会長の時間3
日田ロータリークラブ会長 井上太香美
本来であれば、今日明日は2020東京オリンピックの話題で大騒ぎをしているはずでした。新型コロナウイルスのため1年間の延期となってしまいましたが、楽しみが先延ばしになったと前向きに考えましょう。今日は56年前の1964オリンピックを知る者として小学6年生から中学3年生の間、1少年の目からみたオリンピックのお話をさせていただきます。
東京の前のローマ大会は小5の時です。当時ほとんどの家ではテレビがありません。あったとしても実況放送などは見ることができません。ラジオの実況中継も音が大きくなったり小さくなったりで良く聞こえません。それでも男子体操の活躍やマラソンのアベベがはだしで走ったことを記憶しています。次はいよいよ東京ということで、学校で五輪マークの小さなバッジなどを買って帽子につけて通学したことを覚えています。学校の掲示板にはオリンピックのポスター、100メートルのスタートの図柄でしたが掲示されていました。運動会では毎年「東京五輪音頭」が流れ大人も子供も踊らされたような気がします。中学校のバスケットコートのゴールには五輪マークが飾られていました。そして一番強く打たれ感動したしたことは、クーベルタン男爵の「オリンピックは勝つことではなく参加することに意義がある」ということばでした。運動神経のない私にとって、「運動は勝つことではなく参加することに意義がある」と置き換えて、ゴルフコンペに参加しています。とにかくローマ大会から東京大会までの4年間、日本中が熱病にかかったような雰囲気でした。
開会式は、学校のテレビで見たと記憶しています。白黒テレビでしたが、アナウンサーの解説であたかもその色が見えるようでした。ブルーインパルスが、競技場の上空に見事に五輪マークを描いたときは感激しました。そして何よりも特筆しなければならないことは、大部分の国民が初めて競技をというものを自分の目でみることができたということです。現在のようにテレビがありません。国際試合もありません。レスリングとプロレスの違いも分からない人がいました。重量挙げや、サッカー、体操、フェンシング、三段跳び、棒高跳び人間技を超えたかに見えるスポーツをみることができました。その意味で東京五輪は日本のスポーツの発展や普及に多大な貢献をしたといえると思います。