会長の時間31 2019年3月6日(水)
米山梅吉記念館
日田ロータリークラブ会長 膳所和彦
ロータリーの友2月号に米山梅吉記念館創立50周年についての特集記事が載っていました。ご存知のように米山梅吉氏は、1920年(大正9年)に日本で最初のロータリークラブである東京ロータリークラブを創設し、初代会長に就任した人物です。彼は1868年に江戸(今の東京)で和田家の三男(後に米山家の養子となる)として生まれましたが、5歳の時に父親が他界したため、母親の郷里である静岡県駿東郡長泉町(スントウグン・ナガイズミチョウ)に移住しています。そして16歳で東京の学校に移るまで、静岡県で過ごしたのです。1969年(昭和44年)3月、この長泉町に「公益財団法人 米山梅吉記念館」が設立されました。そこには日本のロータリーの祖である米山梅吉に関係する遺品や資料が数多く展示されているそうです。彼は東京に出てから東京英和学校(現在の青山学院大学)に入学し、その後アメリカへ留学しました。日本に戻ってからは勝海舟に師事し、また井上薫の紹介にて三井銀行へ就職しています。以後、三井銀行の常務取締役などを務めています。そして前述したように1920年東京ロータリークラブを立ち上げたのです。静岡県駿東郡長泉町がどこにあるかと言うと、沼津市の近くで最寄りのJR駅は三島駅(新幹線駅もあります)になります。ロケーションとしては富士山の南側で、伊豆半島の根元にあたります。静岡県を訪れる機会はなかなかありませんので、残念ながらこの記念館に立ち寄ったことはありません。何とかロータリアンであるうちに行ってみたいものです。
今回の記事の中には米山梅吉氏の人柄に関する逸話がいくつか書いてあります。子煩悩で夜遅く帰宅した時は必ず5人の子供の寝顔を見て回った話。漢詩と俳句と和歌の堪能者だった話。非常に几帳面で新聞を読んだあとはきちんと畳まないと機嫌が悪かった話。とても音痴で歌を歌ったことがないと言う話。落語が好きでアメリカでは英語で落語をやり、拍手喝采を受けた話。亡くなる直前には家族にお礼を言い、その直後に永眠した話。これらのちょっとしたエピソードから彼の素晴らしい人物像が十分うかがえると思います。