米山月間 別府大学 スリランカ出身 ジェド・デルシャン氏卓話
米山月間 別府大学 スリランカ出身 ジェド・デルシャン氏卓話
皆さんあらためましてこんにちは。今日の卓話を4つのテーマに分けたいと思います。
それでは
1 自己紹介
2 スリランカについて
3 スリランカと日本の深い歴史
4 将来の目的
1 自己紹介
名前はクルクラスリヤ ジュード ディルシャン ピーリスと申します。名前はすごく長いと思いますので簡単にディルシャンと呼んでください。今年の8月に27歳になりました。私の家族は4人家族です。お父さんは中古車の買い取りのビジネスをしています。お母さんは主婦で妹が今年の12月に高校卒業する予定です。私はスリランカにある別府日本語学校で半年間日本語の基礎を学びました。私はロータリークラブ米山奨学金制度について知ったのはその学校の校長先生からです。校長先生は元米山奨学生でした。自分が今このように話しているのはロータリアンの皆さんのおかげだと思います。ありがとうございます。
2 スリランカについて
イギリスの植民地だった頃、セイロンという名前で呼ばれていたスリランカは、1948年に独立しました。スリランカの人口は約2000万人で、大きさは北海道より一回り小さな島国です。スリランカは長年に亘り戦争をしてきて2009年に平和になりました。今は、発展に向かって頑張っています。新しい港、国内、国際空港なども作られています。またスリランカは海に囲まれていて、自然が多く、海外観光客に人気の国と言われています。 スリランカの特産品といえば…紅茶、宝石です。 スリランカの紅茶といえばセイロンティーとして世界中の人々に愛飲されており、スリランカの輸出三大商品(紅茶・天然ゴム・ココナッツ)のうちの一つです。
なかでも、高原地帯で栽培された「ハイ・グロウンティー」は味も風味も最高とされています。 スリランカは世界第4位の宝石産出国です。 宝石の都ラトゥナプラ 宝石堀りの井戸 スリランカを語るなら忘れてはならないのが、ラトゥナプラの街です。ラトゥナプラとは“ラトゥナ「宝石」”と“プラ「都」”の語源からなる『宝石の都』の意味です。 長い歴史を持つ宝石の街 ラトゥナプラにまつわる物語は古くからあります。紀元前10世紀にソロモン王がシバの女王にスリランカ産のルビーを贈って心を射止めたという話から始まり、近年ではイギリスのチャールズ皇太子がダイアナ妃へ贈ったブルーサファイアの婚約指輪まで、ラトゥナプラは良質な宝石が採掘される場所として長い歴史を持っています。
3 スリランカと日本のより深い歴史
皆さんは親日の国と言えば、どの国が思い浮かぶでしょうか。台湾?トルコ?それとも日本と国旗が似ているバングラディッシュでしょうか?今回は、国交樹立から60年以上経つスリランカと日本について。すべての日本人に知って欲しい、日本とスリランカの深い関係をご紹介します。 日本と一番早く外交を結んだ国、スリランカ 意外に思われると思いますが、世界で一番早く正式に日本と外交関係を結んだのはスリランカでした。他にも日本と関係の深い国はたくさんあったはずですが、なぜスリランカが一番早かったのでしょう。そのきっかけとなった出来事は、第二次世界大戦敗戦後の1951年サンフランシスコ講和会議です。戦争に勝ったアメリカ、イギリス、ソ連、中国によって作られた「日本分割占領案」により日本は4地域に分割される予定でした。 日本を救ったスリランカ大統領の名演説 当時のスリランカ(セイロン)大統領、ジャヤワルダナ氏は「戦争に負けた日本にもう一度チャンスを与えるべき」「憎しみは何も生み出さない」と戦勝国に対しスピーチを行いました。その背景には、同じアジアの日本に対する深い尊敬の念があったそうです。 今から、ジャヤワルダナ大統領の演説を抜粋して紹介します。 「なぜアジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。それは我々の日本との永年に亘るかかわりあいであり、またアジア諸国民が日本に対して持っていた高い尊敬の故であり、アジア諸国民の中で日本が唯一自由であった時、我々は日本を保護者としてまた友人として仰いでいた時に、日本に対して抱いていた高い尊敬のためでもあります」 「人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる。人は憎しみによっては憎しみを越えられない。実にこの世においては怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの恩むことがない」 この演説によって戦勝国は日本占領に対する考え方を変え、日本は分割されずに済みました。結果、日本が国際社会に復帰する道すじを作ったと言われています。 またこの日本との関係を永遠につづけるため元スリランカ大統領ジャヤワルダナ氏は、1996年死去に際し献眼しました。「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」との遺言により、片目は日本に贈られました。 スリランカ大統領の名演説のおかげもあり、今の日本があると言っても過言ではないのではないでしょうか。日本とスリランカの深いい話、いかがでしたでしょうか?
4 将来の目的
私は日本に留学して来てもう5年になろうとしています。それなりに日本の文化に慣れていると思っています。留学してからずっと別府という町に住んでいます。この町に住んでいるからこそ、温泉の事が好きになったと思います。スリランカに比べて、何もかもが揃っている日本はとても住みやすい国だと感じています。 今、別府大学国際言語文化学科のデザイン&絵画コースに入り学んでいます。ウェブページデザイン、ロゴなどを中心に勉強しています。今は、来年1月大分県立美術館OPAMに展示される卒業作品作りに力を入れています。 私は将来、世界で活躍できるデザイナーになりたいです。これからもデザインの様々な分野のことを学び、デザイナーになるために感性を磨いて、自分の中にあるものを一つでも多く引き出していきたいです。これからも頑張ります。この奨学金をいただいたことで時間の余裕ができてその時間を勉強に使うことができました。ロータリアンの皆さまに心から感謝しています。これで私の卓話を終わらせていただきます。ありがとうございました。