会長の時間14
日田ロータリークラブ会長 石松雅彰
先ほど、結婚記念日のお祝いご披露いただきましてありがとうございます。
今日は、我が家の会員増強についてお話いたします。
私が結婚いたしましたのは昭和48年11月2日、今年で49年を迎えました。
私が大学在学中は、70年安保闘争末期で2年時には半年以上大学が封鎖される混乱期でした。
学校に行きたくても行けない状態の中で、下宿と雀荘を往復する自堕落な生活を送り、気が付けば就職戦線にも乗り遅れる事態となり、昭和47年3月、父親の求めるままに自宅に帰り、市役所に臨時職員として勤務させてもらいました。
そして、その年の職員採用試験を受け、翌年7月に正式採用となりました。
そして、同年11月に、高校時代より交際中であった家内と結婚いたしました。
職員になりたてホヤホヤなのに、よくまあ結婚なんかできたものだと、今考えれば恥ずかしいばかりですが、父親は早く結婚させて、ふらふらしていた私の身を落ち着かそうと思ったようです。そのため、費用は親の丸抱えでした。
この時が、私の家族増強第1号です。
結婚して翌年には、どういう訳か職場が人事・給与担当部署に異動になりました。
職員の顔も名前も何もわからない中で、右往左往する毎日でしたが、不思議なことに
その年の年末には、なんと長女が誕生いたしました。25歳のことです。
これが、我が家の会員増強第2号です。
総務課職員係には6年在職しました。その間には直属の係長が病気療養で長期の休暇を取るなどもあり、ほとんど毎日のように残業もあり、私にとっては、これまでで一番仕事をした時期だったと思っています。もちろん、残業のない日もありますが、その時は行きつけの雀荘にこもる生活でした。
毎日、深夜にしか家に帰らないにもかかわらず、この6年間に、次女、長男を授かりました。3号、4号です。
当時は、子どもの世話は家内任せで、いい加減な父親でしたので、今でも家内には頭が上がりません。
長女が小学校に上がるころ、麻雀、タバコから足を洗い、心を入れ替えて、私としてはまじめな生活に努めました。ただ、両親や家内は満足しているようには見えませんでした。
子どもが成長し、いずれも晩婚でしたが、長女、次女、長男の順でそれぞれ家庭を持つことができました。一挙に、家族が増えましたが、なかなか子宝に恵まれず、平成27年、一番最後に結婚した長男に娘が誕生しました。私が65歳の時でした。
次の年に、長女に男の子と女の子の双子が誕生し、その2年後には、ほとんど諦めかけていた次女にも女の子を授かり、4年間に孫が4人も誕生するという大増強になりました。
自分の子どもの育児は殆どしなかった私ですが、65歳を過ぎて授かった孫たちには、優しいおじいちゃんでいようと思っています。
そして、先日、ついに長男に男の子が誕生しました。子供たちも高齢となり、私も今年73歳になりましたので、たぶん最後の孫になると思います。
孫たちの健やかな成長を願いながら、我が家の会員増強は概ね達成できたと、安心しています。
会長の時間を終わります。