会長の時間34 平成28年4月6日(水)
名字について
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
近頃、「夫婦別姓」という言葉を良く耳に致します。
西日本新聞1月9日の記事に、伝統でない「夫婦同姓」という論評がありました。
(記事では)日本に戸籍制度が確立したのは「壬申戸籍」によってであり明治5年の事である。これを機に身分制度を担ってきた「姓」「氏」は解消され「名字」となった。「名字」は3年後義務化されたがどんなものでも届け出さえすればよかった。そもそも江戸時代まで武士は「夫婦別姓」であり、庶民には公的な姓も氏もなかったのであるから、まさに「適当」につけたはずである。・・以下省略
江戸時代には百姓町民には名字がなかった? ・・・これは本当でしょうか、嘘でしょうか?
江戸時代武士階級は「夫婦別姓」であった? ・・・これは本当でしょうか、嘘でしょうか?
まず、庶民には公的な姓も氏もなかったのであるから、まさに「適当」につけたはずである。という表現は、かなり乱暴な表現をしています。
明治3年、平民苗字許可令が出されますが、世間ではあまり関心がありませんでした。
明治8年、平民苗字必称義務令が出されて、一般平民すべて名字を持たなければならなくなります。
この時庶民は、皆適当に名字をつけたと思っておられる方が多いと思いますが、これは間違いです。
江戸時代は、百姓町人に名字を公的に名乗ることを許さなかっただけで、名字を消滅させたり、取り上げられてしまった訳ではありません。公文書には百姓町人の名字は載っていませんが、私的なお墓、鳥居、庚申様、神社奉納帳などのものには、ちゃんと名字が見られます。これは、名字自体を庶民の多くが、かなり高い確率で保持伝来していたということです。江戸時代は250年続きます、その間には名字が分からなくなった人もいるかも知れませんが、それはごく少数派です。
そう言う訳で、その時に適当に名字をつけた人もいた、という表現が正しいと思います。
次に、江戸時代の武士階級は夫婦別姓だった。これは本当です。
武士は男の世界であり、男が武士の「家」を継ぐが、しかし「妻」はよそ者だという概念でした。
明治5年には名字の変更が禁止され、そこで問題になったのが「女は結婚した後、生家の名字を名乗るのか、夫の名字を名乗るのか」ということです。
政府が「夫婦別姓」を堅持したのは、「家」は血族を持って構成されるべきで、「妻」は外部の者だから、「家」の姓から除外すべきである、とする考え方です。政府には、武家出身者が多く武士の習慣が民法に適用されたのでしょう、これは明治9年から明治31年まで続きます。
この間、「夫婦同姓」の伺いが何度か出されていますが、政府は聞き入れません。しかし、庶民の方は「夫婦同姓」が慣習であり、いくら政府が「夫婦別姓」を説いても従えなかったという訳です。これによって、明治31年に民法が執行され、ようやく「夫婦同姓」となります。
それから120年後の今、再び選択的「夫婦別姓」論が出て来ました。明治時代とは意味合いが違うでしょうが、以前「夫婦別姓」から「夫婦同姓」に何故変わったのかご存じなのだろうかと、心配になります。