会長の時間

会長の時間31

2022年06月22日

ラグビーと私 2

先日の大分県ラグビーフットボール協会の総会で、会長に選出されました。そういうことで、最後の会長の時間もラグビーについて話させていただきます。

 

前回話したように、息子たちは、それぞれ大学ラグビーに進みましたから、私は休みの日にやることが無くなりました。さあ、どうしようかと思っていましたら、長男が2年生の時、いつの間にか、レギュラーになり、それからは試合を見に行くようになりました。当時大学ラグビーでは一番強い、関東学院大学のラグビー部は部員が160名で、全国の強豪校から、すごい選手が集まるので、こんなに早くレギュラーになるとは、夢にも思っていませんでした。芝のグランドは4面あり、A、B、Cチームに分かれて練習し、残りの1面はアザー(その他)と呼ばれる人が練習するそうです。合宿所は3ヶ所あり、その内の1ヶ所がレギュラー寮と呼ばれ、個室で、息子はどうしてもそこに、入りたかったようです。

 

最初は東京へ安く行こうと思い、宿泊付きのスカイマークで行きましたが、ホテルは新宿の外れにあり、外国人労働者が泊まるような所で、飛行機も狭いし、1回でやめました。それからはどうせ行くならと言うことで、東京の有名なホテルを順番に泊まり、観光名所もほとんど見て回りました。最後の方は行くところが無くなり、隅田川の川下りや、はとバスの夜間ツアーにも参加しました。

 

ホテルで一番良かったのは東京ステーションホテルで、朝食が美味しく、地下にサウナと温泉がありました。一番便利が悪かったのは、ホテルオークラで、官庁街ですから、廻りに食事をするところがありません。ホテルの中のレストランはいつも予約でいっぱいです。仕方なく、タクシーで赤坂まで行って、食事をしなければならなかったです。しかしホテルニュー大谷や帝国ホテルに比べ、ロビーが広々としていて尊厳があり、テレビカメラが待ち伏せをしているのも、オークラが一番多かったです。食事に行くのが面倒くさかったとき、話の種にルームサービスを頼みましたが、これがなかなか好評で、熱々の料理が出てきて、家内は化粧を落として食べられるということで、やみつきになりました。

 

長男は大学選手権で3年の時、準優勝、4年の時、優勝することが出来ました。次男は身体が小さかったので、4年でようやくレギュラーになれ、伝統の早明戦のも出て、家族親戚8名で昔の国立競技場へ応援に行ったのも懐かしい思い出です。その後、息子たちはラグビーのおかげで、クボタとNTTに就職することが出来ました。社会人になると、試合は全国各地でするようになりました。札幌で試合があった時は、網走、知床、釧路と観光して、今問題になっている、遊覧船にも乗り、最後に息子の試合を見て帰るという行程でした。

 

ハプニングもありました、長野の松本で試合の翌日、台風で飛行機が飛ばなくなり、新幹線で東京まで行き、翌日、羽田から帰りました。仙台、金沢、新潟といろんな所に行き、試合観戦と観光を大いに楽しみました。やはり一番多いのは、大阪、京都でした。家内がいつも言っていますが、京都は何回も行っても飽きないらしいです。兄弟の試合が重なる時はどうしますかと聞かれますが、試合場所で選びます。長男が試合に出るようになってから、次男が現役を引退するまでの12年間、毎年9月から12月にかけ、毎週のように応援に行き、いろんな所を観光することが出来ました。これもラグビーのおかげだと思っています。

 

息子たちが引退した後、いよいよすることが無くなったと思っていたら、次はゴルフです。今では毎年、100回以上ゴルフに行っています。今後、ゴルフが出来なくなったときは、いよいよすることが無くなり、どうしようかと悩んでいます。