会長の時間

0年0月0日

会長の時間3

2020年07月22日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

 

 本来であれば、今日明日は2020東京オリンピックの話題で大騒ぎをしているはずでした。新型コロナウイルスのため1年間の延期となってしまいましたが、楽しみが先延ばしになったと前向きに考えましょう。今日は56年前の1964オリンピックを知る者として小学6年生から中学3年生の間、1少年の目からみたオリンピックのお話をさせていただきます。

 東京の前のローマ大会は小5の時です。当時ほとんどの家ではテレビがありません。あったとしても実況放送などは見ることができません。ラジオの実況中継も音が大きくなったり小さくなったりで良く聞こえません。それでも男子体操の活躍やマラソンのアベベがはだしで走ったことを記憶しています。次はいよいよ東京ということで、学校で五輪マークの小さなバッジなどを買って帽子につけて通学したことを覚えています。学校の掲示板にはオリンピックのポスター、100メートルのスタートの図柄でしたが掲示されていました。運動会では毎年「東京五輪音頭」が流れ大人も子供も踊らされたような気がします。中学校のバスケットコートのゴールには五輪マークが飾られていました。そして一番強く打たれ感動したしたことは、クーベルタン男爵の「オリンピックは勝つことではなく参加することに意義がある」ということばでした。運動神経のない私にとって、「運動は勝つことではなく参加することに意義がある」と置き換えて、ゴルフコンペに参加しています。とにかくローマ大会から東京大会までの4年間、日本中が熱病にかかったような雰囲気でした。

 開会式は、学校のテレビで見たと記憶しています。白黒テレビでしたが、アナウンサーの解説であたかもその色が見えるようでした。ブルーインパルスが、競技場の上空に見事に五輪マークを描いたときは感激しました。そして何よりも特筆しなければならないことは、大部分の国民が初めて競技をというものを自分の目でみることができたということです。現在のようにテレビがありません。国際試合もありません。レスリングとプロレスの違いも分からない人がいました。重量挙げや、サッカー、体操、フェンシング、三段跳び、棒高跳び人間技を超えたかに見えるスポーツをみることができました。その意味で東京五輪は日本のスポーツの発展や普及に多大な貢献をしたといえると思います。

会長の時間2 硯川昭一ガバナー公式訪問

2020年07月15日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

 

本来ならば、ガバナー公式訪問例会ですので、会長の時間もロータリークラブに関しての蘊蓄(うんちく)を述べるべきでしょうが、その話は後程ごガバナーより詳細にお話があると思われます。よって本日は通常の例会の雰囲気でやらしていただきます。

 7月に入りずっと曇り空が続いています。7日には豪雨となり天ケ瀬、津江方面では甚大な被害が発生しました。

 日田の水害の歴史を振り返ってみると昭和28年の災害にたどり着きます。以来平成24年7月まで特筆されるような大水害は無かったと思います。私は、昭和28年の災害時は4歳になる年ですからもちろん記憶にありません。話によりますと三隈川の氾濫ということで、私の育った花月川の支流小野川も氾濫したとはいえ、市内ほどの被害はなかったと聞いています。とにかく平成24年の豪雨まで、63年間、水害とは無縁の人生でした。ところが、その5年後九州北部豪雨によって生まれ育った小野谷の姿は変わってしまいました。以来毎年のように避難指示が出るようになりました。その原因として、地球の温暖化等の影響が無視できなくなった気がします。

 今日は私が初めて見た、平成24年の水害についてお話ししたいと思います。

7月3日の朝でした。玄関を開けると土砂降りの雨です。事務所まで約100mあります。その間に2本の用水路があるのですが、車道の上に水があふれていました。とにかくあちこちの用水路があふれて事務所の周りは水浸しの状態でした。この日の状態は、皆さんもそれぞれ目撃されたと思います。その日の夕方財津方面に様子を見に行った時、コカ・コーラのあたりまで浸水した事態に愕然とした次第です。私は小野地区の鈴連町で稲作をしておりましたので、翌日田んぼの状況を見に行こうしましたが、道路が土砂で寸断されており、通行止めでした。土砂を寄せて交互通行になり田の様子が見られるまでに数日かかりました。幸い私の田は、水につかったものの流されずに済みました。その時に見た景色は忘れられません。川に密生していたヨシが1本もありませんでした。苔のついていた石が真っ白になっていました。田んぼの川に面した石垣の草がきれいにむしり取られて、ピカピカに磨かれていました。水辺の砂も真っ白で後日、田の草をそこに捨てていたのですが、気が引けて掃除に行ったほどです。幾筋も谷川から道路上に押し流され岩石に山に驚きました、清流を取り戻した川の美しさ、この対比の不可思議は目に焼き付いています。作業が終わるころ1台の救急車が参りました。何か気になる救急車でした。私の田んぼより上はまだ道路が寸断されています。除去作業中の重機が、緊急車両の前を開けておりました。早く病人のところにつけたらいいなと念じつつ帰路についたのですが、翌日私の元に届いたのは、幼馴染で同級生の友人の訃報でした。結局救急車は間に合わなかったのです。

 

会長の時間1

2020年07月01日

日田ロータリークラブ会長 井上太香美

 

本日は 井上年度最初の例会です。来年6月まで、頓宮幹事をはじめ理事の皆様、そして会員の皆様のご協力を賜りながら一生懸命頑張ってまいります。どうぞよろしくお願いします。

会長の時間をいただきましたので、第1回は来週から週報を飾る絵のお話をします。私には毎週週報を飾るような名画というものも持ち合わせておりません。そこで当クラブの織田会友に相談をいたしました。織田さんは気持ちよく、何枚かの絵を収録したUSBを貸してくださいました。その中の絵はどれも素晴らしいものでしたが、特に胸を打たれたのが「母と子」と題された絵でありました。

従前から私が思うに、女性の美と感じるものは多々ありますが、乳児を抱いてやさしく微笑む姿、すなわち母親のいとし子を見守るまなざしと、それに応える子供のまなざし、まさに見返りを求めぬ絆、是程美しいものは無いと思います。私はすぐにこれを使わしてくださいとお願いし、快く了解していただきました。

折から感染症の蔓延で心がすさんでいる時であります。経済状況も疲弊しております。聞こえてくる言葉は「ソーシャルディスタンス」社会的距離の保持です。分断、といういやな声も聞こえてきます。こんな時こそ、人のやさしさの原点ともいえる親子、これを表現した絵のような温かさが必要ではないかと思います。その思いをもってこの絵で1年間週報を飾らしていただきます。織田会友ありがとうございます。

7月の例会

2020年06月25日

・7月 1日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
井上太香美会長 新年度運営方針表明

 

・7月 8日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
クラブ協議会(方針確認・委員会ごとの話し合い)※ 豪雨のため休会

 

・7月15日(水) 日田市のマリエールオークパイン日田
ガバナー公式訪問 2クラブ合同
11時30分〜12時 一般会員集合 12時〜受付 12時30分〜2クラブ合同公式訪問例会

 

・7月22日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
クラブ協議会(各委員長発表)

 

・7月29日(水)休会

会長の時間32

2020年06月17日

年度末卓話 1年を振り返って

日田ロータリークラブ会長 白石章二

一年前の今頃は、世界がまさかこのような状況になるとは夢にも思っていませんでした。

七月に私の年度がスタートし、毎週の会長の時間の事で頭がいっぱいで、あっという間に一週間が過ぎていっていたのが、なにか遠い昔のことのように今感じています。

会長になって始めて、他クラブの例会に出席させていただき、クラブが違うとこんなに例会の様子や雰囲気が違うのかと少し驚きました。

特に玖珠ロータリクラブにお邪魔した時は、あまりの会員の少なさに少し戸惑いました。

日田ロータリークラブは本当に会員に恵まれているなあと実感しました。

最初の夜間例会の納涼例会では、新入会員の合原会友や若い会友と一緒に二次会に行き楽しい時間を過ごさせてもらいました。

8月には日隈小学校金管バンドの皆さんに来ていただき演奏を披露して頂きました。

そして去年も見事に全国大会に出場し、本当に嬉しく思いました。

9月は、今年度の一番の事業であるチャリティーコンサートが開催され、石松幹事や佐藤委員長そして当時会員だった吉冨今日子さんや会員の皆様のご協力で無事にコンサートを終えることが出来ました。

この収益金は後にNPO法人のリエラさんを通じて、九州北部豪雨災害で被災されたご家族の子供さん達に無事渡されました。

皆さんのご協力、本当にありがとうございました。

10月には長年日田ロータリークラブで活躍された、井上名誉会友がお亡くなりになるという悲しい出来事がありました。

告別式では会長として、弔辞を読むという大役を仰せつかり、とても緊張しましたが、なんとか私なりの思いを話させていただきました。

11月には中津市で地区大会が開かれました。

二日間に渡る大会で大勢の会員の皆さんと一緒にとても充実した時間を過ごさせていただきました。

20日の職場例会では昭和学園さんにお邪魔し、生徒の皆さんの手作りの昼食をご馳走になりました。

まるで京料理の様な上品な料理でとても関心しました。

12月には年末恒例の家族例会が開催されましたが、担当の親睦委員長の松浦会友のお父さんが直前にお亡くなりになり、当日は湯浅会友と高嶋会友が代わりに司会進行をして頂きました。

亡くなられた井上会友の奥様をお招きしてのパーティでしたが、とても喜んでいただき本当に嬉しく思いました。

井上名誉会友に少しは恩返しが出来たのではないかなと思っております。

1221日には、藤蔭高校のインターアクトクラブの生徒の皆さんと大原神社の大掃除をしましたが、担当の永田会友と石松幹事が早くから来られて掃除をされていました。

私もちょこっと掃除に参加しました。

一年間のすす払いが出来てとてもいい気持ちがしました。

開けて1月の新年夜間例会は亀山亭で開催致しました。

久しぶりの川端のホテルでの宴会でしたが、思えばこれがコロナ以前の最後の楽しい宴会となってしまいました。

会長の任期もあと半年になり、なかなか慣れない会長の時間も、あと半分という思いと、まだ半分もあるという複雑な思いがいたしました。

122日には職業奉仕賞贈呈式を行い、みそら会前理事長の池永惠子氏に来訪していただきました。

29日には、原正隆会友がマルチプルポールハリスフェローを受賞されました。

日田ロータリークラブとして初めての事です。

本当におめでとうございます。

2月には2年越しのお約束であった、視覚障害者への読み聞かせの活動を長年されている、「かたつむりの会」へ専用の録音機を寄付することが出来ました。

この頃から新型コロナウイルスの日本での感染が広がりだし、クルーズ船の集団感染で一気に緊張が高まり、世界中が大変な事になりだしました。

3月には学校の閉鎖が始まり、東京などで自粛が始まり、後に全国的な自粛要請が発せられました。

膳所日田医師会会長のアドバイスも考慮し、日田市として各種の会合やイベントの自粛要請が出された事から、会長として34日からの例会の中止を決定いたしました。

当初はひと月位で何とかなるんじゃないかと高をくくっていましたが、その後の世界中でのあっという間の感染の拡大と、死者数の増加に私もさすがに、これは大変な事になったと背筋が寒くなる思いがいたしました。

例会再開のめども立たない中、日田ロータリークラブのラインでの情報交換がされるようになり、私も非公式ですが、いろいろと思いをラインに載せさせて頂きました。

例会出席の為のラインでしたが、思わぬ形で役に立ちました。

ほかのクラブでは、オンラインでの例会をやっているそうだ、などの情報も入ってきましたが、日田クラブの会員数の多さや年齢層を考えると中々直ぐにはできませんでした。

5月になり段々と自粛も解除になり、13日の理事会において現在の状態が続く事を前提に、6月からの例会の再開を決定致しました。

いまだかつてない三か月に及ぶ例会の休会の間、あんなにすぐに来る水曜日の会長の時間が無いことで、一週間が意外に長く感じられたのが少し面白かったです。

休会中はこのまま私の年度も尻切れトンボで終わってしまうのかなあと、思ったりもしましたが、なんとか残りひと月でも再開することが出来て大変嬉しく思っていますが、一週間先には又何があるか、誰にもわかりません。

油断は禁物です。

ですが、何とか一年間皆さんのご協力で乗り切ることができそうなこと、本当に感謝しております。

次年度の会長他理事や委員長の皆さん、また難しい一年になりそうですが、めげずに頑張りましょう。

会長の時間31

2020年06月05日

日田ロータリークラブ会長 白石章二

例会を中止してから早三か月、季節も冬から一気に初夏になりました。

この三か月で会員の皆さん方を囲む状況にも、相当の変化があった事と思います。

総じて悪い方向に向いてしまった方がほとんどでは無いでしょうか。

100年に一度位の災厄に、立ち向かわなければならないことは災難としか言いようが無いですが、これも運命と受け入れるしか無いなと、今では思っています。

今日、欠席されている方々も本当は出席したいのだが、今は出来ないと云うう方も多くおられると思います。

特に病院や介護施設の方にとっては、命に係わる問題だとお察し致します。

私の花業界においても、皆さん同様業務の縮小の嵐にさらされております。

葬儀は家族葬になり、結婚披露宴は中止や延期になり花の需要も減り大変苦労していますが、ここマリエールさんも相当の影響を受けている事とお察しいたします。

今回のコロナ禍により、影響を受けやむを得ず退会される会員の方もおられ本当に残念でなりません。

しかし、今日こうして皆さんと又集まることが出来ました。

本当に嬉しく思っています。

会長としての私の任期も、今月で終わりになってしまいました。

少し心残りはありますが、チャリティーコンサートなど計画していた行事が出来た事は本当に運がよかったと思います。

むしろ、次の井上年度は本当に大変だと思いますが、私も精いっぱい協力していきたいと思っています。

今回のパンデミックによる経済的影響が出てくるのは、むしろこれからだと思いますが、会員の皆さんと一緒に知恵を出し合っていければ、きっとこの難関を乗り越えていけると思います。

出来ない事を嘆くより、何が出来るのかをこれから考えていきたいと今強く思っています。

6月の例会

2020年06月03日

・6月 3日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
クラブ協議会

※6月中の例会参加は出席フリーとなりました

・6月10日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
献血例会に代わる例会
会員卓話 膳所会友 井上会友 新型コロナウイルス関連 

・6月17日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
会長卓話 白石会長 1年を振り返って

・6月24日(水)午後6時30分 日田市のアプロディール紙音
年度末夜間例会

5月の例会

2020年05月05日

5月の例会は休会となりました

4月の例会

2020年04月14日

4月の例会は休会となりました

会長の時間30

2020年02月26日

日田ロータリークラブ会長 白石章二

過去に起きた最大のパンデミックはスペイン風邪(スペインインフルエンザ)です。

電子顕微鏡のない当時はインフルエンザウイルスはまだ発見されていなくて未知の病気だったようです。

ちなみにウイルスの大きさは一万分の一ミリです。

そのスペイン風邪ですが1918年から1920年までに当時の世界人口1820憶人のなんと三分の一が感染し2000万から一説には5000万人が死亡したそうです。

当時世界は第一次世界大戦の最中で、各国はその流行を隠していましたが、参戦していなかったスペインでは情報が広まりあたかもスペイン発であるように受け取られたようです。

最初は米国のカンザス州から発生した記録があるようですが本当にそこなのかはよくわかっていなくて、中国から広まったと言う説もあるようです。

その米国が第一次世界大戦に参戦し、ウイルスがヨーロッパに拡散しその後アフリカやアジアそして南米へも広がったようです。

船での感染も起こっており、当時米国の兵員輸送船「リヴァイアサン号」乗員11千人で感染が発生し約200百人が死亡したようです。

日本では19189月末から10月初頭までに感染が広がり総人口5719万人の内、総患者数21168千人なんと37%が感染し25万7千人の方が亡くなったようです。(致死率1.2%)

日本でも矢矧(やはぎ)事件という船での感染事件が発生しています。

呉を母港とする軽巡洋艦「矢矧」が469人の乗員を乗せ191811月にシンガポールに寄港した際に一時上陸した乗組員によりインフルエンザウイルスが持ち込まれ閉鎖空間の艦内で爆発的に感染が広まり看護師や軍医も倒れ最終的に306人(65%)が発病し48人(16%)が死亡したそうです。

この様に過去にも船での感染が発生している事を考えると、今度の豪華客船の事ももう少し歴史に学んでいたらと思ってしまいます。

しかもイギリス船籍の船で運営はアメリカの企業だそうです。

あまり日本に文句は言えないと思ってしまいます。

むやみに危機をあおらず正しく怖がって、冷静に対処するしかないようです。

会長の時間29

2020年02月19日

日田ロータリークラブ会長 白石章二 

先週の「永遠のゼロ」の話の続きをしたいと思います。

太平洋戦争当時の戦闘機に求められたのは、格闘性能と速度です。

ですがこれは、相反する性能だそうです。

これに旧日本海軍はもう一つ、航続距離まで要求したそうです。

普通はどれか一つに絞って設計するようです。

これにチャレンジしたのが、三菱重工業の若き設計士の堀越二郎でした。

そして見事にこの三つの要求を備えた飛行機「零戦」が誕生しました。

当時アメリカ軍は劣等なアジア人が、まともな戦闘機など作れるはずがないと思っていましたので、零戦に遭遇したアメリカ空軍は、相当びっくりしたようです。

空中戦をドッグファイトと言いますが、これは犬同士がけんかするときにお互いの尻尾を嚙もうとぐるぐるまわるところからそう呼ばれるようになったようですが、この零戦と戦うとアメリカ軍の飛行機は三回転するまでに、後ろにつかれて撃ち落されたそうです。

これにびっくりしたアメリカ軍は、雷雲と零戦に遭遇した時は、任務を途中で放棄してよいと言う、指令までだしたそうです。

それほど恐れられた零戦ですが、高性能ゆえの弱点もあったようで、それは作るのにかなりの手間と時間がかかることでした。

それゆえ、段々とアメリカ軍の物量作戦に対抗出来なくなったようです。

何事もすべて良しとはいかないようです。

会長の時間28

2020年02月12日

日田ロータリークラブ会長 白石章二 

 

 

今売れっ子の作家の百田尚樹さんを、ご存じの方も多いと思いますが、彼は私と同じ年です。

223日生まれで私と11日しか違いません。

彼の本で最初に読んだのは、高校生のボクシング部を描いた「BOX」という作品です。

当時私の長男もちょうど高校のボクシング部に入っていたので、とても面白く興味深く読ませてもらいました。

百田さん自身も学生時代にボクシングをやっていたようで、とてもリアリティのある物語でした。

次に読んだのは、映画もヒットした「永遠のゼロ」です。

2巻物で、結構な読み応えがあり、彼の取材力に本当に関心しました。

一部で彼のことを右翼という人もいますが、作品を読むと、とてもそんな風には思えなくて、むしろ無謀な戦争をしてしまった当時の日本政府を美化するようなことは全然なく、零戦を通して、どうしようもない戦いを継続するしか無かった戦闘機乗りの思いが伝わってくる作品でした。

最近読んだのは「日本国記」です。

これも相当に内容の濃い作品で、すらすらと読める類の本ではありません。

特に、近現代史にかなりウエートを置いて書いてあり、賛否両論はあると思いますが、私は自虐的な戦後の日本の近現代史に一石を投じる本だと思っています。

何より彼の日本を思う気持ちが、私にはひしひしと伝わってきますが、左翼の方には多分相当に気に障る存在だと思います。

会長の時間27

2020年02月05日

日田ロータリークラブ会長 白石章二 

とうとう習近平主席も、今回のコロナウイルス肺炎への中国政府の対応の遅さを認めたようです。

今回は中国政府自体も正確な状況の把握が出来ていなかったようで、中国共産党政府の強権的な体制のため、地方の役人が悪い情報をあげるのをためらった結果、対応が後手に回ってしまったようです。

BS放送の世界各国の放送局のニュースを見ても、どこもコロナウイルスのニュースがトップニュースになっています。

特にヨーロッパでは、東洋人を危険視する状況が話題に取り上げられていましたが、私たち日本人に対しても例外ではないと思われます。

本当に迷惑な話です。

今回のように先行きのわからない重大な問題に対して、特に我々日本人は危機意識より、まあ大した事では無いのではないか、というふうに思いがちですが、これを正常化バイアスと云うそうです。

縁起でもないとか、言い当てるとか、なるべくマイナスの事は考えたくないと云うような、私たち日本人に特有の考え方も影響しているようです。

一般市民はそれでもいいかもしれませんがいますが、政府はそういう訳にはいきません。

政府はあらゆる状況を想定して、対策を取らなければいけませんが、それには正確な情報を把握する必要があります。

しかし今の日本にはそういう組織が無いようです。

そういう正確な情報の把握が出来ない状況が、今回の日本政府の対応の遅さに影響しているようです。

今回の状況はある意味、戦争と同じようなバイオテロの状況のような気がします。

まだもう暫くは、こういう状態が続くようですが東京オリンピックがとても心配です。

CIAMI6のような組織は無理でも、多くの正しい情報を集められる組織が日本にも必要なのではと、素人の私でも考えてしまいます。

 

会長の時間26

2020年01月29日

日田ロータリークラブ会長 白石章二 

 

中国で新型コロナウィルス肺炎が猛威を振るっているようです。

今回は中国政府も早めの対応をしているような感じです。

以前だと、都合の悪いことはなるべく大っぴらにせずに、隠せるものは隠しておこう、というような事が多かったんでしょうが、ネットの普及で一般市民にも情報が入ってくるようになって、世界の各国の政府もなかなか隠し事が出来なくなっているような感じがします。

しかし中国政府が、どこまで正確な情報を発表しているのかは、よくわかりませんが、日本への団体旅行を禁止するなど相当中国政府も焦っているように感じます。

観光産業の方は本当に大変だと思います。

毎日情報が色々と入ってきていて、今後どうなるのかわからないので、すこし心配でもあります。

日本政府は、武漢市にチャーター機を飛ばして、日本人を帰国させる準備をしているようですが、武漢市には600人位の日本人がいるようで、何かがあると邦人の保護は本当に大変なようです。

中国国内には現在12万人以上の日本人が暮らしているようですが、よく考えてみると、この中国にいる日本人は一旦何か日本と中国の間に良くない事が起こると、彼らの人質のようになってしまうような危険性があるような気がしてなりません。

アメリカと違い、中国に対してあまり強い態度にでれない日本のお家の事情も少しわかるような気がします。

経済と安全保障のバランスを、今後どう折り合いをつけていくか、日本も難しい時代に入っていっているように思います。

 

3月の例会

2020年01月23日

3月 4日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
創立記念例会 会員卓話 草野義輔会友   休会となりました

3月11日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
外部卓話 ジョブカフェおおいた日田サテライト 平山秀久氏  休会となりました

・3月18日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
水と衛生月間 外部卓話 水環境ネットワーク 園田匠氏  休会となりました

・3月25日(水)
夜間花見例会  休会となりました

2月の例会

2020年01月23日

・2月 5日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
米山奨学生卓話 インドネシアからの留学生
ワルダナ・トリスカシヤタワウイスヌさん

・2月12日(水)午後6時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
会員卓話 日田彦山線の現況他 井上明夫会友 

・2月19日(水)午後0時30分 日田市の大分県西部振興局
職場例会 大分県西部振興局 河野哲郎局長

・2月26日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
外部卓話 『進撃の巨人がやってくる』(株)ティーアンドエス会長 稲葉孝政氏

会長の時間25

2020年01月22日

日田ロータリークラブ会長 白石章二 

去年の1022日から、行方不明になっていたうちの猫が先日の日曜日に、行方が判明して、三か月ぶりに戻ってきました。

案外と近くの方に保護されていました。

その方は猫好きで、すごく親切にされていたようですが、最近になって私のの家の猫では?と思われて、連絡していただきました。

迎えに行くと、まさにうちの猫でした。

もう帰ってこないだろうと思っていましたので、とても嬉しく思いました。

この猫は、野良猫で生まれて間もない位の時に、家の裏に迷い込んで来て、

孫が餌を与えたため、もう家から離れなくなり、半分しょうがなく飼う事になったのでした。

うちに戻ってもすぐには元の家とはわからないようで、キョロキョロしていましたが、やがて以前のことをおもいだしたのか、だんだん落ち着いてきました。

そして、夜用事を済ませて家に戻った私は猫に首輪をつけようと思い、抱っこをしましたが、それがよっぽど嫌だったのかリコ(猫の名前 雌猫です)は思いっ切り私の手にガブリと噛みつきました。

しかも三回も。

おかげで次の日手首はパンパンに腫れあがり、病院で手当てを受ける羽目になりました。

お尻に破傷風の予防注射までされました。

飼い犬に手を嚙まれるということわざがありますが。

出戻り猫にもご用心!

 

会長の時間24

2020年01月15日

日田ロータリークラブ会長 白石章二

昨年末より世界では色々な出来事が起こっているようですが、私にもちょっとした出来事がありました。

今週の13日の午前10時頃、私が久留米方面から日田に帰る途中、虹峠を少し下った日田よりの辺りで、国道の川沿いをかなりの年配の男性が、トボトボと一人で歩いて下っていました。

普段そこは人が歩くような所ではない場所なので、私はてっきり痴ほうで徘徊しているのではないかと思い、どうしようかと思いましたが、消防団で何度も人探しをした経験がある私は思い切って警察に連絡しました。

夜明け大橋の下でかけたので、福岡の警察にかかりました。

一部始終を話すと、警察の方から私にその老人の身柄を確保してもらいたい旨の要望をされましたので、急いで引き返してみると、もうヤマサキのコンビニの所まで、歩いて来ていました。

そこで私もコンビニに車を止めると、その老人も此方のほうに、道路をよちよちと渡ってくるではありませんか。

車にはねられないかと、冷や冷やして見ていましたが、何とか道路を渡りきりました。

そこで私はその老人に、「どうかしましたか。」と尋ねると案外としっかりした口調で「コンビニに来た」と言うではありませんか。

なんとそのご老人は徒歩で虹峠を越えてコンビニまで来たのでした。

早とちりに気づいた私はすぐに警察にその旨を連絡しました。

そのあとすぐ日田署から感謝の連絡を頂きました。

今回は私の思い違いで何事もなくて良かったですが、最近わたしの近所でも徘徊する老人が増えているようです。

明日は我が身といいますので、自分がそうなった時は、誰か助けてくれるとありがたいなと、つくづく思った出来事でした。

会長の時間23

2020年01月08日

日田ロータリークラブ会長 白石章二

皆さん明けましておめでとうございます。

令和2年がいよいよスタートしました。

私も、あと半年気を引き締めてやっていこうと思っています。

さて、年が明けてすぐ八坂神社へ初詣に行きましたが、意外と人が少なかったような気がしました。

おととしまでは、祇園会館で無料の振る舞い年越しそばをやっていて、とてもにぎわっていたようですが、食べるものがないと、人は集まらないようです。

午後からは大原神社へいきましたが、ここは大変にぎわっていました。

去年はここで偶然、頓宮会友とお会いしましたが、そのとき彼が大きくて豪華な熊手を買って肩に担いでいるのを思い出しましたので、わたしも今年は奮発して、大き目の熊手を買いました。

福をかき集めれればいいなと思いました。

二日の日は、元大原神社へ行ってみました。

敷地の中へ入ると、立派な石段があって、そこを上っていくと、上に立派な神殿があります。

大原神社は1625年に現在の場所に移るまで600年ほどここにあったそうです。

現在の神殿は元大原神社として260年ほど前に立てかえられたそうで、小さいながらも立派な造りで感心しました。

7世紀ごろ日田の馬原の地に出来た神社が、元大原神社の場所に移りまた現在の大原神社に繋がっていると思うと、日田の歴史の古さや素晴らしさを実感した正月でした。

会長卓話 上半期を終えて

2019年12月25日

7月に会長としての仕事をスタートして最初の問題は、毎回の会長の時間になにを話せば良いのかということでした。

色々な事を事前に準備しておこうかとも思いましたが、元来計画性をもって行動するのが苦手な性格なので、いきあたりばったりですが、その時々の興味のある事を話すほかないなと開き直りました。

そして何とか半年間会長の時間を乗り切りましたので、あとの半年も脈略のあまり無い話になるとは思いますが、どうかお付き合い下さい。

さて、会長として初めての対外的な仕事が日田中央RCの例会訪問でした。

会員としても他クラブの例会への参加は始めての事でしたので、例会の雰囲気の違いをすこし感じました。

特に、四つのテストを毎回みんなで読み上げていて、関心しました。

次に訪問した玖珠RCでは、会員数が少なくて、会長や委員長を毎年の様にやらないといけないようで、日田RCは本当に恵まれているなと思いました。

また最初の夜間例会では、二次会で新入会員の合原会友や吉冨会友と色んな話が出来てとても楽しい時間を過ごせました。

8月は、例会に日隈小学校金管バンドを招待し、子供達のマーチングでの演奏を皆さんに披露してもらいました。 

あとで、中西会友に心があらわれましたと言われとても嬉しくなりました。

9月は、私の会長としてのイベントであるチャリティコンサートが開催されました。

石松幹事には今年の早い時期よりいろいろ準備をしていただき本当にありがとうございました。

佐藤委員長には、実行委員長としてチケットの販売等で大変頑張っていただきました。

それに舞台に飾る竹を、わざわざ山から切り出してくれました。

本当に大変だったと思います。

感謝いたします。

また、吉冨会友がコンサートのプロデュース等本当に頑張っていただきました。

私にはコンサートの内容についての知識がまったく無く、結果として彼女に大きな負担をかけてしまいました。

会長としてもう少しサポートしてやれなかったなと思い、今でも反省しています。

またコンサートの前日の深夜より、九州を襲った台風の影響が、思ったより少なくて、ほっとしました。

当日は沢山の会員の皆さん方に朝早くから集まっていただき、順調にコンサートが進行しました。

司会をお願いした、原会友にも大変感謝しています。

おかげで、予定の金額よりも多くの収益をあげることができ全額を寄付できたこと、本当に嬉しく思っています。

10月に入り日田RCに長年貢献された井上名誉会員がお亡くなりになるという悲しい出来事がありました。

11日の葬儀の際には日田RC会長として弔辞をよむ大役をおおせつかり、自分なりではありますが、心からの思いをお話させていただきました。

30日のガバナー訪問では、瀧ガナバーとしても最後の訪問ということで、奥様と同伴でおみえになり、有意義なお話ができました。

 

11月には中津での地区大会が開催されました。

2日間にわたる大会で2720地区のメンバーが多数集まりとても盛大な大会でした。

一日目の懇親会では、瀧ガバナー本人がギターの弾き語りをされて、会場を盛り上げていました。

二日目の大会のオープニングでは、各クラブの会長がまるで甲子園の入場行進のように、一人ずつ壇上に入場行進の音楽と共に現れるという演出で、おお盛り上がりでした。

また、最後にはダイハツの軽乗用車が当たる抽選会があり、最後まで大勢の会員が残っていました。

なかなか早く帰れない演出でした。

20日には昭和学園での職場例会で、生徒の皆さんの手作りの昼食をご馳走になりました。

まるで京料理のような上品な料理で、とても関心しました。

27日の例会をもって吉冨会友が退会されましたが、とても寂しい思いがしました。

彼女にはチャリティーコンサートで色々迷惑を掛けてしまい、私自身も申し訳ない気持ちがしました。

一日も早い復帰を祈るばかりです。

12月には年末恒例の家族例会がありましたが、担当の松浦会友のお父さんが直前にお亡くなりになり、ピンチヒッターの湯浅会友と高嶋会友が代わりに司会進行してくれました。

とても楽しい家族会になりとても感謝しています。

また当日、故井上会友の奥様の井上睦子様をお招き出来、大変喜んで頂きました。

井上名誉会員の長年の日田RCへの献身へのお返しが、すこし出来たのではないかなと考えています。 

21日には、藤蔭高校のインターアクトの生徒の皆さんと、大原神社の年末の大掃除に参加しました。

私はすこし遅れて参加いたしましたが、石松幹事と永田会友は最初から掃除に参加されて、二人とも一番熱心に掃除をしていただき本当に頭がさがりました。

そのあと、宝屋で生徒の皆さんと昼食会を共にしました。

そこで生徒の皆さんの今年の出来事の発表がありました。

みんなのそれぞれの思いが伝わり、とても楽しい時間をすごしました。

会長でなければ出来ない経験をさせてもらい、本当に感謝しています。

今期は上半期に行事が集中していましたので、年が明けたらすこし気が緩むような気がしていますが、気持ちを緩めずに引き締めていこうと思っています。

皆さん風邪など引かないように、令和2年の新年をお迎え下さい。

それでは、新年会でまたお会いしましょう。

 

 

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