会長の時間24 平成28年1月13日(水)
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
以徳報怨 (いとくほうえん)
私が主催する天瀬町歴史研究会で、長老の方が、足腰が弱くなられ、永く月例会を休んでおられた。そこで、ご機嫌伺いにご自宅をお尋ねした時に、長老の若いころの戦争体験をお聞きすることができた。彼は学徒動員で少年兵として戦場へ赴き、中国南部の揚子江流域で任務に就いていた。中国は広大な土地で、占領したといっても拠点だけの支配で回りは敵だらけの危険な状態であったそうである。
間もなく敗戦になると、武器は没収され中国の奥へ奥へと連行された、たどり着いたところが長洲市の大学構内、そこが捕虜収容所となった。捕虜収容所では長い間不安な日々を過ごしたそうである。そうした或る日、収容所の壁に大きな落書きがあった。
そこには「以徳報怨」と大きく朱書きされていた、即ち「怨みは徳を以って報いる」と書かれていた。『これで自分たちも漸く助かるのだ、と安心して涙が出た』と言う事でした。
蒋介石軍は「怨みは徳を以って報いる」、他の中国共産軍やソ連軍と違って非常に寛大な政策で、おかげで自分たちは早く日本に帰還することが出来た、と言っておられた。
この時以来「以徳報怨」という言葉がいつも気に掛かっていたが、去年の7月31日の西日本新聞に、昭和天皇が外交関与発言・台湾養護を佐藤首相に促す、という記事が出ました。
この内容は、蒋介石総統率いる中華民国、即ち、台湾政府が国連の代表権を失う直前の1971年6月、佐藤栄作首相が米国のマイヤー駐日大使と会談した際、昭和天皇から「日本政府がしっかりと蒋介石を支持するよう」促されていたと伝えていたそうです。
この問題について、日本の外交文書にも「陛下が(中国問題を)心配しておられた」というマイヤー大使に対する佐藤首相の発言が記載されている。
昭和天皇の発言の背景には、蒋介石が終戦直後に中国に残った日本人の引揚げや、天皇制の尊重、対日賠償請求権の放棄等「以徳報怨」(徳を以って怨みに報いる)と呼ばれる寛大な対日政策を取った事に「恩義」や「信義」を持ち続けたことがあると思われる、と記事に記している。
「天皇は国事に対する行為のみを有しない」とする中、佐藤首相も戦後歴代首相の中で特に天皇に畏敬の念を抱いてきた首相として、台湾の蒋介石総統には、恩義を感じ、台湾の行く末を案じておられたのでしょう。
我々も、「以徳報怨」の深い意味を感じて、友好を保っていくべきだと思いました。