会長の時間4 平成24年7月25日(水)
「災害で思ったこと」 2012.7.25
日田ロータリークラブ会長 橋本信一郎
今回の日田を襲った水害で、思ったこと、感じたことがあります。
その一つは、昨年の3.11東北大震災のときにも思ったことですが、建設重機の重要性です。
ここ十年ぐらいでしょうか、公共事業全体が目の敵にされ、土木建設業不要論の流れの中で、使われなくなった重機の多くが、建設ブームに沸く中国に安く売られたと聞きます。
しかし、昨年の東北大震災以降、復旧には重機が絶対に欠かせないということが再認識されたのではないでしょうか。
私が最初に重機を見たのは、昭和20年代の後半、多分、米軍の払い下げだったのでしょうが、大原道の砂利道を平らに削っていたブルドーザーで、子供心に大変驚きました。
戦時中、南太平洋の島では、米軍が上陸するとブルドーザーで整地し鉄板を敷いて、瞬く間の飛行場を作ったそうですから、つるはしやモッコでの日本軍との差は歴然としていました。
昨年の大津波でやられた仙台空港の復旧作業に当たったのもアメリカ軍でしたが、危険な大型輸送機の夜間着陸までして重機や物資を運び込む米軍の兵站能力の強力さに改めて驚きました。
先日、中津のインターシティミーティグで、手嶋龍一さんがそのときの様子をまるで鷲が舞い降りるようだったと表現していました。日本には未だにこの種の戦略・戦術思想に欠けているのではないかと疑っています。
その重機を操る土木建設業は、地域・民間の工兵隊として、災害復旧や道路や河川の保全等のために、各地方で必ず抱えておかなければならないと思います。
それから、今回、中津への川沿いの国道もやられましたが、中津・日田間の高規格道路を建設することは、単に経済道路としてだけでなく、災害時の物資の輸送、活動支援、救護などのためにも必要だと感じました。
もうひとつ、今回、床下、床上浸水の被害に多くの家屋が遭いましたが、バリアフリーは水害には弱いと聞きました。床を上げたのは、日本人の経験に基づく知恵だったのではないでしょうか。
高気密住宅も停電にでもなれば大変かもしれません。都会の高層住宅も停電になったら、エレベーターもトイレも調理器具も空調も使えなくなります。
今、便利だと言われているものが、回りの状況が変われば、不便になることもありえます。
今、何とも思っていないものが、いざとなった時に有り難いものになるかも知れません。
先日、ある会友が「病気になって家内の有り難さが良くわかった。とても一人ではのりきれなかった」しみじみと言っていました。人間は何かが起こらないと、大切なものになかなか気がつかないものかもしれません。
リスクに対する想像力をたくましくすることも必要だとも思います。
以上、水害に遭って感じた雑感でした。
尚、先回、お話しました台湾烏山頭ダムでの「桜花植林」の件について、嘉義玉山扶輪社に参加の申出をしましたところ早速、翁国際委員長から感謝のメールが入りましたので、ご報告します。
兵站 へいたん
一般に戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画しまた実施する活動を指す用語であり、例えば兵站には物資の配給や整備兵員の展開や衛生、施設の構築や維持などが含まれる。