会長の時間38 平成28年6月1日(水)
黒田官兵衛
日田ロータリークラブ会長 織田荘太郎
私の会長の時間もいよいよ最終章となってきました。今日は取って置きの最後の史料を紹介します。この文書は福岡藩、黒田長政によって書かれた、藩士の心得を説いた布告文書で、元和3年(1617)は丁度400年前になりますが、江戸時代初期の武家文書です。これほど古い史料が一般の家庭に残っていることはほとんど稀であり、余程家宝として大事に保管していた事と思われます。
一昨年のNHK大河ドラマ、黒田官兵衛をご覧になったことと思います。
ドラマの中では官兵衛の家臣に3人の重臣がいましたが、
第1家老の栗山大善は、近頃人気沸騰の浜田岳が演じていました。
第2家老の井上九郎右衛門には高橋一生が、
もう一人の重臣の母里太兵衛を速水もこみちが演じています。
母里太兵衛は黒田節のモデルであり、福島正則から、酒の大盃を一気に呑み干して日本号の槍をせしめた豪傑です。
栗山大善は黒田長政の子・忠之の時に、その行状をみかねて幕府に訴えます、所謂黒田騒動です。裁定の結果、藩は存続し本人は奥州盛岡藩の預かりとなります、この時に官兵衛の愛用した兜・赤合子(ごうす)も一緒に盛岡に持って行きます。従って、兜は東北に存在します。
井上九郎右衛門は、別府石垣原の戦いで、吉廣加兵衛率いる大友勢を激戦の末、打ち負かす武将です。井上九郎右衛門は1万2千石の家老でしたが、黒田騒動の後追放されます。
その井上九郎右衛門の子孫が日田にいると聞いてビックリしました、しかもよく知った方で、二度びっくりしました。井上秀樹さんといいます、現在中央通りの自治会長をなさっていますが、さすが井上九郎右衛門の子孫だけあって選挙のたびに、いつも選挙参謀をしておられるようです。井上氏から、見せて頂いた物が今回の史料です。
井上家は、その後何度かお家再興を試みますが、望みはかないません。江戸時代末期の天保12年(1841年)に久留米の有馬藩を介し福岡藩へお家再興を願い出ますが、有馬藩は動いて呉れたのですが成功しませんでした。
この詳細は井上家史料の中にありました。
本史料では、井上九郎右衛門が筆頭家老で、栗山大善丞が末席ですが、これは九郎右衛門は非常に長生きであったようで、栗山大善は息子の代に替わっているのです。
このように古文書は非常に面白いです、謎を解いていく気分は推理小説そのものでワクワクします。