卓話

職場例会 天領日田洋酒博物館 館長 高嶋甲子郎

2012年05月16日

天領日田洋酒博物館 館長 高嶋甲子郎

本日は天領日田洋酒博物館にお忙しい中お越しくださいましてありがとうございます。日田中央RCのRACに5年間在席して活動していました。おかげさまでいろんな方達と交流が出来ました。

今日は私がなぜこの博物館を開いたか?この過程をお話ししたいと思います。

この博物館は私が中学3年生から31年間かけて一人で集めた洋酒のコレクションになります。きっかけは小学生のころからアメリカやヨーロッパに憧れがあり、亡くなった父の影響も大きなものがありました。コースターなどの小物から始まり高校時代までに自転車で市内の酒屋さんから展示品をもらったりして収集していました。大学時代に、ある有名なバーでバーテンダーをしながらコレクションの資金を集めていましたが、他に発送のアルバイトや警備などいくつも掛け持ちでやりながら、骨董市などで手に入れていました。大学卒業後、東京に3年間勤務していました。給与やボーナスを趣味につぎ込みお金がないので骨董品の転売で収集品を増やしていき、もちろん失敗もありましたが、おかげで目利きになり現在に至っております。在庫品は実家の高嶋紙器の倉庫に入れてあり、そこで博物館の品物を見せていましたが、この空間でお酒を飲みたいという方が増えてきましたので一緒に出来るものをということで、この博物館を作りました。昨年の4月29日の昭和の日に立ち上げましたが、まだ宣伝不足で皆様方のお力添えをよろしくお願い致します。ただ家族からは冷たい視線を浴びせられています。自宅は家族5人で借家に住んでいますので、家を先に建ててもらいたかったと言われました。博物館を開くにあたり日田以外でお誘いはたくさんありましたが、やはり地元で商売抜きにやりたかったので、本業をしながら夜に楽しませてもらっています。深夜3時に寝て、朝7時に起きる生活をしていますが、好きだから苦になりません。まだまだほしいものもあるので…と笑ってお話をしていただきました。

博物館のなかにはコレクションの6~7割ほどが展示してあり、展示品の95%にお酒が入っているそうです。ニッカウヰスキーの名前は前身の「大日本果汁」の「日」と「果」を取ってつけた由来や、日田工場の撤退の際に特別に譲ってもらったポットスチル(単式蒸留器)のこと、ギネスブックに載っている世界最小のボトルや禁酒法時代の酒、マリリン・モンローやエルビス・プレスリー、車や汽車などいろいろな形の入手困難なボトル、また販促用ポスターやノベルティグッズなどがあり、楽しいお話を聞かせていただきました。