会長の時間2
日田ロータリークラブ会長 北郷太門
「 日本丸館 」
今年度の週報には、豆田町の日本丸館を載せることにしました。
私の同業の大先輩であり、父親の代でも交流のあった日本丸岩尾薬局の話をします。
この建物は、木造4層3階建てになっており、江戸時代から昭和初期にかけて増改築を重ねました。展望楼もあり、豆田の天守閣とも呼ばれています。
平成14年に国の有形文化財に登録されています。
もともと掛屋(諸藩から屋敷に届いた産物を換金したり、金貸しを生業としていた)を営んでいた14代岩尾半蔵が、岩尾家に300年伝わる薬に目をつけ、伏見屋岩尾古雲堂を開業しました。
その後明治20年、15代岩尾昭太郎が、日の丸をイメージする「日本丸 にほんがん」と命名し、心臓や熱さましに効果のある薬として、販売を始めました。
興味あって成分を調べましたら、中国由来の伝統的な漢方処方で、牛や熊の胆のう成分や鹿の内臓等をすりつぶして、薬草と混ぜたものでした。
当時としては、ユニークな宣伝文句を使って、爆発的な売り上げになりました。
ふしぎによくきく 日本丸 火の用心 病の用心 日本丸
いろいろ飲んだがやっぱり日本丸 のんだ寝た おきた治った 日本丸
東京大阪北海道の国内だけでなく、領土拡大に伴い、朝鮮満州台湾、ブラジルやハワイまで販路を広げました。
15代岩尾昭太郎は、昭和18年にゼロ戦を一機寄付するなど、莫大な財産を築きました。
日田商工会館の建設時には、用地を寄贈するなど、地域社会にも貢献し、初代日田商工会議所会頭を務められました。胸像が、4階の大会議室の前方に設置されています。
特筆すべきは、女子の教育に関心を寄せたことです。
昭和14年、「 国を興すも、家を興すも、女子の教養にあり 」との建学の精神を掲げられ、日田家政女学校を創立しました。
その後、組織変更等があり、現在は岩尾昭和学園、昭和学園高等学校として、第4代草野義輔理事長のもと、日々発展を遂げられています。