会長の時間37 平成28年5月25日(水)
本日の職場例会は昭和学園高校にお邪魔しています、草野理事長、岡崎教頭、草野浩輔教諭には大変お世話になります。
校舎が新しくなって、私は2度目の訪問となりますが、改めてホテルのようなモダンな校舎に、こういう校舎で勉強できる学生は幸せだなと羨ましさを感じます。学生さんも大変喜んでいることでしょう。
私達の学生の頃の校舎は、木造2階建て、隙間づくり、夏は暖房、冬は冷房完備の粗末な教室でした。
それが当り前で特に文句もありませんでした。しかし、高校生活は、青春時代そのものであり、勉強もあり、悩みもあり、恋もあり、人生の本当のスタートでありました。高校時代の友人は今も親しく付き合っています。
学ぶということは、
1・教える先生の強い情熱
2・学ぶ学生の強い意欲
3・社会状況や教育環境 等々が大いに影響するのではないかと考えます。
2年前の大河ドラマ「花燃ゆ」には幕末の松下村塾が出ていましたが、吉田松陰は松下村塾で、そもそもどれくらいの期間教えていたと思いますか?
調べてみたら、わずか2年9か月です。
安政元年(1855)には黒船に密航しようとして失敗し投獄されます。
安政2年に、出獄し自宅蟄居
安政3年3月から、幽囚室で近所の若者に講義を始めます。 (それから1年8か月後の)
安政4年11月、塾生が増え、部屋を増築し
松下村塾と名前を改めて講義を始める。 (その1年1か月後の)
安政5年12月、安政の大獄でとらえられる (この間わずか2年9か月です)
安政6年、斬首 享年29歳
しかし塾生が凄い、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山形有朋、吉田俊麿、入江九一、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義等々。
教える方と学ぶ方の情熱のぶつかり合いが凄かったことでしょう。
私たちも、同じく3年間高校で勉強しました。自分たちに学ぶ意欲がなかったのでしょうか、あるいはたまたま先生方の情熱が低かった時でしょうか。
一方、咸宜園は92年も続いています。
これから先、日田市の将来は、公立校より私学の双肩にかかっているような気が致します。これからも頑張って下さい。