会長の時間29
日田ロータリークラブ会長 江藤秀平
創立記念例会です。
1964年の創立当時の石田友逸会長、膳所美光幹事の時のチャーターメンバーは26名いましたが、現在は0名です。もう当時のことを知っている会友さんはいなくなりました。61年前のことになりますので仕方がないことですが寂しい気持ちがします。いつも創立記念卓話はロータリー歴の一番長い1979年入会の草野義輔会友に卓話を依頼していましたので、今回の卓話は1986年入会の平野法好会友にお願いしています。また違った一面のお話が聴けると思います。宜しくお願いいたします。
この間、パソコンの中のデーターを整理していた時に私がロータリークラブの会報編集をしていた時の資料が見つかりました。2011年武内真司会長時代で幹事が織田荘太郎さんの時です。昔は卓話をテープ起こしで週報を作成していたので大変でした。その中で創立記念例会の卓話者が井上百合会友のお父様の井上幸一会友でした。その時の卓話を一部抜粋してお聴かせします。「その頃ロータリーはチャーターメンバーが26人でした。ロータリーとは何か?何をするところかというのが大半のご意見でした。メンバー表を見ますと、その当時の我々が見ても年を物凄くとった人ばかりで、おじいちゃんばかりのロータリーでした。一番驚いたのは、ある会長さんでしたが、前に出てきて挨拶する時に頬杖をついて挨拶したことでした。ご本人は非常に打ち解けた人だと解釈をしていましたが、私どもはやっぱり驚きました。」と井上幸一先輩が書かれてある様に当時の井上先輩の率直な思いで、尚且つ古き良き時代のロータリークラブではなかったでしょうか。
また佐藤彬会友のお父様の佐藤武朗会友の2015年の創立記念卓話の中ではクラブ設立に関して日田は他の奉仕クラブに先を越され、RCの設立に対して地元の代議士から、保守を二分しないでほしいとの要望があり、1961~1962年度の松本兼二郎ガバナー(八幡RC、黒崎窯業社長)も慎重論であったが、中津ロータリークラブの向笠広次会友(医学博士、1967~1968年度ガバナー、1982~1983年度RI会長)を特別代表として果敢に取り組み、若い層を集めて日田ロータリークラブの設立にこぎつけたと話されていました。創立総会は東京オリンピックの年1964年3月14日に山陽館で中津ロータリークラブが創立10周年記念事業としてスポンサーとなり当時の九州山口第370地区73番目、日本承認順位612番目の平均年齢44.5歳のロータリークラブとして誕生したことと、こちらも向笠広次会友が式典でのお話の一部抜粋ですが「日田ロータリークラブの誕生が、どんなに周囲から待ち望まれていたか、すでに皆さんは何回もお聞きになってご承知のことと思います。そしてその誕生の産婆役を務めた我々は、多くのロータリアンから“よくやった”と肩を叩かれました。クラブの誕生がこんなに歓迎されるのは何故でしょう。ロータリアンたる幸福を一人でも多くに分かち合いたいからです。心から新クラブの健やかな成長を祈ります。」と挨拶をされたそうです。
こういう思いで先人たちより望まれて設立された日田ロータリークラブを今後どうするかはこれからのわれわれの活動にかかっていると思うと大変です。継続は力なりです。先人たちの思いと共に頑張っていきましょう。