卓話

会員卓話

2023年08月23日

佐藤彬会友

昨年度石松会長年度6月入会しました藤蔭高校の佐藤です。

ロータリーの祖父の代からロータリアンで父が初盆の時に勧誘に来られました。

推薦人の諌山会友・武内会友は母の同級生、 武内さんの息子さんは同級生と縁がいろいろあります。

ちょうど今日、 甲子園の決勝戦が行われます。対戦校は仙台育英高校と慶応高校で、仙台育英は当校が甲子園初出場した時の対戦校です。 当時から強豪で現在も一線におり素晴らしい野球部です。 縁のある学校なので、今回甲子園での裏話をしたいと思います。

当校の初出場は 1990年第72回大会、 その後選抜、 2018 年2019年と出場 第72回大会では選手宣誓を引き当て開会式で宣誓した原キャプテンが 、28 年後にその原さんが監督してまた甲子園に出場、今度は開幕戦を引き当てました。

100回記念大会なので皇太子殿下が開会式と開幕戦を観戦されました。 対戦相手は石川星稜高校、偶然にも始球式は松井秀喜選手でした。会場は星稜ムード一色になっていて、松井さんが「うちばかりに注目が集まり申し訳ない」と謝ってきてとてもナイスガイだったと聞きました。 ちなみに 72回大会には星稜も出ており、 松井は一年生でした。開会式では選手宣誓を聞いており、 28年経ってまたおなじグラウンドに立つという偶然、 その時愛工大名電のイチローもいたました。試合は圧倒的な差があり 4-9 で負けましたが、当時2年生だった奥川君から4点奪いました。奥川君は次の年に準優勝しますが高校時代ほとんど点を取られていない怪物投手で、高校時代に4点以上奪ったのは履正社と当校だけでした。 第100回大会は大阪桐蔭さんが優勝、藤蔭が最初に負け桐蔭が最後まで残る綺麗なオチがついたと思います。 大阪桐蔭の西谷監督とはトイレで隣になりましたが、 体調が悪いとか言っていました。 出場校には様々な制限がかかります。 平等にするため、期間中全校指定の宿に宿泊します。大分県はホテルアイボリーです。練習場所・時間も指定され制限されます。最初塩対応でしたが、 準備していた日田のお菓子を渡したら態度が変わり、さすが関西人と思いました。 甲子園では、最初 「大分にも藤蔭があるんだ」 とか言われていましたが、 試合後観客から「また来いよ」 と声をもらいました。 次の年は「また来たな」と言われ関西人はノリがいいです。

甲子園は見ている以上に凄かったです。皆さんに迷惑をかけたり大変ではありますがまた行けるように 頑張りたいと思います。

 

桒野浩一郎会友

 自分のロータリークラブへの入会書類には趣味の欄に読書と書いております。

先週の卓話でメンタルヘルスのお話がありましたが、よく考えてみると自分にとっての読書とは趣味ではなく、どちらかというと心のバランスをとるための精神安定剤のようなものであると思います。子供の頃から辛いことや嫌なことがあると本を読んで、登場人物に感情移入しその世界の中へ自己逃避して自分の心の平安を保っていました。

 そういう理由で今でもストレスの多い日常の生活の中で、読書を続ける生活を送っております。本日は過去によんだ本の中から皆さんに、原田マハ著作の(美しき愚かものたちのタブロー)についてお話しさせていただきます。

この本は国立西洋美術館設立における松方コレクションの寄贈返還から美術館の建設。松方コレクションの成り立ちについて書かれております。重要な4名の登場人物のうち1人が首相 吉田茂、もう1人が松方コレクションの名前の由来である 松方幸次郎です。本の中の吉田首相の「縁(えにし)とゆうものかな」というセリフがありますが、縁とゆう言葉で言えば、松方幸次郎とこの日田市とは縁があります。ご存じの方がほとんどかと思いますが、松方幸次郎の父親が初代日田県知事の松方正義になります、日田県知事の時に起こった福岡藩による太政官札贋造事件を中央政府に報告しその縁で大久保利通の計らいで東京の明治新政府に呼ばれることとなります、その後、大蔵大臣、日本銀行の設立、金本位制の導入、総理大臣を第一次、第二次と行うなど、明治の元勲、近代日本の礎として生き抜き国葬で生涯を終えます。その松方正義の3男であった幸次郎も鹿児島から東京に居を移し、エール大学、ソルボンヌ大学を卒業しその後、神戸 川崎造船所の社長となり第一次世界大戦の造船景気によって莫大な資産を得ます。当時の貨幣で3000円 現在の貨幣価値に換算すると300億円のお金で集められたのが松方コレクションです。その後、松方コレクションは数奇な運命をたどることになります。第二次世界大戦前に国内に持ち込まれたものは川崎造船所の経営破綻(海軍との関係で破産は回避)のため国内で売り建てられその一部が現在アーティゾン美術館(旧 石橋文化財団、美術館)大原美術館等に収蔵されております。ロンドンの倉庫に保管されていたものは火災により焼失します。フランス(ロダン美術館の倉庫)に保管されていたものがナチスからの略奪を逃れ、第二次世界大戦後発見されたものが紆余曲折の末に寄贈返還され国立西洋美術館の設立の礎となりました。しかしながら全てが寄贈返還された訳ではなく、戦勝国フランスの宝としてフランスに18点あまりの作品が留め置かれました。また、美術館の建設もフランス政府からの要請で行われました。設計をル コルビジェが行い、3名の弟子の日本人建築家が協力して完成しました。国立西洋美術館は、ル コルビュジェによる日本国内唯一の建築物であり世界中に点在するコルビュジェ設計の建築物と共に現在、世界遺産に登録されております。日本に返還されずにフランスに留め置かれた名画の代わりにフランス人建築家 ル ・コルビジェの国内唯一の建築物が世界遺産に登録され、最新の耐震補強を施されて松方コレクションを守っているということ、これも吉田茂首相がおっしゃった、縁(えにし)と言えるかもしれません。