卓話

職場例会 瀬戸亨一郎理事長(会友)

2017年05月24日


職場例会
日田木材協同組合
瀬戸亨一郎理事長(会友)

この会館は、平成3年の台風で日田の木々に大きな被害が出ました。歴史的な木々をそのままにしておけないということで、その木々を使い平成5年に建てられました。20数年経っていますが、この会館をどのように利用するかが話し合われており、現在は小学生の社会見学に使われている程度です。観光的に使う知恵が、なかなか浮かびません。豆田町の近くに建っていたらとか、川の近くにあったらいいと言われますが、中々難しく今日皆さんの考え・知恵を頂ければと思います。小学生が見学に来た時、質問をします。1つは、大きな木はこの会館の中にいくつあるでしょう?と尋ねます。2つ目は、丸太の代金を非常に気にします。平成5年当時、丸太と建設費はほぼ同額でした。現在、丸太の値段は暴落しています。建築様式が変わった事が大きな理由です。
日田の木材を語る上で避けて通れない歴史上大切なことは、水運が発達していたことです。このことが、林業を盛んにした最大の原動力と言われています。日田から下流へ筏を流し、2~3日掛かって大川市へ運ばれていました。結果、家具の一大生産地となりましたが、当時の日田の木材と水運があったからと言われています。しかし、昭和28年の夜明けダムの建設で筏流しが出来なくなってしまいました。奇しくも、陸運が発達してきていた時代でした。九州電力からの補償金で、今のサンリブの駅前一等地を先人達は購入しています。陸運が発達して来ていたとはいえ、トラックではなく貨物で運ぶことが主流になりつつあったので、貨物に載せる拠点として組合会館を移しています。
補償金を散財せず、後世のために資産を残してくれた先人達には、感謝の気持ちしかありません。日田は木材の町ですねとよく言われます。起こりは、400年~500年前で日田の一番古い杉は、「宮園津江神社」に使われています。それより古い木はありません。
本格的に林業が発展して行ったのは、江戸時代に奨励されたことが大きい。日田木材協同組合は、設立が明治15年になります。富岡製糸工場が明治5年ですので、遅れる事10年、現在140数年の歴史を持っています。同業組合法が出来る前に出来た団体ですが、木材の隆盛を極めた時代もありましたが、現在は地盤沈下が激しくなって来ています。しかし、木材に従事している方々は日田市内の産業を見ても突出していますので、日田は木材なしには語れない町になっています。