会長の時間19
「 嘉儀玉山25周年、嘉義市役所訪問 」
日田ロータリークラブ会長 北郷太門
4月24日から2泊3日の日程で、総勢16人で、台湾嘉義玉山ロータリークラブ25周年祝賀会と嘉義市役所・黄敏恵(ホァン ミンフィ)市長を表敬訪問して来ました。降ったり止んだりのお天気でしたが、予定の日程通り、全員無事に帰宅しました。2日目に、体調を崩した方がいましたが、大したトラブルもなく、充実した旅行ができました。
出発の前々日から、台湾東部で小さな地震が数回、報告されていましたので、心配ではありましたが、予定通り24日朝7時出発しました。
私は7回目の嘉義市訪問でしたが、今回は、曾錦堂(ツェン ジンタン)会長とその家族、黄市長あてにお土産を用意しました。曾会長には、玩具の日本刀、黄市長には、今治タオルを持参しました。曾会長を驚かそうと、リアルな日本刀を用意しました。チエックインの前に、JTB担当者に持ち込み可能か、相談したところ、5分後に、警官がやって来ました。周囲からの視線を感じながらのやり取りでしたので、かなり焦りましたが、無事手荷物検査を通過して、台湾に持ち込めました。危うくやり損なうところでした。
桃園空港からタクシーで、台湾高鉄・桃園駅に移動、高鉄嘉義駅では、毎度ながら、玉山クラブのメンバーから、熱烈な出迎えを受け、日系のプリンスホテルに到着、着替えて、宴会場のホテルに、バスで向いました。400人規模の祝賀会でした。会場のLOOK ROYAL HOTELは、曾会長が経営しているホテルです。
1時間の式典中、私は前の席でしたので、水しか飲めず、テーブル席で飲み食いを始めている会友の皆さんが羨ましかったです。私の挨拶は、膳所ガバナーの3つ後でした。挨拶の後、苦労して持ってきた刀をやっと渡せて、ホッとしました。
その後は、大宴会に参加しましたが、今回は、参加者が多かったため、ウチのメンバーは、乾杯の集中攻撃を回避できたようです。我々も、ステージに上がり、谷村新司の「昴・すばる」を、全員で歌いました。2次会は地下のカラオケで、嘉儀玉山ロータリークラブのメンバーとの親睦を深めました。私は、記憶を失くす2歩手前くらいまで、曾会長に飲まされました。深夜2時ごろ、気分が悪くなり、戻しました。3時には、地震があり、かなり揺れました。
25日は、膳所ガバナーと頓宮会友は、姉妹地区3523地区を訪問のため、先に出発しました。残りのメンバーは全員で、バスに乗って、市内中心部にある、国立華南高校を訪問しました。
この学校は、日本統治時代に、台湾人の職業訓練学校として設立され、初代校長江口保から5代まで、日本人が校長を務めました。4代校長の井上徳造は「和魂商才」と云う有名な言葉を残しました。現校長の孫忠義先生にご案内いただきました。生徒たちが栽培しているコーヒー、自家製のパン、フルーツをご馳走になりました。食物科の生徒さん方から、洋食のテーブルサービスを受けました。最近、昭和学園高校との提携校となり、交換留学生や学生の交流などについて、佐竹会友から、お話がありました。
その後、嘉義市役所(嘉義市政府)を訪問しました。
黄市長、副市長、秘書室長、全ての部長が勢ぞろいで、臨席をいただきました。嘉儀玉山ロータリークラブからも、曾会長、パスト会長数名の臨席があり、30名程度で約1時間、意見交換を行いました。嘉義市側からの熱烈歓迎の気持ちを感じました。
同行した日田市役所の鈴木部長も、日田市のPRと椋野市長からのメッセージを10分程度、話しました。私は簡単に挨拶して、同行のメンバーを紹介しました。約1時間の会合中、ほとんどを、黄市長と曾会長が話しました。お二人とも、声も大きく、よく話しますので、二人に挟まれた席の私は、そのパワーに圧倒されました。
黄市長からは、サプライズで、2006年佐竹会長年度に、初当選の黄市長を訪問した時の写真をいただきました。後ほど回しますので、私と梅野会友の18年前の姿を見てください。黄市長は、「日田市との交流に積極的に取り組みたい、ぜひ日田市を訪問したい」と、熱心に話していましたが、日田市側は、どんな対応をするのか、今後の椋野市長サイドの対応を見守りたいと思います。
その後、玉山クラブのメンバーが、牛肉料理の昼ご飯を用意して下さいました。曾会長の食べる量とお酒を飲む量に圧倒されました。店主の洪(ホン)様が、他のお客様をほったらかして、店の奥から秘蔵の酒を持ち出して来て、乾杯を始めました。斎藤会友がハチマキ姿で対抗しましたが、危なかったです。
その後、高鉄で台北に戻りましたが、駅でちょっとしたミステイクがありました。
私は夕食までの空き時間を利用して、斎藤会友と、隣のビル地下2階のマッサージ屋に行きました。斎藤会友には、30代の女性、私にはおじさんが担当になり、羨ましかったですが、無言のまま、おじさんには、1時間しっかり揉んでもらいました。1400NT(約6500円)でした。
夕食は、創業58年、台湾料理の老舗、梅子(メイヅ)に行きました。名物は、大根のオムレツ風卵焼きです。からすみやカニのおこわも美味しかったです。夕食後は、それぞれに分かれて、ホテルに戻りました。私と斎藤会友は、近くの佐竹会友が馴染みのお店に、案内いただき、台北の熱い夜を楽しみました。
最終日は、早朝から、九分(チューフン)観光組や近場での買い物組に分かれて、出発時間まで過ごしました。雨がひどかったので、私は近場のビルの15階にある中国式サウナに行きました。中国式サウナはおじさんのオアシスですが、身体に絵が入っている人もいて、少し怖いところです。いくつかのお風呂やサウナ室や垢すりがあります。800NT(約3500円)でした。
それぞれが、お昼ご飯を済ませて、午後1時にホテルを出発し、4時半に、福岡行きの便に乗り込みました。
最終日も、別行動で、3523地区のクラブを訪問された膳所ガバナーと頓宮会友は、空港で合流しました。どこのクラブからも大歓迎されたようです。空港のロビーで、「近づいてきた地区大会に、今回、ガバナーが訪問した3523地区のメンバーが、追加で参加することになった。間に合わないかも」と、硬い表情をした江藤会友から聞きました。大変だと思いますが、宜しくお願いします。
長々と話しましたが、今回の旅行は、初参加の会友や奥さん方もいましたし、また将来につながる国際交流もできました。とても楽しく、いい思い出ができました。今回行けなかった皆さんも、次は一緒に行けることを願っています。
下次、一起走巴。謝謝。 (次は、一緒に行きましょう。有難うございます)
会長の時間を終わります。