0年0月0日
会長の時間7
2020年09月16日
日田ロータリークラブ会長 井上太香美
何気なくロータリーの友9月号を開きました。今月はその記事の中から思うことをお話しします。
タイトルは「変態が改革する多様性社会」。講演者は出口春明氏、立命館アジア太平洋大学学長です。ページの上部の方に目をやると、2019年11月9日 国際ロータリー第2720地区地区大会記念講演要旨と記されています。つまり昨年中津で行われた地区大会の講演の要旨でした。ということは、昨年参加された方はまだ記憶されていると思いますが、面白い記事だったのでここでお話することをお許しください。
また時間にも制約がありますので、詳しくはロータリーの友9月号でご確認ください。
私たちの年代(団塊の世代と言われる年代)には成功体験があります。令和の時代になっても、まだ日本の技術は世界一とか、日本は先進国と信じている人がたくさんいます。今から30年前、確かに日本の国際競争力は世界で1位でした。世界のトップ企業20社のうち14社が日本企業でした。ところが現在は0社ということです。現在の世界のトップ20社は、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン等のIT企業です。特にこの4社は創業14年にしてトヨタ自動車の約2倍の時価総額を持っているそうです。さらにこれらに追随する企業群をユニコーンと言うそうで世界で380社ぐらいありますが、その中に入る日本の会社は3社位でしか無いと言うことです。
なぜこんなに凋落したのかというと、日本が得意な製造業、その製造業GDPに占める割合が、2割ギリギリまで落ち込んでいるという現状があります。現在GDPに占める割合が高い産業は、アイティー企業とサービス業で、サービス業の消費を支えているのは男性よりも女性の割合が高いとのことです。ところが日本における女性の地位が低いこと、世界の先進国並みに女性の地位を向上させなければ世界の潮流に置いて行かれると筆者は主張しています。私たちの意識の中には、製造業こそ経済活動の源泉であるという意識が抜けていません。日本の教育目標は製造業に向く人材の育成でありました。すなわち偏差値がそこそこ高く、素直で我慢強く、協調性があり、上司の言うことをよく聞く人を育てるということです。しかし、これから必要とされる人材は、独創的な人間、極論的に言うと変態的思考の持ち主、経営者は多様な人材の登用、すなわちラグビー、ワールドカップ日本代表チームのように国籍、人種が混在したようなダイバーシティーを許容するような意識改革ができる者でなければならないと述べています。今日までの常識明日は非常識というくらい世の中の変化が急激です。日本の経済を引っ張る人たちが、30年前の栄光を忘れなければ、日本の将来は無いんだなと考えさせられました。ぜひロータリーの友で、この記事を読んでくださいお奨めします。
会長の時間6
2020年09月09日
日田ロータリークラブ 会長 井上太香美
今日は、にわかに注目を集めている大学のお話をします。
法政大学第二法学部法律学科、ご存知菅義偉さんの出身大学です。ちなみに私も同大学同学部の卒業生です。面識はありませんが報道による彼の経歴から、3年間同じキャンパスで過ごしたことになります。そこで当時の第二部学生の様子などお伝えしたいと思います。
法政大学のキャンパスは、総武線飯田橋駅と市ヶ谷駅の中間にあります。校舎は一部建て替わっていますが、場所は当時(1970年)と同じです。学部は法学部、文学部、経済学部、社会学部がありました。学生数は1学年で800名位いたと思います。70年安保闘争の時代で、全共闘「中核」の本家みたいでした。とりわけ「革マル派」との対立が激しく、1970年8月大学構内の六角校舎でリンチ殺人事件が起きました。加えて代々木系学生の勢力も強く、学内は日々騒然としていました。その年はほとんど休講だったと思います。翌年は殺人事件の影響で構内に鉄柵が設けられ、それに対する反対運動、その次は学費値上げ反対闘争と学生運動華やかな時代でした。学生ストと大学側のロックアウトの応酬で、毎年学年末試験はレポート提出、おかげで正式の試験を受けることなく卒業しました。カリキュラムや教室、教授(のちに同学の総長になった方が2名。有名な砂川事件の伊達秋雄教授もいました。)は昼間部と同じで、月曜日から土曜日まで休み時間無しでした。そんな騒然とした学内でしたが、それゆえに在学中は、いろいろな分野に興味を持ち、よく勉強したものです。
学費は年間3万円、私立大では一番安かったので受験しました。学生生協が充実していて、書店から不動産屋までそろっていましたので安価で生活に必要な買い物ができました。一番助かったのは学食で、ラーメン70円、カレーライス80円、日替わり定食は100円、和、洋、中華等品数が豊富でおいしかったです。先週ネットで見たら学力レベルが低いだろうと書かれてありましたが、勉強が嫌いだったら夜学に4年間も通学できません。10時ごろ授業が終われば、飯田橋駅近くのマンモス喫茶「ルノアール」で夜を徹して日本の将来を政治家気取りで、学友と侃々諤々(かんかんがくがく)語り合ったものでした。時は“東西冷戦、ベトナム戦争”の真っ最中、高度経済成長の中で、本当に楽しく充実した学生ライフでした。
9月の例会
2020年08月26日
・9月 2日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
ロータリーの友月間 雑誌委員会 織田委員長 ※休会となりました
・9月 9日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
外部卓話 日田保護区 保護司会会長 豊田完治様就任挨拶
・9月16日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
新入会員卓話 中野哲朗会友
・9月23日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
外部卓話 日田労働基準監督署 署長 金田博幸様
・9月30日(水)休会
会長の時間5
2020年08月19日
日田ロータリークラブ 会長 井上太香美
私の心旅
NHK・BS番組にタレントの日野正平さんが自転車で旅をする「心旅」というのがありました。今日はこの番組をヒントに「私の心の風景」をお話ししたいと思います。
ほとんどの方は記憶にないと思いますが、私の思い出の風景に東京都荒川区にあった東京スタジアムという野球場があります。昭和37年に開場し、昭和47年に閉場した球場です。
使用していた球団は東京オリオンズ、前身は大毎オリオンズ、現在は千葉ロッテマリーンズです。両翼90メートル、中堅は120メートルですから現在では考えられない小さな球場でした。私がよくその球場に行ったのには訳があります。東京オリオンズはパリーグの球団ですから、西鉄ライオンズが来るんです。グレーのユニフォームの胸に[FUKUOKA]の地名が入っている。それだけで九州の匂いがするんです。3塁側のスタンドに座ると「テレっとするな」「しゃんと、打たんかー」という九州弁の中に入れるなつかしさがありました。
文字どおり石川啄木の「ふるさとの 訛り懐かし停車場の 人混みの中に そを聞きに行く」の心境です。パリーグの試合ですから観客席はガラガラ、いまのホークスの雰囲気はありません。47年ごろから外野席は無料というありさまでした。残念なことに西鉄ライオンズは黒い霧事件で身売りして、ライオンズの応援はできなくなりました。しかし、西鉄の稲尾、池永、近鉄の鈴木、太田、東映の張本、南海の野村や広瀬、ロッテの有藤、江藤など往年の名選手のプレーを身近にみることができました。中でもオリンピック100メートルの飯島が「代走専門の選手」として盗塁を成功させた場面はよく覚えています。当時のパリーグ球団は、西鉄、東映、東京、阪急、近鉄、南海です。
藤蔭インターアクトクラブ募金活動
2020年08月05日
藤蔭高等学校インターアクトクラブ(小畑彰斗部長・顧問 梶原一成先生)は、日田駅前とイオン日田店駐車場で豪雨災害への募金活動を実施しています。
実施期間
8月7日(金)まで
8月6日(木)16:00~17:00
8月7日(金)12:00~13:30
本日、日田RC例会で集まった募金は、募金会場でインターアクトクラブに手渡しました。





会長の時間4
2020年08月05日
日田ロータリークラブ 会長 井上太香美
withコロナ=コロナウイルスと共に
毎日新型コロナウイルス感染者の増加を伝えるニュースが流れてきます。「どこがおもしろい!」と怒鳴りたくもなる毎日です。私は医療の専門家ではありませんから、医学的な意見は申しあげません。患者サイドに立った考えを述べたいと思います。にわか勉強で得た知識ですが、地球上からこのウイルスを封じ込めることは出来ないと聞きました。即ち「withコロナ」、インフルエンザと同じように、折り合いをつけながら、共生していくウイルスだそうです。
4月に緊急事態宣言がでたとき、日田市において最初の感染者にはなりたくないと思いました。風評被害が怖かったからです。幸い最初の感染者にはならなかったのですが、あれから約4ヶ月間、当市において新たに感染者が出たとき、あの時以上のバッシングが起こるのではないかと危惧しています。
最後まで感染者の出なかった岩手県において、最初の感染者に対してすさまじい誹謗中傷が起きているそうです。県知事までその火消しに出てくるありさまです。怖いのはウイルスよりも世間のバッシングです。このウイルスに感染するリスクは私たち全員が平等に負っています。どんなに注意しても、感染するときには感染するのです。自分が、家族が、会社が感染者になったときのことを考えてみましょう。とても傍観者の立ち位置には立てません。ウイルスの危険度は、インフルエンザの方が高いとも聞いています。私たちは間違ってもバッシングをする立場に立つことなく、感染者を擁護する立場に回りましょう。その人に罪はないのです。どんなに暗く長い夜であっても明けない夜はないのですから。
8月の例会
2020年07月28日
・8月 5日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
会長卓話 井上太香美会長
・8月12日(水)休会
・8月19日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
インターアクト年次大会報告 藤蔭高校インターアクトクラブ 永田委員長
・8月26日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
会員増強卓話 会員増強維持委員会 ※休会となりました
会長の時間3
2020年07月22日
日田ロータリークラブ会長 井上太香美
本来であれば、今日明日は2020東京オリンピックの話題で大騒ぎをしているはずでした。新型コロナウイルスのため1年間の延期となってしまいましたが、楽しみが先延ばしになったと前向きに考えましょう。今日は56年前の1964オリンピックを知る者として小学6年生から中学3年生の間、1少年の目からみたオリンピックのお話をさせていただきます。
東京の前のローマ大会は小5の時です。当時ほとんどの家ではテレビがありません。あったとしても実況放送などは見ることができません。ラジオの実況中継も音が大きくなったり小さくなったりで良く聞こえません。それでも男子体操の活躍やマラソンのアベベがはだしで走ったことを記憶しています。次はいよいよ東京ということで、学校で五輪マークの小さなバッジなどを買って帽子につけて通学したことを覚えています。学校の掲示板にはオリンピックのポスター、100メートルのスタートの図柄でしたが掲示されていました。運動会では毎年「東京五輪音頭」が流れ大人も子供も踊らされたような気がします。中学校のバスケットコートのゴールには五輪マークが飾られていました。そして一番強く打たれ感動したしたことは、クーベルタン男爵の「オリンピックは勝つことではなく参加することに意義がある」ということばでした。運動神経のない私にとって、「運動は勝つことではなく参加することに意義がある」と置き換えて、ゴルフコンペに参加しています。とにかくローマ大会から東京大会までの4年間、日本中が熱病にかかったような雰囲気でした。
開会式は、学校のテレビで見たと記憶しています。白黒テレビでしたが、アナウンサーの解説であたかもその色が見えるようでした。ブルーインパルスが、競技場の上空に見事に五輪マークを描いたときは感激しました。そして何よりも特筆しなければならないことは、大部分の国民が初めて競技をというものを自分の目でみることができたということです。現在のようにテレビがありません。国際試合もありません。レスリングとプロレスの違いも分からない人がいました。重量挙げや、サッカー、体操、フェンシング、三段跳び、棒高跳び人間技を超えたかに見えるスポーツをみることができました。その意味で東京五輪は日本のスポーツの発展や普及に多大な貢献をしたといえると思います。
会長の時間2 硯川昭一ガバナー公式訪問
2020年07月15日
日田ロータリークラブ会長 井上太香美
本来ならば、ガバナー公式訪問例会ですので、会長の時間もロータリークラブに関しての蘊蓄(うんちく)を述べるべきでしょうが、その話は後程ごガバナーより詳細にお話があると思われます。よって本日は通常の例会の雰囲気でやらしていただきます。
7月に入りずっと曇り空が続いています。7日には豪雨となり天ケ瀬、津江方面では甚大な被害が発生しました。
日田の水害の歴史を振り返ってみると昭和28年の災害にたどり着きます。以来平成24年7月まで特筆されるような大水害は無かったと思います。私は、昭和28年の災害時は4歳になる年ですからもちろん記憶にありません。話によりますと三隈川の氾濫ということで、私の育った花月川の支流小野川も氾濫したとはいえ、市内ほどの被害はなかったと聞いています。とにかく平成24年の豪雨まで、63年間、水害とは無縁の人生でした。ところが、その5年後九州北部豪雨によって生まれ育った小野谷の姿は変わってしまいました。以来毎年のように避難指示が出るようになりました。その原因として、地球の温暖化等の影響が無視できなくなった気がします。
今日は私が初めて見た、平成24年の水害についてお話ししたいと思います。
7月3日の朝でした。玄関を開けると土砂降りの雨です。事務所まで約100mあります。その間に2本の用水路があるのですが、車道の上に水があふれていました。とにかくあちこちの用水路があふれて事務所の周りは水浸しの状態でした。この日の状態は、皆さんもそれぞれ目撃されたと思います。その日の夕方財津方面に様子を見に行った時、コカ・コーラのあたりまで浸水した事態に愕然とした次第です。私は小野地区の鈴連町で稲作をしておりましたので、翌日田んぼの状況を見に行こうしましたが、道路が土砂で寸断されており、通行止めでした。土砂を寄せて交互通行になり田の様子が見られるまでに数日かかりました。幸い私の田は、水につかったものの流されずに済みました。その時に見た景色は忘れられません。川に密生していたヨシが1本もありませんでした。苔のついていた石が真っ白になっていました。田んぼの川に面した石垣の草がきれいにむしり取られて、ピカピカに磨かれていました。水辺の砂も真っ白で後日、田の草をそこに捨てていたのですが、気が引けて掃除に行ったほどです。幾筋も谷川から道路上に押し流され岩石に山に驚きました、清流を取り戻した川の美しさ、この対比の不可思議は目に焼き付いています。作業が終わるころ1台の救急車が参りました。何か気になる救急車でした。私の田んぼより上はまだ道路が寸断されています。除去作業中の重機が、緊急車両の前を開けておりました。早く病人のところにつけたらいいなと念じつつ帰路についたのですが、翌日私の元に届いたのは、幼馴染で同級生の友人の訃報でした。結局救急車は間に合わなかったのです。





会長の時間1
2020年07月01日
日田ロータリークラブ会長 井上太香美

本日は 井上年度最初の例会です。来年6月まで、頓宮幹事をはじめ理事の皆様、そして会員の皆様のご協力を賜りながら一生懸命頑張ってまいります。どうぞよろしくお願いします。
会長の時間をいただきましたので、第1回は来週から週報を飾る絵のお話をします。私には毎週週報を飾るような名画というものも持ち合わせておりません。そこで当クラブの織田会友に相談をいたしました。織田さんは気持ちよく、何枚かの絵を収録したUSBを貸してくださいました。その中の絵はどれも素晴らしいものでしたが、特に胸を打たれたのが「母と子」と題された絵でありました。
従前から私が思うに、女性の美と感じるものは多々ありますが、乳児を抱いてやさしく微笑む姿、すなわち母親のいとし子を見守るまなざしと、それに応える子供のまなざし、まさに見返りを求めぬ絆、是程美しいものは無いと思います。私はすぐにこれを使わしてくださいとお願いし、快く了解していただきました。
折から感染症の蔓延で心がすさんでいる時であります。経済状況も疲弊しております。聞こえてくる言葉は「ソーシャルディスタンス」社会的距離の保持です。分断、といういやな声も聞こえてきます。こんな時こそ、人のやさしさの原点ともいえる親子、これを表現した絵のような温かさが必要ではないかと思います。その思いをもってこの絵で1年間週報を飾らしていただきます。織田会友ありがとうございます。
7月の例会
2020年06月25日
・7月 1日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
井上太香美会長 新年度運営方針表明
・7月 8日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
クラブ協議会(方針確認・委員会ごとの話し合い)※ 豪雨のため休会
・7月15日(水) 日田市のマリエールオークパイン日田
ガバナー公式訪問 2クラブ合同
11時30分〜12時 一般会員集合 12時〜受付 12時30分〜2クラブ合同公式訪問例会
・7月22日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
クラブ協議会(各委員長発表)
・7月29日(水)休会
会長の時間32
2020年06月17日
年度末卓話 1年を振り返って
日田ロータリークラブ会長 白石章二
一年前の今頃は、世界がまさかこのような状況になるとは夢にも思っていませんでした。
七月に私の年度がスタートし、毎週の会長の時間の事で頭がいっぱいで、あっという間に一週間が過ぎていっていたのが、なにか遠い昔のことのように今感じています。
会長になって始めて、他クラブの例会に出席させていただき、クラブが違うとこんなに例会の様子や雰囲気が違うのかと少し驚きました。
特に玖珠ロータリクラブにお邪魔した時は、あまりの会員の少なさに少し戸惑いました。
日田ロータリークラブは本当に会員に恵まれているなあと実感しました。
最初の夜間例会の納涼例会では、新入会員の合原会友や若い会友と一緒に二次会に行き楽しい時間を過ごさせてもらいました。
8月には日隈小学校金管バンドの皆さんに来ていただき演奏を披露して頂きました。
そして去年も見事に全国大会に出場し、本当に嬉しく思いました。
9月は、今年度の一番の事業であるチャリティーコンサートが開催され、石松幹事や佐藤委員長そして当時会員だった吉冨今日子さんや会員の皆様のご協力で無事にコンサートを終えることが出来ました。
この収益金は後にNPO法人のリエラさんを通じて、九州北部豪雨災害で被災されたご家族の子供さん達に無事渡されました。
皆さんのご協力、本当にありがとうございました。
10月には長年日田ロータリークラブで活躍された、井上名誉会友がお亡くなりになるという悲しい出来事がありました。
告別式では会長として、弔辞を読むという大役を仰せつかり、とても緊張しましたが、なんとか私なりの思いを話させていただきました。
11月には中津市で地区大会が開かれました。
二日間に渡る大会で大勢の会員の皆さんと一緒にとても充実した時間を過ごさせていただきました。
20日の職場例会では昭和学園さんにお邪魔し、生徒の皆さんの手作りの昼食をご馳走になりました。
まるで京料理の様な上品な料理でとても関心しました。
12月には年末恒例の家族例会が開催されましたが、担当の親睦委員長の松浦会友のお父さんが直前にお亡くなりになり、当日は湯浅会友と高嶋会友が代わりに司会進行をして頂きました。
亡くなられた井上会友の奥様をお招きしてのパーティでしたが、とても喜んでいただき本当に嬉しく思いました。
井上名誉会友に少しは恩返しが出来たのではないかなと思っております。
12月21日には、藤蔭高校のインターアクトクラブの生徒の皆さんと大原神社の大掃除をしましたが、担当の永田会友と石松幹事が早くから来られて掃除をされていました。
私もちょこっと掃除に参加しました。
一年間のすす払いが出来てとてもいい気持ちがしました。
開けて1月の新年夜間例会は亀山亭で開催致しました。
久しぶりの川端のホテルでの宴会でしたが、思えばこれがコロナ以前の最後の楽しい宴会となってしまいました。
会長の任期もあと半年になり、なかなか慣れない会長の時間も、あと半分という思いと、まだ半分もあるという複雑な思いがいたしました。
1月22日には職業奉仕賞贈呈式を行い、みそら会前理事長の池永惠子氏に来訪していただきました。
29日には、原正隆会友がマルチプルポールハリスフェローを受賞されました。
日田ロータリークラブとして初めての事です。
本当におめでとうございます。
2月には2年越しのお約束であった、視覚障害者への読み聞かせの活動を長年されている、「かたつむりの会」へ専用の録音機を寄付することが出来ました。
この頃から新型コロナウイルスの日本での感染が広がりだし、クルーズ船の集団感染で一気に緊張が高まり、世界中が大変な事になりだしました。
3月には学校の閉鎖が始まり、東京などで自粛が始まり、後に全国的な自粛要請が発せられました。
膳所日田医師会会長のアドバイスも考慮し、日田市として各種の会合やイベントの自粛要請が出された事から、会長として3月4日からの例会の中止を決定いたしました。
当初はひと月位で何とかなるんじゃないかと高をくくっていましたが、その後の世界中でのあっという間の感染の拡大と、死者数の増加に私もさすがに、これは大変な事になったと背筋が寒くなる思いがいたしました。
例会再開のめども立たない中、日田ロータリークラブのラインでの情報交換がされるようになり、私も非公式ですが、いろいろと思いをラインに載せさせて頂きました。
例会出席の為のラインでしたが、思わぬ形で役に立ちました。
ほかのクラブでは、オンラインでの例会をやっているそうだ、などの情報も入ってきましたが、日田クラブの会員数の多さや年齢層を考えると中々直ぐにはできませんでした。
5月になり段々と自粛も解除になり、13日の理事会において現在の状態が続く事を前提に、6月からの例会の再開を決定致しました。
いまだかつてない三か月に及ぶ例会の休会の間、あんなにすぐに来る水曜日の会長の時間が無いことで、一週間が意外に長く感じられたのが少し面白かったです。
休会中はこのまま私の年度も尻切れトンボで終わってしまうのかなあと、思ったりもしましたが、なんとか残りひと月でも再開することが出来て大変嬉しく思っていますが、一週間先には又何があるか、誰にもわかりません。
油断は禁物です。
ですが、何とか一年間皆さんのご協力で乗り切ることができそうなこと、本当に感謝しております。
次年度の会長他理事や委員長の皆さん、また難しい一年になりそうですが、めげずに頑張りましょう。
会長の時間31
2020年06月05日
日田ロータリークラブ会長 白石章二
例会を中止してから早三か月、季節も冬から一気に初夏になりました。
この三か月で会員の皆さん方を囲む状況にも、相当の変化があった事と思います。
総じて悪い方向に向いてしまった方がほとんどでは無いでしょうか。
100年に一度位の災厄に、立ち向かわなければならないことは災難としか言いようが無いですが、これも運命と受け入れるしか無いなと、今では思っています。
今日、欠席されている方々も本当は出席したいのだが、今は出来ないと云うう方も多くおられると思います。
特に病院や介護施設の方にとっては、命に係わる問題だとお察し致します。
私の花業界においても、皆さん同様業務の縮小の嵐にさらされております。
葬儀は家族葬になり、結婚披露宴は中止や延期になり花の需要も減り大変苦労していますが、ここマリエールさんも相当の影響を受けている事とお察しいたします。
今回のコロナ禍により、影響を受けやむを得ず退会される会員の方もおられ本当に残念でなりません。
しかし、今日こうして皆さんと又集まることが出来ました。
本当に嬉しく思っています。
会長としての私の任期も、今月で終わりになってしまいました。
少し心残りはありますが、チャリティーコンサートなど計画していた行事が出来た事は本当に運がよかったと思います。
むしろ、次の井上年度は本当に大変だと思いますが、私も精いっぱい協力していきたいと思っています。
今回のパンデミックによる経済的影響が出てくるのは、むしろこれからだと思いますが、会員の皆さんと一緒に知恵を出し合っていければ、きっとこの難関を乗り越えていけると思います。
出来ない事を嘆くより、何が出来るのかをこれから考えていきたいと今強く思っています。
6月の例会
2020年06月03日
・6月 3日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
クラブ協議会
※6月中の例会参加は出席フリーとなりました
・6月10日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
献血例会に代わる例会
会員卓話 膳所会友 井上会友 新型コロナウイルス関連
・6月17日(水)午後0時30分 日田市のマリエールオークパイン日田
会長卓話 白石会長 1年を振り返って
・6月24日(水)午後6時30分 日田市のアプロディール紙音
年度末夜間例会
5月の例会
2020年05月05日
5月の例会は休会となりました
4月の例会
2020年04月14日
4月の例会は休会となりました
会長の時間30
2020年02月26日
日田ロータリークラブ会長 白石章二
過去に起きた最大のパンデミックはスペイン風邪(スペインインフルエンザ)です。
電子顕微鏡のない当時はインフルエンザウイルスはまだ発見されていなくて未知の病気だったようです。
ちなみにウイルスの大きさは一万分の一ミリです。
そのスペイン風邪ですが1918年から1920年までに当時の世界人口18~20憶人のなんと三分の一が感染し2000万から一説には5000万人が死亡したそうです。
当時世界は第一次世界大戦の最中で、各国はその流行を隠していましたが、参戦していなかったスペインでは情報が広まりあたかもスペイン発であるように受け取られたようです。
最初は米国のカンザス州から発生した記録があるようですが本当にそこなのかはよくわかっていなくて、中国から広まったと言う説もあるようです。
その米国が第一次世界大戦に参戦し、ウイルスがヨーロッパに拡散しその後アフリカやアジアそして南米へも広がったようです。
船での感染も起こっており、当時米国の兵員輸送船「リヴァイアサン号」乗員1万1千人で感染が発生し約200百人が死亡したようです。
日本では1918年9月末から10月初頭までに感染が広がり総人口5719万人の内、総患者数2116万8千人なんと37%が感染し25万7千人の方が亡くなったようです。(致死率1.2%)
日本でも矢矧(やはぎ)事件という船での感染事件が発生しています。
呉を母港とする軽巡洋艦「矢矧」が469人の乗員を乗せ1918年11月にシンガポールに寄港した際に一時上陸した乗組員によりインフルエンザウイルスが持ち込まれ閉鎖空間の艦内で爆発的に感染が広まり看護師や軍医も倒れ最終的に306人(65%)が発病し48人(16%)が死亡したそうです。
この様に過去にも船での感染が発生している事を考えると、今度の豪華客船の事ももう少し歴史に学んでいたらと思ってしまいます。
しかもイギリス船籍の船で運営はアメリカの企業だそうです。
あまり日本に文句は言えないと思ってしまいます。
むやみに危機をあおらず正しく怖がって、冷静に対処するしかないようです。
会長の時間29
2020年02月19日
日田ロータリークラブ会長 白石章二
先週の「永遠のゼロ」の話の続きをしたいと思います。
太平洋戦争当時の戦闘機に求められたのは、格闘性能と速度です。
ですがこれは、相反する性能だそうです。
これに旧日本海軍はもう一つ、航続距離まで要求したそうです。
普通はどれか一つに絞って設計するようです。
これにチャレンジしたのが、三菱重工業の若き設計士の堀越二郎でした。
そして見事にこの三つの要求を備えた飛行機「零戦」が誕生しました。
当時アメリカ軍は劣等なアジア人が、まともな戦闘機など作れるはずがないと思っていましたので、零戦に遭遇したアメリカ空軍は、相当びっくりしたようです。
空中戦をドッグファイトと言いますが、これは犬同士がけんかするときにお互いの尻尾を嚙もうとぐるぐるまわるところからそう呼ばれるようになったようですが、この零戦と戦うとアメリカ軍の飛行機は三回転するまでに、後ろにつかれて撃ち落されたそうです。
これにびっくりしたアメリカ軍は、雷雲と零戦に遭遇した時は、任務を途中で放棄してよいと言う、指令までだしたそうです。
それほど恐れられた零戦ですが、高性能ゆえの弱点もあったようで、それは作るのにかなりの手間と時間がかかることでした。
それゆえ、段々とアメリカ軍の物量作戦に対抗出来なくなったようです。
何事もすべて良しとはいかないようです。
会長の時間28
2020年02月12日
日田ロータリークラブ会長 白石章二
今売れっ子の作家の百田尚樹さんを、ご存じの方も多いと思いますが、彼は私と同じ年です。
2月23日生まれで私と11日しか違いません。
彼の本で最初に読んだのは、高校生のボクシング部を描いた「BOX」という作品です。
当時私の長男もちょうど高校のボクシング部に入っていたので、とても面白く興味深く読ませてもらいました。
百田さん自身も学生時代にボクシングをやっていたようで、とてもリアリティのある物語でした。
次に読んだのは、映画もヒットした「永遠のゼロ」です。
2巻物で、結構な読み応えがあり、彼の取材力に本当に関心しました。
一部で彼のことを右翼という人もいますが、作品を読むと、とてもそんな風には思えなくて、むしろ無謀な戦争をしてしまった当時の日本政府を美化するようなことは全然なく、零戦を通して、どうしようもない戦いを継続するしか無かった戦闘機乗りの思いが伝わってくる作品でした。
最近読んだのは「日本国記」です。
これも相当に内容の濃い作品で、すらすらと読める類の本ではありません。
特に、近現代史にかなりウエートを置いて書いてあり、賛否両論はあると思いますが、私は自虐的な戦後の日本の近現代史に一石を投じる本だと思っています。
何より彼の日本を思う気持ちが、私にはひしひしと伝わってきますが、左翼の方には多分相当に気に障る存在だと思います。
会長の時間27
2020年02月05日
日田ロータリークラブ会長 白石章二
とうとう習近平主席も、今回のコロナウイルス肺炎への中国政府の対応の遅さを認めたようです。
今回は中国政府自体も正確な状況の把握が出来ていなかったようで、中国共産党政府の強権的な体制のため、地方の役人が悪い情報をあげるのをためらった結果、対応が後手に回ってしまったようです。
BS放送の世界各国の放送局のニュースを見ても、どこもコロナウイルスのニュースがトップニュースになっています。
特にヨーロッパでは、東洋人を危険視する状況が話題に取り上げられていましたが、私たち日本人に対しても例外ではないと思われます。
本当に迷惑な話です。
今回のように先行きのわからない重大な問題に対して、特に我々日本人は危機意識より、まあ大した事では無いのではないか、というふうに思いがちですが、これを正常化バイアスと云うそうです。
縁起でもないとか、言い当てるとか、なるべくマイナスの事は考えたくないと云うような、私たち日本人に特有の考え方も影響しているようです。
一般市民はそれでもいいかもしれませんがいますが、政府はそういう訳にはいきません。
政府はあらゆる状況を想定して、対策を取らなければいけませんが、それには正確な情報を把握する必要があります。
しかし今の日本にはそういう組織が無いようです。
そういう正確な情報の把握が出来ない状況が、今回の日本政府の対応の遅さに影響しているようです。
今回の状況はある意味、戦争と同じようなバイオテロの状況のような気がします。
まだもう暫くは、こういう状態が続くようですが東京オリンピックがとても心配です。
CIAやMI6のような組織は無理でも、多くの正しい情報を集められる組織が日本にも必要なのではと、素人の私でも考えてしまいます。