広瀬淡窓と咸宜園について
咸宜園教育センターの深町浩一郎氏に卓話頂きました。
<卓 話>広瀬淡窓と咸宜園について
咸宜園教育センター 深町 浩一郎氏
⑴日田の歴史ー淡窓を生んだ近世日田の繁栄
①古代から北部九州の交通の要衝として繁栄
・八方に通じる陸路交通、筑後川の河川交通
・「豊後国風土記」や弥生遺跡群
・中世は、大蔵氏の支配(永興寺・岳林寺)
②近世は幕府直轄地「天領日田」として九州の政治・経済・文化の中心地
(政治)西国筋郡代が置かれ九州の諸大名を監視
(経済)日田商人が御用達・掛屋として活躍
(文化)商業的繁栄をバックアップに町人文化(日田俳壇)が繁栄
※「豆田町」は江戸時代初期の町割と伝統的町並みを残す地区で「重要伝統的建造物群保存地区」として国の選定を受けている。
⑵広瀬淡窓の生涯
①生涯(略年譜)
天明2(1782)豆田魚町で商家「博多屋」長男として出生
7歳「四書」等を学びはじめる
10歳 漢詩を学びはじめる
16歳 福岡亀井塾に入塾
19歳 亀井塾を病気で退塾
24歳 長福寺学寮で塾を開塾
26歳 桂林園を建築・移転
36歳 咸宜園に移築・開塾
安政2(1856) 75歳で病没、長生園に葬る
・私塾「咸宜園」塾主(50年間)
・生来病弱で病気に苦しむ生涯(三大厄)
②評価 ・豊後三賢の一人「三浦梅園」「帆足万里」「広瀬淡窓」
・幕府からの永世苗字帯刀の恩命(61歳) 全国的評価
⑶淡窓の三つの業績
1.「教育者」淡窓
①「咸宜園」―近世最大規模の私塾
・50年間塾主 文化2(1805)〜安政2(1855)
(塾は養子・門人が継承し、明治30年まで92年間存続)
・塾生数(入門簿による)3,186名(92年間では4,797名)
全国66ヶ国(隠岐・下野を除く)
・主な門人(政治家)大村益次郎、長三洲、松田道之、中村元雄
(科学者)上野彦馬、山本晴海
(蘭学者)高野長英、岡研介、武谷祐之
(儒学者)広瀬旭荘、広瀬青邨、広瀬林外、中島子玉、
村上姑南、園田鷹城、劉石舟、谷口藍田、
阿部淡斎、秋月橘門、恒遠頼母、重富健助、
田代潤卿、井上直次郎、楠本瑞山
(僧 侶)小栗栖香頂、小栗憲一、赤松連城、釈樵禅、釈徳令
(歌 人)大隈言道
(画 家)帆足杏雨、平野五岳、千原夕田
(医 家)小林安石、辛島春帆、佐野東庵
(勤王家)大楽源太郎、藤井藍田
(淡窓以降の門人 清浦奎吾、横田国臣、朝吹英二)
②教育の特色
・平等主義 「三奪法」入門時に学歴・年齢・身分を奪う
・実力主義 「月旦評」無級〜九級(上・下)の19等級
毎月成績による席次評価、教育課程「課業」「試業」「消権」
・個性尊重 「鋭きも鈍きも共に捨てがたし、錐と槌とに使い分けなば」 (いろは歌)、「咸宜」〜ことごとくよろし
・実学主義 「職任制」全員に職務分担・自治組織・規則類
「人を教うるは先ず治めて後これを教うるなり」
・情操教育 詩作の奨励「詩は情を述べるもの」
2.「漢詩人」淡窓
①江戸後期の三大漢詩人「菅茶山」「頼三陽」「広瀬淡窓」
②詩集『遠思楼詩抄』初編2巻、第二編2巻、詩話『淡窓詩話』
③有名な漢詩「桂林荘雑詠諸生に示す 四首」「隈川雑詠 五首」「彦山」
「淡窓 五首」「筑前城下作」「江村」「中島」「南遊追憶」など。
3.「儒学者」淡窓
①学派的位置「通儒(万事に通じた儒学者)」(文玄先生碑による)
②淡窓の学問的態度
・自主的態度〜自分の修養のための学問
・本文主義〜註釈によらず本文のみを熟読
・実学主義〜日常の生活や生き方に役立つ学問
③主要著作『約言』(敬天思想・禍福応報論)、『析玄』(老荘思想・制数論)、
『義府』(易の思想、陰陽の理)、『懐旧楼筆記』(自叙伝)、
『迂言』(経世論)、『論語三言解』(語録)など
④敬天思想の実践『万善簿』善行(○)・悪行(●)の記録
一万善をめざす実践 54歳から始め67歳で達成(12年7ヶ月)
のち73歳まで継続(6年7ヶ月で6千余記録)
⑷淡窓の生涯に学ぶもの
①自省養生の生活
生来病弱で病気に苦しむ一生(三大厄) 養生して75歳の長寿
善行の実践「万善簿」〜高潔誠実な生き方
②地域に生きた生涯
ほとんど一生涯を日田の地で生活(旅行範囲は北部九州のみ)
全国の多くの文人・政治家と交流して活躍
全国的評価(幕府から永世苗字帯刀の恩命)をうける
③独自の工夫を重ねる
教育システムに独自の工夫(教育を天職として努力)
徹底した平等主義の「三奪法」、徹底した実力主義の「月旦評」、
規則正しい塾生活の「職任制」と「塾約・規約」、
個性尊重、情操教育の「詩作奨励」など
「人材を教育するは善の大なるものなり」
多くのハンディを抱えながらも、与えられた条件の中で地道に努力し、高い評価を得た勤勉・誠実な生き方に教えられる。
⑸「世界文化遺産登録」の推進運動
・近世日本(江戸時代)の教育水準の高さは世界に類例がなく、その基盤の上で明治維新以降の急速な日本の近代化が成し遂げられたもので、その教育学校遺産を「世界文化遺産」として登録するもの。
・『近世日本の教育遺産群』として「咸宜園(日本最大の私塾)」を、水戸の「弘道館(日本最大の藩校)」、足利の「足利学校(日本最古の学校)」、備前の「閑谷学校(日本最古の郷校)」とともに、世界文化遺産登録(ユネスコ世界遺産委員会に申請)をめざす。
(平成24年11月に3市で「世界遺産登録推進協議会」を設立して推進運動に取り組んでいる。