会長の時間8 平成30年8月29日(水)
日田ロータリークラブ 会長 膳所和彦
我が故郷下関について
私は山口県下関市に生まれ、高校まで(正確には一浪時代まで)過ごしました。実家は観光地として有名な唐戸市場の比較的近くにあり、現在は弟夫婦が家を建て直し住んでおります。下関市は現在人口約26万人で、現内閣総理大臣である安倍晋三さんの選挙拠点です。ちなみに、明治維新以降山口県出身の内閣総理大臣は8名おり、全国では圧倒的に多い数です。おかげで山口県のインフラ整備は非常に整っております(私の個人的な印象ですが..)。これまで我が故郷下関が歴史上重要な舞台となった大きな出来事が3つあります。
一つ目は「源平による壇ノ浦の決戦」です。源氏と平氏の戦いは瀬戸内海から始まり、下関にある壇ノ浦で最後の決戦を向かえました。開戦当初は関門海峡の東向きの潮にのった平氏が優勢でしたが、潮の流れが西向きに変わると、源義経率いる源氏が盛り返し、平氏は滅ぼされてしまいます。この時8歳だった安徳天皇も母である建礼門院とともに海に入水し、絶命しました。その後安徳天皇の菩提を弔うため、祖父である後白河法皇が下関側にお堂をつくり、そこに安徳天皇がまつられました。このお堂は後に赤間神宮として建て直され、現在壇ノ浦を望むように佇んでいます。
二つ目は「巌流島の戦い」です。巌流島は関門海峡に浮かぶ小さな島で、元々は無人島です。1612年ここで宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘を行い、武蔵が小次郎を倒したとされています。佐々木小次郎は当時小倉藩の剣術師範で、その流派の巌流から後にこの島が巌流島と名付けられました。しかしながら、この巌流島の戦いが実際に行われたかどうかについては疑問視されています。その理由として宮本武蔵と佐々木小次郎の年齢差が40歳くらいあったこと、そして佐々木小次郎自体が実在人物であるか不明なことなどなど、謎の多いところであります。しかし巌流島の戦いは我々下関人にとって最大のロマンであり、色褪せることのない大事な歴史絵巻です。
三つ目は「幕末維新の舞台」となったことです。今年は明治維新後150年目となる節目の年です。現在NHKテレビの大河ドラマでは「西郷どん」が放映されており、薩摩つまり鹿児島県が注目を浴びていますが、幕末の主役はやはり長州・山口県です。吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文、木戸孝允、久坂玄瑞などは山口県萩生まれでしたが、倒幕運動の舞台となったのは海上及び陸上交通の拠点であった下関でした。イギリス、フランスなどの西欧列強国と戦った下関戦争時の砲台跡、坂本龍馬とお龍が新婚生活を送った伊藤家跡、高杉晋作が挙兵した功山寺、高杉晋作終焉の地、高杉晋作が眠る東行庵など幕末の雰囲気を感じられる場所が下関市内に数多くあります。明治維新後日本の政治を牽引して来たのは長州(山口県)でした。最初に述べたように多くの総理大臣が山口県から輩出された事実からも、そのことが窺えます。そして下関は交通の要所であることから、その中心として発展して来たのです。
以上、私の故郷下関について紹介させていただきました。皆さん、機会があれば是非下関に足を運んでいただき、歴史的名所を散策したり、また唐戸市場で新鮮な魚(特にフグ)を堪能していただければと思っております。高速道路で行けば、車で2時間かかりません。「おいでませ、山口いや下関へ」