パスト会長卓話
パスト会長である井上幸一会友と佐藤建身会友のお二人から卓話をいただきました。
井上幸一パスト会長
皆様こんにちは。武内委員長から何か話をしてくれということを言われ「10分で終わるけどいいか」と聞いたら「いい」ということで引き受けましたが、娘に聞いたら「5分にしなさい」といことで、そっちのほうを選ばせていただきたいと思います。
ロータリーに入って50年になりますが正直とりたてこれということやっておりませんですいません。ガバナーが中津の向笠さんの時でありましたが1982年にカナダでトロントということがありますが、ここで世界大会がありました。他に言うことが無いので、このことを触れさせていただきたいと思います。カナダという国は何回かいったことがありますが景観は世界一じゃないかと思っていますが、ご婦人の方が小柄な方が多いですね。フランス系が非常に優秀で、どんどん人口を増やして来たということです。フランス系の小柄な美人が多いということです。家内も一緒に行っておりましたのであまりそれを強調できませんが、非常にすばらしい国でありました。自分のことを触れますと終戦時には高射機関砲の照準器を作っていました。今の日田高の2年の時に終戦になったわけですが、我々が作る照準器なんで当たらんわけです。作ったうちの何機かは多少役に立ったと思いますが、それでも当たる日本の機械は精巧でありました。
ちょっと現在両耳があまり聞こえないものですが、時たま大きな声を出すかもしれませんがお許しを願いたいと思いますが、お医者にいってもあんたはもう歳なきもうしまつはつかんばい、ということで退けられますので、自分の発言もなかなか大変です。若い時は非常に喋るのも好きだったんですが、もう黙ってしまって、家内もあまりものを言うてくれません。自分では一生懸命がんばってるつもりです。
もうちょっとありますが、ロータリークラブに入ってありがたかったことがもうひとつあります。それはゴルフです。アメリカのマスターズを見に行って参りました。もう30年前になりますか、ともかく桁違いですね。まだまだ日本はゴルフでは他の国にも勝てません。女性もほとんど他の国は韓国かそこらばかりで、なかなか日本人の優勝は無いです。これは私もハンディ5までになりましたが、アプローチとパターで絶対に勝たんですね。マスターズなんか、ここにホールが有ると、ぜんぜん違うところを狙ってるんですね。スライスラインも極端ですから、日本人がぽっと行って勝つわけないのがよくわかります。それと観客の態度ですがパターのする前、パッと水を巻いたように静かに一声も聞こえません。ギャラリーは何千人かおりますけど、全く音がしない。これは実に感心することで見習うべきことだったと思います。もうだいたい5分を過ぎましたかね。非常に頭の整理ができておりませんので、これぐらいで勘弁していただきたいと思います。失礼しました。
佐藤建身パスト会長卓話
私は日田ロータリークラブに入会しましてちょうど45年になります。歳月の過ぎるのは早いもので、昭和44年の5月でしたが、創立5周年記念の直前37歳の時でしたが会員の伊藤隆さんに薦められて何もわからず入会したものでした。当時は出席100%が続いておりメーキャップするように言われ、当初は先輩が同行していただいたこともあります。その時は近いクラブでも甘木と久留米だけでしたので、例会日を外すとどこかを探して必死にメーキャップしたものであります。クラブ全員が100%出席を続けるというのも立派なことでもありましたが、大変な負担でありました。たまたま会友の後藤豊次さんの父上が病気で亡くなられましたことによりまして、長く続いた100%が途切れることとなりました。非常に残念なことではありましたが、みなさまほっとしたものでもありました。しかしその後も出席は厳しく言われ、調べてみますとその後も90%台で来ております。最近は落ちておりまして出席率80%前半ということであります。もう少し皆さんメーキャップを心掛けたらどうだろうとかと思っております。
ロータリーでの思い出は色々数々ありますが、昭和39年に我がロータリークラブは29名のチャーターメンバーで発足したわけでございます。藤蔭高校にインターアクトクラブを5周年記念行事で結成し、10周年記念として昭和49年に日田中央ロータリークラブの結成に尽力いたしました。15年周年の時会長は税理士の梶原子之吉さんで私が幹事をしておりましたが、膳所美光先生を団長といたしまして当時のマッチングクラブのしてマレーシアのペナンロータリークラブとタイピンロータリークラブを親善訪問いたしましたが、そのときのことを思い出します。私どもがついたのは夕方で有りましたが、現地のご夫妻の方々と宿泊するラササヤンホテルというのは大変に豪華で立派でございました。門前には銃を持った番兵が立って、部屋は広く素晴らしいものでした。その時のことですが江藤俊男会友が、部屋の中に部屋がある豪華な広い部屋に割り当てられたのですが、なんと夜中に私の部屋に来て泊めてくれということで枕を持ってきました。広いほうの部屋で明日の朝から会合があるので、あんたの部屋に泊めてくれ、ということでした。ペナンは色とりどりの美しい小鳥がおりました。またタイピンロータリークラブの訪問のためにマレー半島を南下して行きましたが、ヤシ林とゴム林は非常に珍しいもので有りまして、親睦交流は本当に楽しいもので有りました。その後バリ島のクラブも親善訪問したことが有ります。飛行機に乗る前にお土産にウイスキーをもって行ったんですがなんと訪問したら女性だけのクラブで、まして禁酒の国であり有りました。
私は日田ロータリークラブの例会に出席することで、皆様方と楽しく過ごすことができました。違った業種の方々と仲良くなれたということはたくさんの知識を身に付けたということで非常にありがたいと思っております。われわれのロータリークラブは創立50周年式典も祝うことが出来ましてとても誇らしいと思っております。会員として在籍できたことを心から嬉しく思っております。ますますの発展を祈るとともに、私自信が82歳となりましたが、映画の中のセリフではありませんが「もういいかい?」といって来たら「まぁだだよ」と健康を保ち、今後の余生をロータリーと共に楽しんでいきたいと思います。