「タイの国際大会に出席して」 国際奉仕委員長 橋本 信一郎
「タイの国際大会に出席して」 国際奉仕委員長 橋本 信一郎
5月5日から9日まで、国際大会出席のためタイのバンコックに行ってきました。6日の開会式は出席者が多いため、午前と午後の2回に分けて行われました。私達は午後の部でしたが、巨大な会場はほぼ満席で、モニターはあるもののステージは遠くよく見えませんでした。午前の部には、タイ王室の王女がご臨席になられました。録画で見ましたが、お足が悪いようで車椅子で来られましたがスピーチのときはご起立になられて祝辞を述べられていました。 式では、約200の参加国全てが国旗とともに紹介されました。紹介のたびに当事国からの参加者が歓声を上げましたが、参加者が多かったのは、日本、韓国、台湾、アメリカとホスト国のタイのようでした。 ロータリークラブのある香港・マカオは中華人民共和国の旗で紹介されましたが、何か違和感を覚えました。一方で、台湾はどのように紹介されるのかと思っていましたら「TAIWAN」と紹介されました。「チャイニーズ・タイペイ」などと言わないのは、さすが国際ロータリーの見識だと感心しました。 それにしても、国際大会では英語が分からないと何があっているのかよく分かりませんでした。 開会式の後は場所を移して「2720地区ナイト」が開催されました。アトラクションでタイの民族舞踊が披露されたり、約100名の参加者がクラブごとに紹介されるなどして懇親を深めました。 6日の午前中はタイの王宮を見学しましたが、タイ独特の建物が大変立派であり、壁画などには独特の仏教文化が表現されており意味は分かりませんが興味をそそられました。 7日には映画「戦場に掛ける橋」で有名なカンチャナブリ観光に出かけました。映画では木造でしたが、実際はコンクリート製でした。後で作ったのかと思いましたが当時日本軍鉄道隊が作ったもののようです。映画では日本の技術が悪かったように描かれていますが、実際は日本人の設計・監督で作ったようです。泰緬鉄道に一時間ほど乗りましたが、僅か一年半でよく作ったものだと思いました。タイ人のガイドは日本が負けるのがもう少し遅かったら鉄道が完成していたのにと言っていました。「タイで日本のことを悪く言う人はいないよ。嫌いなのはイギリス」とも言っていました。 近くに連合軍兵士の墓地がありましたが、こちらには国連から補助金が出ているそうです。近くに日本軍鉄道隊が昭和19年2月に建てた南方労務者と俘虜のための慰霊塔がありましたが、こちらはお世話をしてくれているおばあさんに日本大使館から僅かなお金が出ているだけのようです。 8日はゴルフをしましたが、雨の予報があったのでカメラを持参せず写真がありません。幸い雨も降らず曇りで暑くもなく、素晴らしいコースでゴルフを楽しんで来ました。 最終日の9日は、世界遺産のアユタヤに行きました。行く途中建物も電柱もアユタヤ遺跡も、大水害で水に浸かった跡がありました。現在は完全に復旧していますが、当時は、見渡す限り水に覆われていたのではないかと思います。観光客用の象に乗りましたが、相当な高さでかなりの揺れがあります。戦闘用にも使ったようですが、よく、こういう動物を飼いならしたものだと思いました。 アユタヤ遺跡は1767年にビルマの侵攻を受け破壊されたので、レンガを積み重ねた状態の遺跡です。当時はどうだったか分かりませんが、建造物としては余り感動しませんでした。 アユタヤに1600年頃、日本人が1000から1500人住んでいたという日本人町跡を見学に行きました。記念館には山田長政像や、当時、日本とシャムを行き来したシャム船の模型がありました。長崎から上海までは13日の航海だったそうですが、シャムまでは50日もかかったそうです。船には100人くらいが乗り組んでいたようです。大砲も積まれていますが、いかにも大航海時代だなと思いました。もし、鎖国をしなかったならば、アジアはどう変わっていただろうかと想像します。 アユタヤは国際交易都市ですが、バンコックから70キロほど北にあり、海から相当離れていますが、船が遡上してきたようです。海防上の理由のようですが、実際、スペイン艦隊がアユタヤを目指して攻めてきたとき、山田長政の指揮する日本人傭兵が撃退し、そのことは現在でもタイの教科書に書かれているそうです。 タイは、日本と同じく植民地にもならず、王室もあり、仏教国でもあり、殺伐とした感じのないとても素晴らしい国でした。地政学的にも東南アジアの中心であり、進出した日本企業も多く、周辺国の発展とともにタイはますます発展するのではないかと感じました。 タイの経済は華僑が牛耳っていると聞いていましたが、町に漢字を余り見かけませんでした。案内したガイドは二人とも華僑系でしたが、北京語も喋らず、自分はタイ人であるとハッキリ言っていました。 さすがに、独立を保ってきた国だけあって外交的センスが優れているような印象でした。 天気予報では全て雨のマークでしたが、幸い天気にも恵まれ大変に有意義な旅となりました。また、行きたい国の一つになりました。