ一つ落ちていない道路、夜でも女性が歩ける治安の良さ、ノーチップで受けられる平等なサービス、正確安全に運行される交通機関、並んで待つマナーの良さなど、日本人にとって当り前のことでも、オリンピックで初めて来日した方たちには、日本人の普段の生活が最大の「おもてなし」になり得るでしょう。
こういう社会や生き方もあるのかと感じてくれれば、世界に良い影響を与えることになると思います。
九州ジージーシー株式会社日田工場さんで、職場例会を開かせていただきました。
もやし生産の様子を見学しました。
九州ジーシーシー日田工場 右田専務
みなさんこんにちは。本日は大勢の方に来て頂きましてまことにありがとうございます。私どもは竹田市で平成2年に発足いたしまして、23年間で岡山県のほうにも2つの工場を作りまして、日田市で4番目の工場を運営しています。岡山に工場を作る前に、前から日田、ないしは福岡に近いところに工場を作ろうと思っていました。過去に一度日田市の他の場所でボーリングしたことがありましたが水温が22度ということで断念いたしました。玉名でも掘りましたけれども、水を使う量が多いということで水量を制限されました。田主丸も同じように水を使う量で断念しました。そういった中でこの場所は英彦山系の水ということで水の量も問題ないし、水質が最高ということで、ここに決まった次第です。この10年間は水を求めて大変でしたがやっとこの工場も起動に乗ったところです。
私どもには先ほども述べましたように4つの工場がありますけれども、合計で毎日130トンのもやしを作っております。一口に130トンといってもなかなか想像がつかないと思いますが、私が1800人集まった量を毎日生産しています。現在竹田の工場が老朽化しておりますので建て替えに向けて、こちらの工場をフル回転させて頂いています。当社は先ほども申しましたように平成2年に創業しましたが、九州では当社の工場から緑豆栽培がはじまりました。当時の主流の原料はブラックマペといいまして、東南アジア原産のものを使っていました。それが中国産の緑豆を使うようになりまして、漂白殺菌はせず、手をつけることができないぐらいの熱湯に一定の時間浸しまして殺菌をします。普通のもやしは5、6日の生育期間ですが、私どもの工場は倍近い9日の育成日数を取ります。ゆっくり育っていきますので細胞分裂を促し、低温でゆっくり育てることで、料理をしても歯ざわりのシャキシャキ感を保ち、日持ちがするということが特徴です。3つ安売りで買ってきたんですけど2つが痛んだとかよくありますが、そういうことがない。また根っこが折れにくいということで日持ちがします。品質を1番に考えて作る事で、お客さんからご愛顧いただいて130トンのもやしを製造しています。もやしというのは安いですけれども、売値が38円39円ということで、それはうちからは20円代で収めるということですけれども、稼働率がよければ薄利多売でやっていけます。稼働率が悪ければどうしょうもない。今の日田工場も稼働率が満杯の中でやっています。竹田の工場はボロなんで建て替えますが、建て替えられたあとはそこに日田工場の4割のシェアを持っていかれるので雇用が続かなくなる可能性があります。それまでにそのシェアを早期に回復する手段を探さないといけないということです。今は一つ一つの工場での稼働率をいかにあげるかということを焦点にやっております。
製造工程の方を若干説明させていただきます。資料のほうをご覧下さい。原料は緑豆とブラックマペ、あと小粒の大豆もやしもあります。納豆も小粒納豆というのがありますが、それが原料になります。品質につきましてはこちらの資料に載っておりますけど、サリナスは緑豆の大きい豆を使っております。名水美人というのは中粒の緑豆です。真珠もやしは小さい緑豆です。下の3つにあります小大豆もやしというのはブラックマペをつかっておりますが、有機栽培もやしは緑豆にこだわっておりますが、これらを細かく分けますと5つの原料のもやしを使っております。お客さんからいろいろな要望を言われますが、5つの豆の原料から、発泡スチロールかダンボールなのか、コンテナなのかとか梱包まで入れますと120種類の企画の製品を出しています。スーパーさんなどでは製造日および消費期限を入れてくれという要望であったり、色んな要望を聞きましたら120種類のになりましてそのように製品を分けて、便別にしてドライバーさんがその通りに持っていくということです。
原料はそれぞれの豆を下関の低温倉庫に一年分以上いれております。2,3日にいっぺん、小出しにして10トン単位で運んでいます。もやしの一番難しいところは仕込みの予測です。9日後にどれぐらい出荷できるかの予測が大事です。9日前に読んでなかったら当然足りないわけです。もやしがなくなった時とか、岡山の工場に山口まで持っていってくれとか、どうにかつなぎながら、多め多めに作って行くのですが、多すぎたときには腐りますので特売をかけたりとかします。最近はみんな熟練になってきたのでそれほど余らなくなってきました。昔は良いもやしを捨てたりとか大変損なこともありました。先ほども言いましたが原料を温度殺菌をしたものをボックスにいれたり育成室にいれたりしますが、このときに清潔じゃなければダメともうしますか、ボックスの洗いが悪かったら変色が出たりとかで、消毒はしっかりやっております。手のつめなどまでしっかり洗いながら清潔にしないともやしは正直なんで悪くなってきます。9~10日でそれを掻き出し、綺麗な水をつかって洗浄しながら、パンチングといって根っこを折る機械、脱水などしながら、金属探知機で金属が混入していないかなどを確認して行きます。あとで工場の上の方から確認して頂きますのでこの話は終わらせていただきますが、あとは工場での作業をみながらご説明をさせていただきたいと思います。